ユーモアの哲学、哲学のユーモア

プラトンとかものはし

Thomas Cathcart & Daniel Klein “Plato and a Platypus Walk into a Bar…” Understanding philosophy through jokes

たまに読み返す本。2008年に翻訳され、『プラトンとかものはしバーに寄り道――ジョークで理解する哲学』が邦題。主宰する書評読書会で取り上げて解説したことがある。

哲学の大半は〈アポリア〉を取り扱う。行き詰まりや解決不能性のことである。だから〈無限後退〉などという概念も顔を出す。たとえば、アトラスの神が地球を持ち上げる。アトラスは何に乗っかっているかと言えば、カメの背中だ。でも、そのカメは何の上に? もう一匹別のカメの上だ。それじゃ、そのカメは……。もちろんさらに別のカメ。こうして延々と問いは続く。

本書が扱うテーマは、著者の次のことばに凝縮されている。

哲学とジョークは同じ衝動から生まれている。物事のあり方にかかわる感覚を混乱させたい、世界をひっくり返したい、隠された人生の真実をあばきたててバツの悪い思いをさせたい……などという衝動である。哲学者が洞察力と呼ぶものを、悪ふざけをする連中はシャレと呼んでいる。

まったく同感である。どちらも理解できないとストレスがたまる。さて、哲学と笑いのはざまと言うべきか、融合の形と言うべきか、ジョーク満載のこの一冊から拾い読みして紹介することにする。もし笑えなかったら哲学的思索力の不足かもしれないし、もしむずかしいと感じたらユーモアセンスの欠如かもしれない。


形而上学けいじじょうがく

見ることも確かめたりすることもできないことを考えること。「宇宙に目的はあるか」などはその代表的テーマであるが、身近なところでは25万本ある頭髪の一本一本を抜いていったとき、いつからハゲになるか」なども俎上に乗る。

(^’^) 目的論
あるおばあさんが二人の孫を連れて歩いていた。そこに知り合いがやってきて尋ねた、「お孫さんはおいくつですか?」 おばあさんは答えた、「お医者さんのほうが5歳で、法律家のほうが7歳です」

もし人に達成しなければならない〈テロス内的目標)〉が備わっているのならば、おばあさんの答えは必ずしも間違いではない。孫の実名であるジョンやニコラスなどよりも、達成すべき将来のプロフェッショナルの呼び名が妥当かもしれない。

(^’^) 本質論
「ゾウはどうして大きくて、灰色で、シワだらけなの?」
「小さくて、白くて、丸かったら、アスピリン錠になっちゃうからさ」

すべての存在の本質は、他の存在の本質との差異を持つ。こんなに簡単に説明されてしまうと、大きい、灰色、シワはゾウの本質的な特質としては十分ではないような気がしてくる。


〈論理学〉

論理に筋道が立たなければ、いくら理屈をこねてもムダである。論理は導き方であって、結論の是非を問うような野暮なことをしない。

(^’^) 虚偽の論理
「ヘロインに溺れる多くの人はマリファナから始めたのだ」という主張がある。しかし、「ヘロインに溺れる人のうちほとんどすべての人がミルクから始めたのである」という反論も成り立つ。

(^’^) ゼノンのパラドックス
セールスマン「奥さん、この掃除機を使えば、仕事量が半分になりますよ」
主婦「まあ、すてき! それを二台ちょうだい」


〈認識論〉

あなたが知っていると思っていること、それをあなたはどうやって知るのか? 「知っているから知っているんです!」とあなたが答えないなら、残るは認識論である。

(^’^) 認識論に対する経験論の反発
三人の女性がテニスクラブのロッカールームで着替えているところに、顔を隠した素っ裸の男が走り抜けた。一物は丸見えだった。
「うちの主人じゃないわよ!」
「たしかに。おたくの主人じゃないわ」
「このクラブの会員じゃないわ」

クリントン大統領のネタで、よく似たのがある。
100人の女性に「クリントン大統領と寝たいか?」と聞いた。
二人がイエスと答え、98人が「二度と寝たくない」と答えた。


〈倫理学〉

よいことと悪いことを分類するのが、倫理学の領域である。しかし、分類をする時点で、どこか「えいやっ!」と無理をしている可能性がある。

(^’^) ストア哲学
「よい」ということばにはいろんな意味がある。ある男が500ヤードの距離から母親を銃で撃ったら、わたしは彼が腕のよい射撃手と言わざるをえない。だが、必ずしもよい男ではない。(チェスタートン)

(^’^) 功利主義
「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という黄金律がある。しかし、人は違う好みを持っているからもしれないから、人にしてもらいたいと思うことを人にしてはいけないことがある。あなたがいじめられたいタイプだからといって、人をいじめてはいけないのである。マゾとサドの切り替えはそう簡単ではないのだから。


〈言語哲学〉

「日本は近い将来どうなるでしょうか?」と聞かれて答えられないとき、「日本も近い将来も意味はわかります。でも、お答えする前に『は』の定義を教えてもらいたい」と、逆に相手を困らせる手がある。

(^’^) 日常言語哲学
「フレディ、ぼくはきみに100歳まで生きてほしい。そして、できればさらに3ヵ月……」
「ありがとう。でも、アレックス、どうして3ヵ月なんだい?」
「ぼくはきみに突然死してほしくないんだ」

(^’^) ファジー哲学
自然史博物館での話。一人の見学者がガードマンに尋ねた。
見学者 「この恐竜の骨はどれほど古いかご存じですか?」

ガードマン 「2億と46ヵ月です」
見学者「やけに細かい数字ですね。なぜそんなに正確な年代がわかるんですか?」
ガードマン 「わたしがここで働き始めたときに、この骨が2億年前のものと聞きました。それから46ヵ月経ちましたから、そうなります」


〈相対主義〉

相対主義のもと、われわれは何が正しいと断言できるのだろうか。いや、そもそも相対主義という術語自体が、ぼくとあなたとに対して違う意味を持っているのではないだろうか。

(^’^) 時間の相対性
ドアがノックされたので女性が出てみると、カタツムリしかいなかった。
カタツムリをつまみあげた彼女は、庭の向こうに投げ捨てた。
その2週間後に、またノックの音が聞こえた。
女性がドアを開けると、またあのカタツムリがいた。カタツムリは言った。
「いったいどういうつもりなんですか?」

哲学はやさしくない。考えることもことばもむずかしい。だが、それならジョークも同じことだ。哲学嫌いはユーモアセンスに恵まれないだろう。笑うためには、そして考えるためには、いろいろと知らねばならないことがたくさんあるのだ。そして、知っていれば人生はいくらかでも楽しくなるはずである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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