仮の話

「仮定の話にはお答えできない」は政治家の間で常套句になってしまった。「もし……になれば、どのように対処するのか?」と聞かれて、条件反射的に「仮の話には答えられない」と返すワンパターン。考えてみればとても奇妙ではないか。企画書も設計図も、今年の夏の旅の計画もすべて仮定である。答えなかったら話は前に進まない。

問いによっては答えると言うのなら――そして、仮の話に答えられないのなら――確定した話または既定の話なら答えられるということか。「今日は何月何日か?」には答えるが、「もし今夜外食するなら、何を召し上がるのか?」には答えないということか。

では、確定や既定の話ならほんとうに何でも答えるのか。「昨夜は何を食べたか?」と聞かれて、「そんな既定の事実をなぜわざわざきみに言わねばならないのかね」と言ってもいいはずだ。「今夜、もし外食するなら何を食べるつもりか?」……これは仮定の話なのだから、それを食べなければならない義務はない。適当に言っておいて何の問題もない。

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大人になったら何になりたいかと聞かれて、「仮定の話にはお答えしない方針です」と子どもは言わない。よほどひねくれていないかぎり、大人になるという仮定に立って職業や趣味の夢を語る。子どもの頃、「100万円あったら何に使う?」と教師に聞かれた友達は「たこ焼きを好きなだけ食べたい」と答えた。そんな大金を持ったらたこ焼きなど食べないだろう。しかし、仮定だからそれでいいのである。

「もし100万円拾ったら何に使う?」 今度は「拾った」である。しかし、仮定の話なのだから、ネコババするという発想も自由。「交番に届ける」というのは現実に100万円を拾うという確定後の行為だ。まず100万円は拾わないし、誰も自力で空を飛べないし、透明人間にもなれないし、未来や過去にもワープできない。だが、そこらへんを想像したり空想したりするのが創造性への目覚めというものである。

「もし都心で大地震が発生したら……」と聞かれて、仮の話だと片付けてはリーダー失格。だから、「しかるべき分析と調査によって……」云々と答える。しかし、都合の悪い話には答えない。「もし円高がこのまま推移したら……」とか「もし日本製品に25パーセントの関税がかけられたら……」と聞かれて、対策の一つや二つを即答できないなら、都合よく「仮定の話にはお答えできない」で逃げるのである。

繰り返すが、仮定の話だからこそ答えられるのであり、答えるべきなのである。そう考えるほうが理にかなっている。明日納品するという仮定に立つから、今日も仕事に励んでいるのではないか。

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proconcept

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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