デッドライン

最近よく耳にするレッドラインもおなじみのデッドラインも、越えてはならない一線という点では似ている。但し、デッドラインは転じて「原稿などの締切期限」も意味するが、レッドラインのほうは期限のことではない。ここを越えたらおしまいという、後のない条件である。

仕事に取り掛かったからには、いつかは終わらせなければならない。今日明日に片付きそうな雑用に近い仕事でも、気の遠くなるような長きに及ぶプロジェクトでも、いつかは完了する。どんな内容であれ、仕事には期限がある。期限内に納める約束を守って報酬を得るから仕事だ。趣味とはちょっとわけが違う。

仕事を期限内に終わらせるために、作業の量と手順をあらかじめ見越しておく。どこまでやるのか、どのあたりでキリをつけるのかを判断しながら仕事を進める。予定した期限直前には仕上げの作業にかかっている。その段階ではどこまで凝るのかを決めなければならない。

ものづくりの仕事とサービスの仕事では仕上げの「キメ」の性質が違う。ぼくの生業としている企画では、品質の評価項目は設定可能だが、実際のところ、あってないようなもの。特に、期限間際の最終工程のこなし方などは仕事人の裁量に委ねられる。残された時間内に、表現はどこまで練るのか、正確に書いてきたつもりの文章にどれだけ脚色の手を入れるのか……迷いに際限はなく、タイムアップまで続く。

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どこまでやるのか? もちろん、仕事の品質が「極上化」するまでに決まっている。顧客はそれを期待している。極上化はデッドラインと同期してそこで終わる。しかし、時間という期限があるから極上化に向かうのではない。仕事人それぞれの力量から導かれる品質の目標なり理想なりのスタンダードがあってこそである。もし期限内にそのスタンダードに達していなければ、プライドに差し障るはず。しかし、時間はつねに優先されるから、一般的な仕事人はやむなく仕事が完了したと見なす。

「今日が期限なので提出しますが、もしあと一日猶予をいただけるなら、満足できる品質に仕上がります」などと言えるか。これでは自家撞着に陥る。顧客はこう言うだろう、「つまり、今日なら満足のいかない品質というわけだね」。一流の職人なら、「仕事に納得がいかない。悪いが、あと一日待ってくれ」と言って、了承してもらえるかもしれないが……。

1882年に着工されたバルセロナのサグラダ・ファミリアは、いつ完成するか不明だった。完成などしないとも言われていた。写真は201111月に訪れた際の工事風景だが、当時でさえ、あと100年以上かかるのではないかと思っていた。実際、今から30年前の予測では着工から300年という想定だった。しかし、突如として、2026年、今から十年足らずのうちに完成という見通しとなった。長い工期中にはもしかするとエンドレスに続くのではないかと訝(いぶか)られた大事業もやはり終わるのである。

その日を迎える時、青写真で目論んだ品質基準はクリアできているのだろうか。こうしておけばよかった、あのようにすべきではなかったなどという心残りは仕事人に去来しないのだろうか。もっとも、このような建築物は完成直後から、それこそ際限のない修復作業が始まる。仕事は未来永劫続く。翻って、われわれの日々の仕事はどうか。デッドライン時点で仕事の品質の極上化は叶わぬ理想なのかもしれない。結局、デッドラインによって折り合いをつけざるをえないのだろう。

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proconcept

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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