問いの意味と意図

先週の書評会では『足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想』という本を取り上げた。その中に『「問い」と「なぞなぞ」』という随想があり、次のようなくだりが興味を惹いた。

「問い」の意味は分かっていて、その「答え」を求めるというのが、普通の「問い」の場面である。しかし、なぞなぞの方は、まず「問い」が何を聞こうとしているのかが、よく分からない。いや正確に言うと、「問い」の表面的な意味(字義通りの意味)は分かるのだが、それがさらに何を意味しているのかが、よく分からない。意味の意味が不明なのである。なぞなぞでは、「答え」を探す前に、まず「問い」の意味を考えてみる必要がある。

発した問い自体がよくわからないというのは、なぞなぞにかぎった話ではない。問うている本人自身が何を聞いているのかをよくわかっていない――そんなことはよくある。なぞなぞでは答える側が問いの意味を出題者に聞くことはめったにないだろうが、ふだんの生活や仕事では「意味不明な問い」に義務的に答える必要はなく、意味がわかるまで聞き返すなどして確認すればいい。

意味と同等に大事なのは、問いの意図だろうと考える。問いの意味はわかる。しかし、意表を衝かれてうろたえたり、瞬時に動機がわかりかねる。そんなとき「この人、なぜこのことを問うているのだろうか?」と一考してみるべきだと思う。ついつい反射的に答えを出そうとしてしまうのは、問われたら答えるという幼児期からの学習癖のせいか、あるいは即答によって賢さと成熟を誇示しようとするせいか。問いの意味と意図の両方がわかるまで、問いへの答えを安受けしてはいけない。


ギリシア神話に出てくる巨躯のアトラス。両腕と頭で天空を支える図を見たことがあるかもしれない。戦いに敗れたアトラスがゼウスによって苦痛に満ちた罰を与えられる。世界の西の果てで蒼穹そうきゅうを支え続けなければならないのである。経緯はともかく、アトラスがそういう状況にあることを想像していただこう。そこで、次なる、別の本からの引用。

「アトラスが世界を支えているのなら、何がアトラスを支えているの?」
「アトラスは亀の背中の上に立っているのさ」
「でも、その亀は何の上に立っているの?」
「別の亀だよ」
「それじゃ、その別の亀は何の上にいるの?」
「あのね、どこまでもずっと亀がいるんだよ!

この話はぼくがアメリカで買ってきた本の冒頭に出てくる。「アキレスと亀」は有名な話だが、これは「アトラスと亀」なのでお間違いなく。ギリシア神話ゆかりのアトラスを引っ張り出して、ここに世界を支える亀を登場させると、なんだかインドの宇宙観に近いものを感じてしまう。

それはさておき、問いには答えられないものや上記の例のようにキリのないものもある。「何が支えているか?」「何の上に立っているか?」などは意味がとてもわかりやすい質問だ。だからと言って、真摯に必死で答えていくと、このやりとりは応答側に天空の重さの負荷をかけてしまうことになる。けれども、問いの意図を推し量れば、若干の好奇心に動かされた程度のものか、または、無理を承知のお茶目な悪戯心のいずれかだと値踏みできる。意図を見極めておきさえすれば、やがて答えの風呂敷を畳める。上記の例に一応の終止符を打つには、「亀がずっと続く」とするしかなかったに違いない。

問答が延々と続く「無限回帰」とも呼べる作業を、哲学の世界では古来からおこなってきたし、現在に生きるぼくたちもそんな状況に陥ることがよくある。だが、趣味ならばともかく、仕事にあってはいつまでも問いと答えを続けるわけにはいかない。どこかで問いを打ち切らねばならないのだ。この打ち切りを別名「潔さ」とか「粋」と呼ぶ。「どこまでもずっと亀がいるんだよ!」と答えるのもいいが、「アトラスの下に亀がいて、その下にも亀がいると答えた。もうそれで十分ではないか。それ以上問うのは野暮というもんだ」と答えてもいいのである。    

数字がかもし出す奇異

「イタリアからアメリカへ行って、もうイタリアには戻らないのですか?」

ふつうのことばだが、よく練られた文章である。これは、おおむね日曜日に更新してきた『週刊イタリア紀行』がNo.43のローマ(1)を最後に途絶えていることへの問い合わせである。もちろんローマには戻る。まだまだ素材もある。ただ残念なことに、13ヵ月前の写真をセレクションする時間が少し足りない。ただ、それだけ。


今日午後1時から京都で私塾。そのパワーポイント資料の最終編集がさっきやっと終わったばかり。あまり仕事上で追い込まれることはないのだが、久々に期限間際の集中と緊張を味わった。期限に追われている人たちは毎度こんな調子なのか。それはそれで、一撃の鞭の効果もあるに違いない。


閑話休題――

今日の講座には、悪しき文化と良き文化の話が入っている。連想するのは、〈グレシャムの法則〉だ。「悪貨は良貨を駆逐する」というのがそれ。単純に悪貨が良貨より強いという意味ではない。人は良貨を貯めこもうとする。また、(たとえば銀貨を)溶かして物に流用する。あるいは、そっくりそのままどこかの外国に転売する。そのため良貨が金融市場から消えて、悪貨ばかりが流通する。こういう話である。良き文化の香りを少しでも失うと、企業は金儲け主義という悪しき文化へと向かう。良き文化は自己抑制として機能する。

先週だったろうか、テレビでバーゲンだかアウトレットだかの特集をしていた。つい昨日まで定価5万円だったバッグが、今日から「な、な、なんと70%オフ!!」と叫んでいた。そう、一晩明けて5万円から15千円に。店側はこれを「お買い得」とアピールする。すなわち昨日買った客にとっては「お買い損」。

これは「昨日まで70%上乗せしていた」と考えるものだろう。「本来なら」「元々は」「実際には」などで表現される価値とは何ぞや? 価値について人間はよくわからないから、尺度の一つである価格で判断する。「用の不用、不用の用」をしっかり考えよう。

「経営者なら数字に強くなれ」というのもあるが、かなり怪しい教えだ。これは「商品の値段に強くなれ」と教えているのに近い。重要なのは、「経営に強くなれ、商品に強くなれ」である。だが、いずれも「見にくい」から、「よく見える数字」に視点をすりかえる。力のある人はのべつまくなしに「数値目標」とか「数字で証明」などと言わないものである。

続・「カンタンな仕事」はタブー

次のようなスパムメールがぼくのところに来たが、他の人たちのアドレスにも届いているのだろうか。

「ほぼサルでもできる軽作業で副収入が月10万円~」

ここまでしかわからない。件名だけは見えるが、本文を開いていない。また、読む気もない。だから、その「ほぼサルでもできる軽作業」がいったい何なのかがわからない。しかし、この件名のコピーに関して言えることがある。すなわち、この件名コピーは挑発的でありながらも、一部の受信者たちに「いったいどんな軽作業なのか?」と思わせる訴求力を持っているのだ。それでも、ぼくは読まない。その代わり、このスパムでちょっと遊んでみることにした。

「ほぼサルでもできる」のなら、わざわざ人間のところに迷惑メールを送りつけることもないだろう。サルにお願いすればいい。そうすれば月に10万円の報酬を払わなくても、3万円くらいの餌代で済むではないか。だが、こんな難癖をつけようものなら、メールの送り主はニタリと笑ってこう続けるはずだ。「ちょっと待ってくださいよ。わたし、サルなんて断言していません。『ほぼサル』でして、『サル』ではないんです。」 

さらに耳を傾けるととんでもないことになる。「サルでも78割はできるんです。でもね、あとの23割はどんなに訓練してもダメ。だから『ほぼサルでもできる軽作業』なんですな。つまり、23割は人間の力が必要。ほんとうにカンタンな軽作業なんだけど、サルではやっぱりできないんですよ。だから、サルではないあなたの力が必要なんです。」


話は変わるが、「猫の手も借りたい」と言う。多忙な仕事があるのだが、人手が足りない。だから、猫の手でもいいからレンタルしたいということだろう。もちろん手だけをレンタルするという都合のいい話はないから、生きた猫をレンタルすることになる。「生き物にレンタルとは何たることだ」と叱られそうなので、「猫を雇う」と訂正しておこう。

「猫の手も借りたい」と嘆いている人にも「ほぼサル」メールが届いているかもしれない。大いにありうることだ。「ほぼサル」に失敬な! と怒りながら、一方でご自身は人間の仕事を猫の手で何とかしようと考えている。「猫の手も借りたい」というのも、ある意味で人間に失礼な話ではある。一般的にサルのほうが猫よりもIQが高いらしいので、猫の手を借りたい職場の仕事は、「ほぼサルの軽作業」よりもカンタンな超軽作業なのに違いない。

そこで妙案がある。軽作業であれ超軽作業であれ、いっそのこと思い切って人間をリストラしてみてはどうか。そして、猫とサルによる作業コラボレーションを実験してみるのである(「犬猿の仲」ではないから大丈夫だろう)。猫の手はだいぶ昔からニーズがあるようだから、あとは「ほぼサル軽作業」をサルができさえすれば、コラボは成功する。そうすると人件費はまったくいらなくなる。やがて世の中は、猫の手とサルだけでこなせるカンタンな仕事で溢れるようになる。

ちょっと待った! リストラには断固反対! こうおっしゃる方がいるかもしれない。それなら、さらなる妙案がある。人間と猫、人間とサルのワークシェアリングをすればいいのだ。この制度を採用すれば、バカにされそうな「カンタンな仕事」を「ほぼカンタンな仕事」にグレードアップすることもできる。

受注するにせよ発注するにせよ、カンタンな仕事にはタブーがつきまとう。

「カンタンな仕事」はタブー

会社を創業したのは198712月。オフィス探しと同時に、定款や登記の準備に追われたのが前月。すでに起業していた大学の後輩に税理士さんを紹介してもらった。さらに、その税理士さんが司法書士さんを紹介してくれた。 

何の書類か忘れたが、手書きの原稿か何かをその司法書士に渡して仕事を依頼した。「ちょっと急ぎなんで。すみません」と言うと、「いえいえ、ワープロに書式が入ってますから、事務所に帰ってパパッとすれば簡単です」と対応された。これには驚いた。これではまるで「はごろもフーズのパパッとライスこしひかり」と同じではないか!? いや、それよりも簡単な作業に聞こえた。そのときの「簡単」は、カタカナの「カンタン」と表記されるべき響きであった。

ぼくもその一人だが、弁舌や文章を生業とする人はこれを教訓にしなければならない。具体的なアドバイスを3箇条にまとめてみる。

1.めったなことで「カンタンです」と口に出してはいけない。たとえ依頼されたその仕事がカンタンであっても、一度は苦渋の表情を浮かべて見せるように。

2.要する時間を一日、いや数時間くらいかなと見積もっても、遠慮がちに「あの~、数日ほどいただいても大丈夫でしょうか?」と小声で尋ねること。つまり、相手に骨のある課題であるように感じてもらう。

3.オーケーが出て納期が決まったら、表情を笑みに変えて「満足していただけるよう頑張ってみます」と答える。

具体的なモノを扱わず、ノウハウと知識という、他者からは見えない資源を使い、これまたすぐに消えてしまう音声と、吹けば飛ぶよなペーパーを納品形態とする職業人が「カンタンな仕事です」と告白するのは自害にも等しいことを忘れてはいけない。

(続く)

「なぜおまえはこんなに苦心するのか」

表題は手記に書かれたレオナルド・ダ・ヴィンチのことばである。正確に記すと、「可哀想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」だ。前後の文脈からは意図がよくつかめない。ここから先はぼくの類推である。

ダ・ヴィンチが生を受け天才ぶりをいかんなく発揮したのは15世紀半ばから終わりにかけての時代。コロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)は、13世紀から続いてきた東方レヴァント貿易の集大成であった。ダ・ヴィンチが一世を風靡した時代、画家や彫刻家のほとんどは十代の頃に工房に属していた。親方の指導のもと教会や有力パトロン(たとえばメディチ家やスフォルツァ家)からの依頼に応じて作品を制作していた。

当時はみんな職人で、まだアーティストという概念などなかった。ダ・ヴィンチは生涯十数作の絵画しか残していない。この数字は、天才にしては寡作と言わざるをえない。ボッティチェリ(7歳年長)やミケランジェロ(23歳年下)は仕事が早かったらしいが、ダ・ヴィンチは絵画以外のマルチタレントのせいか、あるいは生来の凝り性のせいか、筆が遅かった。筆が遅いため納期を守れなくなる。実際、納期をめぐって訴訟も起こされた記録が残っている。世界一の名画『モナ・リザ』も、元を辿れば納品されずに手元に残ってフランスに携えていった作品だ。だから、経緯はいろいろあるが、パリのルーヴル博物館が所蔵しているのである。


手記の冒頭をぼくなりに要約してみる。

私より先に生まれた人たちは、有益で重要な主題を占有してしまった。私に残された題材は限られている。市場に着いたのが遅かったため、値打ちのない残り物を買い取るしかない。まるで貧乏くじを引いた客みたいだ。だが、私は敢えてそうした品々を引き取ることにする。その品々(テーマ)を大都会ではなく、貧しい村々に持って行って相応の報酬をもらって生活するとしよう。

天才はルネサンスの時代に遅くやってきた自分を嘆いているようだ。明らかにねている。しかし、これでくすぶったのではなく、前人未到の「ニッチのテーマ」――解剖学、絵画技法、機械設計、軍事や建築技術など――を切り開いていく。天才をもってしても「苦心」の連続だったに違いない。それにしても、自身の苦心を可哀想にと嘆くのはどうしてなのか。おそらくこれはダ・ヴィンチの生活者としての、報われない悶々たる感情であり、同時に「まともに苦心すらしない愚劣な人たち」への皮肉を込めたものなのだろう。

孤独な姿が浮かんでくる。だが、他方、ダ・ヴィンチは「孤独であることは救われることである」とも語る。ひねくれて吐露したように響く「なぜこんなに苦心するのか」ということばも、「執拗な努力よ。宿命の努力よ」という手記の別の箇所を見ると、多分に肯定的な思いのようにも受け取れる。


ダ・ヴィンチほどの天才ですら、好き勝手に絵を描いたのではなかった。注文を受けて困難な条件をクリアせねばならなかったのである。

誰からも指示されずに、自由に好きなことをしたいというのは自己実現の頂点欲求だろう。しかし、もしかすると、こんな考え方は甘いのではないか。いくつもの条件が付いた高度な課題を突きつけられ、何かにつけてクレームをつけられたり値切られたり……案外、そんな仕事だからこそ工夫をするようになり技術も磨かれるのではないか。どことなく、フィレンツェの工房がハイテクに強い下町中小企業とダブって見えてきた。近世以降、画家たちのステータスが職人から芸術家へと進化したのは、間違いなくダ・ヴィンチの功績である。最大の賛辞を送ろう。但し、天才の納期遅延癖を見習ってはいけない。現代ビジネスでは命取りになる。

来週の月曜日、京都の私塾で以上のような話を切り口に、今という時代のビジネスとアートの価値統合のあり方を語る。塾生がどう反応しどんなインスピレーションを得てくれるのか。ダ・ヴィンチ魂を伝道するぼくの力量が問われる。

熟年の敵は億劫にあり

面倒臭いに邪魔臭い。仕事が煩雑になればなるほど、あるいは自宅の整頓が乱れるほど、立ち向かおうとする動きが鈍る。億劫。もともと「長時間かかるためすぐにできないこと」を意味する。ご存知の通り、手足を動かすことや頭を働かせることが面倒になり、何もできない、何もしたくないという気分のことだ。

中年や熟年の定義はさておき、50――場合によっては40――を前にして体調異変に陥っている人が最近やたらに目立つ。あまり養生していないからと言えばそれまで。それを差し引いても、ちょっとしたことで風邪を引いたり腰を痛めたりしているのだ。そこまでの体調不良ではないが、ぼくもしっくりいかないことがよくある。だが、そこはまあ、ぼくの場合はあと2年で還暦ということを考えれば、まずまず健康なほうだと思う。

老成した人物の目線のようになるのを恐れずに言えば、億劫にならないことが仕事と生活の要諦をとらえていると思う。年齢相応に仕事や生活を変えるのを厭ってはいけないのだ。たとえば、これまでの食習慣を変えてみる、とりわけ午後8時以降の食事を避ける。やむなくそうするときは腹八分目にする。あるいは若い頃と違う酒の飲み方にシフトする。そのためには人付き合いのパターンも変えねばならない。億劫がらずに、とにかく変化する。


熟年になったからこそ、仕事を迅速にこなす。うだうだくどくど御託を並べずにさっさと何事かに着手する。決して慎重さを優先させてはいけない。慎重さが極まると面倒臭くなるものだ。スーツや靴の買物に迷っているうちに、「今日のところは、やめておくか」となることがよくあるはず。ぼくの場合、講演レジュメや研修テキストを書く機会が多いが、下手な考えに没頭するよりもとりあえず一語でも一行でも書き始めるようにしている。タイミングを逸すると億劫虫が這い始めるからだ。

億劫になってスロースタートを切ると時間が切迫してきて、マメさが消えてくる。きめ細やかどころではなくなってくる。もちろん、あと一つ凝ってみようという気も失せる。こうなると、ミスは増えるわ疲れは溜まるわ脳が働かないわと、すべて情けない連鎖を誘発する。

熟年を生物的年齢で示すことなどできない。熟年を表す単位は「億劫度」なのである。「面倒臭い、邪魔臭い」と一日に何回つぶやき、何回そう感じるかが億劫度であり、億劫度が大きいほど加齢が進んでいると考えてよい。「細かいことはどうでもいい」と言い出したら要注意の兆候。そんな連中は20代、30代にして熟年ゾーンに足を踏み入れている。

今日の午後6時、隔月開催ペースの書評会がある。これぞという本を読んでレジュメを作って一人ずつ書評する。根気もいるし神経も使う「面倒臭い勉強会」だ。しかし、メンバーは大いに楽しんでいる。ぼくも含めて生物的熟年世代が何人かいるが、億劫虫という敵の封じ込めに成功しているようである。

過去は現在に選ばれる

塾生のT氏が、「過去と未来」についてブログに書いていた。この主張に同感したり異論を唱えたりする前に、まったく偶然なのだが、このテーマについてアメリカにいた先週と先々週、実はずっと考え続けていたのである。明日の夕刻の書評会で「哲学随想」の本を取り上げるのだが、これまた偶然なことに、その本にも「過去と未来、そして現実と仮想」というエッセイが収められている(この本は帰国途上の機中で読んだ)。

未来とは何かを考え始めるとアタマがすぐに降参してしまう。T氏のブログでは「未来は今の延長線上」になっているが、仮にそうだとしても、その延長線は一本とはかぎらない。未来は確定していないのだから(少なくともぼくはそういう考え方をする)、現在における選択によって決まってくるだろう。その選択のしかたというのは、それまでの生き方と異なる強引なものかもしれないし、過去から親しんできた、無難で「道なり的な」方法かもしれない。未来はよくわからない。だからこそ、人は今を生きていけるとも言える。

では、過去はどうだろうか。カリフォルニア滞在中に学生時代に打ち込んだ英語の独学の日々を再生していた。その思い出は、アメリカに関するおびただしい本やアメリカ人との会話を彷彿させた。もちろん何から何まで浮かんできたわけではない。過去として認識できる事柄はごくわずかな部分にすぎない。しかし、なぜあることに関しては過去の心象風景として思い浮かべ、それ以外のことを過去として扱わないのか。ぼくにとっての過去とは、実在した過去の総体なのではなく、現在のぼくが選んでいる部分的な過去なのである。


現在まで途切れずに継承してきた歴史や伝統が、過去に存在した歴史や伝統になっている。現在――その時々の時代――が選ばなかった歴史や伝統は、過去のリストから除外され知られざる存在になっている。別の例を見てみよう。自分の父母を十代前まで遡れば、2の十乗、すなわち1,024人の直系先祖が理論上存在したはずである。だが、ぼくたちは都合よく「一番出来のいい十代前の父や母」を祖先と見なす。ろくでなしがいたとしても、そっち方面の先祖は見て見ぬ振りしたり「いなかった」ことにする。自分を誰々の十代目だと身を明かす時、それは過去から千分の一を切り取ったものにすぎない。

過去の延長線上に現在があって、現在の延長線上に未来がある――たしかにそうなのだが、それはあくまでも時間概念上の解釈である。タイムマシンは無理かもしれないが、人は過去と現在と未来を同時に行き来して考えることはできる。生きてきた過去をすべて引きずって現在に至ったのかもしれないが、その現在から振り返るのは決してすべての過去ではない。現在が規定している「一部の過去」であり、場合によっては「都合のよい過去」かもしれない。

過去のうちのどの価値を認めて、今に取り込むか。どの過去を今の自分の拠り所にするのか――まさにこの選択こそが現在の生き方を反映するのに違いない。現在が過去を選ぶ。この考え方を敷衍していくと、未来が現在を選ぶとも言えるかもしれない。こんな明日にしたいと描くからこそ、今日の行動を選べているのではないか。いずれにしても、現在にあって選択の自由があることが幸せというものだろう。 

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス⑦ ロデオ・ドライブ

関西空港の検疫、入国、税関を通って2階から出て外気に触れた瞬間、ムッとした湿気と23℃の気温で汗ばみはじめた。この10日間、カリフォルニアも最高気温はたぶん同じくらいだったと思うが、湿度がまったく違う。サンフランシスコの朝夕は気温が下がり強い寒風も吹いていた。ロサンゼルス郊外のパロス・ヴェルデスと近くのビーチも底冷えに近い感じだった。ただ、体感温度というものは人それぞれなようで、半袖半パン姿もいれば冬装束もいたのがおもしろい。

長らく聴き話す英語から遠ざかっていたため子どもや訛りのある英語は少し聞きづらかったが、話すことに関してはほとんど苦労はなく快適だった。気候も食材もいいし、カリフォルニアワインは、日本で飲む以上に赤・白ともにおいしかった。カリフォルニア米もサシの入っていない重厚な牛肉も気に入った。けれども、自動車がないと身動きの取れない社会。ぼくにとってはサバイバルしにくい地域ではある。手軽に散策したり自在に街の路地を歩いたりできないのがやや辛かった。もちろん、それは風土の責任ではなく、ぼく自身の生活スタイルから派生する不便である。

若い頃から大勢のアメリカ人と公私ともに接してきた。そして、あらためて痛感し再認識したことがある。それは、日米最大の相違にして、わが国が未だ道険しい状況にある対話能力なのである。彼らはどんなに小さなコミュニケーションでも口先でお茶を濁さない。誰かと話をすることは、極端に言えば、真剣勝負なのである。外交辞令的に場をしのいでいる人間のメッキはすぐに剥がれてしまう。たとえば、二人が会話している時に勝手に割って入ってはいけないというマナー。逆に、二人で会話をしている時、一人がよそ見をしたり中断して他の誰かに話し掛けてはいけないというマナー。わが国では日々この二つのマナー違反に苛立つことが多い。会話の不用意な中断を自他ともに許してはいけないと思う。

さて、ハリウッドは車でざっと通るだけにして、滞在最後の午後の散策にはビバリーヒルズを選んだ。ロデオ・ドライブも歩いてみた。この種の観光スポットから受ける印象は、たいてい往来の人数によって決まる。人出に絶妙の匙加減が必要なのだ。どんな匙加減かと言うと、団体ツアーの観光客はやや少なめ、それより少し多めの個人観光客、そして同数の地元住民が散歩するという具合。これらがほどよい印象をもたらす。この日の正午前はちょうどそんな配分だった。

《ロサンゼルス完》

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ロデオ・ドライブの目抜き通り。
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ドライブとはdrivewayのことで、小さな道を意味する。
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知る人ぞ知るPRADAだから店名を掲げる必要がないのか。
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スーツケースは箱で作ったディスプレイ。
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ロデオ・ドライブの一角。小道の左右にカフェやジュエリーの店が並んでいる。
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世界の有名デザイナーのブランドが集まる一角のカフェ。
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ロデオ・ドライブのこの一帯が特に「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれるところ。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス⑥ ビバリーヒルズ

別に予定をびっしりと立てていたわけではない。しかし、限られた時間では何かを捨てなければならない。なにしろ車という「軸足」が人頼み。ダウンタウンの様子は車の中からシティウォッチングするにとどめた。車を止めて、ビバリーヒルズ方面を少々散策。豪邸区域、すなわち億万長者たちの住む市街だけに、住宅価値を減じるものはすべて排除されているように思える。美しい街並みを維持するために、住民と市当局による環境保全への取り組みと情熱は並大抵のものではなさそうだ。

警察署の前にシティホールがある。1932年に建設された8階立ての建物。庁内を見学させてもらうことにした。一階と二階は自由に移動でき、建設局の部屋にも入れる。相談光景の撮影は控えたが、市民相談の窓口付近には一切書類や書棚は見えない。一対一でじっくり座りながら話をしている。何だかコンサルティングオフィスのようだ。人口の数が違うとはいえ、日本の市役所の味気なさと雑然としたさまとは対照的である。

ぼくは車を所有しないので、都心のなるべく便利な住みかにこだわってきた。たとえば駅から徒歩数分以内とか。しかし、住居空間や住宅様式に関するその他のこだわりはまったくない。だから、机と本棚さえ置けるスペースがあれば小さなアパートの一室でも平気である。そんなぼくが、自分の生活様式とは無縁の超高級住宅街を車内からゆっくりと見て回る。

ビバリーヒルズの豪邸巡りをするとき、いったいどんな視点をもって観察し、どのような感想を漏らすべきだろうか。月並みかもしれないが、この種の邸宅は間違いなく己のために建てられ構えられたものではないと思う。人は自分のためだけにこれだけの広さの土地にこれだけの豪奢な館を築くはずがない。強く他者や社会を意識しないかぎり、ここまでの贅を尽くそうとはしないだろう。なるほど、そういう意味では、ヨーロッパ中世の貴族たちも現在のビバリーヒルズの成功者たちも「権威の発揚」と「見せびらかしの心理」という点ではあまり大きく変わらないように思えてきた。

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映画やドラマのシーンによく出てくるビバリーヒルズ警察。
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警察周辺のストリート。
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ビバリーヒルズのシティホール(市役所)。
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意匠を凝らした市役所エントランスの天井。
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清潔でデザイン性にすぐれた男性トイレ。
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ビバリーヒルズ界隈の入口にあたる公園。
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庭と道の区別がつかない豪邸。
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ビバリーヒルズの典型的なストリート。
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一見するとホテルと見間違うような邸宅がそこかしこに「乱立」している。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス⑤ 食の愉しみ

「食は何とかにあり」とはよく聞く言い回しだが、食材の豊富さだけが食の本分ではない。それぞれの土地で評判になっているものを口にする――それが基本だろう。食材の豊富さ、料理のバリエーション、味や凝り方に関しては、日本が世界の最高水準であることに疑う余地はない。

しかし、比較してはじめてわかるうまさなどどうでもいい。半月前に大阪で食べた寿司と数日前にカリフォルニアで食べたペルー料理の旨さを比較することにほとんど意味はない。今こうして食べている料理が、その場にいる自分にとってうまいかどうかがすべてだ。空腹度、体調、ひいては屋外か屋内か、何と一緒に食べるかなどによって味は見事に変わる。

郷に入っては郷に従えこそが食の原点。ぼくは何でも食べる。いったん食べようと決めたら、太るとか健康によくないとか考えないことにしている。そう思うときは最初から口にするべきではない。前に紹介したレアステーキは、450グラムと書いたが、実は550グラムだった。高級な部類に入るステーキだが、8ドルと聞いて腰を抜かすほど驚いた。これを完食したぼくにも座布団一枚だ。もう霜降り幻想を捨てたほうがいい。

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近くの土曜マーケット。
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ペルー料理の屋台。二番人気のチキン焼きめしを賞味。
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見慣れない野菜もちらほら。
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1.5ドルのホットドッグ。食べ応え十分。
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メキシコ産のなすび。4、50cmの驚きの長さ、大きさ。
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豊富なフルーツの種類。特に桃の品種が多い。
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COSTCO(コストコ)の陳列はすべてダイナミック。
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レジを通過した直後の壁に貼ってある「会員サービス優秀従業員一覧」。
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レジで処理する個数、スピード、ミスの少なさなどに基づいてランキングを毎日更新して発表している。
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モールのカーニバルフェアはさしずめ夏祭りか。アメリカ人と言えば「ポップコーン大好き」というステレオタイプな印象があるが、まったくその通り。一人で洗面器一杯分を食べている人がそこらじゅうにいる。
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ビバリーヒルズで食べたハンバーガー”クラシック”。
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手前がベーコン添え。右がオニオンリング。
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バーガーショップのカウンターに置かれたジュークボックス。音楽はここからではなく、店内のスピーカーから流れる。60年代の曲が多かった。ニッケル(5セント硬貨)一枚で一曲。興味を示していると、店長が硬貨を数枚置いてくれた。つまり、ただということだ。