書き始めてからの話

200865日に最初のブログ記事を書いてから11年と約8ヵ月。おおむね3日に1回のペースの更新。先週1,499回に達し、今1,500回目となる記事を書こうとしている。

今日の記事の着地点はまだ見えていない。書き始めてからの話であり、書き終わってからでないと話にならない。節目の1,500回に何を書くかなどと気負うこともない。何かを書けば、それが1,500回目になるだけだと、案外行き当たりばったりである。

テーマがはっきり決まってから書くこともあるが、ほとんどの場合、気になる小さな事実やわずか一行のメッセージをきっかけにして冒頭の一行をひとまず書きおこす。今しがた歩いた足跡を振り返るように、書いては読み返す。ことばが何がしかの記憶を呼び覚ましてくれれば、その記憶を飛び石伝いにして書き進めていく。愉快に書こうとか、啓発的に書こうとか、文章を凝ろうなどと目論むことはほとんどない。ほぼ道なり。

小難しい話は、自分でも分かっていないことがあるから、右往左往したり迂回したりしながら、気づけばことば遣いも小難しくなっている。話題が軽めの方向に傾きかけると表現も軽くなる。自分の思惑以上に、記憶や素材の色や雰囲気が出る。自然に話がまとまって一安心することもあれば、着地しないまま不自然にペンをくこともある。

「ペンを擱く」と書いたが、実際にペンで文章をしたためる。文章は何度か読み直して推敲してからキーボードで打ち込む。フォントの体裁にしてからも文章を調整したり段落を組み換えたりする。こう書くとえらく大そうなことをしているようだが、そうでもない。時間をかけても才能以上の出来にはならないから、作業を切り上げてブログの公開ボタンをクリックする。

話のほとんどは書くにつれて決まってくるが、とにかく書き始めなければ話は始まらない。何を書くかではなく、書きながら話題を探す。そんな書き方と話題を決めてから書くのとではどんな違いがあるか。実は、自分でもよくわからない。いずれにせよ、書かないよりも書くほうが考えもはっきりするし、記憶もよみがえりやすいことだけは疑いようがない。

こんなふうにして、今日1,500回目に達しようとしている。自分のために書いてきて、よろしければご笑覧くださいというスタンスはずっと変わっていない。いつまで書き続けるのか、これまたわからない。どんな展開を経てどんな末尾で終わらせるのかと、書く前から案じてもしかたがない。最初の一文を始める意欲さえ失わなければ、これからも何とか続けられそうな予感がする。

「人があれもこれも成し得ると考える限り、何一つ成し得る決心はつかない」というスピノザのことばを思い出す。ブログ以外にしたいことはいろいろある。しかし、欲張ってもしかたがない。ここ十数年、仕事以外に途切れなく続けてきたのはこの〈オカノノート〉以外にない。せめて一つに絞って成し得ようとするなら、これしかない。