うなずきマンの話

 「とにかく彼は首をヨコに振らず、タテに振る。つまり、いつもうなずくのだよ」

 「それは聞き上手の人の特徴だね」

 「ところが、聞いているかどうかはわからない。『聞かない上手』かもしれない。見ざると言わざるとをセットにした聞かざるみたいな……」

■ 「見もしない、言いもしない、聞きもしない?」

 「見る・言う・聞くが3点セットだから、見ない・言わない・聞かないも3点セット」

■ 「聞き上手ではなく、うなずき上手というわけか……」

■ 「うなずくからと言って、イエスとは限らないんだな。英語に“Yes-disagreement”という表現がある。異存はあるけれど、口先ではイエスと言っておくこと。まあ、ある種のうなずく振りだね」

 「振りができるのはなかなかの業師わざしだな」

 「ある意味でしたたかだね。人の話を聞かずにうなずくなんてかなり大胆さ。ぼくにはそんなマネはできない」

 「うなずく振りをしながら、何も言わないわけ?」

■ 「ぼくが『あのね』と話しかけた瞬間、首がちぎれるほどうなずき始める。ずっと黙っているわけではなく、時々合いの手を入れるんだ」

 「どんな合いの手?」

■ 「『うんうん、そうそう』が多い。とどめは『はいはい』。はいじゃなくて、はいはい。はいを重ねるから化けの皮が剥がれる。そこまで面倒くさいこと言わなくてもわかってますよ、という意味だからね」

 「ホンネは他人と交わりたくないのだけれど、処世術的にはやむをえない。その種の人たちならではの知恵だな。実際、使ってみると便利だもの」

 「おいおい」

変わらない方法

ある種の確固たる考えがあって、意識的に今の自分を変えないということがある。この話はそうではない。本当は自ら変わりたいと熱望している。にもかかわらず、変わることができない。つまり、「変えない方法」ではなく、「変わらない方法」の話である。

ある対象との関係において、変わりたいのだが変われないのなら、いっそのこと対象のほうを変えてしまえばいい。それで関係はいくらか変容する。関係が変わることによって自分が変わったような気にはなれる。たとえば、読み応えのある本を読みやすい本に変えれば、変われたと錯覚できる。言うまでもないが、自分は変わっていない。


人は環境に適応して生きていく。環境と適応を天秤にかければ、環境よりも適応のほうが重要なのは言うまでもない。生まれ育つ環境が人に与える影響は大きいとよく言われるが、環境を選べる条件に恵まれているからにほかならない。もし選べないのなら――そしてその環境以外に選択肢がないのなら――適応するしかないではないか。

環境適応には負の側面がある。現在に適応しようしているうちに、観念構造そのものから自発性(もしくは創発性)が失われてしまうという点である。たとえば、自力で考えたり工夫したりする前に、即効的に役立つ情報に飛びつく習性が身につきかねない。ハウツー本などがその最たるものだ。一度ハウツー本に染まってしまうと、考える出番は少なくなる。読みやすい文章と内容は、やめられない止まらない。やがて役に立つかどうかわからない古典などに親しむ時間が惜しくなる。

これではダメだと反省しても、無意識のうちに何年も培われてきた観念構造が変わってくれない。意を決して新しい習慣を始めても、異国の旅に出ても、座禅を組んでも、ちょっとやそっとで変われない。観念構造をそのままにしているかぎり、身についた「変わらない方法」はびくともしないのである。

抜き書きの意味

こんな拙いブログでも、毎月のべ何十人もの人たちが文章や段落をコピーしてくれている。「してくれている」と書いたのはありがたいと思っているからだ。なぜコピーされているのがわかるのか? “Check Copy Contents”というプラグインを入れていて、誰かがコピーするたびにメールでコピーされた箇所を知らせてくれるのである。

著作権防衛のためのプラグインではない。ぼくが綴るテーマのどんなくだりに食いついてくれるのかを知りたいだけで、別に何かの役に立てようなどと思っていない。ちょっとした好奇心にすぎない。コピーされた文章がどこにペーストされたのかはわからない。追跡する気もまったくない。

活字になっている文章を数行あるいは全文コピーして、そっくりそのままOne NoteDropboxEvernoteなどのアプリに貼り付ければ便利に違いない。電子書籍は利用していないので詳しいことは知らないが、スクリーンショットはできてもコピペはできないと聞いた。コピペのできるブログを重宝する人がいても不思議ではない。


ぼくはアナログの抜き書き派であり、今も性懲りもなく紙の上にペンを走らせている。プロの読書家には「若い頃に何十冊ものノートに抜き書きしたが、所詮自己満足であった」とか「抜き書きなど何の役にも立たない」と言う人がいる。たしかに、書き写す労力と見返りは比例しない。読みっ放しにしておくのと抜き書きするのとを比較したら、記憶という点で前者が劣っているとは言い切れないのだ。

しかし、もし書いたものを後日何度か読み返すのであれば、本を読んだ時点で気づかなかったことに気づける可能性はある。抜き書きした時から数年の歳月が過ぎていれば、少しは理解力や思考力もましにはなっているだろう。幸いにして、自分で書いた文章であれ、本の抜き書きであれ、読み返す習慣が身に付いている。うろ覚えの記憶がよみがえり明快になることもある。今日はヴィーコの『学問の方法』の抜き書きに何度目かの刺激を受けた。

「才能は言語によって形成されるのであって、言語が才能によって形成されるわけではない」

自分で書く駄文も抜き書きもすべてノートに一元化する。仕事、考えること、語ること、本の一節、日々の衣食住の生活での発見など何でも書く。人生という見えづらい座標には、ハレもケも主観も客観も分け隔てなく、またカテゴリーをまたいで経験が統合されているはずなのに、めったに実感はできない。しかし、ノートという小道具なら、人生経験の出張所として手触りを与えてくれるのである。

アンチテーゼとテコ

ある方法が行き詰まり立ち行かぬ事態になったとする。その方法に替えて別の案を示す。現在の方法をテーゼと呼び代案をアンチテーゼと呼ぶ。アンチテーゼは行き詰まりを解決するかもしれないし、不発に終わるかもしれない。

一般的に言うと、アンチテーゼは現在に対する「ノー」である。アンチテーゼが歴史の重要な局面で進化の原動力になってきたのは明らかだ。もっとも進化ばかりが重要なわけではないから、テーゼを守り抜いて成果を出し続けてきた歴史もある。テーゼあってのアンチテーゼであり、アンチテーゼがあるからこそテーゼの価値も認識される。

アンチテーゼには自己陶酔の危険が宿るので、要注意である。たとえば、ある意見への反論がさしたる哲学や信念がなくてもできてしまう。威張れるほどの論拠がないのにノーと言えるし、力関係次第でテーゼがそれでへこたれることもある。しかし、これで勝利したと錯覚して自惚れてはいけない。アンチテーゼにはテーゼに拮抗しうる強い動機がいる。テーゼを動かすだけの哲学や信念という〈テコ〉を持ち合わせていなければ、アンチテーゼを唱えてはいけないのである。


弁証法では、まずテーゼがあり、それにアンチテーゼが対抗し、次にジンテーゼが生まれることになっている。新たなジンテーゼはその時点でテーゼとなり、別のアンチテーゼによって価値を問われる。現実社会では、テーゼとアンチテーゼはいつも攻守交替するものだ。

アンチテーゼがテーゼに対する代案と考えるだけでは窮屈であり、いずれ対立構造を生む。もっと軽やかであっていいとぼくは思う。代案でなければならないと肩肘張らずに、ささやかな助言を呈するだけでもいいのだ。

もちろん、助言が反論だと受け止められるのは常。そのことを了解した上で、しつこくお節介する。アンチテーゼにはお節介の要素が大いにある。お節介は気遣いにほかならない。放置できないと思うからこそのお節介なのだ。テーゼを動かすだけの強いテコに自信があっても、いきなりテコを使わないのがマナーである。

本を読まないという方法

思考の振幅をもう一回りも二回りも広げたい、現状を乗り越えて新たな創意工夫と改革に考える力を生かしたい……この願いに理不尽はない。問題は、それをどう成し遂げるかだ。

考え方が変わった、考えが深まったなど実感はできるだろうが、何が作用したのかを突き止めるのは容易ではない。たとえば、昨日の考えが今日少し深まった、あるいは次の段階に上がったと感じるとする。ぼくの場合、昨日やらなくて今日やってみたことは何かと思い起こす。たとえば、昨日は紙に書かなかったが、今日は書いた……そうそう、自問自答もいくつか試みたなどとビフォー・アフター分析をする。

自問自答を紙に書く行為は思考力強化に即効性を発揮する。とりとめのない思いや考えに「問う」という刺激を与えれば、条件反射的に「答え」を編み出そうとするからだ。腕を組んでぼんやりと思い巡らすよりはよほど脳の働きを後押ししてくれる。行き詰まったら、問うのである。問わずに答えだけが勝手に出てくることはない。

「答えと問いは一体で、答えは問うところにある」(禅語録)、また、「およそ問いが立てられるのであれば、この問いには答えることができる」(ヴィトゲンシュタイン)。禅僧や哲学者でないのなら、しっかりと明文化しておくことだ。


ぼくたちがもっとも依存するのは経験的思考である。言語を通さずに、身体と精神でからめとる固有の経験が考えるベースになる。しかし、経験は偏る。また、何でも経験できるわけではない。だから、不足を他人に依存して補う。対話的思考や交流的思考である。他人とのやりとりや関係によって、思考の受容器は大きくなる。自分にない思考パターンを吸収することができる。

一人の人間の経験などたかが知れている。他人との対話や交流にしても、何百人、何千人を相手にできることはめったにない。経験にも人脈にも限度があるのだ。ここに読書的思考の出番がある。本を読めば、経験外の知識や発想、人脈外の頭脳の力を借りることができる。

本を読むのは荷が重いという人がいる。よく考えてみればいい。どこかに出掛けて何かを経験したり、直接他人と会って意見を交わす面倒に比べれば、実に安上がりで手っ取り早い方法ではないか。本を開いて少々辛抱しながら読み進めれば、望外の知やひらめきに出合う。それは実際の経験以上に価値ある疑似体験になることさえある。

気に入らなければ読み始めた本を途中で閉じるという方法も読書体験の内にある。本を開くのだから閉じることもできる。本には読むと読まないという両方の方法がある。読書でなければ得られない経験があると同時に、惰性でも読めてしまうのが本というもの。読書的思考が功を奏さないこともよくある。そんな時、一ヵ月ほど読書をシャットアウトしてみるのだ。本を読まない日々が続くと、経験と他人だけでは思考の振幅が狭まることがわかってくる。読書断食である。これが読書の方法を整え、それまでとは違う世界に目覚めさせてくれる。

エコとエゴ

環境保護という四字熟語に絶対的信頼を置かないほうがいい。エコ、エコ、エコと繰り返される日々だが、エコがこだましてエコー状態だ。エコを叫ばなくてはならないのは、エコが「使い捨て文化」とセットだからである。

なぜ使い捨て文化になるかと言えば、買い過ぎるからであり、安直なものを買って壊れるからであり、飽きるからであり、モノの価値が執着するに値しなく思えるからであり、修理するよりも買い替えるほうが安くつくからだ。まず、エゴという名の、この悪しき文化的習慣を見直さねばならない。

欲しいわけでもないものを安いという理由で買う。気にも留めていなかったものを広告にそそのかされて衝動的に買う。いつ頃からこうなったのかという社会文化的分析をするまでもなく、個人的な経験を手繰って祖父母の時代とぼくらが生きている現在を単純比較してみれば、おおよその見当はつく。


使い捨て文化を改めるには、保有しているものを長く使う意識を根付かせるしかない。モノというのは捨てるものではなく、上手に長く使い、壊れたら直すという、かつての本能を思い出す。すると、財布のひもが堅くなるから、作り手も売り手も品揃えや安物を控え、たまにしか買ってもらえないが、長持ちする高価な商品に注力する。すると、モノが今のようには売れなくなり経済は縮小する。

いかにも、大経済から小経済、大商圏から小商圏、まるで町内でモノの売り買いをするような経済になり、シナリオ上は待望のエコ社会が実現するのである。必要以上に欲しがらず、したがって、売り手も濡れ手に粟を夢見ることはなくなる……。しかし、これを望んでいないのは、実は買い手であり使い手のほうなのではないか。

捨てないためには、捨てるものがないようにすればいい。つまり、次から次へと買わず、いったん買えば長く使うという習慣を身に付けるしかない。とは言え、すでに持ってしまったのである。持ってしまったものを捨てないからと言って、新たに買わないとはかぎらない。エコの精神はエゴの欲望の壁になかなか打ち克てない。

ルネサンスの知

ルネサンスの草分けとなったイタリアではルネサンスと言わない。「リナシメント(Rinascimento)」と呼ぶ。ルネサンスという響きに慣れ親しむと、リナシメントには違和感を覚える。諸説あるが、イタリア・ルネサンスが栄えたのは15世紀初頭から16世紀半ばである。

過去に類を見ない知が炸裂した時代だが、ルネサンス期の人々は歴史に詳しかったわけではない。たとえばポンペイがヴェスヴィオ火山の大噴火によって滅んだのは紀元79年だが、ルネサンス人はこのことを知らなかった。

ポンペイに遺跡らしいものがあるとわかったのは16世紀の終わり、発掘が始まって遺跡の全貌がおおよそ明らかになったのがようやく18世紀半ば。レオナルド・ダ・ヴィンチが活躍した1500年前後から250年も後のことである。


無知だったのはポンペイの遺跡だけではない。ルネサンスに先立つ中世のイタリア人は、祖先が築いたローマ文明についてもさほど知らなかった。古色蒼然とした遺跡を日々あちこちに見ながらも、彼らの知識は現在のぼくたちの足元にも及ばなかった。

ところで、古代ローマはギリシア文明の影響を大きく受けている。ざくっと言うと、紀元前にはイタリアはギリシアの植民地のような存在だったのだ。

実は、ギリシア文明らしきものが存在したとわかったのは、1096年から200年間続いた十字軍の聖地エルサレムの奪還戦争中だ。ギリシアの英知はまずアラビア人に伝えられた。イタリアでギリシア文明が知られたのはアラビア語文献を通じてなのである。

ギリシアのヒューマニズムに触れたのがルネサンスのきっかけになった。決して古代ローマの知と直結していたわけではない。当時の神を絶対信仰するという軸が、ルネサンスという人間復興の軸に置き換わった。ルネサンスにはギリシアから受けたインスピレーションが基底にあり、それが人間と芸術の復興劇をもたらしたのである。

固有名詞のリアリティ

イヴ・モンタンが歌ったおなじみの『枯葉』。あの歌のフランス語の原題は“Les Feuilles Mortes”だ。枯れるなどと表現していない。枯れるどころか、すでに生命を失った「死に葉」である。死んだ葉の上を歩くよりは落葉を踏み歩くほうがよほどいい。

パリのあの日から7年が過ぎた。夕闇迫る頃、エッフェル塔を見上げながら、枯葉絨毯の上を歩いていた。歌は口ずさんでいなかった。季節は11月、気温が一気に下がるあちらは秋が早い。シャン・ド・マルス公園の秋も色づいてほどよく深まっていた。

枯れた落葉なのに、過ぎたあの日の思い出は今も色褪せない。イヴ・モンタン、エッフェル、パリ、シャン・ド・マルス……その他もろもろの固有名詞が記憶にリアリティを与えてくれる。

「照明が灯った直後の塔を見上げながら公園の枯葉絨毯の上を歩いたある日……」と書いてしまうと、フィクションのように思えてくる。それはそれで何の問題もないが、ぼくなどは固有名詞という道標を頼りにしなければ、過去という体験地図上を歩けない。匿名ばかりでは方向音痴に陥ってしまう。

ところで、英語ではあの歌を“Autumn Leaves”、つまり「秋葉」と言い換えた。こう呼んでおけば、死のイメージは払拭できる。仕事の帰り道の熊野街道が秋葉で埋め尽くされるのはもうまもなくである。

視覚的な一日

予報によれば平年に比べて気温は高いらしいが、昨年も一昨年も10月初旬はこんなものではなかったか。9月にいったん涼しさを経験すれば、気温が20℃後半に上がると暑さのぶり返し感が強いのは当たり前。先月夏の終わりを感じ名残りを惜しんだが、ちょっと損をした気分である。

昨日、1月以来の京都に出掛けた。美術館を出たのが午前11時。まさに残暑の昼前だった。かなり喉が渇き、すでにペットボトルを1本飲み干していた。おまけに、ランチに入った洋食屋で冷水2杯、帰りがけに寄った喫茶店でも冷水3杯という具合。

暑さを凌ごうと、視覚的に涼感を誘う風情を探す。雲が多めの空の青も少し暑さを緩和してくれた。白川の岸に建つ町家の情趣は秋を思わせ、透き通ったせせらぎは5℃ほど暑さをやわらげてくれた気がする。


歩を進めていくと、朽ちた塀を剥き出しにした一角に出くわした。あばら家だと推理するのは身勝手ではないだろう。塀というものが他人様に見られるものであってみれば、もしその家で住人が生活しているなら朽ちたまま放置はしない。ふつうはそうである。

しかし、人の感覚はそれぞれで、しかも、この時代、これが何らかの美的意匠である可能性も否定できない。しばし凝視しているうちに、住人の意図が作意に転じ、その作意を読み解きたくなる衝動に駆られた。

これはきっと何かある……そう思い始めたら、朽ちた塀のあばら家を好意的に汲んでみようと心が動いた。ほどよい青と白の空のせいもあってか、こんな殺風景な光景の前に佇んで不覚にも視覚的に涼しさを感じてしまったのである。

音の不思議

雨脚の強い朝とは打って変わって日が照り始めた昼過ぎ。湿度が上がり気温も高く、室温24℃設定でエアコンをつけて本を開く。

「あまおと(雨音)」という音は響きがいい。雨の日に詩を書いたら、一節に入れておきたくなる一語である。あまおとにはどんなメロディを合わせればいいだろうか。

「うちゅうにでかけてながめるこうけいはぼくをたかぶらせる」。

誰かがこう言えば、十中八九、うちゅうを宇宙と聞いてしまう。宇宙に出掛けて眺める光景はぼくを昂ぶらせる? まさかきみが宇宙に出掛けるはずはない。なのに、うちゅうという音はまず宇宙を想像させる。

うちゅうという音の響きは文脈の外に出て、非現実的な意味になる。きみが宇宙飛行士であるはずは絶対にない。現実世界の経験からすれば、うちゅうは「雨中」に決まっているのに……。

年に百日以上も体験する雨中の外出。雨中に出掛けて眺める光景はぼくを昂ぶらせる。見慣れた街の光景が一変するわけでもないのに、雨音はいつものあの角を曲がると別の光景を予感させる。あまおとという語感とともに。