雑談ノート

雑談中に降って湧いたような話はたいていすぐに忘れるが、稀にしっかりと記憶に残るものがある。記憶に残るから意味のある話とはかぎらず、とりとめのないよもやま話だったりする。しかし、記憶に残ることを評価して、その種の雑話は一応ノートに書いておく。備忘のつもりはまったくないが、わざわざ書いておくから余計記憶に残る。


🖊 『孤独のグルメ』で井之頭五郎が料理を口に運ぶ。実にうまそうな顔をしてつぶやく。

「おお、こうきたか……」

一口目でしか使えない心の内のつぶやき。こうきたかが「どうきたか」は人に伝わらないが、これこそがつぶやきの理想だ。一度これを使うと、「うまい」や「おいしい」では物足りなくなる。

🖊 知り合いの名前を並べて、変な人だと思う人に✔の印を入れていくと、ほとんど全員にマークがついてしまった。変でない人は近くに――そしてたぶん――知らない世界にもいないのだと思う。「みんなちがって、みんないい」に倣えば「みんな変な人で、みんないい」。

🖊 モノでも料理でも絵でもいい。ABを並べたり近づけたりして、目に見えない両者の関係性を位置で示す。一方、見た目の色で単純に合わせることもある(近い色で合わせたり、近くはないがバランスの良さで合わせたり)。意味合わせと色合わせ(または)配置と配色。

🖊 ある県のアンテナショップを時々覗く。店内のカウンターで地酒の飲み比べができる。ビールが売りのパブではクラフトビールの飲み比べ、ワインショップやデパートではワインの試飲比べができる。ぼくと同い年だった知人は、医者の処方するまま、まるで薬の飲み比べをしているようだった。1日に78種類、全部で10数錠を服用すると聞いて驚いた。その甲斐もなく数年前に亡くなったが、病気のせいか薬のせいかはわからない。

とりとめのない話五題

📝 先日、第42代米大統領の名前がとっさに出てこなかった。十数秒後に「ヒラリー」が浮かび、すぐにビル・クリントンにつながった。以前覚えて知っているはずのことをとっさに・・・・思い出せなくなるのを「ど忘れ」という。では、とっさに思い出すことをどう呼べばしっくりくるか?

📝 食レポだったと思うが、ある人が「この料理は情報が多い」とつぶやいた。情報が多いという表現は平凡だが、料理と結びついて新鮮に聞こえた。食材、盛りつけ、調理方法、ことばにしづらい味……コメントしたいことがいくらでもあるという感じか。そう言えば、自宅にいても仕事をしていても、ものすごく情報の多い日とほとんど情報のない日がある。情報の多い日は疲れるが、情報の少ない日は物足りない。

📝 中原中也「帰郷」のラスト2行。

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

この冬一番冷えた124日、強い寒風に凍えそうになって半コートの襟を立てた。「あゝ おまへはカイロを貼ってくるべきだった」と、吹き来る風が云った

 

📝 ノーベル賞受賞者のスイスのディディエ・ケロー博士。太陽系外惑星の最初の発見者だ。地球外や太陽系外惑星に生命体が存在する可能性は? という問いに博士は答える。

「宇宙のどこかに生命が存在する、と私は確信している。理由は簡単で、恒星の数も惑星の数も限りなく多いから。逆に、地球上にしか生命がいないと考えるほうが不自然だ」

なるほど。しかし、「宇宙には地球以外に生命が存在しない」とぼくは確信している。理由は簡単で、一度もお目にかかったことがないから。逆に、宇宙のどこにでもいると考えるほうが不自然だ。この宇宙の中で地球にしか生命体がいないという奇跡にそろそろ人類は気づくべきではないか。

📝 のべつまくなしに癒されたがる人、結構回りにいる。もう十分に癒されているように見えるし、これ以上何をどれだけ癒されたいと言うのか。「癒されたい」とか「ああ、癒される~」とかを耳にすると、ちょっとキモチ悪い。癒しは、質ではなく、量的に求められるようになった。残念である。ほどよく疲れるほうがよほど上等な癒しだと思う。

五月の断章

何か月も誰にも会わなかった日々が続いたが、春先から月に一度は他人に会って談笑するようになった。自分目線や読書視線の断章に加えて、他人目線の話が少し加わりつつあるように思う。近過去や今との向き合いをいろんな目線でとらえて振り返ってみることにする。

 長野の陰惨な事件に抑止力や防御力の非力さをあらためて痛感する。個としての人は、時に残忍になり狂暴化する。それを未然に防ぐ確実なすべはない。

人間が最もひどいことをするのは、「自分が正しい」と思い込んだ時である。それは、正しくない者に対する徹底した非寛容となって現れる。加えて、「正しくなければならない」という過度の要求は強迫観念となって、自分自身をも攻撃するだろう。

先週読了した『ベストエッセイ 2016』に収録されている、吉村萬壱の「規則破り」という一文。この一文通りの「シナリオ」に驚愕してしまう。

 先週からオフィスで水出しアイスコーヒーを作っている。ホット用にはパプアニューギニアの豆を買った。ふと藤浦こうという著名な作詞家の「一杯のコーヒーから」という歌を思い出した。

一杯のコーヒーから
夢の花咲くこともある
街のテラスの夕暮れに
二人の胸の灯が
ちらりほらりとつきました

一杯のコーヒーで胸の灯がついた記憶はない。そのシーンで「いま、胸に灯がついた?」と相手に聞いたこともない。しかし、夢の花か話の花は何度も咲いたと思う。コーヒーは手持ちぶさたな空間に味と香りを添えてくれる。

 秘密。誰もが知っている二字熟語。「秘」も「密」も書けるが、どちらの漢字にも「必」という部位が含まれていることに、遅まきながら気づいた。

「きみにヒミツを教えてあげるから、ず内緒にしてね」という願いを込めているのだろうか。ところで、わずか五画の「必」の書き順を間違えて覚えていたので、直すのに時間がかかったのを覚えている。

 好き嫌いに二分される料理がある。中華料理ならピータンや豚のミミがそれだ。好き嫌いの多い人と会食すると、その種の皿は丸テーブルの中心からぼくの目の前に置かれるようになる。

食べ物の好き嫌いは人の好き嫌いの度におおむね比例し、好き嫌いの価値観は「したいこと/したくないこと」につながる。さらに、したいかしたくないかで過剰に分別すると、得か損ばかりを考えるようになる。「すべきか、すべきでないか」で価値判断する大局観になかなか出番がないと残念なオトナになってしまう。気をつけたい。

㊗「四月、春になった」

🌿 四月、春になった。桜が咲き始めてもまだ春とは呼ばない。満開を経て散り始めた時からが春本番だ。気象庁の開花宣言に倣って、今朝、春本番宣言をしておいた。

🌿 集合住宅のわが家には庭がない。芝生もないので、隣の芝生が青く見えることはない。しかし、新メニューが出る春のレストランでは隣りのテーブルの誰かが注文した料理がおいしそうに見え、「あれにしておけばよかった」と後悔するのが常である。

🌿 陽射しが快い。都会の日時計が午前10時半を示していた。腕時計と若干誤差があるが、日時計の鷹揚な時の刻み方にクオリティ・オブ・ライフを思う。「だいたい」とか「~頃」とか「およそ」とかは人間的である。

🌿 春は役割を終えたノートが新しいノートにバトンタッチする。おろしたてのノートの最初のページにペンを走らせるのは、なぜあれほど快いのだろう。約半世紀にわたってノートを愛用し、断続的にシステム手帳を併用して、何もかもそこに一元化して書き込み綴じてきた。「いったい何を書いているんですか?」とよく聞かれる。「いいネタとくだらないネタを半分ずつ」と答える。

🌿 何かを食べ、あるいは何かを見て、ついついいろんなことを連想して、ついでに蘊蓄ウンチクを傾ける。蘊蓄よりも意味あることがいくらでもあることくらい重々承知している。「また蘊蓄?」などと嫌味っぽくも言われる。それでも、やっぱり蘊蓄がいるのだ。蘊蓄しなければ物事の重要性のありかに気づかないのである。

🌿 四月は新年度のスタート。「新しい」とは「よく知らない」ことでもある。よく知らないならよく知っている人に聞くのがいい。ぼくもよく聞かれるので、推薦する。一つに絞るのが難しければ「一推しイチオシ」を筆頭にいくつか挙げる。二番目を「二推しニオシ」と言うのを最近知った。まさか「三推しサンオシ」とは言わないだろうと思ったが、それも言うらしい。今のところヨンオシの用例は見つかっていない。

街中の目撃と雑感

赤瀬川原平らが提唱した「路上観察学」は1986年に学会を立ち上げ、同じ年に『路上観察学入門』という本も出版された。日々の散歩でも少し遠出する街歩きでも、見慣れない風物や場面に遭遇したり目撃したり、そのつどいろいろ感じることがある。まさに路上観察。もっとも、ぼくの街への情熱は路上観察学のオタク諸氏の足元にも及ばない程度だ。


👓 いつもの道で街路樹が何本も思い切りよくられ、「腰から足元」だけが残っている状態になった。木に貼られた紙には「この木は将来、根上がり等がさらに進行し、安全な道路の通行に支障を来すおそれがあるため、撤去を予定しています」と書かれていた。
歩道のタイルが膨らんでいるのをよく見かけるが、あの状態を「根上がり」と呼ぶそうである。同日の帰路、クレーンが出ていて根っこが抜かれていた。撤去後に新しい木を植えるらしいから、街路樹が歯抜けにならずに済むのは何より。

👓 どう見ても空き家にしか思えない豪邸がある。空き家になると庭木が伸び放題、わずか数年でジャングルのようになる。裏手には悪意ある者たちがゴミを捨てる。誰も住まなくなって十年や二十年放置されてきた一軒家。てっきり無人と思っていたその家から、ある日、生活感のある人が現れてゴミ出しする場面に出くわしたら、たぶん背筋が寒くなる。

👓 街歩きの途上で寄り道する。カフェ、古書店、文具・雑貨店、公園、記念碑等々。知っているはずの地元で知らないことだらけを痛感する。「行ってみたい所は多い、行っている所はわずか」という思いで帰ってくる。そして、「やりたいことはいろいろ、やっていることはわずか」といつも反省し、次の休日になるとその反省をけろりと忘れてしまっている。

👓 どう見ても廃屋にしか見えない家の軒先に瓢箪がっていた。下町の平屋の家に住んでいた幼少の頃、裏庭の便所の横に瓢箪が植わっており、かなり大きく育っていた。祖父は縁起物で厄除けになると言い、誰かが凶事をまねくのではないかと言い、父は黙って瓢箪を加工していた。ところで、写真の瓢箪を見つけた翌日、たまたま寿司屋で干瓢かんぴょう巻きを食べた。別に関連づけたわけではないが、干瓢と瓢箪は同じウリ科のユウガオである。

👓 休日の15:30に最寄りのバス停から「なんば行」のバスに乗る。橋の多いエリアなので、このバスは橋を巡る路線になる。末吉橋、長堀橋、三休橋、心斎橋、道頓堀橋を経由する。赤字のバス路線がずいぶん廃止されたが、行政は損得だけでものを考えてはいけない。バスにはロマンと懐かしさがある。バスの由来であるラテン語のomnibusオムニバスは「すべての人のため」という意味。単に人を運ぶ乗り物ではないのだ。

思いつくままに、春

 岸辺のこの・・場所のこれ・・こんな・・・色になると、もうすぐ春。経験上そうである。「どこの何がどんな色?」と詳しく聞かないでほしい。

 2020年の今頃も、2021年の今頃も同じことを考えていた、春になったら「岡野のお喋りコラム」を始めようと。これまで書いてきたコラムが急に喋り出すようなトーク番組。世間一般のこと、時事トピックス、アートのこと、街のこと、本のことなどのお喋り。2022年の今年、春になったらできるのだろうか。

 いくつかの連想がつながって、ある歌に辿り着いた。そして記憶は十数年前まで遡った。ある分野の専門家たちが所属する某協会があり、その協会の事務局長から年間セミナーの企画とコーディネートを依頼された。会員は高額の年会費を納めていた。事務局長は紳士で、みんなに「局長」と呼ばれ親しまれていた。ただ、会費に見合った還元が十分にできておらず、不満を口にする会員もいた。

ある日、会員A、B、C3人と局長とぼくの5人で食事をした。食後、ほろ酔い気分のAが「カラオケスナックはどう?」と言い出した。場所を変えるだけで、誰も歌わないだろうと思っていたら、乾杯直後に常連客のAが歌い、隣席にマイクがリレーされた。Bが歌い、ぼくも歌うことになった。残る二人はCと局長。Cは自分に回ってきたマイクを局長に手渡す。歌が苦手そうな局長が無理やり歌わされた。

局長がマイクを置いた。Cが入れた曲のタイトルが画面に出てイントロが流れ始めた。夏木マリの『お手やわらかに』である。この歌をメンバー随一のエリートCが歌うとは……。何度も聞かされているBが「Cさんは、これを替え歌でやるんです」とぼくに耳打ちした。歌詞を目で追いながらCの歌を聴く。どんな替え歌に仕上がるのか。

♪ 私の負けよ お手やわらかに
今夜は逃げないわ
悪魔のようなあなたの腕に
抱かれるつもりなの

マジメに歌うのがおかしい。笑いをこらえる。でも元歌通りで、全然替え歌じゃない。

♪ 少々くやしい気もするけど
あなたにはとうとう落された
一年も二年もふったのに
こうしてつかまった

まだ元歌通りに歌ってる。どこで変化するのか。

♪ お手やわらかに お手やわらかに

まだ変化なし。歌はもう終わる……。

♪ 泥棒よ あなたは

Cは最後の「あなたは」を「局長」に替えて、「♪ 泥棒よ 局長」と歌った。ワンフレーズを入れ替えただけなのに、「会費泥棒の局長につかまったオレたちの悔しい思い」が何となく伝わってきた。

一人になってからの帰路、不思議なおかしさの余韻がずっと残っていた。「私の負けよ、お手やわらかに……真剣に聴いたのは初めてだが、なかなかいい曲じゃないか」と思った。季節はすでに春が告げられていたが、まだ少し肌寒さが残る三月だった。

散歩道の眺めと気配

110日、中之島バラ園を横切る。「養生中」のメッセージ。恒例の芝焼きは終わっていた。この時期、バラは咲かない。と言うか、植えられていない。名札だけが立っている。
バラもいいが、バラの名称はもっといい。名札ばかり見て歩くこともある。一昨年に発見した2品種、ストロベリーアイスとトロピカルシャーベットは夏仕様のネーミングだ。これにバニラソフトが加われば言うことなし。
バラ園に咲くバラだけがバラではない。春から秋にかけて、淀屋橋から肥後橋の川沿いの遊歩道でもバラが咲く。

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ほんのわずかに日が長くなったような気がしている。午後5時頃の明暗からそう感じるだけでなく、寒中に潜む春の気配のせいもある。
散歩道に日時計がある。たとえば午前10時半を示しているとする。
腕時計かスマホと照合する。日時計の精度が信頼できないからではない。誤差は想定内だ。「だいたい」「頃」「およそ」と言っておけば誤差に大らかになれる。時間に追われる散歩は散歩ではない。

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新年になったのに今も旧年を引きずる夜の光景がある。イルミネーションやライトアップである。晩秋から点灯するのはいいが、大晦日で打ち切りにするべきではないか。明るくて華麗なことにケチをつけるつもりはない。ただ、年が明けても光っていては気分が一新されないと思うのだ。

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散歩していると、まず景色が見え、次いで風景が見え、最後に景観に目がいく。この順で概念が小さくなり、視野も変わる。都会の景観は人工的であり文化的である。風景に森はないが植樹された木々はある。マイペースのそぞろ歩きに向いているのは、建物や構造物の間に木々が点在する街路だ。飛び石伝いならぬ、飛び木伝い。

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一年を通じて一番好きな陽射しはこの季節の陽射し。ガラス窓越しの南西からの光だ。暑さには決して至らない、やわらかいあたたかさ・・・・・。「暖かさ」と表わすよりも「温かさ」と表わしたい。陽射しの他に、スープも心遣いも懐も温かいのがいい。

10月のレビュー

 旧暦の神無月は新暦でも使い、グレゴリオ暦の10月と併用すればいいのに……と思ったことが二、三度ある。

 今月は、厚切りベーコンとたまねぎのトマトソースパスタ、牛肉スープにつけて食べる和蕎麦のつけ麺、パクチーお替り無制限のフォーなど、麺の当たり月だった。「麺月」と呼んでもいいくらいだ。

 コピーライティングの仕事が多かった。そのうちの一つに、何を書くかはほぼお任せというミッションがあった。
「始まりは心弾む予感に満ちて」という見出しを思いついた。そして本文の一行目に「一つの季節の終わりが次の季節の始まりにバトンを渡す」と書いた。
何を書くかを考える前にことばを綴ったら、原稿用紙一枚分がまずまずうまく、さっと書けた。考えるだけが能ではないことにあらためて気づかされる。仕事を続ける効能の一つ。

 とある和食店は毎日一種類のランチ提供を貫く。店の前のホワイトボードには「天然ぶりの刺身とはまちの煮付け」と書いてあった。ぶりとはまちの出世魚定食? パスした。

 リバーサイドの夕暮れ、川面の濃紺とくれない。清濁併せ吞む大阪の繁華街には、古都では出合えない、侮れない風景が時々浮かび上がる。

 その数日後、難波なにわゆかりの万葉集をテーマにした展示を見た。古代にも侮れない大阪があったことを知る。

昔こそ難波田舎なにはゐなかと言はれけめ今は京引みやこひみやこぶにけり

「昔こそなにわ・・・は田舎と言われていたが、今は京の様々なものを移してきたので、いかにも都らしくなった」というほどの意味。「垢ぬけた」ということだろう。

 9月末から、行きつけの野菜のセレクトショップに旬の落花生が出始めた。生の落花生を半時間ほど柔らかすぎず硬すぎずに茹でる。毎週二、三回、実によく口に放り込んだ。

 来年2月にグランドオープンする大阪中之島美術館。建設の様子を見てきた。開館から春にかけては岡本太郎、モディリアーニが予定されている。黒のエクステリア。少し歩くと対照的な赤。愉快でキュートだった。花の写真はめったに撮らない。つまり、撮った花の印象はなかなか忘れない。

 高知産の新生姜をスライスして生食したら、嘘のように翌日シャキッとした。二箱が無料のあの「しじみ習慣」も嘘のようにシャキッとするのだろうか。

 一昨日から読み始めたのでたぶん来月にまたがるが、古本屋で買った『なんだか・おかしな・人たち』(文藝春秋編)がなんだか・おかしい。渋沢栄一を父に持つ渋沢秀雄の「渋沢一族」という小文は、他の渋沢像と違った見方でおもしろい。渋沢栄一は明治24年に87箇条の「家法」をしたため、第一条で渋沢同族を次のように限定している。

「渋沢栄一及ヒその嫡出ノ子ならびニ其配偶者及ヒ各自ノ家督相続人」

同族から誰か貧困の者が出ると「子孫の協和」が保てなくなるため各家の生活を保障するシステムを作った。渋沢一族という「組織」にあっては、長男以外は兄弟姉妹が男女同権で平等に栄一の恩恵を受けることができた。私企業の利ではなく国家、社会の利を強調した栄一も、同族を末永く保持することにかけては細やかな神経を使っていたのである。

日々のいくつもの事実

📅 ちゃんぽんを売りにしている中華料理店のホール担当は、小柄なおばさんで年齢はおそらく60代後半、いつもいるがたぶんバイト、声は大きくややかすれている。

グラスを持ち上げて水を飲み、グラスを戻して数秒後に「おぎしましょうか?」と寄ってくる。頷くと飲んだ分をすみやかに注ぐ。グラス内の水量がずっとおばさんにチェックされている。ちゃんぽんを食べ終わるまでにこのルーチンが数回続く。飲み干した後に爪楊枝を手にしたりすると忍者のように駆けつけてきてグラスを満タンにする。だから最後に水を飲んだらすぐに立つ。店内約20席。今は密を避けているので最多で10席だから、おばさんにとっては楽勝。

📅 ポケットに手を入れたら丸い金属に触れた。五百円硬貨だった。ポケットの中に見つける想定外の五百円硬貨には、普段小銭入れに入っている想定内の五百円硬貨にはないサプライズ価値が付加されている。ちなみに百円硬貨を見つけてもこんな文章を書こうとは思わない。

📅 「人々を動機づけるクリエーティブな方法を生み出そう」と平気な顔をして自称クリエーターが言った。「新鮮な感覚を与える独創性」はあるかもしれないが、それをクリエーティブという、すでに新鮮さを失ったことばで呼んだ瞬間、クリエーティブな方法など絶対にないと確信する。

📅 「やましいことなどない!」と語気を強める者がやましくなかったためしはない。そして、声の大きさに比例してやましさの度合が増すのも事実である。

📅 街頭でインタビューされる一般通行人が「いっぱい」と「一番」をよく口にする。世代に偏りはない。「コロナが終息したらみんなに会いたいという思いでいっぱいです」、「今は早くコロナが終わって欲しいという気持が一番です」という具合。いっぱいと一番を抜いてもほとんど意味は変わらない。つまり、「いっぱい」と「一番」に特別な強調効果があるようには思えないのだ。おそらくインタビューを受ける人たちは、「~という思いです」「~という気持です」ではぶっきらぼう感を覚えるのだろう。そして、一言足す。その蛇足に「思いがいっぱい」と「気持が一番」が選ばれている。

プロ野球選手もヒーローインタビューで「あの場面では打ちたいという気持が一番でした」と言う。一番があるのだから二番もあるはずだが、今のところ「では、二番は?」と聞いたインタビューアーはいないようだ。

信用と不信は隣り合わせ

以前、欧州の国営鉄道の改札と切符のことを書いたことがある(思い出切符)。ぼくたちが慣れ親しんだ「改札」の概念がないという話だ。いつでも誰でも――列車に乗る人も乗らない人も――駅のホームまで入れる。切符がなくても入れるし、その気になれば乗車もできる。列車に乗る人はホームにあるタイムレコーダーのような装置に切符を入れる。何月何日何時何分と刻印されて出てくる。あとは行き先まで乗車し、その切符を持ったまま駅を後にする。到着駅に改札らしきものがあっても、駅員は切符を回収しない(と言うか、切符売場以外の場所で駅員を見かけることがない)。切符はごく稀に車内で抜き打ち検閲されるだけだ。列車に乗る人はみな切符を所持していると見なす。これを「信用改札方式」と呼ぶ。当然、信用を裏切る者には高額の罰金が科せられる。


病気になった知人の病名が初耳ということがよくある。最近の病名は驚くほど細かく分類されている。医学の進歩のせいか、かつてなかった病名が次から次へと「発明」されるのだ。患者の多くは病気に罹っていると自覚する前に、病名を告げられる。「あなたの病名は何々です」というかかりつけの医者を一応信用はするが、心のどこかで「本当にそうだろうか?」と納得がいかない。まあ、いくばくかの不信の念も抱く。


エアコンをつけるたびに異様な音が出る。突然止むこともあるが、しばらくするとまた音がする。修理に来てもらった。エアコンをつけると、その時にかぎって音が出ない。朝につけたら音がしていたのに。エアコンをつけるところから目撃してほしいので、直前に消しておいた。そして、修理の人の見守る中、再度オンにすると静かに運転するばかり。これでは異様な音がするという証拠が示せない。「もうちょっと様子を見ましょう」と言われた。気まぐれエアコンが信用され、ぼくの証言は信用されなかったのである。


「あの人に会ったことがある」と「あの人に会ったことがない」の差が大きいことをぼくたちは知っている。縁やコネはこの差を反映する。会って握手をして一言二言交わすだけで、会っていないよりも信が強くなるような気がする。確かにそうだが、会って握手をして話したために不信が募り、会わなければよかったと思うこともある。


自分のしていることが論理哲学論考的に無意味だと断定されても、人生哲学雑感的に意味があると思えば、ひとまず自分を信用しておきたいと思う。たとえ異論を唱える相手がウィトゲンシュタインだとしても。