シリーズ化するつもりはないが、『大笑いするほどではないけれど……』と題して書き、その後に『続・大笑いするほどではないけれど……』を書いた。タイトル通りのよもやま話やエピソードである。長文を紡ぐほどではない小さな話をいくつかまとめて書くという、ただそれだけのことであって、大それた意図があるわけではない。前回が「続」だったので、今回は「続々」である。気まぐれなので番号を付ける気はない。ふと、作曲家でエッセイストの團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズの題名について、以前このブログでも書いたことを思い出す。まずはその話から。
¶
パイプのけむり 読んだ人よりも読んでいない人のほうが多いに決まっている。ぼくの周囲では、團伊玖磨のことも『パイプのけむり』と名付けられたエッセイのことも知らない人ばかりである。このエッセイは『パイプのけむり』に始まって、その後26冊も続いた。
続パイプのけむり、続々パイプのけむり、又パイプのけむり、又々パイプのけむり、まだパイプのけむり、まだまだパイプのけむり、も一つパイプのけむり、なおパイプのけむり、なおなおパイプのけむり、重ねてパイプのけむり、重ね重ねパイプのけむり、なおかつパイプのけむり、またしてもパイプのけむり、さてパイプのけむり、さてさてパイプのけむり、ひねもすパイプのけむり、よもすがらパイプのけむり、明けてもパイプのけむり、暮れてもパイプのけむり、晴れてもパイプのけむり、降ってもパイプのけむり、さわやかパイプのけむり、じわじわパイプのけむり、どっこいパイプのけむり、しっとりパイプのけむり、さよならパイプのけむり。
最後の『さよならパイプのけむり』の翌年だったか、團は亡くなった。そして、パイプのけむりは消えた。
倍率 この一週間でぼくがひときわ愉快がったのが職員募集に対して応募者が殺到したインドの話。ウッタルプラデシュ州が雑用担当の職員を368人募集したところ、なんと230万人(!!)が応募してきたのである。この数字は州人口の1パーセントに相当する。倍率は6,250倍。ぼくが志望した大学の倍率は36倍で、受験前から絶望的であったが、そんな比ではない。書類選考ではなく、面接をするとなれば4年かかるそうである。雇用戦線はいずれの国も厳しいが、もはや「厳しい」などという表現では間に合わない。
アイスコーヒーの注文 ホットコーヒーを飲もうと思ってカフェに入ったものの、注文したのはアイスコーヒーだったという経験は誰にあるだろう。その日のぼくもカウンターで予定変更した。一人だったので「アイスコーヒー」とだけ言った。そう言ってから、サイズが「ショート、レギュラー、ラージ」と3種類あるのに気づいたので一言添えようとした瞬間、店員が先に「アイスコーヒーのほう、ショートで大丈夫ですか?」と聞いてきた。「大丈夫」と来たか……。何が大丈夫なのか知らないが、困ることもなさそうなので、反射的に「はい、大丈夫です」と答えた。
縁起のいい姓 五年前のノートを繰っていたら、宝くじツアーの話を見つけた。宝くじを買う前にバスで吉兆名所を巡るという企画だったような気がするが、確かではない。このバスツアーの運転手の姓が見事で、金持さん、三宝さん、御幸さんだった。「縁起がいいかもしれないけれど、みんなバスの運転手をしているじゃないか」と誰かが皮肉ったが、それを言ってはいけない。宝くじバスツアーの運転手になれる可能性の高い名前であると言うべきだろう。
風と凪 「ぬ」と「め」が似ていて、「ね」と「れ」と「わ」が似ているなどと思った幼い頃。あの時の感覚がよみがえることがある。なぜ「ぬ」をnuと発音し、「め」をmeと発音するのかと詮無きことを考えたりもする。
強い風が吹いた先日、「風」という漢字に不思議が沸々と湧いた。風が止むと「凪」になる……風の中には「虫」がいる……虫は鳴く……鳴かない虫は「さなぎ」……さなぎの中に「なぎ」がある……。こんなことを連想してどうなるわけでもないが、どこかで愉快がっている自分がいる。