おもしろくない人たち

他人に対して得意・苦手の意識は抱かないし、その結果としての優越・劣等の感覚も持ち合わせない。これがぼくの原則だが、あくまでも仕事に限った話。仕事から離れれば、つまり、信用や義務が薄まる日常の付き合いでは、時と場を同じくして居心地がいいか悪いかを人物評価の第一にしている。趣味や信念や思想の相違などはどうでもよく、おおむね機嫌がよく愉快であれば不満はない。裏返せば、プライベートでは唯一苦手なのはおもしろくない人物ということになる。けれども、「来る者拒まず去る者追わず」がモットーなので、おもしろくないという理由だけで振り払うべからずを肝に銘じている。

苦手という表現を使ったが、困るほど苦にはしていない。齢を重ねてきて残された時間もどんどん減ってくるから、おもしろくない人間と付き合う時間がもったいないというのが正しい。「おもしろくない」と言うものの、定義も基準も示せない。「おもしろい」に固定化された定義や基準がないように。ジョークやギャグを言うからおもしろいわけでもない。アタマがやわらかくユーモアセンスが光っても波長の合わない者がいる。その一方で、ほとんど冗談も言わず静かなのに、こっちの駄弁に機嫌よくタイミングよく感応してくれる人がいる。無理にぼくの調子に合わせているふうでもない。つまり、人物そのものがおもしろくなくてもいいわけで、空気が澱まず硬直せず座がなごやかになれば不満はない。

意外かもしれないが、おもしろさの基本成分は「コモンセンス(良識)」である。天井知らずのハイテンションや底無しの冗談やしつこいナンセンスは、愉快の演出の主役になるどころか、愉快を減殺してしまう。あの赤塚不二夫が「ギャグを言う(作る)には常識人でなくてはいけない」と言った。笑いの本質を衝く卓見である。笑いが常軌や規範を絶妙に外し、凝り固まった常識に逆説や想定外の光を照射するものであってみれば、コモンセンスを弁えてはじめて成しうる仕業と言えるだろう。コモンセンスの持ち主はわざわざつまらない社交辞令で場を凌いだりしようとしない。楽しくておもしろくなるように心を砕き工夫を凝らす。コモンセンスがないから、愉快に無神経なのであり、場にも貢献できないのである。


笑い&笑い

たまにお笑いコンクールを観る。これでよく笑いのプロをやっているものだと呆れる以上に、審査員のセンスや講評のつまらなさに愕然とする。「わたしのツボだなあ。おもしろいし好きですよ、この感覚」と褒める審査員。常識的に評価すれば、まったくおもしろくなく、この審査員の笑いのセンスがずれていたのは明らかだった。何よりも会場が笑っていなかったのである。お笑い芸だけに限らない。ある時、とっておきのジョークを知人に披露した。ふつうに笑えばいいのに、笑う代わりに彼は感想を言い始めたのである。この時点でおもしろくない人だと判明する。せめて一言でまとめればいいものを、読点(、)で延々と思いをつなぎ、いつまでたっても句点(。)で言い切らない。間に合わせの、心にもない感想をだらしなく喋り続けた。挙句の果ては、「と言うわけで、おもしろいと思うんですよね」と締めくくった。ぼくのジョークが色褪せて、ジ・エンドだ。

ややこしい言い方をするが、「常識的であっていい、但し陳腐であってはならない」のである。陳腐で凡庸な表現を平気で語る人と居合わせると冷や汗が出る。スリリングな綱渡りを見ているようなのだ。コミュニケーションは人間関係そのものであるから、無難へと向かえばつまらなくなってしまう。社会全般、話がつまらなくなったのは、一つは言葉狩りのせい、もう一つは失言や舌禍を恐れるあまりの無難志向のせいである。陳腐がよろしくないからと言って、「日本死ね!!!」のように度を越してはならない。しかし、ぎりぎりの表現で意見をデフォルメする勇気を持つことはできるだろう。匿名ではなく実名で、コモンセンスにしたがっておもしろいことは言えるはずである。ここで言うおもしろさは笑いのことではない。少々いちゃもんがつくかもしれないサスペンスに心躍らせる愉快のことである。

おもしろくないのは罪だ。罰のない罪。最近聞いた話だが、「除夜の鐘がうるさい」と文句を言う人がいるらしい。除夜の鐘は真夜中に鳴り響く。そういうことになっている。それをけしからんと言う。そのクレーマーは間違いなくおもしろくない人だろう。そもそもユーモアたっぷりのクレーマーにはめったにお目にかかれない。

ところで、ぼくの勉強会は、先に書いた通りで、「来る者拒まず去る者追わず」を原理にしている。これまで、来る者の中にはいろんな人間がいた。「この勉強会の目的は何か?」と根掘り葉掘り聞く人も何人かいた。目的なんかない。しかし、無碍に「ない!」というのも大人げがないし粋ではないので、理窟っぽく明文化したり話したりすることがある。その理屈はぼくにとっては遊び心にほかならないが、それをなかなか理解してもらえない。勉強会の目的や意義を尋ねる人間におもしろい者は一人もいなかった。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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