空耳とか空目とか……

十日ほど前に『聞き違い』について書いた。言われたことを違った音で拾ってしまうのが聞き違い。明らかに聞く側の罪なら「聞き間違い」だ。しかし、言った側の言い間違いや発音の難の場合もある。その場合は「聞き違い」と言うべきだ。また、発話された音通りに聞いたけれど、意味が違っていたというケースもある。同音異義語が多い日本語では珍しくない。「こんしゅうオープンします」と話し手が言い、聞き手もそう聞いた。てっきり「今週」のことだと思っていたら、後で「今秋」だと判明した。

空耳そらみみ」ということばがある。もともとは「声も音もしないのに聞こえた気がすること」だ。つまり、無言・無音の独りよがりな音声化。これは幻聴に近い。最近では空耳も聞き違いの意味で使われるようになっているらしい。たとえば、「それ、空耳だ」という発言を「ソレソラミミド」とドレミの音階として聞き取ってしまうことをも空耳と呼んだりする。さて、空耳があれば、五感すべてに「空ナントカ」があってもよさそうだが、空鼻、空舌、空皮膚などとは言わない。しかし、あまり口にも耳にもしないが、「空目」という表現はちゃんとある。「見えていないのに見えたような気がすること」である。これは幻視やデジャヴか。

足し算

見えたものを違ったものに見るのは、正確には「見間違い」と言うべきなのだろう。この見間違い、文字を読む時にはよく起こっている。難解な漢字を読めないから当てずっぽうで読むという意味ではなくて、たとえば「縁起」と書いてあるのをてっきり「緑地」だと早とちりしてしまうような場合。上に挙げたのは、順に足していくという、単純な数字の計算なのに、頭の中で勝手な計算をしてしまう人がいる。単純ならではの油断かもしれない。さて、合計するといくらになるか。


連続ドラマ『あさが来た』の主題曲『365日の紙飛行機』。曲名も歌詞もろくに見ずにほぼ毎日観ていた。「♪ 人生は紙飛行機……」というくだりがぼくの耳にはいつも「人生は並木小路」に聞こえていた。

ある日、「なみきこうじ」ではなくて「かみひこうき」だと知った。知ってもなお、ぼくの癖耳は「なみきこうじ」としか認識しない。歌い手の「かみひこうき」の「か」の発音に鼻濁音が入っている。鼻濁音は「ま行」や「な行」の音だ。「か」が鼻濁音の「な」に聞こえてしまったら、「かみ」は「なみ」に聞こえる。ぼくの見解はこうだ――“k”の音はもっと強く発するべきであり、甘えっぽく発音すると訛って鼻濁音化する。ローマ字で書けば、【ka-mi-hi-ko-ki】が【na-mi-ki-ko-ji】に化けているという次第だが、あいにく並木小路がありえない表現ではないから成立してしまった。このことを知人に話した。どうだった? と後日尋ねたら、「もう並木小路としか聞こえません」と言ってくれた。他のみんなの耳にはどう聞こえるのか、興味津々である。

聞き違いはもとより、聞いて分かったつもりになる症候群は外国語を使う時に顕著に現れる。相手の話をよく理解できていない時に分かったかのようにうなずく人がいる。

ずいぶん前の話。連れて行ってもらったカラオケラウンジに、日本に来て間もない中国人女性がいた。たどたどしい日本語でかろうじて応対はできるものの、長い話や複雑な表現にはついて来れない。「はじめまして。○○です。あなたのお名前は?」などと尋ね、飲み物を聞き、乾杯まではルーチンでこなす。ところが、乾杯して23分も経たないのに女性はカラオケの本をぼくに押し付け、「歌、好きですか? 歌ってください」と言う。間が持たないからとは言え、カラオケにはちと早すぎるではないか。大阪弁で「まだええわ」と言って本を返した。するとどうだ、女性はカラオケのページをめくって「まだええわ」とつぶやきながら、その曲を探し始めた。苦笑いしながら「あのう、曲名と違うから」と言えば、今度は「きょくめいとちがうから」と言う曲を探す。「間が持たない時は客に歌わせろ」というのが新人への教えだったらしい。

さて、先の単純足し算。約7割の人が「5000」と即答する。正しくは「4100」である。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

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