思い出切符

別にコレクションしているわけではない。溜まったものをそのまま箱に入れたりクリアファイルに挟んだりしているだけだ。映画館や美術館の入場券、交通機関の切符などである。通常、映画館や美術館のチケットは半券だけもぎられて手元に残る。しかし、電車の切符は出札機か駅員によって回収される。乗降した記憶は残っても、切符という証拠は残らない。わが国の話であるが……。

よくヨーロッパに旅した頃の列車、地下鉄、バス、ケーブルカーなどの切符が何百枚も手元にある。たとえば列車の場合。ターミナル駅でも小さな田舎駅でも、日本の改札という概念がない。駅構内から発着ホームまで誰でも入れてしまうのである。ホームに小さなタイムレコーダーのような機械があって、そのスリットに切符を入れると日付と時刻がパンチされる。これで改札終了。極端な話、切符がなくても乗車できてしまう。いつも車掌がやってくるとは限らないから、無賃乗車は多いはずだ。何回かに一回抜き打ち車内検札があり、その時に乗車券に刻印がないと高額な罰金を取られる。

自分で機械改札して乗車し、稀に車内で検札を受ける。これで切符の役目は終わり。さっさとノートに挟んでしまい込む。到着駅で切符に出番はない。そもそも改札口がないのだ。つまり、切符を回収しない。バスしかり。パリやローマの地下鉄駅では到着駅の出口に機械はあるが、通した切符が出てくる。だから手元に残る。もっとも、日本でも出札機に通さず、「この切符を記念に持ち帰りたい」と駅員に申し出れば、十中八九、何がしかの使用済み証明のスタンプを押してくれるので手元に残すことはできる。しかし、文字と数字だらけの味気のない新幹線の切符や地下鉄の切符を残そうという気にはならない。


tickets

写真の切符はどちらもだいたい名刺サイズである。左の切符はローマのフィウミチーノ空港からテルミニ駅間のもの。券面には「出発:ローマテルミニ、到着:フィウミチーノ空港」と記載されているが、空港から駅への移動に使った。“VICE VERSA”、ラテン語で「逆も真なり」と書いてある。つまり、切符は一種類のみで、空港駅⇒鉄道駅、鉄道駅⇒空港駅のどちらにも使える。フィウミチーノ空港というのは通称で、正式名はレオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港。だから、券面にはレオナルドの肖像が印刷されている。一工夫されたデザインである。

ある日、ミラノから鉄道でイタリア国境に近いスイスの街ルガーノへ日帰りで旅した。ルガーノには湖や四囲の景色を見晴らせる標高933メートルのモンテ・ブレという山がある。ルガーノ湖畔からバスでケーブルカー乗り場へ。山に向かう出発駅は無人。切符も売っていないので無賃乗車する。ほどなく乗り換え駅に到着。そこで写真右の切符を購入した。十数分後ケーブルカーは展望台駅に到着。高山植物の間を歩き、風景を堪能する。ビールとソーセージのランチで腹ごしらえ。実によく覚えている。カラーを使ったこの切符を見るたびにその日のことがよみがえる。

乗り物の切符が記念に残り、その一枚が写真アルバム以上に回想を促してくれる。とてもいいことではないか。事務的な顔をした券面ならこうはいかない。海外からの観光客も増えてきた現状がある。観光都市宣言をするなら、都市のイメージと連動した切符に意匠を凝らしてみればどうか。そして、持ち帰ってもらうのである。タクシーにも応用できるだろう。手元に残したくなるような乗車証明カードを降車時に手渡されて悪い気がするはずもない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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