イタリア紀行50 「コロッセオまたは巨大物」

ローマⅧ

もう二世紀も前のことである。17861111日の夕方、ゲーテはコロッセオにやって来た。ローマに着いてから約10日後。オーストリアとイタリア国境を越えてイタリアの旅に就いてから、ちょうど二ヵ月が過ぎていた。

この円形劇場を眺めると、他のものがすべて小さく見えてくる。その像を心の中に留めることができないほど、コロッセオは大きい。離れてみると、小さかったような記憶がよみがえるのに、またそこへ戻ってみると、今度はなおいっそう大きく見えてくる。

ゲーテは『イタリア紀行』の中でこんなふうにコロッセオを語る。およそ一年後にも訪れることになるのだが、そのときも「コロッセオは、ぼくにとっては依然として壮大なものである」と語っている。

コロッセオは西暦72年から8年の歳月をかけて建設された円形競技場だ(闘技場でもあり劇場でもあった)。長径が188メートルで短径が156メートル。収容観客数5万人というのだから、「コロッセオは大きい」というゲーテは正しい。現代人のように高層ビルやスタジアムを見尽くしているのとは違い、200年以上も前のゲーテを襲った巨大感は途方もなかっただろう。少なくともぼくが受ける印象の何倍も圧倒されたに違いない。

コロッセオ(Colosseo)は遺跡となった競技場の固有名詞だが、実はこの名前、「巨大な物や像」を意味する“colosso”に由来する。形容詞“colossale”などは、ずばり「とてつもなく大きい」である。映画『グラディエーター』では、この巨大競技場での剣闘士対猛獣、剣闘士対剣闘士の血生臭いシーンが描かれた。ローマでキリスト教が公認されてからは、やがて見世物は禁止される。この時代、放置されたこのような建造物は、ほぼ例外なく建築資材として他用途に転用された。コロッセオの欠損部分は石材が持ち去られた名残りである。

四度目の正直でコロッセオの内部を見学した。それまでの三回は、ツアーの長蛇の列を見るたびに入場が億劫になった。「競技場内の遺跡は何度もテレビで見ているし、まあいいか」と変な具合に納得したりもしていた。しかし、強雨のその日、並ぶ人々の列は長くはなかった。先頭から20番目くらいである。雨という条件の悪さはあるが、だからこそ入場できる、今日を逃せば二度とチャンスはない、と決心した。「この雨が遺跡に古(いにしえ)の情感を添えてくれるかもしれない」と、すでに悪天候を礼賛すらしていた。

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コロッセオ全景のつもりが、近づきすぎたために全景は収まらない。
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やや遠景のコロッセオ。濡れた壁色のせいで以前見た印象とは異なる。
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ローマ発祥の地とされるパラティーノの丘から展望するコロッセオ。

笑えない話の後始末

笑いをとらねばならないのはお笑い芸人だけではない。笑いでメシを食うプロと、そうではないアマ。比較すれば、前者が厳しいと誰もが言うかもしれない。ところがどっこい、アマチュア間の笑いがらみのシーンは想像以上に過酷なのである。テレビのお笑い番組を見ればわかるが、プロには逃げ道が用意されている。「受けない」のを売りにする芸人。「すべる」のを期待してもらえる芸人。空気を凍らせてしまっても、助け舟を出す同業者もいる。

言うまでもなく、売れる芸人もいれば売れない芸人もいる。序列のある業界だから、スターもいればアマチュア以下もいる。人気はどう転ぶかわからない。明日は我が身だ。売れなくなっても、「売れない」のを売る手だってある。親しい仲間は救いの手を差し伸べてくれるかもしれない。まあ、さしたる業界通でもないぼくの推測なのだが、「同病相憐む」のことわりがそこでは生きているようだ。

講演の冒頭でジョークを仕掛けたある講師。絶対に受けると確信しての「つかみ」であった。はやる気持をなだめながらも、内心おもしろくてしかたがない。演壇に上がる前から自分自身が笑いを押し殺さねばならない状況である。講師紹介があって、拍手で迎えられて演台に向かう。つかみの効果を最大化するには余計な挨拶は無用、寸法を測ったように計算通りにジョークで端緒を開いた……。だが、クスッとも笑い声が起こらない。会場の笑いと同時に破顔一笑しようと目論んでいた講師の顔だけが、笑う直前のスタンバイモードで引きつったまま。聴衆は時に残酷である。


技と芸があるからか、仕込みと仕掛けがいいからか、それとも単に聴衆に恵まれ続けたからなのか……理由はよくわからないが、ぼくが会場を凍らせたことはかつて一度もない。期待したほど笑ってもらえなかったことはあるものの、大すべりした経験はない。講師業においても、笑いは本題と同程度に重要になってきた。そこにはリスクもある。「笑えない話」の責任は、もちろんその話をした人間にある。そして、万が一のための保険をかけるのを忘れては、消沈した空気の後始末は不可能である。

どんな保険か? ややハイブローにジョークを設定しておくのである。こうしておけば、笑いが起こらなかったとき、一部の聴衆が「笑えないのは自分の能力とセンスの問題ではないか」と懐疑してくれる。さらに、誰よりも高尚なジョークを解せるという自信家が何人かいるものなので、少数ではあるが、見栄を張ってそこかしこで笑い声を発してくれる。こうなると、笑わなかった聴衆たちもやや遅れ気味に同調するように笑い始める。ジョークを終えてから数秒という不自然な時間差が生じるのはやむをえないが、これはこれで場が沈んでしまうことはない。


昨夜読んでいた英書にこんなジョークがあった。

若い新婚さんがアパートに引っ越してきた。食堂の壁紙を張り替えることにした。同じ広さの食堂がある隣人宅へ行き、尋ねた。
「壁紙を張り替えたとき、お宅では壁紙のロールを何本買いましたか?」
7本ですよ」と隣人は答えた。 

新婚夫婦は高級な壁紙を7本買い、張り始めた。ところが、4本目のロールを使い切った時点なのに食堂の壁紙作業が終わってしまった。二人は隣人の所へ行き、不機嫌をあらわにしてこう言った。
「お宅の助言通りにしたら3本も残ってしまいましたよ!」
隣人は言った。「やっぱり……。あなたのところでも、そうなっちゃいましたか」


笑える話? 笑えない話? どっちだっただろうか。もし笑えない話だったら、その責任は、読者、ぼく、それとも原書の著者? もし笑えたのなら、その手柄は原書の著者、訳したぼく、それとも読者? ジョークを笑うのはむずかしい。ジョークのネタを仕入れて披露するのはさらにむずかしい。一番安全なジョークの伝え方は文字である。笑いが不発のときに後始末を取らなくて済むからだ。

【注】余計なお世話だが、「何ロール使いましたか?」とは聞いていない。「何ロール買いましたか?」と聞かれたから「7本」と答えた。ジョークの説明ほど野暮で無粋なものはない。  

直観は有力な方法か

「直感」と「直観」という表記を使い分けるのはやさしくない。正しく言うと、これは表記の問題ではなく、そもそも意味が違っている。意味が違うから、わざわざ二つの用語がある。ぼくなりには使い分けているつもりだが、人それぞれ。読み方、聞き方は一様ではない。

ぼくなりの使い分け。「直感」の場合は、「直」を「ぐに」と解釈する。つまり、「直ぐに感じる」。現象なり兆候を見て、瞬時に感覚的に何かを見つける――これが直感。他方、「直観」は哲学用語でもある。こちらの「直」は「じかに」ととらえる。観察や経験の積み重ねにより、何かの本質を直接的に理解すること――これが直観。直感を「ひらめき」と言い換えてもさしつかえないが、意地悪く「思いつき」と呼ぶこともできる。直観は、ひらめきでもなく思いつきでもない。

もう一つ付け加えると、直感で気づいたことはいくつかの選択肢からポンと飛び出してきたのではなく、それ自体独立したものだ。だから、「なぜ?」と問われると理詰めでは答えられない。「何となく」と返すしかない。「直感ですが、Aはどうですか?」に対して、「他に何かない?」と聞いても、BCを吟味した上でのAという選択ではないので、聞き返された人も途方に暮れる。


他方、直観には観察や経験を通じて培われた暗黙知が働く。直観で決めたことには、直観で決めなかったことが対比される。直観にはなにがしかの選択がともなう。複数の選択肢からもっとも本質的なAを取り上げている。直観で選んだAにオンのスイッチが入り、その他の選択肢BCDEにはスイッチが入らずオフのままなのだ。では、その直観作業ではBCDEも実際に検討したのか。いや、検討などしていない。暗黙知が機能するので、検討対象から外しておけるのである。

スポーツであれ将棋や囲碁であれ、プロフェッショナルは「ありそうもないこと、おそらくなさそうなこと」をわざわざ思索して排除しなくても、「勝手に」除外できるようになっている。その結果、押し出され式にあることを直観的に選ぶ。その直観によって選択したことが、だいたい理にかなった行動や手になっているものなのだ。

行動パターンや手の内が豊富だからこそ直観が可能になる。本質を洞察するためには、観察や経験の絶対量が欠かせない。もし直観したことに問題があっても、暗黙知には別の選択肢が蓄えられているから、論理的検証をしたり再選択したりすることもできる。プロフェッショナル度とすぐれた直観力はほぼ比例する。ゆえに、直観は単なる一つの方法などではなく、きわめて有力な方法になりえるのである。

企画に言霊が宿る時

別に内緒にしていたわけではないが、何を隠そう、昨今リピートの多い研修は「企画」である。主催する側によって名称は変わる。「企画力研修」というストレートなものから、「企画能力向上研修」「企画提案力研修」「企画書作成研修」「政策企画力研修」などバリエーションは豊富である。もともと「スーパー企画発想術」と名付けていた二日間プログラムで、学習の基本軸は「発想>企画>企画書」。つまり、企画書に先立って企画があり、企画に先立って発想があるという考え方。その発想の拠り所は日々の変化への感受性である。

企画とは好ましい変化をつくることであり、その作戦をシナリオ化することと言えるだろう。何から何への変化かと言うと、Before(使用前)からAfter(使用後)への変化である。使用するのは企画という処方箋。つまり、さらに詳しく言えば、企画とは、現状の問題なり不満を解決・解消して、より理想的な状況を生み出す方策なのだ。こんなわかりきった(つもりの)企画という用語をわざわざ辞書で引くことはないだろうが、念のために手元の『新明解』を調べてみた。正直驚いた。「新しい事業・イベントなどを計画すること。また、その事業・イベント。プラン」とある。これはかなり偏見の入った定義である。まるで企画という仕事を広告代理店の代名詞のように扱っているではないか。

企画をしてみようという動機の背景には、まず何を企画するかというテーマへの着眼がある。そして、そのテーマ領域内の、ある具体的な事柄をよく観察していると、何だか問題がありそうだ、と気づく。いや、必ずしもゆゆしき問題でなくてもよい。ちょっとした気掛かりでもいいのだ。もしプラスの変化を起こすことができたら、きっと今よりもよくなるだろう―こうして方策を編み出そうとする。着眼力、観察力、発想力、分析力、情報力、立案力、解決力、構想力、構成力……数えあげたらキリがないほど、「〇〇力」の長いリストが連なる。


こんな多彩な能力の持ち主はスーパーマン? そうかもしれない。一言で片付けられるほど企画力は簡単ではない。だが、つかみどころのなさそうな企画力ではあるが、つまるところ、その最終価値を決めるのは「言語力」を除いて他にはない。コンセプトだの因果関係だのアイデアだのと言ってみても、下手な表現や説明に時間がかかっては企画の中身がさっぱり伝わらないのである。もっと言えば、新しくて効果的な提案がそこにあるのなら、使い古した陳腐なことば遣いに満足してはいけない。「固有であり旬であること」を表現したいのなら、「新しいワインは新しい皮袋に」入れなければならないのだ。

言語力が企画の価値を決定づける。もっと極端な例を挙げれば、タイトルが企画の表現形式をも規定してしまう。話は先週の研修。あるグループが順調に企画を進めていき、企画の終盤に『涼しい夏の過ごし方』というタイトルに辿り着いた。現状分析も悪くなく、「暑い夏→涼しい夏」という変化を可能にする詳細なプログラムをきちんと提示していた。しかし、総じて平凡な印象を受けた。「新しいワインを古い皮袋に」入れてしまったのである。

仮に『灼熱の夏と闘う!』としていればどうだったか。同じ企画内容が、タイトルの強さに見合った表現形式になったのではないか。ハウツーの説明に終わった『涼しい夏の過ごし方』に比べて、『灼熱の……』には企画者の意志が込められ、「夏との対決」の様子を実況生中継するような迫力を醸し出せたのではないだろうか。いや、もちろん企画者にはそれぞれの性格があるから、必ずしもそうなるわけではない。だが、その性格要因を差し引いても、命名が企画内容の表現形式にもたらす影響は想像以上に大きい。

ちなみに、「コンテンツ→タイトル」という帰納型よりも「タイトル→コンテンツ」という演繹型のほうが、メリハリのきいたダイナミックな企画になる可能性が大きい。これは、数百ものグループの企画実習の指導・評価経験から導かれた揺るぎない法則である。できたモノや企画に名前を付けるのではない。名前という一種のゴールや概念に向けてモノや企画をデザインする――このほうが言霊が企画に宿りやすいのだ。

リアルとバーチャルの逆転

駅のコンコースなどにある小さな書店を想像してほしい。規模は小さいが大手書店が出店している。そこでは文庫にしても新書にしてもビジネスパーソンに向けた売れ筋の本と新刊本が平積みになっていたりする。あとは店頭に雑誌類を買い求めやすく並べてあったりする。昨日、そんな書店をいくつか覗く機会があって、気づいたことがある。高度情報化社会などと相変わらず世に喧伝されているにもかかわらず、表題に「情報」ということばを含む本がほとんど見当たらないのである。

大きな書店のITコーナーへと出向けば、おそらく話は別なのだろう。しかし、ノンカテゴリーの一般書のタイトルから、もしかして情報というキーワードがきれいさっぱり消えようとしているのではないかと思えなくもない。もしそうだとしたら、ちょっと待てよ、今月の私塾の大阪講座のテーマは『情報の手法』なのだ。ぼくは情報の読み方・選び方・使い方・結び方をいつも気に止めながら仕事をしているのである。そして、なんだかんだと情報をうまくこなす趣向を凝らしているのである。こんなことは、もはや時代遅れなのではないか。

情報と言えば、「希少」と「貴重」によって修飾される概念に思えるような時代があった。その頃の若き証人だったぼくの世代には特有の情報観がある? そうかもしれない。それを否定することはできない。今となっては、いちいち情報などということばを振り回さなくても、そこらじゅうを飛び交っている。バーチャル空間の情報が、日常茶飯事の情報のやりとりを凌駕してしまっているのは間違いない。いや、すでにwebでの情報がリアルで、ぼくたちがアナログ的に操作している「微量情報」こそがバーチャル化あるいはバーチャル視されているのかもしれない。


初めてグランドキャニオンに旅した女子大生たちが、実物を見て「わぁ~、絵葉書みたい!」と叫んだという。この話を何かで読んだ20年程前、すでに絵葉書がリアルで眼前のグランドキャニオンがバーチャルになって逆転してしまっていたのか。かつて間接的に見たものが目の前の実景を支配している? その意識はいったい……何がなんだかわからない、まるで映画『マトリックス』のよう。いや、この類比の仕方すらが、適切なのかどうかも判然としなくなってくる。

そう言えば、ぼく自身の中でもリアルとバーチャルの逆転体験が起こることがある。たとえば、世界遺産のテレビ番組で高画質な映像を見る。その遺産をローマのコロッセオだとしよう。ハイビジョン映像は周囲をくまなく舐め、遠近微妙に調整しながら、人間の眼では体感しえない光景をあたかも実像のごとく映し出す。カメラの目線が俯瞰になれば、鳥にはなれないぼくたちの視力・視界・視線を無力化するように、上空からのパノラマが広がる。

そんな映像を何度も何度も視聴して、実際にローマに旅立ってコロッセオに対面する。あのアングルはどうすれば得られるのか。あの一番上の色褪せた外壁はどこから見るのか。ましてや、あの上空からの雄大な競技場跡の全貌はヘリコプターをチャーターしないかぎり拝むことはできない。眼前にしているコロッセオに失望しているのではない。がっかり感などもさらさらない。しかし、自力では見ることができない映像のほうがリアルで、いま自分が体験していることがバーチャルに思えてくる。見えないイデアが真で、実際に見えているものが偽のような感覚……。プラトンは正しかったのか。


リアルとバーチャルの逆転現象をある程度認めざるをえない。だが、旅の光景に関するかぎり、ぼくたちに適わないのは「構図体験」だけである。たしかに鳥瞰図には太刀打ちできない。高速で光景の中を走り抜けることも無理である。しかし、どうだろう、テレビで見る映像が絶対にできないことがある。映像は、光景を目の当たりにしている自分をそこに含めることができないのだ。旅に出る。その場所に行く。それは自分自身が光景の一部になることを実感することなのである。リアル体験がバーチャル体験に屈しない唯一の方法は、対象に近づくことなのかもしれない

イタリア紀行49 「街歩きオムニバス」

ローマⅦ

コロッセオにアッピア街道、ジャニコロの丘……。ローマ滞在記はまだ数回は続く。ここで一息入れて、これまでのローマでのぼくの足跡を未公開写真で紹介することにしたい。橋、丘、広場……朝、昼、夜……オムニバス風の一日仕立てにして綴ってみた。

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城側から見た、テヴェレ川に架かるサンタンジェロ橋。コピーだがベルニーニの天使像が歩行専用の橋に情緒を添える。
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夕暮れ時のヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世橋。同名の通りがヴァチカンからヴェネチア広場、テルミニ駅へと続く。
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ローマ市内にある七つの丘のうち一番高いクイリナーレの丘からの街並み。ローマ時代から続く歴史のある住宅地区。
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ヴァチカン近くの市場の肉屋。羊肉を買おうとしたら「半身しか売れない」。さすがにそんなには食べられない。
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オープンカフェとバール。バールの入口には年配の常連客がたむろして会話を愉しんでいる。
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ヴェネチア広場はふだんから交通量が多く、おまけに地下鉄C線の工事中。それでも観光馬車は悠然とゆっくり駆け巡る。
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ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世記念堂上手のカンピドーリオの丘の広場。ミケランジェロの設計。俯瞰で見れば白のラインが織り成す紋様が異彩を放つ。
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ナポレオンⅠ世広場から臨むポポロ広場とフラミニオ門方面。中央に建つオベリスクは三千年以上前にエジプトで造形された。道標に十分な36.5メートルの高さがある。この広場は、北からローマにやって来る巡礼者の「税関」の役割を果たしていた。
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丘の多いローマだから、市内を一望するスポットには事欠かないが、ピンチョの丘からの眺望はなかなかのものである。もっと広角のパノラマなら、ここにポポロ広場も含めることができる。直線距離にして2キロメートル強、ヴァチカンのクーポラが威風堂々と鎮座している。

知ると知らぬは紙一重

先週「なかったことにする話」を書いてから、しばらくして「ちょっと待てよ。もしかして誤解されているのではないか」という思いがよぎった。実は、何かをなかったことにする裏側には、何かを重宝がるという状況があることを言いそびれてしまったのである。たとえば、「なかったことにした情報」の対極には「偶然出合った情報」がある。ぼくたちは、日々膨大な量の情報をなかったことにし、ごくわずかな情報だけに巡り合っている。

出張でホテルに泊まる。チェックイン時にフロントで「朝刊をお入れしますが、ご希望の新聞はございますか?」と聞かれることがある。ぼくの場合、自宅やオフィスで購読しているのと違う新聞を指名する。一昨日の夜もそう聞かれたので、ある新聞を指名し、その朝刊が昨日の朝にドアの隙間から室内に届いていた。そこにおもしろい記事を見つけた。そして、ふと思ったのだ、「今日自宅にいたら、この情報に出合わなかったんだなあ」と。

こんな時、情報との縁を感じる。いや、そう感じるように「赤い糸」をってみる。この一期一会の瞬間、大海を成すようなその他の情報はどうでもよくなる。もちろん、こんな感覚は次から次へと読書をしている時には湧き上がってこない。仕事で情報を追いかけねばならないときは知に対して貪欲になっているから、情報の希少性が低くなってしまっている。やや情報枯渇感があるからこそ、一つの情報に縁を感じるのだ。欲張ってはいけない。情報を欲張りすぎても、つまるところ、個々の情報の価値が薄まるだけなのだろう。


一昨日新幹線で読んだ本の一節――「言葉をないがしろにすれば、そのしっぺ返しがくるのは当然 (……) 貧しい仕方でしか言葉と接触しなければ、『ボキャ貧』になるのは当たり前」。これがぼくの持論と波長が合ったので下線を引いておいた。

8月と9月に私塾で「ことば」を取り上げるので、上記の一節は身に沁みる。特別な努力を払わなくても、誰もがことばをそこそこ操れる。これが、まずいことになる。何とか使えてしまうから、ことばをなめてしまうのである。それはともかく、このことをずっと考えながら、昨日の夕方に書店に立ち寄り、ことば論とは無縁の、ふと手に取った一冊の本の、これまたふとめくったページの小見出しに「言葉の不思議な力」を見つけてしまったら、縁の糸が真っ赤に染まるのもやむをえない。立ち読みせずに買って、いま手元にある(縁で巡り合ったが、何度も読み返せるのでもはや一期一会ではないが)。

隣りの一冊を適当に繰ってみたら別の情報が目に飛び込んできたのだろう。もしかすると、そこにも別の縁があったのかもしれない。新聞にせよ本にせよ、ある情報を知るか知らぬかは、文字通り紙一重だ。間違いなく言えることは、知りえた情報は存在したのだが、知りえなかった情報はなかったことにするしかない。なかったことにする潔さが、紙一重で知りえた情報を生かすことになる。個々人における知の集積は、気の遠くなるような無知を後景にした、ほんのささやかな前景にすぎない。縁の情報がその前景に色を添えてくれる。

打たれ強い無難主義

先週末の私塾のテーマは『解決の手法』。そのテキストの第2話「現実、理想、解決型思考」の冒頭を次のように書き始めている。

漠然と考えたり意識が弱かったりすると、問題に気づくことなく、無難に日々を過ごしてしまう。ゆえに、そういう人は問題解決の経験が少ないため、方法を変えることもない。現代人は目先にとらわれた、単発で短期的な思考に偏重している。時代を象徴する新しい問題や状況に対して、人間らしく対応することができない。(後略)

迅速に意思決定をしたり問題解決をしたりするのは「ある種の戦闘」だと思う。もちろん戦闘には規模とリスクの大小はある。たとえば、洋服のボタンが一つ取れた程度の「マイナスの変化」を迅速な意思決定の対象とし、なおかつその変化を「ゆゆしき問題」と見なしてタックルすることはない。だが、理不尽なクレームを突きつけられたりしたら本能的に戦うべきだろうし、負けないための戦術も練らねばならない。意思決定から逃げてペンディングにしても問題は勝手に解けてはくれない。


巣立ちをして社会に飛び出すのを躊躇したり遅らせる人たちをモラトリアム人間と呼んだ時代があった(1970年代後半)。この頃に大学生をしていた連中がいま五十歳前後である。彼らがモラトリアム世代と呼ばれたフシもあったが、わが国ではいつの時代のどの世代でもモラトリアムは多数派を占めている。ぼくよりほんの三歳ほど上の団塊の世代にだってモラトリアム人間が大勢いる。世代ごとに特徴はあるのだが、日本人には無難主義の精神が備わっており、その精神はすべての世代に浸透している。

企画研修で演習をおこなう。現実離れをしてもいいから、思い切った企画案(問題解決案)を期待するが、十中八九無難に終わる。やさしいテーマと難しいテーマがあれば、ほぼ全員が前者を選ぶ。問題と向き合わない、睨み合いしない、したがって戦うことはない。まるで「かくあらねばならないという絶対的な知の法則」に支配されているかのようだ。

学校時代に一つの正解を求めなければならない難問に苦しめられたために、実社会では〈アポリア〉という、解決不可能に思える超難問を避けようとする。あらゆる妙案も打たれ強い無難主義の前では無力の烙印を押されてしまう。誰もが無難であることに気づいていないから、その無意識の強さは鉄板のごとしだ。「マイナスの変化」にプラスのエネルギーを注いでやっとプラスマイナスゼロなのに、無難主義はマイナスの大半を受容してしまう。その変化の次なる変化は次世代へと先送りされる。

「その他ファイル」の功罪

PC上ではファイルという概念をうまく利用しているつもりである。しかし、実際のペーパーをファイリングすることはめったにない。実際、いろんなファイルを買って工夫してやってみたこともあるが、しばらくすると元の木阿弥。すべて無分類状態に戻ってしまう。周囲には資料をきちんとファイルに分けている人がいる。几帳面さに敬意を表するものの、そんなことをしていったいどうなるものかと思ったりもする。

結論から言うと、ぼくは「なまくらファイリング」が一番いいと考えるようになった。至近な活用目的のためには暫定的なファイリングが便利であり、長い目で知を創造的に生かそうとするならばファイリングなど四角四面にすべきではない――これが「なまくらファイリング」。説明をしてみると何ということはない。いずれにしても、整理するだけで二度とお目にかからない資料ならファイリングは不要である。ファイリングをするのは、将来使うことを前提にしているからだ。その使うときのために検索しやすくするのがファイルの目的だろう。

一冊の本を例にとればよくわかる。五年ほど前に読んだ本だが、再読しようと思ってすぐそばの本棚に置いてある。『「心」はあるのか』という書名だ。この書名を「ファイル名」としよう。このファイルには「サブファイル」がある。目次だ。大きく三つあり、人は「心」をどう論じてきたか、「心」を解く鍵、「心」の問題を解き明かす――これらがサブファイル名になっている。

ところが、これらのサブファイルの中を渉猟すると、書名からは見当もつかない「ドキュメント」が出てくるのである。たとえば、言葉はなぜ通じるのか、言語ゲームとは何か、愛と性を考える、言葉と論理、美の感動と言葉……。これは、再読しようとした本だから、ある程度中身がわかっている。しかし、通常、ファイルには大きな概念のタイトルがついている。そのファイル名の下にどんなサブファイルを置きどんなドキュメントを含めるかは大変な作業だ。つまり、検索するのも大変なのである。


ファイルがある。きちんとカテゴリーの名称がついている。その名称に近いか、その名称に関連する属性になりそうな情報を振り分ける。どのファイルにも属さない情報をどうしているか。その情報に見合った新しいファイルを作ることもあるだろう。一つのファイルに一つの情報という状態もありうる。これがムダなのは自明なので、とりあえず「その他ボックス」に放り込むことが多くなる。住所不定の情報や、気にはなるが持て余し気味の情報はすべて、この無分類を特徴とする「その他」に入る。

時折り「その他ボックス」を開けてみると、これらの情報が、つかみどころがないものの、おもしろいエピソードとして力を貸してくれることがある。無分別、未加工、無所属、雑多と呼ばれる「その他」に身を潜めた情報、恐るべしである。ところが、「その他」をこんなふうに上手に使いこなしている人にはめったに出会わない。相当な怠け者でも情報に関しては分別心が働くようなのだ。

情報の数だけファイルを作ったら情報を分けた意味がない。だからファイルの数は必ず情報の数よりも少ない。少ないというどころか、何十何百という情報が一ファイルの傘下に分類される。しかし、「その他」を有効に活用しようとすれば、いつも頭の中に情報のディレクトリーマップを広げておかねばならないのだ。そう、見た目に無分類で「その他」扱いされている情報群をよりどりみどりで活用するには、情報のありかを記憶しておく必要がある。

情報なんか忘れろ、頭を使えという説が有力すぎて困るのだが、PCであれ図書であれ自前のファイルであれ、見覚えのある情報をもう一度探し出すにはとてつもないエネルギーを要する。どうでもいい情報はすぐに探せるのだが、真に求める情報ほど見つかりにくい。ファイリングに長所と短所があるように、ファイリングしない「その他」にも長短がある。ボーダーレス情報を使いこなすには、それらの戸籍を頭で覚えておかねばならないのだである。

イタリア紀行48 「カトリックの総本山」

ローマⅥ

ヴァチカンの表記もそうだが、ヴァチカンを象徴する表現も多彩だ。今回のタイトルのように「カトリックの総本山」もある。「ローマ法王庁(教皇庁)」という言い方も可能だし、観光で来れば「サンピエトロ大聖堂に行こう」でもオーケーだろう。外交的には、たとえば「ヴァチカン市国および日本両国は……」という具合になるかもしれない。

航空写真でないとわかりにくいが、サンピエトロ大聖堂とその広場周辺は「円形劇場」の様相を呈している。実際、ここではカトリックの儀式が最大30万人という多数の信者を集めて執り行われる。前回紹介したコンチリアツィオーネ通りからサンピエトロ広場に入る。広場は楕円形で、北側と南側にそれぞれコロネード(柱廊)がある。ドーリア式の円柱が全部で284本あるという。広場中央にはオベリスク(方尖塔)が聳え、その北側にマテルノの噴水、南側にはベルニーニの噴水を配している。

正面に構えて威風を周囲に払っているのが大聖堂。大ドームはミケランジェロが設計し、1590年に完成した。ファサードに行くまでにバッグの検査を受けて大聖堂の内部に入る。カトリック信者であるかそうでないかによって印象も見るところも大いに異なるのだろう。ほとんど事前学習せずに見学するぼくには、恋焦がれるように総本山にやってきた信者のこころの振幅はわからない。

イタリアのラクイラ・サミット終了後の去る710日、オバマ大統領がヴァチカンにローマ法王ベネディクト16世を表敬訪問した。二人は何を語ったのだろうか。たまたま昨日の新聞に関連記事を見つけた。大統領の20081月の就任演説の一節が紹介されていた。「我々はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、そして無宗教者(non-believers)の国なのだ」がそれ。実は、この後、「我々は、地球上のあらゆる場所から集まってきて、あらゆる言語や文化で形作られている」と続く。

ぼくの視点の先は「あらゆる言語や文化」に向くのだが、ローマ法王は「無宗教者の国」というくだりに視線が延びて「内心穏やかでなかったはずだ」とその記事には書かれている。リベラルなアメリカの社会政策と硬派な倫理・道徳観という構図なのである。ちなみに、アメリカのカトリック信者は人口の24パーセントを占めている。カトリック総本山からの一言一句には、ぼくたちの想像以上の重みがあるに違いない。

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広場側から臨むサンピエトロ大聖堂。
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ローマ法王庁の警備担当はスイス衛兵隊。軍服のデザインはミケランジェロ。
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大聖堂入口近くの「聖なる扉」。
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大聖堂内の正面。奥行きが200メートルあると聞けば、その空間の圧倒ぶりが想像できるだろう。
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精細な細工ぶりまでよく見えるクーポラ(円蓋)。天井部の大きな円の部分がドーム、その下の帯の部分がドラム。
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ベルニーニ作「聖ロンジーノの像」。
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聖ペテロの椅子。
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大理石で埋め尽くされた聖堂内の床。
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サン・ピエトロ大聖堂の全景。柱廊付近で間近に聞いた鐘の音の響きは荘厳だ。