語句の断章(31)惜敗率

冬季五輪のアイスホッケーの試合を観戦していた先週のこと。シュートが外れたり防がれたりするたびに解説者が「惜しい!」と叫ぶ。シュートは230本打って1本入るかどうかの確率だから、いちいち「惜しい!」と言ってるとキリがない。スポーツやその他の勝負事では、うまくいかなかったり負けたりする時はいつも惜しいのである。

小選挙区に適用される「惜敗率」の英語翻訳をチェックしてみた。どれも苦しまぎれの文章のような訳だった。簡潔でこなれた英語フレーズにならないのだから、わが国固有の発明と言ってよい。惜敗率について、少し説明をしておく。

ある小選挙区で最多得票した当選者の得票数を分母とし、敗れた候補者の得票数を分子とする計算式の率のこと。たとえば、当選者5万票の場合、4万票の落選者の惜敗率は80パーセント、1万票なら20パーセントになる。当選者が一人だけの小選挙区では僅差でも次点以下の候補者は全員落選になる。しかし、落選者が比例代表で重複立候補していれば、敗率次第では復活当選できるのである。上位の落選者を差し置いて、下位の落選者が復活することも稀にある。


惜敗とは言うものの、復活当選すれば負けたことにはならない。惜敗であろうと惨敗であろうと、ぼくたちの生きる社会では普通は「負けは負け」である。しかし、政治の世界では「負けるが勝ち」になる。勝つということが二重構造になっているわけだ。トーナメント形式のスポーツには一度に限って敗者復活戦のチャンスが与えられるものがある。しかし、プレーオフに出て勝つことが条件である。一方、惜敗率で救済される立候補者は再選挙無しに負けを勝ちにできる。

「善戦もむなしく惜敗」と称えられようが、スポーツの世界でも実社会でも負けである。ところが、国政選挙では「善戦」が「敗北」の事実よりも優先され、惜敗率というマジックで生き返る。前回の衆院選では惜敗率20パーセントの候補者が比例代表で復活した。惜敗ではなく大敗だったにもかかわらず。

惜敗率とは悪知恵である。者の負けしみが文字通り「惜敗」となって、どさくさまぎれで勝ち組になる抜け道にほかならない。この救済策を法律が担保している。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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