ユネスコ無形文化遺産を食す

地元のオフィス街の食事処では洋食と中華とラーメンが優勢。相変わらず人気のトンカツ定食やハンバーグ定食が和食か洋食か微妙だが、味噌汁が付くので和食っぽい。しかし、申し訳程度に添えられたキャベツとポテトサラダを見ると洋食組。他に、親子丼とミニうどんの定食や豚骨ラーメンとミニ炒飯のセットなども注文が多い。たまに無性に食べたくなるが、決してバランスの取れた食事だとは思っていない。

京御膳

近くに平日の昼限定の京御膳を出してくれる店がある。お値段千円で多彩な食材が使われている。月に一度は通う。完食しても腹八分目で抑えられる。近くの別の和食の店は鯛めし御膳に特化している。鯛めしが食べ放題なので過食に要注意だが、これもお値段千円である。

鯛めし御膳

平成2512月、日本人の伝統的な食文化として和食が「ユネスコ無形文化遺産」に登録された。京御膳と鯛めし御膳はどちらも堂々たるユネスコ文化遺産ということになる。食べ終われば目の前から消えてなくなるが、能や文楽、陶芸や工芸の技術に匹敵する「世界のお宝」なのである。

🥢 和食は四季を反映する。南北に長い地形ゆえ、わが国には多様な地域特性があり、新鮮な旬の山海の幸に恵まれている。食材ごとに持ち味を引き出したり引き立てたりする技が育まれてきた。

🥢 主食の米とおかず(味噌汁、魚、野菜、山菜など)の食事構成のバランスが取れている。和食は動物性の油脂を極力控える健康栄養食であり、長寿に寄与していると考えられる。

🥢 口に入れることのない葉っぱや花を、ビジュアル的な印象のために料理にあしらう。味覚だけで満足せず、料理を盛り付ける食器、料理をいただく部屋にまでその時々の季節の自然を演出する。

🥢 どこの家でも日常的に旬の料理をいただくと同時に、正月から始まり晦日に至るまで一年を通じて歳時と関わる献立が工夫されることが多い。また、家族の集まる場や地域では固有の行事食が供される。

上記の4項目がおおよその申請内容である。和食ないしは和食文化の良いところどりをしていて、今の「洋風化した和食」のイメージとはやや隔たっている。どちらかと言うと、伝統的な高級料亭の食材、料理、あしらい、作法の趣が強い。とは言え、素直に誇らしく食卓について和食を味わうのも悪くない。和食にリスペクトを込めたいのなら「ユネスコいただきます」で始め「ユネスコご馳走さまでした」で終わるルーチンがいいかもしれない。

おすすめ vs イチオシ

20221025日、高知での実話。


高知に入る数日前に知人からメールが入った。「私がお仕事のアテンドをすることになりました。前日の夜に食事をご一緒しませんか。ご希望のお料理はありますか。もしなければ、地元の食材を生かしたフレンチなどはいかが?」というお尋ね。とてもよさそうな提案なのでお受けした。午後6時半の予約。ワインを飲むことになるはずなので、飲む前に飲むという例のドリンクを半時間前に飲んでおいた。

カウンター45席、4人掛けテーブル2卓の小ぢんまりとした瀟洒な店。7時頃までにぼくたちを含めて客は6人に。わずか6人で満員御礼という感じになった。白の発泡酒で乾杯。前菜二品は、シラスをのせたカナッペと、キーウィのジュレで食べる生牡蠣。魚料理は舞茸と梨を添えた鱧の天ぷら。メインの肉料理は四万十豚のソテーでジロール茸と柿が添えてある。赤ワインを合わせた。デザートはモンブラン、紅玉のスライスが山に隠れていた。

ここは中年のご夫婦で経営するビストロだ。シェフは寡黙に仕事をこなし、奥様が料理をサーブする。最後にコーヒーが運ばれてきて、少し会話をした。
「今日の料理だと日本酒でも合いそうですね」
「そうなんですが、めったに注文がないのですよ」
「置いているのはやっぱり土佐のお酒ですか」
「ええ、文佳人です。おすすめ・・・・します」
コーヒーを飲んだ後に日本酒は飲めない。どんな酒でどこに売っているかというような話になり、歩いて5分程の酒店を紹介してくれた。時刻は8時を回っていた。8時半閉店なので「今からうちのお客様が行かれます」と電話をしてくれた。

店を出て右へ、すぐに左へ、橋を渡ってすぐ左へ。50メートルほど先に灯りが見えた。酒店に入るとブルースが流れている。酒屋の雰囲気ではない。酒もおびただしく並んでいるが、レコードもぎっしりと棚に入っている。「かくかくしかじか」と来た理由を話し、おすすめ・・・・の文佳人を指名した。

「今のイチオシ・・・・は安芸虎のひやおろしです」と主人。ひやおろしは何度も見聞きしているが、飲んだことはない。ひやおろしとは何か、イチオシのこの酒はどんな味わいなのかなど、話せば長い解説と蘊蓄を、ご主人はあらかじめ一枚にまとめておられる。その紙をぼくに手渡しながら、「ぜひ飲んでみてください。ええ、文佳人もいいんですよ。いいですけどね、今はこちらがイチオシ・・・・です」

「じゃあ、そのひやおろしと文佳人を一本ずつ。飛行機なので720ml瓶で」と言えば、ご主人はもう一度言った。「文佳人もおいしいですけどね、ひやおろしはこの時期のイチオシ・・・・です」。強く二度繰り返されたから主人の推奨に応じた。「わかりました、ひやおろし2本ください」。

「イチオシ」が「おすすめ」を押し出した。「冷やして飲む」と聞いたので、昨日の朝に冷蔵庫に1本入れておいた。そして昨夜、飲んでみたのである。形容詞を駆使して味を表現しても伝わらないので、「過去に経験したことのない舌ざわりのまろやかさ」とだけ評しておく。なお、ご主人のペーパーには味の蘊蓄が書かれているはずだが、まだ読んでいない。

レストランはこうして生まれた

食事や料理を主題にした映画が上映されると足を運ぶ。食べることは人類の共通の生命線であり関心事であるから、言語や文化が異なる外国の映画でも難なく筋が追える。ここ数年間では『バベットの晩餐会』(1987年のリマスター版; デンマーク映画)、『世界で一番しあわせな食堂』(2019年; フィンランド/イギリス/中国合作映画)が印象に残っている。

92日に公開されたフランス/ベルギー合作の映画、『デリシュ!』も出色のできばえだった。題名になっているデリシュはジャガイモとトリュフを使った手の込んだ料理。公爵主催の晩餐会に向けて気合を入れて創作した一品だが、期待に反して来賓の貴族たちに酷評された。ここから物語が始まり、そしてレストランの歴史が始まる。

店を構えて、老若男女や貴賤を隔てずに客に料理を提供する形態は、18世紀半ばにフランスで始まって今日に至る。レストラン(reataurant)の語源はフランス語の“restore”で、「回復する」を意味する。食べるとは疲れを癒して休憩することだった。

まずテイクアウトや仕出しによるごく簡単な料理の提供があったようだ。そして、もう少し先になってからテーブルと椅子を用意して店で食べさせるという、今と同じやり方が定着した。レストランはまたたく間に増えていった。なぜか。

「折しも、革命(1789~)によって貴族の邸にいた料理人が失業して、町にレストランを開いた。これがフランスで、上等の食事を供する食堂が一般化した始まりである」(柴田婧子著『フランス料理史ノート』)

舌の肥えた貴族を満足させていた料理がリーズナブルに食べられるのだからレストランは人気を集めた。ちなみに、同書によると、日本でも同じ時期に本格的な高級料理屋が次々に出現している。深川の升屋など多くの料理屋が寺社の門前に構えられることになった。

くだんの映画の話に戻る。レストラン誕生以前にも泊まりを基本として、簡単な食事が付く程度の旅籠はたごはフランスでも日本でも存在していた。しかし、一般庶民はめったに外食機会に恵まれず、質素な食事でしのいでいた。他方、貴族は一流の料理人を雇って館に住まわせて「美味求真びみきゅうしん」の日々を満喫し、ハレの日には貴族仲間を招いての晩餐会に興じていた。しかも、料理人に献立を任せるのではなく、自分たちの食べたいものを20品、30品と用意させたのである。

晩餐会で不評を買って解雇された映画の主人公。失業すると新しいパトロンを探すしか料理人としての道はなかったが、周囲の人たちの助言もあって料理して供する場を作ろうと英断する。前菜、主菜、デザートのコースを決めて料理を提供したのはある種の革命だった。このレストラン革命がフランス革命と時を同じくしたことに偶然と必然の重なりを覚える。

「並」が「上」に化ける

ネットでチェックできることは知っていたが、実際にやってみた人から直接聞く機会があった。「中国産の一尾千円程度の鰻をうまいうな丼に仕上げる」というテーマである。料理好きのその人は「数種類のやり方があるので試行錯誤は必要」と言う。やってみた。

鰻に取り掛かる前に、たれをあらかじめ用意しておく。レトルトパックにたれが付いていてもそれを使わず、自前でたれを作る。1人前なら、醤油とみりんをそれぞれ大さじ2、酒と砂糖をそれぞれ大さじ1。これをすべて煮詰めて冷ましておく。

調理開始。スーパーで売っているレトルトパックの中国産鰻一尾を、そのまま、または半分くらいに切る。そして、うな丼グレードアップ作戦の、最初にして最重要の信じがたい作業に取り掛かる。身が崩れないように「洗う」のである。言い換えよう。あらかじめたれで蒲焼きされた鰻の、そのたれをきれいに落としてしまうのだ。

洗って濡れた鰻の水気みずけをキッチンペーパーに吸わせるように拭き取る。力を入れると身が崩れてほぐれてしまうから、丁寧に扱う。安い材料だからこそ余計に慎重に扱うべきである。たれがクレンジングされてスッピンになった鰻。これをフライパンに乗せる。酒少々と水で身が浸るようにし、弱火と中火の間の火加減で煮る。3分からせいぜい5分以内。

フライパンから鰻を取り出す。ふっくら感が出ているはず。フライパンを軽く洗い、アルミホイルを敷く。鰻の身を表にして並べ弱火にかける。先に作っておいたたれを刷毛でぬり、裏返して皮のほうにもぬる。濃い味が好みなら何度か繰り返してもいい。

丼にご飯を盛り、鰻を乗せて最後にたれをかけて仕上げる。好みで山椒をかけるが、けちらずに少しいいのを振りかけたい。普通にそのまま食べれば「並」または「並以下」だったはずの鰻が、「上」または松竹梅の「竹」クラスのうな丼に化ける。それがこれだ。

フライパンを使わずに、水気を切った鰻を酒に浸してラップしてレンジで加熱という方法もあるらしいが、まだ試していない。ともあれ、千円が2.5倍の値打ちに変わった気がする。しかし、元の中国産の「地力の差」もあるだろうから、味の安定感は保証しかねる。

どこで何を食べる?

現在の場所(大阪天満橋)で起業してから34年余り。この界隈の何十何百という食事処で、おそらく78千食のランチを食べたりテイクアウトしたりしたはずである。官公庁と中堅中小企業が集中するエリアだが、元々は住宅と商店がおびただしい街で、飲食店も多種多様である。

飲食業は栄枯盛衰、街中に在る店は一方で閉ざしては消え、他方でまた新しく生まれるが、総じて長くはとどまらない……などと書けば『方丈記』の「ゆく河の流れ」のごとし。記憶が正しければ、起業時から変わらず残っているのは牛丼の「吉○家」のみである。

コロナ禍で出張が少なくなり、仕事の本場所にいる日々が増えた。在宅でのテレワークが性に合わないので、ほぼ毎日事務所に来ている。おびただしい食事処から「さて今日の昼はどこがよいだろうか」と迷うのはこれまで楽しみだったが、長い年月を経た今、選択と決断は悩ましい。

どちらかと言うと食性が広いぼくは毎日同じような弁当で済ませることはできない。「昼にどこで何を食べるか?」と思案するのはほぼ毎日のこと、簡単には決まらない。但し、コロナ以降はもっぱら孤食をしているから、「誰と」を考える必要がなくなった。食事相手を気遣うことなくマイペースが保てる。


この一カ月、外に出るだけで暑い。出てから迷い歩きしていては食事にありつく前に熱中症をわずらう。出掛ける前に近場の店のツイッターやインスタグラムで本日のメニューをチェックするようになった。したがって、行ってみるまでメニューがわからない店に行くことはほとんどない。おおよそ56店に行きつけの店を絞り、あらかじめ注文まで決めてから出掛ける。

一番のお気に入りは一か月ちょっと前に初めて入った「Y」。直近の半月だけで4度足を運んでいる。毎日工夫のある7種の定食がメニューで、和風が4種、洋食が2種、中華/エスニックが1種というラインアップ。値段は800円から上限1,400円。おおむね1,000円前後。


今日も行ってきた。目玉の鰻丼定食、1,380円を注文した。三河産の鰻とは良心的である。どの定食にも具だくさんの味噌汁と小鉢2品が付いている(日によってはデザートも)。これまでに注文した食事は以下の通り。この店をマイ食堂に指名してもいいと思うほど変化に富んでいて飽きない。

海鮮竜田揚げ定食
おかあさんの酢豚定食
マグロ/中トロ/イサキ/フエフキダイの漬け丼定食

名と味の照らし合わせ

まぐろの刺身と天ぷら3品をつまみにして生ビール1杯だけのつもりだった。生ビールを飲み干そうとした時、ふと見た壁の貼り紙に「イカのわた焼き」を見つけた。イカは好物で、わたと絡めた焼いたイカなら言うことはない。追加で注文し、これに合いそうなのを地酒の夏メニューから選んだ。岐阜の「涼」がそれ。

そろりと一口すすり、アルミホイルに包まれた熱々のイカ焼きを一切れ頬張る。二口、三口すすった頃にホールの女性が席に来て、「こちら翠になります」と言う。テレビでも宣伝していて、いま少しはやり始めているジンのソーダ割りだ。注文していない。と言うか、この女性、今しがたぼくに涼を届けたばかりである。

「翠? 注文してないよ」と言ったぼくの声が近くのオープンキッチンに聞こえたのか、厨房の男性スタッフが「そちら涼ですよね?」と確認する。酒を指差して「そう、これは涼」とぼく。ホールの女性は「すみません。間違いました」と謝る。ただこれだけのことだが、注文確認のぎこちない様子を見ていると、これで一件落着とは思いづらい。


ぼくが涼を注文し、ホール担当が「こちら涼です」と言ったから、いま飲んでいるこの酒を涼だと思っている。何かのミスで、仮にこの酒が一ランク下の普通の清酒だったとしても、言われるがまま涼だと思うしかない。かなりの飲み手でないかぎり、味の判別はできそうもない。何よりも涼なる酒を飲むのはこの日が初めてだ(いや、何度か飲んでいたとしても、並の清酒との違いがわかったかどうかは疑わしい)。

この初めての酒をゆっくり味わいながら、何口か飲むうちに、この酒が最近飲んだ新潟の地酒と違うことが少しずつわかってくる。「松○梅」と違うこともわかる。わかるが、だからと言って、この酒が涼という確証はない。別の酒が誤ってぼくに運ばれたとしても、「これは注文した酒ではない」と言えるほどの利き酒はできない。この酒が涼とされるのは、ぼくがそれを注文し、店が涼と告げたからにほかならない。

日本酒は稀にしか飲まないが、これまではほとんどの場合、目の前で一升瓶からグラスに注がれたはずである。注文した銘柄と一升瓶のラベルを照合して飲んでいた。イカのわた焼きは正真正銘のイカだったが、すでにグラスに注がれて運ばれてきた酒が、間違いなくぼくの注文した銘柄であるかどうかはわからない。日本酒よりも少しはわかっている赤ワインでも同じだろう。

この話に結論はない。一つ言えるとすれば、酒の味わいの大部分は名の味わいであり、名と味を照らし合わせて楽しんでいるということだ。ところで、あの地酒は何だったのか? 常連ではないが、行けば安くていい料理を出してくれる。それが信頼というもので、イカのわた焼きに合わせたのは注文通りの酒に間違いなかったと思っている。

酒の嗜みごころ

🍷 コロナ前。杯を持ち上げるジェスチャーをして「今度、飲みに行く?」とよく誘われた。かつて総称的に「酒」と言っていたが、今や酒は多様化した。クラフトビール、白の泡、芋などと具体的に言う人もいる。

🍷 アルコールと総称していた時代もあった。「アルコールはいける口?」というふうに。今やどこに行っても入口にはアルコールが置いてあり、アルコールは消毒を意味するようになった。アルコールと言うと、化合物を飲んで中毒になるイメージがある。

🍺 食を優先して食に合わせることを前提にすれば、酒は嫌いではない。嫌いではないが、つねにほどほどだ。つねにほどほどだが、いろいろ飲むので、割とよく知っている。二日連続飲むと次の日は飲まない。ゆえに、週に23日は休肝することになる。

🍻 ビールだとすぐに顔に出るのでたくさん飲まないし、「とりあえずビール」には異議ありだ。初めから最後までずっと生ビールという連中の気持ちがわからない。お開きの時間が近づくほど酒量が増えていくのがいる。「さあ、そろそろ」という空気を読まずに、「生一丁!」と吠えて一人だけ飲んでいる。苦手なタイプだ。彼らは奢られている時ほどよく飲む。二次会でもずっとビール。

🍶 日本酒党の酒豪の先輩がいた。板わさだけで延々と飲む。「ぼくの奢りだから好きなものを注文したらいいよ」と言われても、主が板わさなのに中トロとは言えない。

🍺 選べるならビールは瓶を注文する。大勢の食事会ではやむなく生中。瓶だとひっきりなしにつがれるからだ。つがれると落ち着かない。箸が動かせない。食べる前に飲まされることになり、酔いのまわりが早くなる。

🍸 食前酒を飲むならギムレットがいいと池波正太郎がどこかで書いていた。ハイボールばかり飲んでいた頃なので、試しに飲んでみた。ジン3に対してライムジュース1という簡単なカクテルなのに、バーごとに、バーテンダーごとに味が違う。カクテルが単純な化合物の混ぜ合わせでないことがわかる。

🍸 食前に自宅でたまにシェリー酒を飲む。シェリーはアンダルシアで作られる酒精強化ワインで、普通のワイン約12%に対して、1520%とアルコール度数がやや高め。グラスに氷を入れシェリーを注ぎ、トニックウォーターで割る。ただそれだけ。かなり甘いが、なるべく甘みを抑えたのを選ぶ。

🍾 10年前、バルセロナに滞在した。夜遅く着いても心配なし。彼の地ではレストランは8時や9時にオープンするのが当たり前。食事処には困らない。ホテル近くの垢抜けしたバルに入った。小皿のタパス料理の種類が迷うほど多い。タパス2種類とイカのフリットを注文し、カバ(cava)を合わせた。シャンパンと同じだが、シャンパンと名乗れるのはフランスのシャンパーニュ地方のものだけ。だからカバと名付けた。タパスとカバの合わせ技はこの時の本場体験が初めてだった。

知人に人気居酒屋を紹介してもらっていたので、翌々日の夜に行ってみた。狭い通りが入り組んだゴシック地区にある老舗のEl Xampanyetという店。発音しづらいのでノートに「エル・シャンパニェト」とメモしておいた。ここでもカバを飲んだ。

🍾 バルセロナを懐かしく思い出し、今年の春先から週に3度ペースでカバを愛飲している。すでに10種類くらい飲んだだろうか。カバは何か月か――場合によっては、12年も――瓶内でゆっくりと二次発酵させるので、シャンパンよりも泡がきめ細かい。口当たりと辛口の度合はわかるようになった。しかし、自宅だと発泡酒を23本開けての飲み比べがままならないから、デリケートな味の違いはまだよくわからない。

切り盛りシェフ

店名に「蕎麦」や「そば処」の文字があったので店に入るとする。メニューを見たら、蕎麦が売り切れていてうどん類しかなかった。やむなくうどんで済ますほど人間ができていないので、ここは黙って店を出るだろう。

一昨日のこと。「昼はポーク」という天啓みたいなものがあり、何が何でもという思い詰めたような気分になった。前に何度か行ったものの、数年ぶりになるフレンチの店Cを思い出す。店名に豚のフランス語cochonコションが付く。この店、ランチは一種類しかない。そうとは知らずに入店したポークの苦手な客は店を出るしかない。常連はポークの専門料理店だと知っており、日替わりの一品に期待する。

店頭のメニューを見たら本日のランチは一種のみ。ところが、食材は、な、なんと若鶏だった。羊頭狗肉ようとうくにくならぬ「豚名鶏肉とんめいけいにく」。ランチ一品主義の店ゆえ他に選択肢はない。若鶏も好きだから別の日なら拒む理由はない。しかし、この日は「豚肉を食べよ」という、非イスラム教的な天啓に導かれていたのだ。無駄な時間を惜しむように店先ですぐに引き返す。引き返したものの、良さそうなポーク料理を出してくれる店が思い浮かばない。とにかく西方向へ歩いた(方角は天啓ではない)。


偶然だが、ビストロLの前に差し掛かった。ランチとディナーで一度ずつ来たことのある店だ。ボードに書かれているランチメニューは5種類で、うれしいことにその筆頭が「フランス産BBCポークのロースト」だ。まるでぼくのために用意されたような料理ではないか。即決して店に入った。

午後1時前。約20席の半分以上が埋まっている。注文を取りに来てくれないので、厨房にいる熟年シェフに注文を告げる。水は自分でグラスに注ぐ。待つこと約10分。半端ない厚みのポークのロースト、スープ、サラダ、小皿、ライスの強力ラインアップがテーブルに運ばれた。良心的にも程がある、900円!

「本日バイトが休みにつき、一人で段取りするため開店時間は未定」などと、あの手この手の言い訳をするあのラーメン店の店主の顔が対照的に浮かんだ。スープが3種類、麺が細麺と中太麺の2種類とはいえ、同じジャンルのラーメンではないか。バイトの休みに対して普段から一人でもできるように段取りしておけば済むではないか。

ビストロLは、夜なら少なくとも10種類のフランス料理を一人で作り、テーブルにサーブし、ワインの注文にも応じ、お勘定もする。切り盛りシェフは何もかも一人でこなし、一切言い訳をしない。若き日にパリの有名レストランで修行した年配の料理人。気さくで謙虚なプロフェッショナルだ。

できることは自分でこなし、ぐだぐだ言わずにいい仕事をすればコストがかからない。他方、言い訳や愚痴や過剰なウンチクはコストとして値段やサービスに跳ね返る。店を出る時、ふとそんなことが頭をよぎった。

ランチ処の現実と空想

🍽  或る中華料理店

この店では昼でも夜メニューが注文できるが、おすすめランチ定食はおおむね5種類。隣りのテーブルに小太りの中年男が座り、悩んだ末に「ラーメン/半チャーハンセット」を注文した。こちらに一瞥してぼくが食べている「上海焼きそば定食」と天秤にかけたようである。

「上海焼きそば定食はめったにメニューに載らない。食べるなら今日だ。ラーメン/半チャーハンなら明日でもいい」。男は一度はそう考えたに違いない。だが、「もし初めての上海焼きそばにがっかりしたらどうしよう。もう二度と立ち直れず、ここへ来なくなるかもしれない」と男は不安になった。こうして、リスクを避けるために常連はいつものランチという安全策を選んだのに違いない。なお、この店の半チャーハンは他店の普通のチャーハンとほぼ同じ量である。男の小太りの原因の一つだと思われる。


🍽 或るスリランカ料理店

アンブラ、ダルバート、ミールス、タ―リーなど、インド/ネパール/スリランカ料理の違いが認識でき、これにビリヤニも加えて、メニューのローテーションが組めるようになった。十数店を巡った結果、行きつけの店も45店に絞れた。メニューと店のマトリックス表がかなり充実してきた。しかし、上には上がいる。カレー通が「碩学せきがく」に至るまでに費やす金と流す汗と試行錯誤のエネルギーの総量は、ランチタイムにうまいカレーを食べたいという程度のぼくの熱量をはるかに凌駕する。

老舗のスリランカカレーの店で見た二十代半ばの男を思い出す。当時、ぼくはアンブラ、ダルバート、ミールス、タ―リーの違いがよくわかっていなかった。男は席に着く前に厨房に向かって「アンブラ」と告げた。つぶやくような小声とスムーズな振る舞いが「通」を感じさせた。テーブルに運ばれたアンブラを横目で見た。まさか、こう来るとは……想像を超えていた。人が食べる料理がおいしそうに見えたら後日必ず注文する。それがぼくの流儀。

アンブラは三度景色を変える。一、バナナの皮に包まれて出てくるアンブラ。二、皮を開けると具材が整然と並ぶアンブラ。そして三、よく混ぜ合わされて美味なるカオスに化けるアンブラだ。どこの誰だか知らないが、朝昼晩にカレーを食べ続けてきた結果、あの男が出来上がったに違いない。店側を緊張させる雰囲気を漂わせる客だった。おそらく昨日のランチもアンブラ、そして今日のランチもアンブラだったのだろう。〈写真〉バナナの皮に包まれて出てくるアンブラ。初めて注文した者は皮を開けてそこに広がっている具の景色に目を見張る。


🍽 蕎麦屋

ざるそばでもかけそばでもトッピングし放題。特にワカメが無料というのがいい。但し、この店は重大な問題を抱えている。券売機がシニアにやさしくないのだ。たとえば、「ざるそば」ボタンを押し、数秒間戸惑ってから「大盛」ボタンを押すと、後者の分は支払処理されず発券もされない。両方を押したという情報はカウンター内にいる亭主には伝わっているらしく、「ざるそば」の券を出すと「お宅の大盛分の料金はここでもらうよ」と亭主が言う。操作に手間取って二つ目のボタンを押すのが遅くなると、券売機は二つ目のオーダーを受け付けないのだ。券売機トラブルがよく起こるこの店をぼくは「みずほ蕎麦」と呼んでいる。

様々な食材に出合う

 

バルセロナはランブラス通りのボケリア市場。

今日はウサギの話。バルセロナのボケリア市場でそのまま吊るして売っていた。写真も撮っているが肉食観に劇的な影響を及ぼしかねないので、ここでは掲載しない。現地の子どもたちはその吊るしを見てもまったく平気だし、親が買って調理した肉をおいしく食べる。

スペインやフランスの市場に行くと、子豚も鴨もウサギも調理されずにそのままの形で売られている。ウサギは毛皮のまま後ろ足を結んで吊り下げられている。つまり、頭が下で耳が垂れた状態だ。処理された肉もあるが、ほとんど一羽売りだ。ペットとして飼われていたウサギではない。食用に飼育されたかなり大きなウサギで、「ラパン」と呼ばれている。ウシやブロイラーがそうであるように、ウサギもウマもハトも――食材になる動物はすべて――食用として肥育されているものだ。

小さい頃、「♪兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川」というあの歌はまず耳で聞いた。意味もわからず、聞こえたまま「ウサギおいしい」と思った。食べたことがなかったが、おいしいと歌うのだからおいしいのだろうと思った。「こぶな」もまさか小鮒などとは想像がつかず、「昆布の何か」だろうと思っていた。


小学3年頃、ウサギを飼っていた。当時の大阪市内にはまだ田畑も残っており、その田畑を少しずつ埋め立てて新しい住宅が建ち始めていた。だから、家の前の畑のそばに小屋を作ってウサギを育てていた。首輪をつけて散歩もさせていた。ウサギの好物のオオバコはそこらじゅうに自生していた。

年末のある日、飼っていたウサギが消えた。親が「逃げた」とか「盗まれた」と言っていたので、いなくなったことはつらかったが受け入れた。数年後、今もウサギを常食している地方があることを知り、もしかして大人たちの胃袋に消えたのではないかと疑った。町内の誰かがさばいて、雑煮の具に使ったのではないかと。古来、ウサギをニワトリだと言って食べていた日本人だ、ぼくが可愛がっていたウサギが食材になっていたとしても不思議はない。

小学校の高学年ではウサギ狩りイベント付きの遠足があった。みんなで一斉にウサギを追って捕まえウサギ汁にしようというものだ。小山の下から上へ追いかけるので捕まらない。ウサギは前足が短く後ろ足が長いので、上るのは得意なのだ。結局一羽も獲れなかったが、ウサギ汁と称したそれらしきものが器に入って出てきた。事前に漁師が獲ったものという説明だった。ウサギ肉だったとすれば、あれが初めての実食になる。

スペインではウサギ肉はパエリアに使われる。パエリアは元々農家の料理なので、米と狩猟したウサギの肉をスープで炊き込むのは理にかなっている。想像以上に小骨が多い。東京のフランス料理店では野ウサギのソテーを食した。育てたラパンと違って、クセが強いのでニンニクやハーブが欠かせない。食感は地鶏などとさほど変わらない。

「ウサギを食べるなんて!」と言う人もいるが、そんなことを言い出せば、「ウシを、ブタを、ヒツジを、トリを食べるなんて!」と言わないといけないし、「回転寿司でサカナを食べるなんて!」とも言うべきだろう。魚を誰よりも深く愛するさかなクンは、魚の絵も上手に描くしおいしそうにきれいに食べる。食育の理想形だと思う。なお、好んでウサギを食べようとは思わない。せっかくこの地に来た、しかもたまたまメニューに載っている……これも何かの縁ではないかという感じで注文する。この時期ならイノシシもエゾシカもメニューにあればいただくことになる。