透明な……

午前中に衣類の入れ替えを済ませた。その後、ランチも兼ねてしばらく外出した。身体が気だるく、帰宅後はごろんとしていた。衣類の片付けが済んでも、半年以上積み放題にしてきた四つ、五つの本の山はそのままである。所在なさげに山々を虚ろな視線で舐める。電源がオンのままのパソコンの画面に向き、iCloudをクリックした。

アルバム内をうろうろしているうちに、20111121日の写真に行き着く。一枚の人物写真。よく晴れわたった日ではあったけれど、陽光が眩しかったわけではない。なのに、その人物は癖のせいか陽射しを気にするようにやや目を細めている。ジーンズに半コート姿、左手をそのコートの左ポケットに浅く入れている。肩から小さなバッグを斜めに掛け、Lumixのカメラを首から吊るしている。その写真に収まっているのは、ぼく自身である。


パリよりも緯度が高いブリュッセル。少々底冷えしていた。透明感のある空気。ついでに時間も透明だった切手がなかなか手に入らない、国際切手を置いていないところが多い……そんな話を以前ブログに書いた。

運よく切手を売っているタバコ屋があり、その店でついでに絵はがきも買った。それでカフェに入り、カフェベルジーノを飲みながら、ささっとボールペンを走らせた(……) 近くのパッサージュのような通りに郵便ポストがあると聞いたので、投函しに行った。
そこにあるポストは壊れかけたような代物で、無事に集配してくれそうな雰囲気がまったくない。通りがかりの学生風の男性に聞いたら、これがポストだと言う。「だけど、一日に一回、午後時半の集配だけだから、明日になるね」と付け加えた。
時計は午後時を回っていた。一日後の集配になるわけだし、何よりも信頼を寄せられない雰囲気のポストだ。というわけで、絵はがきを書いたという証明のために投函前に写真を撮ったのである。だから、消印が押されていない。

当時の様子を綴ったブログが、絵はがきを、郵便ポストを、カフェを、街角を、人の流れを彷彿とさせる。ここに先の自画像のような写真が加わって、ちょっとした回想物語を観劇しているような気分である。その後、飛行機雲の写真も出てきたし、その写真をデジタル的にアレンジした絵を一年前に作成したのも思い出した。何かしら透明なのである。けれども、「透明な」に続くことばを探しあぐねている。

飛行機雲 ブリュッセル webKatsushi Okano
ブリュッセルの飛行機雲
2013
Digital processing

ジョークの使いどころ

ある高名な国際ジャーナリストが、世界で活躍するジャーナリストに欠かせない条件を語ったことがある。言うまでもなく、筆頭は語学である。三つ目が楽器が弾けることで、これには少し驚いた。語学の力だけでいかんともしがたい場の潤い、空気の緩和にピアノかギターを奏でるといいと言うのである。なるほど。だが、ピアノやギターはどこにでもあるわけではないから、つねに携帯するなら現実味があるのはハーモニカだろう。そう考えて、ぼくはハーモニカの独習に励んだことがある。

そう、ぼくは高校と大学の一時期、国際ジャーナリストに憧れたことがあるのだ。英語ディベートを通じて語学に励んだのも、語学学校で教え研究したのもそんな動機ゆえであった。ところで、3条件の二つ目がジョーク。「ジョークに強くなれ」とは弁論術や人間関係論では古典的セオリーなのである。もちろん、どんなジョークでもいいわけではない。TPOをわきまえなければならない。と言うことは、かなりの在庫を抱えておく必要がある。だから幅広く読んだ。読むだけでは再現できないから、自分流の表現やシナリオに変えて覚えた。実は、ぼくが一番よく読んだ書物のジャンルはジョークやユーモアに関するものだ。

ジョークという芸が身を助けてくれたことがよくある一方で、こけた経験も数知れず。仕込んだネタが予想通りの笑いを誘わなければこれほど惨めなことはない。ジョークは切り出し方、話し方、間の置き方で天と地の差が出る。ぼくのジョークを誰かがそっくりそのまま使っても功を奏するとはかぎらない。けれども、話し手の技術だけでジョークは完結しない。相手の教養や想像力も反映する。これを逆用する。「ジョークを笑えるかどうかであなたがたの教養が試される」と言ってからジョークを放つと、分からなくても分かった振りをしてみんな笑う。見栄っ張りの集団では効果てきめんである。


では、一つジョークを披露しよう。あなたは試される。

脚を組む

ある日、学生と教授が雑談していた。熱弁中の先生が脚を組むとズボンの裾が上がり、靴下が目に入った。よく見れば、右足のソックスが青、左足のソックスが赤である。
学生は教授の話が途切れたところで尋ねた。
「先生、色違いのソックスなんて、ずいぶん変わってますねぇ」
問われるのに促されて、教授は左右の足元に目を落とす。
「そうなんだよ、きみ。わたしも変なソックスだと思っているけどね、家にはこれと同じものがもう一足あるんだよ」


さて、冒頭の国際ジャーナリストの話。自他ともに認めるかどうかは知らないが、自分だけの評価に限定すれば、一応ぼくは語学、ジョーク、楽器という、国際ジャーナリストの3条件をある程度満たしたことになる。しかし、二十代前半のその時点でぼくのその職業への憧れは消え失せていた。以来三十有余年を経て今に至る。語学とハーモニカは錆びつかないようにたまに口慣らしする程度だが、ジョークのねたはせっせと仕入れユーモアセンスを磨くことには精進している。よほど相性がいいのだろう。

日曜日のオムニバス

いつもテーマを意識して文章を書く。キーボードを叩き始めた今、特に明快なテーマはない。テーマはないが、動機はある。動機がなければ誰も文章など綴ろうとは思わない。ふと、先週の日曜日を振り返ってみることにした。そして、タイトルの欄に「オムニバス」と書き込んだ。

オムニバスと言えば『昨日・今日・明日』である。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの伊仏合作映画。初めてオムニバスということばを知った。「乗り合い馬車」という意味。転じて、いろんな断片話を組み合わせて一本にする物語の手法として使われるようになった。そうそう、そんな形式で今書こうとしている。余談になるが、この二人の名優の『ひまわり』はやっぱりいい映画だったと思う。

ムクドリたちの朝

その日曜日の朝はムクドリに始まった。ムクドリの一般的な生態などよく知らない。ぼくの知るムクドリ――つまり近場に棲息するムクドリ――は、いつも縄張り争いをしていて気性が激しい。ビルの空気孔を奪い合う。あなの数は限られているからそうなるのだ。向こう側のビルからぼくのマンションを見たら、同じような争奪合戦が見えるのかもしれない。

モール内の書店をぶらついた。数社の図書目録をピックアップする。当然無料。めったに行かない棚の前を通りかかる。目に飛び込んできたのが『太宰は女である』という書名。手に取らずに内心つぶやく、「その通りだ」。十代・二十代で近代・現代文学全集に収められていた小説はほとんど読んだ。だから『斜陽』や『人間失格』など太宰治の作品も読んでいる。女性に熱心な読者が多いのもわからないでもない。ぼくは無駄な時間を潰したと思っている。「太宰は女だったのか……そうかもしれない」と繰り返す。

「ビストロソウル」という、コンセプトのよくわからない韓国居酒屋がある。ドアに手書きポスターが貼ってあり、「キムチ、お持ち帰りできま~す!!」と書かれている。「できま~す」というゆる~い表現にダブル感嘆符(別名「二つ雨だれ」)がミスマッチなのである。店に入ったことはないが、ハートマークでよいのではないか。

彼は理性があるのに理性を発揮できないで苦しんでいる。彼は常識と良識の違いを知らない。常識というのは世間一般に属するものである。世間だから、納得するしないにかかわらず、気にしなければならない。良識とは人としての理性に基づくものである。常識に迎合するのではなく、己の理性と良識に自信を持てばいいのだ……こんなメールを送った。

二十代の終わりに一年間無職だった。その頃に書いた短編小説がどっさりと出てきた。数編読んでみたが、まあ普通の文才と言わざるをえない。大半が未完である。根気がなかった。

チップとサービス料

最近はあまり聞かないが、以前は「ローマのレストランでぼったくり!」というようなニュースをよく耳にした。イタリアには5回旅して20以上の街を訪問、幸いにしてレストランやタクシーでぼったくられたことはない。ヴェネツィアのレストランでチップを置かずに店を出ようとしたら、「チップをよこせ!」と高圧的に迫られたことが一度だけある。チップをせがんだという理由だけでぼったくり扱いできないが、彼らにとって日本人は気前のいいお客さんなのだろう。ぼったくりで生計を立てるなら、ぼくも日本人をターゲットにする。

イタリア語でチップのことを「マンチャ(mancia)」と言う。渡す側が使うと横柄に聞こえるかもしれない。テーブルチャージは「コペルト(coperto)」で、だいたいカゴに盛ったパン代になっている。これも客側はあまり使わない。サービス料は「セルヴィーツィオ(servizio)」。お勘定の「イル・コント(il conto)」と並んで、このことばは客側が使う頻度も高い

気に入ればチップを置くのをためらわない。だが、サービス料込みの食事をしたのにさらにサービス料を上乗せされるのはたまらない。だから接客係に“Il conto, per favore.“(お勘定してください)と告げた後に、”Il servizio é incluso?“(サービス料は込み?)と必ず聞く。通常は含まれていることが多いので、わざわざ聞く必要がなさそうだが、それでも聞く。やりにくい客と思われてもいい。こう聞いておけば、接客係もぼったくりしにくくなる。


と書いたものの、過剰な心配は無用。観光地の例外的な悪徳業者を除けば、イタリアの店はおおむね誠実であり店員もフレンドリーで、楽しく食事ができる。上記のサービス料のことと、あとはチップのことを少し知っておけば十分である。旅行ガイドには型通りのチップの心得が紹介され、ほとんどがチップを渡すという前提で書かれている。実は、必ずしもそうではない。

1euro italy
ダ・ヴィンチの人体図が刻まれたイタリアの1ユーロ硬貨。

たとえば、エスプレッソ一杯をテーブルで注文する。運ばれてきた時に勘定を済ませるので、飲み終えたらいつテーブルを立ってもいいわけだ。店と給仕ぶりが気に入ったら、日本円で20円か30円ほどテーブルに置けばいい。イマイチと思ったらそのまま立ち去ればいい。食事の場合はすべて終わった時点で「お勘定」と告げる。レジへ行かなくても、テーブルに着席したままカードで決済するか現金で支払う。これまた、気に入ればチップを置けばいいが、サービス料が含まれているのなら、敢えてチップをはずむことはない。

ローマのとあるオープンテラスで食事をした時、食後に「お勘定」と接客係に告げ、例によって「サービス料は込み?」と聞いた。彼は苦笑いしてうなずいた。観光地のど真ん中で元々料金設定が高いから、勘定を済ませてお釣りを受け取り、チップは置かなかった。セレブな旅行者ではないので、食事のたびに気前よく振る舞うわけにもいかないのである。

但し、チップには独特の商習慣や雇用事情が背景にある。少なくとも、過去にはあった。そのことについては別の機会に書くことにしたい。

ハイボール

ハイボール2

ウィスキーを炭酸水で割った氷入りの飲み物をハイボールと呼ぶ。

小遣い不足で喘いでいた二十代前半、先輩に場末のスナックバーによく連れて行ってもらった。先輩には仕事熱心な人が多かったので、ぼくから飲み食いをねだらなくても、仕事の話があるからと言ってよく誘ってもらったものである。

そこで「ボトルキープ」なるものを知る。金を払ってボトルを店に置いてもらうこのしくみをなかなか理解できなかった。まだウィスキーがうまいと思っていなかった頃で、「水割りでよろしいですね」と言われるまま飲んでいた。酒は飲めなくはなかったが、一杯乾して二杯目から酔いが回り始めていたから下戸の類だった。ある先輩はハイボールしか飲まなかった。一度勧められて飲んだが、水割り以上にうまいと思えなかった。ハイボールという語感もぼくには安っぽく響いた。

三十半ばで起業して付き合いも増え、徐々にウィスキーの水割りが三杯、四杯と飲めるようになる。元来ビールとの相性があまりよくなく、焼酎も水割り以上にうまいと思ったことがなかった。当時はワインもひいきではなく、消去していくとウィスキーしか選択肢がなかった。やがてバーボンが気に入るようになり、もっぱらバーボンの水割り。ストレートやロックにはめったに手を出さなかった。


かつてオヤジたちが飲んでいたハイボール。今では愛飲者の年齢も若くなった。コマーシャルのせいもあるだろう。バーボンの水割り一辺倒だったぼくも、ウィスキーと炭酸水の銘柄をあれこれと変えてハイボールを飲み比べするようになった。「とりあえずビール」という形式を好まないので、グループでの外食時も敢えて一杯目からハイボールを指名する。二十代の時に比べたら賞味力は大幅にアップしているはず。

ぬるいハイボールは困るが、冷えすぎると味が薄っぺらになる。あくまでも好みだろうが、グラスに氷を山盛り入れてウィスキーの瓶そのものをキンキンに冷やすという、S社のハイボールの作り方にはなじめない。最近、イメージキャラクターのH.Iにも共感を覚えない。炭酸を注いでからマドラーで「かき混ぜ過ぎちゃダメ」とか、「濃いめが好きな人は濃いめでどうぞ」など、余計なお世話である。強い炭酸なら少々混ぜるのもよし。それに、自分で作るのだから、薄いのが好きなら薄めで飲み、濃いのが好きなら濃いめで飲むのは当然だ。

とは言うものの、ウィスキーの銘柄以上に氷、炭酸、配分・作り方がハイボールの決め手になるとつくづく思う。AランクのウィスキーのハイボールがX店で味気なく、CランクのウィスキーのハイボールがY店で極上ということは常である。極上の店の技には及ばないが、下手な店で飲むくらいなら自分で作って飲むというのが最近のモードになっている。

旅先のリスクマネジメント(7) その他もろもろ

料理関係に著書の多い玉村豊男が、ある本でトルコ人の親切な男に抱いた心情を書いている。

数日間をともに過ごしたその男について最後まで疑念を払拭できなかったとしても、それは止むを得ないことだ、と自己弁護したくなるのだけれど、やはり胸を開いて接してくれたあのホスピタリティーに対してはこちらも全幅の信頼でこたえるべきだった。悪いことをしたと思う。 

こう書いた後に、「他人を信用し過ぎると失敗することがある。他人を信用しなければ友人はつくれない」と結んでいる。

イタリアの似顔絵.jpgフィレンツェで寄付を求められ、署名して少額だけ渡したことがある。広場に大きなテーブルを並べて数人で大々的にやっていた。結論を書くと、公式の団体だった。しかし、いつまでも騙された気分を引きずっていた。

カフェに入って店員やお客の似顔絵をスケッチしていたら、みんな悪徳的な魂胆の持ち主に見えてきた。信用するかしないかの二者択一でないことは承知している。信用度にはグラデーションがあって80とか30などの評定をするべきだ。だが、数日間の長い付き合いなどは稀だから、初対面の相手には信よりも疑から入っておくのが自己責任の取り方なのだろう。

バルセロナで遭遇した署名運動グループは明らかに詐欺集団だった。「この施設は階段しかない。年寄りや障がい者のためにエスカレーター設置運動をしている」というような調子で署名を求めてくる。記帳させると寄付金を要求するというお決まりのコース。「ノー」と突っ張ってもしばらくは数人が付きまとってくる。身の危険を感じることもあるだろう。面倒だと思うのなら、署名の時点で拒否しておくべきである。要するに、見知らぬ者とは接点と時間をいたずらに増やさないことだ。これに比べれば、メトロやバスで遭遇するスリ集団は明らかにその方面の連中だとわかるから、きちんと用心をしていれば被害を防げる。特にパリでは十代半ばの可愛い女子三人組が多いので、すぐにわかる。近づいてきたら突き飛ばせばいい。場合によっては叫べばいい。


日本でタバコを喫わなくても、旅に出るとちょっと一服したくなる時がある。パリの街角で一本喫っていたら、移民系の黒人男性が近づいてきて「火を貸してくれ」と言う。ライターで点けてやると、尋常ではないほど感謝され、「お礼のしるしだ」と言ってバッグからワインのボトルを取り出して手渡そうとする。受け取ると金をせがまれる。いや、もしかすると、ほんとうに善意なのかもしれない。だが、受け取ってはいけない。「ありがとう、でもワインは飲まないんだ」と言い捨てて場を去る。もし気持ち悪ければライターの一つでもくれてやればいい。

公共交通についてはいくつか紹介してきたが、ほとんどのリスクやストレスは異文化への無知に起因する。メトロに時刻表などない。冷静に考えれば、分刻みで発着する地下鉄に時刻表を用意しないほうが理にかなっている。扉は勝手に開閉しない。地下鉄の駅工事をしていてもアナウンスはない。お目当ての駅に停まらず通過してしまう。自ら問いを発しなければ、地上でバスの代行運転があることを知りえない。日曜日にバス停に行って初めて日・祝日が運休であることを知る。途中乗り換えのある長距離バスでは、降りたのはいいが次のバスに乗る停留所が見つからない。うんと離れていたりする。何人もの人に聞いてやっと見つかるといった調子である。とにかく、利用者や旅行客に提供される情報量が圧倒的に少ないのである。

バッグを引ったくられて警察へ届出に行けば長時間待たされる。語学ができなければさらに待たされる。置き引きの被害に保険は下りない。ぼくはミラノのホテルで置き引きに近い盗難に遭い、時間がなかったのでローマに移動してから警察で手続きをした。今だから書くが、置き引きを引ったくりに、ミラノをローマに脚色して申請したのである。

待合室は旅行者で溢れかえっている。自分のことを棚に上げて、よくもこれだけ大勢が被害に遭うものだと驚いた。半時間ほど待ってやっと警察官が入ってくる。「イタリア語または英語のできる人?」と聞くから、一番に手を挙げた。そして、一番に対応された。イタリア語で説明し書類の該当箇所を埋めたり書いたりして、スタンプをもらっておしまい。遅くやって来て一番最初に申請できたという次第。黙っていてはいけない。


危ない思い出は他にももろもろあるが、旅先のリスクマネジメントの話は今日で最終回としたい。いろいろと困り事を書いてきたが、機嫌よく旅に出ようと思い立った人を脅すつもりなどさらさらない。体験してみれば、ユニークなエピソード、しかも笑い話で振り返ることができるものばかりだ。日本にいてもどこにいても、自分の思い通りに事が運ぶことは稀である。社会にはそれぞれの文化的風習的構造というものがある。そして、真に危ういのは旅先のほうではなくて、自分中心の安全安心感覚のほうなのである。
己の無知に気づき苦笑しよう。そうして人は成長する。パッケージツアーに慣れ親しめば、人任せで楽には違いない。だが、個人旅行は酸いも甘いも見える貴重な機会を授けてくれる。何よりも自分のシナリオを四苦八苦しながらも一つ一つ実現していく旅程になることは間違いない。

旅先のリスクマネジメント(6) トイレ問題

学生の頃からの個人的な理由があって、ぼくの旅先はほぼヨーロッパ、とりわけイタリアとフランスに集中している。たわいもない理由なのでここで公にするほどでもない。何かの機会があればいつか書いてみるかもしれない。ともあれ、他の国へも少々旅はしている。イタリア語と英語はまずまずなので、語学が苦手な人に比べれば危機回避の術は少しは長けているはず。それでも、独学で少し齧ったフランス語、ドイツ語、スペイン語のほうは、絶対的なリスニング量が少ないから、たかが知れている。出掛ける直前または現地に行ってから、使う可能性の高そうな表現のみを集中的に覚えて凌いでいるのが実情だ。

旅行会話集の類は場面を幅広く網羅しているから、何もかも覚えようとしても無理である。挨拶と道や場所の尋ね方、それに料理の注文方法の3章だけを押さえておけばいい。買物好きにとっては数字の聴き取りはかなり難しいが、必須だろう。また、会う人のほとんどが初対面なので、「お元気ですか?」に出番はほとんどない。

ところで、語学はまったくダメという人でも、絶対に覚えておくべき必須表現が一つある。それは、「すみません、トイレはどこですか?」である。街中であろうとカフェやレストラン内であろうと、この言い回しの頻出機会はとてつもなく多い。
 
欧州の旅ではトイレ探しにかなりの時間とエネルギーを費やすことになる。ぼくは決して頻尿ではないが、あちらの連中に比べると日本人はトイレが近いような気がする。外出すると喉がよく渇くのは、湿度が低くて空気が乾燥しているせいかもしれない。ミネラルウォーターが安いから部屋にいてもよく飲むし、食事の折にも当たり前のようにワインと水を飲む。水分摂取は間違いなく増える。加えて、公衆便所が極端に少ない。モールやデパートでさっさと用を済ませるわけにもいかない。広い駅でもトイレの場所は一ヵ所にしかなかったりする。しかも、そのトイレの場所を探すのが一苦労なのである。探し当てたと思ったら、そこが有料トイレ。そう、だから「トイレはどこ?」とセットにして小銭をいつも携えておかねばならない。紙幣をくずすために売店で水を買って飲むと余計にトイレが近くなってしまう。
 

有料トイレのレシート.jpgこの写真は50ユーロセントと手書きされた有料トイレの領収書である。スタンプで番号を押してあるが、単なる事務処理用であって、その番号のついた便器へ行けという意味ではない。入口で当番しているおじさんかおばさんにお金を先払いし、レシートを受け取って改札を通過する。駅に改札がないくせに、トイレにはちゃんと設けてある。こんな領収書をもらっても申告できるわけでもあるまいが、いつもの癖で財布に入れてしまう。半月も旅したら56枚はたまる。なお、男性よりも女性のトイレ代のほうが料金が高い場合もある。
 
急に尿意をもよおした。長時間探しているうちに漏らしそうになる……大いにありうる話である。こうなると、フランスならカフェに、イタリアならバールに行ってコーヒーを注文するしかない。現地の人は店のどこにトイレがあるか知っているから、店に入っても飲み物を注文せずにさっさと用を済まして出て行く。旅の異邦人はそういうわけにもいかない。我慢の限界であっても、エスプレッソを頼んでぐいっと一杯飲み干し、バリスタに「トイレはどこかな?」と聞く手順を踏まねばならない。
「そこ」とか一語で指を差されて「そこ」を目指しても、推測した「そこ」にトイレが見つからないことはよくある。隠れ家みたいになっていたりする。「突き当りの左に階段がある。そこを降りて正面だよ」などと説明されるのはありがたいが、語学オンチにはこれがまた大きな負荷になるだろう。やっと無事にトイレに入ったら、今度は鍵のかけ方がわからない、水を流すボタンの位置がわからないなどは当たり前。おまけに、怪しい先客がいないかの用心も欠かせない。天井から釣り下がっている紐などを下手に引っ張るとブザーが鳴るから要注意だ。
 
有料トイレ スイスフラン.jpg
イタリア語圏のスイスの街に行った時の話。言葉は困らなかったが、トイレで困った。外出中はめったにないことなのだが、その時は便意をもよおした。トイレの場所を聞いて駆け込んだ。係はいないが、ドアのノブの下に硬貨を入れて中に入る有料トイレだった。数字が書いてあるので、ユーロ硬貨を入れるが返却口に戻るばかりで、ドアは開いてくれない。ノックをしたが中はどうやら空いている。血迷った眼でよく見たら、ユーロではなくフランだった。そうか、イタリア語圏だけれど通貨はスイスフランなんだ……。
 
限界を感じながらも息せき切って両替カウンターへ走り込み、50ユーロ紙幣を差し出してフラン紙幣に替えた。その紙幣を握りしめて売店へ行き、キャンディか何かを買って小銭でお釣りを受け取った。再びトイレに戻り、震えの来ている指先をもどかしくも制御して硬貨をつまみ、投入口に狙いを定めて放り込んだ。ドアが開いた。まるで「開けごま」と祈る思いであった。スイスフランなど手元にあっても仕方がないから、乗り物と飲食に使いきった。手元に残ったのがこのコインである。帰国後しばらくは、このコインを見るたびに条件反射的に便意を催したものだ。

旅先のリスクマネジメント(5) 陸・海・空

venezia canale.jpgヴェネツィアには二度行ったきりであるが、景観は言うまでもなく、街の構造にも格別な印象が残っている。車は一台もない。外から乗り入れることもできない。海産物はアドリア海から水揚げされるが、その他の食材などは本土側から船で運び込まれる。水路は水上バス「ヴァポレット」という船で移動する。バリアだらけの島内は歩くのみ。年寄りには決してやさしくない街である。なお、他の街に比べて治安はいいほうだろう。

ヴェネツィアは島であり、観光の中心となるのはサンマルコ広場。そこから徒歩56分のホテルに4泊したことがある。対岸の本土側はメストレ呼ばれる地区で、島内よりも料金がだいぶ安い。メストレのホテルに一晩だけ泊まったのが13年前。ホテルのバーで食後酒のグラッパを舐めるようにちびりちびりと飲んでいたら、バーテンダーがタバコを一本、二本と差し出してくれた。当時、普段タバコを喫っていなかったが、頂戴することにした。午後9時頃バーを後にしてホテルの外に出た。一見して、何も目立ったものがない土地柄だとわかったが、周辺をちょっと歩いてみようと思った。人通りはほとんどなかった。

そうだ、タバコを一箱買ってバーテンダーにお返ししようと思い、自販機を探しがてら歩き、路地をちょっと入ったところに見つけた。ポケットからリラの紙幣を出す(ユーロに切り替わる前年だった)。その自販機の扱いに少々苛立ったが、まず欲しい商品のボタンを押してから金額を投入するタイプだと飲み込めた。タバコを一箱手にして振り向くと、若い男三人が数メートルのところに立っている。一人が「日本人? 日本語を話すか?」とイタリア語で聞いてきた。瞬時に危機を察知した。咄嗟に「イタリア語は話せない」と、まずいことにイタリア語で返してしまった。
 
すると、日本語で「こんばんは」と言い、次いでイタリア語で「ちょっと話してもいいか?」と追い打ちをかけてきたのである。英語で「イタリア語で知っているのは、チャオとボンジョルノと『イタリア語は話せない』という三つだけ」と適当に釈明し、三人の中を割って広い通りに出た。三人はポカンとしている。特に悪そうな連中ではなかったが、チャオと言って足早にホテル方面へと退散した。後で気づいたことだが、彼らはヴェネツィア大学の日本語学科の学生で、ぼくを見つけて日本語で会話しようと話し掛けてきたのかもしれない。もしそうだったら、大人げない態度を取ったものだ。けれども、夜間に声を掛けてくる連中と関わらないのは鉄則である。
 

 それから5年後のヴェネツィア。帰路は、水上バスでサンタルチア駅で降り、そこからバスに乗ってマルコポーロ空港へ行き、パリのシャルル・ド・ゴール空港でトランジットしてから関西空港というルートだ。午前5時前に起床しホテルをチェックアウトして、まだ真っ暗な細道や路地をくねくねと10分ほど歩いて水上バス乗り場へ向かった。船から地上に降り立ち、やっとこさバス乗り場を見つけて無事に空港に着いた。ひと時も安心などしていられない1時間だった。
 
機内持ち込み手荷物がかさばるのを好まないので、なるべくラッゲージのほうに詰め込んで身軽になった。カウンターでチェックインし、そのラッゲージを預ける。この時、重量超過かどうかはメーターに出るが、メーターに表示が出るか出ないうちに荷物が奥へと搬送されてしまった。そしてチケットを渡されたのである。そのチケット、重量超過の追加料金請求書だったのだ。「ちょっと待って。オーバーなら、中身を減らして手荷物にするから」と言っても、後の祭り。もう手続きが終わってしまったの一点張り。がっかりして別のカウンターで何万円だかをクレジットカードで切った。これまではどの空港でも超過などしなかったし、稀に超過していたら減らすように助言してくれたものだ。
 
帰国してからエールフランスに旅券のコピーとクレジットカードの控えを同封して異議申し立ての英文の手紙を書いた。一言注意を促して荷物を減らしてから手続きをするべきではないのか、あのグランドスタッフの顧客への対応はエールフランスとしてあるまじき行為ではないのかと綴った。十日後に返事があった。「おっしゃる通りでスタッフは重量超過をあなたに伝えるべきだった……しかし、券面の裏には重量超過については自己責任と書いてある……今回のことは料金を負担させ申し訳なかったが、当社としては責任を負えない……次の旅でもまたエールフランスをご利用願いたい」と、表現はきわめて丁重、しかし、再考の余地がないという厳しい結末となった。
 
二度と乗ってやるものか! と腹を立て、翌年はルフトハンザでフランクフルトからフィレンツェへと旅した。しかし、関空からだと便利なので、その後の二回の旅では懲りずにエールフランスを利用した。そして、二年前にはダブルブッキングという痛い目にも合った。しかし、ぼくも学習した。転んでもただでは起きない。そのダブルブッキングでは、現地で粘り強く交渉し旅費分の補償金取戻しに成功したのである。

旅先のリスクマネジメント(4) 買物とレシート

ショッピングにもトラブルはつきものである。トラブルに遭遇して損がなくケリがつけばいいが、自分に責任がないのに必要以上に金銭の持ち出しがあってはたまらない。

パリのカフェ.jpgエスプレッソを飲みにイタリアのバールに行くとする。カウンターで飲めば一杯120円が、室内やテラスのテーブルに座るとおよそ3倍になる。それを了承しているなら、店に入って黙ってテーブルに就けばいい。カメリエーレ(ウェイター)がやって来て注文を取ってテーブルに運んでくれる。出る時に皿の上に10円か20円ほど小銭を置いて出ればよし。チップは別に置かなくてもいい。
もしカウンターで立ち飲みするなら、店に入ってすぐにレジでコーヒーの代金を先払いしてレシートを受け取る。そのレシートをカウンターでバリスタに手渡せばコーヒーを作ってくれる。コーヒーを差し出すと同時に、バリスタはレシートを指にはさんで少し破って客に戻す。「取引終了」の印である。
 
 ジェラート店でも同じ。シングルかダブルディップかを決めて先にレジで代金を支払い、レシートを持って好みのジェラートを注文する。この順番を間違い、しかも万が一その店がたちの悪い店だとするとどうなるか。注文通りにコーンにジェラートを盛ったうえに、注文してしないトッピングや飾りつけまでされて商品を手渡される。それをレジで見せて後付けで支払えば、何倍もの料金をぼったくられる。豪華なジェラートを先に手にしてしまったら後の祭り。クレームをつけると、下手をすれば恐いお兄さんが出てくるかもしれない。

スーパーマーケットではレシートが命綱になることがある。くれぐれも軽率に捨ててはいけない。
 

南イタリアのレッチェという街でスーパーマーケットで買物をした。普段は商品の価格を見て暗算しながら概算を頭に入れてレジに並ぶが、その日はそれを怠ってしまった。この店のレジの女性はどの係も無愛想そうで商品の扱いも粗雑だった。画面表示に40ユーロくらいの金額が出たが、ちょっと高いなあと思ったものの軽はずみにお金を渡し、商品とレジ袋と釣銭とレシートを受け取った。数メートル離れたテーブルで商品を袋に詰めながら、レシートの金額の間違いに気づいた。

引き返して、次の客の精算中に割って入り計算間違いだと告げた。おばさんは頑として受け付けない。袋に入れた商品を見せレシートと一品ずつ照合し始めたら、「あなたはこの場をいったん離れた、商品をどこかに隠したんだろう」などと言うのである。おいおい、たまったもんじゃない。少々騒々しいやりとりにエスカレートしたのを見て男性スタッフがやってきた。事情を説明し、袋の商品とレシートを示し、ついでに服のポケットの中をチェックさせ、やっと一件落着した。語学が身を救った例である。

 ローマはテルミニ駅構内のスーパーマーケットで万引きと間違えられる危機一髪の事態に遭遇したことがある。高額商品を精算せずに持ち出すとセンサーが鳴るタイプの出入り口ではない。代わりにプロレスラーのような黒人ガードマンが立っている。その入口から店に入り買物をした。レジはその入口から一番遠い奥にある。そこで精算してレシートを受け取ってそのままレジ裏の出口から出る構造になっている。しかし、そこから出ると、駅の外の道路を迂回して元の位置に戻らねばならないので、店内を逆流してさっき入った入口から出ようとした。
 
普通に出られると思ったのが甘かった。案の定、ガードマンに止められ商品をチェックされ、レシートを見せろと言われた。さらに甘かったのはレジで精算を済ませた後に、少額の買物だったのでレシートをテーブルに置いてきたのだった。で、そう説明したら、ガードマンは「じゃあ、そこへ戻ろう」と言って、ほとんど連行状態でぼくを従わせた。「お前を担当したレジ係は誰だ?」と尋ねる。担当したレジの女性の顔は覚えていたが、その女性はそこにいない。どうやら交代したようだった。それで、そう言ったら、「じゃあ、置き捨てたレシートを探せ。オレはレジ係を探してくる」と厳しい口調。えらい災難である。レシートも見当たらず、レジ係もこんな客を覚えていないと証言したら万事休すだ。
 
ぼくはどう凌いだか。ガードマンが目を離した隙にレジ裏の出口から勢いよく外へ飛び出し、まっしぐらに逃走したのである。ガードマンが追いかけてきたのかどうかは知らない。しかし、無事にトラブルから逃れた。その後小一時間ほどは心臓がパクパクしていたのを覚えている。語学ではなく、逃げ足が身を救った例である。

旅先のリスクマネジメント(3) さらに切符の話

今日はイタリアでの体験を書く。結論から言うと、大きなリスクにつながったわけでもなく、単に無知ゆえに起こった小さなエピソードばかりである。日本の懇切丁寧で過剰とも言える説明に慣れきってしまうと、この国での利用者への案内はつねに言葉足らずに思える。だが、「知らないのは本人の責任であって、説明を怠った側のせいではない」という姿勢が基本なのだろう。「自分のことは自分でやれ、わからなければ聞けばいい」という調子なのである。まさに「郷に入っては郷に従え」(いみじくも、この諺の本家はイタリアで、「ローマではローマ人のように生きよ」というラテン語に由来する)。

フィレンツェは人口35万人で、イタリアとしては大きい都市の部類に入るが、歴史地区は高密度でコンパクトだからどこへ行くにもたいてい歩ける。それでも、短時間であちこちへ移動したければ市内循環バスが便利だ。写真の切符はフィレンツェ滞在中に利用したバスの切符。時間内なら乗り降り放題の70分チケット一枚で4回分の回数券になっている。たとえばバスで15分の場所へ行き、そこで下車して20分ぶらぶらしたり見学したりして再乗車できる。

70分チケット.JPGバスでは乗車券のチェックはほとんどないから、時間制限があるものの、乗客はかなり大雑把に利用しているようである。もし時間オーバーに気づいて不安なら、次のバス停で降りればいい。その日、ぼくは、回数券ではなく一回限りの70分チケットでバスを利用していた。
とあるバス停でバス会社職員が乗り込んできた。めったにない検閲に遭遇してしまったのである。慌ててポケットの切符を取り出してチェックする。ドキッ! なんとパンチを入れてから70分どころか90分以上も過ぎているではないか。何が何でも次のバス停で降りねばならない。後方座席だったので、検閲の時間がかかることを祈った。祈りが通じた。不安の中の悪運とでも言うべきか、真ん中あたりにいた学生風の男性がチケットを持たずに乗っていた。彼は次のバス停で職員と一緒に降りる。目の飛び出るような罰金が言い渡されたはずである。
 

 トスカーナのある街へ宿泊地から日帰りで出掛けたことがある。観光客がいないわけではないが、小さな街である。各停か準急しか停まらない、列車の本数も少ない駅だったので、着いた時点で帰りの時刻をメモしておいた。中世の街並みを歩き、たしか店でピザを買って公園で食べた記憶がある。お目当ての列車が出る10分前に駅に行き、自動券売機に10ユーロか20ユーロ札を入れた。ところが、切符は発券されたが、お釣りが出て来ない。もう一枚、切符と同じサイズの紙がある。レシートだろうと思ってろくに見なかった。受け取るべきお釣りは運賃の34倍の金額だから、泣き寝入りするわけにもいかない。列車の時間も近づいていて焦った。
 
窓口へ向かったが、二つあるうちの一つしか開いていない。前には二人が並んでいる。イタリアでは駅員が他にいても、こちらに一瞥するだけで立ち上がってもう一つの窓口を開けることはめったにない。焦ったが、ようやく順番が回ってきた。釣銭が出ないことを伝えたら、小馬鹿にしたような顔をして両手の親指と人差し指で長方形を作り、「カードを出せ」と言う。カード? 何のことかとっさにピンと来なかった。あ、レシートみたいなあれか……。それを差し出した。お釣りが手渡される。そう、この駅の券売機では釣銭が出ずに、釣銭の金額を表示したカードが出てきて、それを窓口で換金する仕組みだったのである。
 
最後は斜塔で有名なピサでの話。フィレンツェからピサまでは列車なら1時間か1時間半で行ける。駅に着けば、そこから斜塔まではバスに乗る。あいにくの雨だったので足早に斜塔を見学して、その周辺だけを歩いてみた。小さな土産を少し買い、バールでエスプレッソを飲んだ。バスの本数はいくらでもあるから慌てる必要はなかった。
ところが、バス停へ行ったものの切符売場がわからない。イタリアではタバッキ(タバコ屋)でも切符を売っているが、店が見当たらない。道路の路肩に券売機のような機械を見つけたので小銭を入れた。券が出てきた。よく見れば、その券はパーキングの切符だった。ぼくは車に乗らないから、こういうことには疎いのである。バスの切符を買い直した。駐車券は今も手元にある。あれから7年。ピサに車を駐車しっぱなしの気分でいる。