事に仕える

毎年そうだが、特に今年はゴールデンウィークとはまったく無関係な日々を過ごしている。半日すら休みがない。休みがないからと言って、ずっと仕事をしているわけではない。多忙なわけでもない。オフィスのリニューアル工事に立ち会って進捗状況を注視しているだけだ。仕事とは違って、慣れない状況に置かれている。ふと、仕事って何だろうと考えたりする。

古代建築では柱頭の上にエンタブラチュアという構造物が水平に置かれている。いかにも重そうなそれを支えるのがカリアティードなる女性の立像である。乙女たちは柱の役割を果たし、頭で構造を支えるのだ。女神を祀る神殿建築を支えるのであるから、のっぴきならない使命を負っている。


日本にもこれによく似たのがある。先日もとある寺の境内で見た。石で造られた、おそらく防火用の大きな水槽の四隅を台座彫刻が支えている。

彫刻の正体は四人(四匹?)の邪鬼のようである。それぞれの台座での姿勢は異なっていて、両手と頭、片手と頭、肩と頭、頭のみで支える四体だ。女神同様に、頭のみで支える姿勢はいかにもきつそうである。

さて、日本語で仕事と言えばたいていどんな内容でも表わせるが、英語では肉体と精神を絡ませて以下のように四分類することが多い。

“Labor”は労働と訳されるが、目的は賃金を得ることだ。かなりきつい肉体的な仕事で、精神的な喜びは小さいとされる。

“Toil”には強制される意味合いがあり、苦役に近い。賃金のためでも喜びのためでもない。ただ働かされるという感じである。

“Work”がもっとも標準的な意味だ。プレッシャーもストレスもあるけれど、肉体的であれ精神的であれ、何らかの喜びややりがいが前提にある。

“Play”という仕事もある。演戯に近い。芸術やスポーツなど、好きだからその道を選んだという背景がある。きつくても喜びも大きい。

ともあれ、楽な仕事はなさそうである。ハードワークの人生と退屈な仕事人生なら、前者を選ぶ。実際そうしてきた。理想は「できること」「したいこと」「すべきこと」が無理なく一致する仕事である。だいたいそのような仕事に恵まれてきたが、十分ではない。この歳になってもう一丁という気持ちを駆り立ててオフィスのリフォームに踏み切った次第である。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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