コーヒータイムの少考

「論考」というと、いかにも難しいことを考えていそうな雰囲気がある。この論考のような「~考」という二字熟語はいろいろあるが、じっくりと時間をかけて考えるさまを表すのは「熟考」と「長考」くらいのものである。これらに対して、気楽な感じがするのが「一考」であり「雑考」である。

一考の類語に「少考」がある。見出し語として収録していない辞書があり、聞いたり見たりする機会もあまりない。『新明解国語辞典』は載せていて、「ちょっと考えること」と書いてある。そのまんまだ。将棋や囲碁ではよく使う。仕事では長考しがちだが、仕事の合間や不要不急で出掛ける時には喫茶店での1分単位の少考タイムがいい


今年の秋は暖かかったので、11月でもカフェテラスに座れた。人がそこそこ入っていてもおかしくないカフェなのに、時間帯によっては誰もいないことがあった。自分以外に誰もいないとは、つまり「独り」。独りでいいのだ、独りもいいのだ、独りがいいのだ……。

「気がついたら自分は一人・・だった」というのと「気がついたら自分は独り・・だった」というのは違う。「一人・・になりたい」と「独り・・になりたい」も違う。「独り」には「一人」にないものがあり、「一」という数字以上の何かがある。

ランチタイムに喫茶店に入ると、トンカツ定食や鉄板ナポリタンの匂いにコーヒーの香りが負ける。コーヒーの存在をほとんどゼロにしてしまう最終兵器がランチメニューの中にある。ソース焼きそば定食がそれだ。自分がソース焼きそば定食側に立つこともあるので、寛容でありたいと思う。そして、なるべく昼前後にコーヒー目当てに喫茶店に入らないようにしている。

ところで、「へぇ、大阪の人はソース焼きそばとライスを食べるんだ」と驚く人少なからず。罪悪感があるのかどうか知らないが、大阪人も「炭水化物定食」などと自嘲気味に言う。炭水化物は上位概念。そんなものを知ってしまったから気になるのだろうが、目の前の麺と米を分相応に、腹相応にいただけばいいではないか。人は食に生きるのであって、栄養学的に生きてはいないのである。

カフェに立ち寄る時はたいてい本とノートを携行している。ノートにはいろいろ書いてきた。難しいことを小難しく書こうとした時があった。難しいことを、敢えてわかりやすく書こうとせずに、素直にそのまま書いたのは、「わかりやすさは人によって違うから」というのが理由。

雑多なテーマについて今も雑考して雑文を書いているけれど、自分なりに何らかの指向性はある(つもり)。これまでの短文形式の文章を集合してみると、その指向性が繰り返されてしたためやすくなる。音楽なら、過去曲を新しくカバーして振り返るような感じ。次から次へと目先を変えるだけが能ではない。かつて一考したことを反復的に少考する。自分の考えを口ずさむように“Reprise”ルプリーズしてみる、コーヒーを飲みながら、1分単位で

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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