寄贈本と思い出と

最近、故人の遺志により蔵書の一部、およそ200を寄贈していただいた。

初めての出会いは故人Y氏が47歳でぼくが35だった。当時ぼくは広報・販促の小さな会社のサラリーマン。Y氏は香川県に本社を置く大手企業の子会社の次長として親会社の広報を担われていた。ある企業を介しての縁だった。委託されたミッションは海外向けのアニュアルレポートの英文コピーライティングと編集である。

気性は穏やかとは思えず、時折り苛立って少々ぶっきらぼうなことば遣いをする人だった。初対面ではぼくが信頼できるかどうか品定めしている様子だった。実力の程を試すような質問が本題の会話の随所に投げ掛けられた。若かったので体をかわすようなことはせず、自然流に答えようと努めた。それが結果的に人間関係で吉と出た。任務は精度を落とさぬように慎重に執り行い、満足していただけた。

ぼくは翌年退職して起業した。「前の勤務先であの仕事を引き継げる人材はいない。今年もお願いしたい」と連絡があった。仕事の当てもなく起業したので、ありがたい話だった。以来、その案件以外に諸々の仕事を出していただき、お付き合いは十年以上になった。クライアントの都合や社会状況に応じて仕事の縁はやがて途切れるが、途切れてから――Y氏が現役を退かれてから――それまでの仕事関係をリセットして、新しい交際が始まった。


たまたま香川で別件の仕事が発生し、毎年赴くようになった。連絡しては前泊日の昼や夜に会うようになった。最初出会った頃にぼくを値踏みするような口調やまなざしはすでに消え、早口ではあるが穏やかに物語る人に変わっていた。年に一回、会って何を話していたのかと言うと、本と読書のことばかり。談義は3時間、4時間と続いた。「岡野さん、シェークスピアはおもしろいねぇ……」と切り出すと、もう止まらない。シェークスピア講座に通っている話、DVD全巻で観劇した印象、ある作品の名場面の精細な描写……

シェークスピアが終われば小林秀雄、その次はドストエフスキーという調子。もちろん、Y氏が話し手でぼくが聞き手という役割分担だけではない。ぼくも最近読了した本の書評をする。「よくいろんなものを読んでいるなあ。おぬしの知見には感心する」などと褒めてくださる。「いやいや、読んだふりですよ。Yさんほどには熱心な読書人ではありません」と応じる。謙遜ではなく、本心からそう思っていた。なにしろ手に入れた本は一冊残らず完読されていたのだから。ぼくのなまくら読みとは次元が違う。

定年を機に、ビジネス本やハウツー本をすべて処分し、小説や詩、思想や哲学にのめり込んで貪るように読んでおられた。ぼくの読書観がきっかけの一つになったとおっしゃったが過分のお褒めである。201712月、酸素吸入装置を引っ張ってホテルまで来られ、干物専門の居酒屋でほとんど箸をつけず、ちびちびワインを含みながら、本や近況の話を交わした。翌201812月の出張時は病状悪化で会うことはままならず。出張から帰った一週間後に訃報が届いた。

亡くなる3週間前に、力を振り絞ってしたためたような筆致の手紙をいただいた。

「書籍の寄贈の件、後日、ジャンルにとらわれずセレクトして、僅かですが贈りたいと思っております……ご厚情に感謝するとともに、今回の欠席、お詫びいたします……今後もご交際のほどよろしくお願いします」。

結局、その「今後」はなかった。

昨年12月、奥さまから連絡をいただいた。蔵書の寄贈のことが気になっていたが、一年間ぼんやりして何も手つかずだった、云々。まもなく一回忌というタイミングで自宅を訪問し、お言葉に甘えて読書談義に出てきた作者の本を選ばせていただいた。書棚五段分。オフィスの図書室で所蔵している。