コロッセオ

文豪ゲーテは『イタリア紀行』の中で次のように書いている。

この円形劇場を眺めると、他のものがすべて小さく見えてくる。その像を心の中に留めることができないほど、コロッセオは大きい。離れてみると、小さかったような記憶がよみがえるのに、またそこへ戻ってみると、今度はなおいっそう大きく見えてくる。

ゲーテはおよそ一年後にも訪れることになるのだが、その時も「コロッセオは、ぼくにとっては依然として壮大なものである」と語っている。

ゲーテが最初にコロッセオにやって来たのは17861111日の夕方。ローマに着いてから約10日後のことである。オーストリアとイタリア国境を越えてイタリアの旅に就いてから、ちょうど二ヵ月が過ぎていた。

コロッセオは西暦72年から8年かけて建設された。円形競技場であり、同時に闘技場でもあり劇場でもあった。長径が188メートルで短径が156メートル。収容観客数5万人だから、「コロッセオは大きい」というゲーテは正しい。現代人のように高層ビルやスタジアムを見尽くしているのとは違い、今から200年以上も前のゲーテを襲った巨大感は途方もなかっただろう。少なくともぼくが受けた印象の何十倍も圧倒されたに違いない。


コロッセオ(Colosseo)は遺跡となった競技場の固有名詞だが、実はこの名前、「巨大な物や像」を意味する“colosso”に由来する。形容詞“colossale”などは、ずばり「とてつもなく大きい」である。この巨大競技場での剣闘士対猛獣または剣闘士対剣闘士の血生臭いシーンを描いたのが、映画『グラディエーター』だった。キリスト教が公認されてからは、ローマでは見世物は禁止される。この時代に放置された建造物は、ほぼ例外なく建築資材として他の用途に転用された。コロッセオの欠損部分は石材が持ち去られた名残りである。

四度目に訪れた2008年春のローマ、ようやくコロッセオの内部を見学することができた。それまでの三回は、近くに行ってはみたものの、ツアーの長蛇の列を見て入場するのが億劫になっていた。「競技場内の遺跡は何度もテレビで見ているし、まあいいか」と変な具合に自分に言い聞かせてもいた。しかし、強雨のその日、列は長蛇ではなかった。先頭から数えて二十番目くらいである。こうなると「雨が遺跡にいにしえの情感を添えてくれるかもしれない」と悪天候礼賛に早変わり。小躍りするように場内に入った。

言うまでもなく、圧倒的な光景であった。それでも、コロッセオは外観がいいと思う。近くから見上げる外観もよし。パラティノの丘から少し遠目に見るのもよし。ゲーテの指摘する建造物の巨大を他と見比べてなぞれるのは、ローマが今もなお古代を残しているからにほかならない。

(本稿は2009年8月9日のブログ記事を加筆修正したもの)

EPSON001Katsushi Okano
Colosseo
2008
Watercolors, pastel, pigment liner

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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