語らないと始まらない

事実に反すると知りながら虚偽を語ることは好ましくない。もし事実に反していることが自明で、しかもそのことを弁じたければ、手っ取り早く創作として仕上げればいい。事実に反することが許容され、しかも責任を負わなくていいのが創作の利点だ。はなから虚構が担保されているのである。これに比べれば、自論を語る責任のほうは重い。事実であるか事実に反しているかもわからない、また、事実の解釈にも二義性がありそうだという場面に必ずぶつかる。さあ何を語るかと遅疑逡巡した挙句、つい慎重を期して黙することになる。こうして意見を言わない小心者や保身家ばかりが増える。

ギリシアについて、安保について、専門家と言えども知悉して論評しているわけではない。極端に言えば、誰もが一部の事情通なのであり、限られた既知から推論して意見を述べているにすぎない。知が「ある程度」に備わるまで口を開かないのなら、生涯意見を開示する機会はやって来ないだろう。言論の自由、表現の自由があるのだ、「程度」を低めに設定しておけばいいのである。ほんの少し分かれば、その小さな知識に自分の経験を照らし合わせて推論する。馬脚が露わになって知識不足や論の甘さを指摘されることになる。しかし、このことは問題であるどころか、テーマを深読みし別読みする機会を与えてくれるのだ。問題を引き起こすのは、対話を成り立たせている批評・検証・反論に耳を貸さず、不十分な知見をひたすら守ろうとする姿勢のほうなのである。

対話

浅い考慮かもしれない、視野も狭いかもしれない、しかし、考察途上でそのつど意見を構築する習慣と勇気を持たねばならない。さもなければ、世論の大勢や影響力のある人物の意見に棹差すばかりで、思いもよらぬ方向に流されていくことになる。自論というのは、基本が変わらなくても形や強度が変わるものである。変容のきっかけの大半は、異種意見の論者との対話を通じて生まれる。二者間の対話においては知識に格差があるのが常である。下位の者が格差を恐れていたら、いつになっても上位の者に挑発的議論を挑めない。しかし、対話は知識と論考の合戦である。往々にして論考は知識の多寡よりも優勢になりうる。


対話において話し方がうまいなどということは決定的ではない。つまらぬことを流暢に――あるいは扇動的――大言壮語してもしかたがないのである。話し上手などと言うけれど、何を以て「上手」なのか、誰も決められないだろう。そんな当てのない上手の幻想に縛られず、日々の経験の内に熟成させてきた語りたいことと語るべきことを語ればいいのである。もっと正確に言えば、精細な自論が最初からあるはずもない。あるはずもないのに、事前に丸暗記して人前で再現してみせるのは学芸会だ。学芸会に表現と演戯はあっても、伝えることにまで意識は回らない。あどけない子どもたちのパフォーマンスには拍手を送ろう。しかし、一人前の人間が、そこに居合わせる相手に眼差しを向けることもなく、今しがた覚えてきたことをあたかも独言のように再生し、それを対話と呼んで知らん顔するならブーイングである。

つぶやくように自分の心理を吐露するXがいる。つぶやくXからは他者への視点が抜け落ちている。Xのことばは対話に求められる伝達や説明の機能を失う。下手なりにも意味を明らかにしようとする情熱のかけらもない。共有と交換という対話のていを成していない。対話をしないのではなく、対話ができないのである。自分が次に何を語るかに気を取られて、人の話など聞いていないのである。聞かなければ、その時々にしかできない、打てば響くような反応ができるはずもなく、応答はつねに的外れになり、ことばがだらしなく虚ろな表情を見せる。言語を自然学習して事足りると考える風土で対話が育つはずもない。

吐露するだけのことばに描写力は宿らない。論理は不毛であり、説得力も芽生えない。他者に向かって語られていないXのことばに傾聴する忍耐が揺らぐ。Xの自分だけに捧げることばは色褪せ、やがて他人を退屈させる。思考交流としての対話と居酒屋の泣き言・戯言との違いがわからぬX。ぼくの周囲にもあなたの周囲にもXがいる。対話から逃げるXは、早晩〈言語エイジング〉という症候群を患う。言語からの脱却なら悟りだと見立ててあげてもいいが、言語の劣化以外の何物でもない。言語エイジングが晩年の最大の不幸だと言う自信はないが、不幸の一つであることは間違いない。

理由のあること、ないこと

行為に理由を付けなければならない場面がある。たとえば、「何となく読んでいる」では済ませられない類の本や読書行為がある。なぜこの本を読むのかという自己説得なしには手に取ることさえできない本である。もちろん、何となく読むという本があってもいい。飲食についても同じことが言える。何となく何かを食べ何となく何かを飲むことがあり、そこに理由や目的などあるはずもない。しかし、宴席に顔を出すとなると話は別だ。暇だから宴席に出るなどということはぼくにはない。必ず理由がいる。では、病院に父を見舞うのはどうか。見舞いに行くのに理由はない。見舞いたいから見舞うのである。これに敢えて理由を付けようとすると、どんなにうまく表現しても偽善臭が漂う。

本人は軽い気持ちだったのだろう。「ある本を読んだので、話を聞いてもらっていいですか?」と言ってくるから、ランチを共にした。彼は決して話が上手ではないが、ぼくは真摯に耳を傾けた。話が途切れたところで「なぜその本の感想をぼくに聞いてほしかったのか?」と切り出した。こういう場面ではつねに理由を尋ねることにしている。彼は口ごもり、説明しようとすることばがよどみ、結局理由はわからなかった。何となくという動機と付き合う気はない。こんなぼくを意地悪だと言う向きもあるが、当人に迷惑をかけているとは思わない。それどころか、理由を述べるという学びの機会さえ提供しているのだ。主義でも主張でもない。目的や理由の必要な場面とそうでない場面をぼくなりに分別しているにすぎない。

目的を共有せねばならないのに、わざわざ言わなくてもいいだろうと個人の気分で決めてはならない。「気が向かなかったから遅刻の理由を上司に言わなかったんだ」などという言い分は通用しないのである。けれども、どんな行為にも理由があるわけでもなく、理由がいるわけでもない。「なぜ」と聞かれて、目的を共有する必要がなければ、理由を告げる義務はない。仮に理由があるとしよう。そして、それを示す意欲もあるとしよう。それでも、うまく言い表せなければ理由は語れない。語れない理由を共有することはできない。


散歩に理由や目的があるはずがないと思っていたが、健康のために散歩する人がいると聞いて驚いた。Wikipediaに「娯楽として、あるいは健康増進に歩く行為全般を指す言葉」と書いてあったから、もう一度驚いた。世間一般では散歩に理由や目的があるのだ。念のために『新明解』を引いたら、「(行く先・道順などを特に決めることなく)気分転換・健康維持や軽い探索などのつもりで戸外に出て歩くこと」とある。大事な箇所が丸括弧に入っていて、その後に続くのがやっぱり散歩の目的なのである。「いっさいの理由や目的なく、ただ何となく歩くこと」というすっきりとした定義ではだめなのか。

『「散歩学」のすすめ』という本がある。ずいぶん以前に買って拾い読みし、これは衒学趣味だと即断して放置した。ウォーキングに興味のある人が読みたいと言うから貸してあげた。返してもらうつもりはなかったが、読了して返しに来たその人は「とてもためになった」と言った。なるほど、「何かのために別の何かを理由づけるタイプ」、あるいは「何かにつけて目的がいるタイプ」には受ける本なのだと思った。散歩学などいらない。いるのは散歩道である。

散歩は、長く続ければ結果として暮らしを豊かにするかもしれない。ここまでならぼくも同意するが、ここから先、散歩がなぜ暮らしを豊かにするかという推論を捻り出す気はない。くだんの本には、血行がよくなると書いてある。これは、歩いた後に体験的にわかることだ。しかし、血行をよくしたいという目的のために散歩をするのではないだろう。目的や理由がなくても散歩したいから散歩するのである。散歩は〈理屈に先立つア・プリオリな経験〉なのである。ところが、散歩が「学」として捉えられると、過剰仕様の定義が施され、免疫力や発想力の向上という理由または目的が論考される。勘弁願いたい。「学」や「力」などという概念の対極にあるのが、そもそも散歩ではなかったのか。

そぞろ歩き

散歩を言い換えれば「そぞろ歩き」である。そぞろとは「漫ろ」と書く。「気もそぞろ」とは何かが気になって落ち着かない様子のことだが、「そぞろ歩き」はその正反対。これといった理由もなく何となく漫然と歩くことだ(「漫歩まんぽ」ということばもある)。散歩にはゆとりに満ちている姿がある。目的がないから追われるような気分にならない。道すがら光景は目に入ってくるが、それは散歩しているからである。光景を見るために散歩をしているのではない。

散歩中に知り合いに会ったことがある。「お出掛けですか?」と聞くから、「散歩です」と答えた。「どちらまで?」と続けて聞くから、「散歩です」と答えた。「お買い物?」とさらに聞くから、「いえいえ、散歩です」と答えた。不愛想な男だと思われただろう。たいていの人は目的のない散歩に納得がいかないようである。

喜劇と悲劇

喜劇と言うと、バカ笑いのように思う向きがある。喜んで笑うだけが喜劇ではない。喜劇を観て涙を流すこともあるのだ。同様に、泣いて悲しむのが悲劇でもない。悲劇を観て満足すれば、それはある意味で喜びでもある。喜劇にせよ悲劇にせよ、観劇者の泣き笑いに本質があるのではない。同じ主題を喜劇的にも悲劇的にも仕立てることができる。演出の喜劇性、悲劇性という話なのである。

劇から離れて現実に立ち戻っても、ぼくたちは喜劇的、悲劇的という表現をよく使う。この時、喜劇的とは「高尚な笑い」ではなく、もっぱら低俗な滑稽だと見なす傾向がある。そして、悲劇的という形容のほうに道徳的なものを、人生に真摯に向き合う姿勢を感じ取る。講師が自らの悲劇的体験を語る講演会の訴求力は侮れない。悲しかったことを悲しく脚色し悲しく語る話に聴衆は共感し涙を流す。このステレオタイプを傍観して滑稽に思う。逆説のない生真面目だけの悲劇はぼくの目にはパロディとしてしか映らない。

(……)人間は自分の親をはなれたときに、はじめて親一般についての理解をもつことができる。失恋は恋愛についての知識を深め、死は生の意味を教え、絶望は希望への道を開き、歴史は今日に価値を与えているのだ。真の知識を得ようと思えば、人はまずその対象のもとを立ち去るのがいい。道徳は二宮金次郎であらわすようなこだわりからは、早く抜け出さねばならない。道にこだわりすぎるものは、かえって道を失う。そうした道徳的偶像をすすんで破壊することのほうが、いつもはるかに道徳的な行為なのである。
(安部公房『砂漠の思想』)

このエッセイが書かれてからまもなく半世紀。何も状況は変わっていない。ある価値を学ぶのに相反する価値を重ね合わせるのが有効なことは分かりきっている。にもかかわらず、相反価値に目をくれないのが人のさがある。特定の価値観だけを信奉すれば想像力に乏しくなる。そんな人間は、自ら意見を語ることよりも過去の偶像に手っ取り早く代弁させる、いや、突然ポツンと偶像をそこに置いて、自分の思いを安上がりに象徴させる。


一見オープンな社会のように見えながら、同調者が群れる閉鎖的気密性の高いグループが随所に形成されていく。これらの集団に共通するのは、ユーモアとエスプリの絶対的な欠如である。彼らは褒め合い、慰め合い、馴れ合い、悲しみと道徳を共有し、外部に対してはつねに排他的である。メンバーたちはその小グループの価値観に染まるから、自らの滑稽さに気づきにくい。要するに、自己検証の手段すら持ち合わせていないのである。類が類を呼んで同病相憐れむ集団に進化はない。そんな集団が現代でも泡沫のように結ばれては消えていく。何度も歴史で繰り返されてきた失望と失意の終幕しかないと言うのに。

“Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.” (人生は近づいてみれば悲劇、遠くから眺めれば喜劇)。

チャップリン

チャールズ・チャップリンのことばである。まったく個人的な経験になるが、映画、脚本、小説を問わず、若い頃はよく悲劇系のものを読んだ。やがて、ただでさえストレスの溜まる仕事に従事し、人間関係でも苦労し、異種意見間で論を交わさねばならない立場になって、本来慰みものであるはずのエンターテインメントになぜわざわざ悲哀を求めなければならないのか懐疑し始めた。悲しみを悲しげな表現で描くのは短絡的な写実主義だ。悲劇的な物語にこそ人生のエッセンスがあると考えるのは一つの主観にすぎない。

チャップリンは喜劇の中に悲劇を描いた。あるいは、悲劇の中に喜劇を持ち込んだと言ってもよい。人間行為の中には笑い飛ばすしかない愚かさが垣間見えるのであり、それは遠映しという冷徹な目線によってのみあぶり出される情景である。接写してありのままに悲しみだけを描いても、そんな常套手段で悲しみの本質が伝わるものではない。近づいて見る時点で、すでに感情が優勢になり対象に移入されている。他方、遠巻きに見ているかぎり、人は冷静さを失っていない。世間一般の思惑に反して、喜劇のほうが悲劇よりも理性的であるというぼくの根拠がここにある。どちらがいいとか正しいとか言うつもりはない。悲しい話が好きか、ひょうきんな話が好きかという違いである。そして、悲しい余韻だけを残す悲しい話などには付き合ってはいられないというのが正直な心情なのである。

机上と現場

ふと6月上旬のことを思い出した。珍しく出張が少なく、ほとんど大阪にいた。休みの日に出掛けてもなるべく近場で済まし、散歩もいつものお決まりの経路、毎朝毎夕の自宅とオフィスの行き来もほぼ同じ道を辿っていた。こういう日々が半月ほど続くと発想やものの見方が変異するのがわかる。感じること、語ること、書くことののことごとくから現場感覚が引き算されてくるのである。行為する自分――状況や物事に接する自分――の観察眼が弱まっていく。道すがら光景を見ているはずなのに、実は見えてなどいない。旅先なら、出くわすものを頭で考える前に条件反射的に観察できるというのに……。

装飾的な感じ方や書き方をもう何十年も遠ざけてきたから、今さら嘆くには及ばない。現場に居合わせて写実しているつもりが装飾過多になり、やがては心象の描写にも転移して自己満足に陥ることを知っている。けれども、このことを差し引いても、あの6月前半は変調だった。オフィスと自宅の机に交互に向かいながら、現場とつながる感覚がもっとあってもいいはずだと反省しきりだった。出張や旅に出掛ける時の、あの「しばしそこに佇む」という余裕がなくなっていた。〈いま・ここ〉に集中せよと人に言っているくせに、今ではなく「次」がいつも頭のどこかに引っ掛かっていた。大袈裟に言えば、形而上学的なまなざしだけを机上に向けていたような気がする。

その6月の中旬に一泊二日で検査入院することになった。翌週の診察時、病院の待合室で小林秀雄の『平家物語』の一節を久々に読む機会があった。

(……) 整然とした秩序のなかで、細々とした自然描写は無用であろう。伊吹山が見えたら、見えたと言えば足りる。大磯小磯を打過ぎてで充分だ。動いていく重衡の肉体は、もうしっかりと動かぬ自然に触れている。(……)
自然の観照について、細かく工夫を凝らした夥しい文学に比べてみれば、「平家」は、まるでその工夫を欠いているように見える。あの解り切った海や月が何とも言えぬ無造作な手つきで、ただ感情をこめて摑まれる。


この一節を読んで、現場感覚の量が減ってきたとか、物事に接しての描写が不器用になったなどと神経過敏にならなくてもいい思い、少し気が楽になったのである。よくよく考えれば、現場に身を置いて感じているつもりがまったく感じていないことがある。数え切れないほどの現場経験を積んでも、その経験が茫洋としたままのイメージでしか再現できなければ威張れない。では、イメージの代わりに飾り立てることばをふんだんに用いればどうか。いや、それでもなお、言いえぬ思いは空回りするだけだ。現場での経験を過剰に粉飾しなくてもいいのだろう。むしろ感覚を想像力で抱擁し、素直なことばで仮止めしておくことに意味があるのだろう。

木漏れ日

木々の中をそぞろ歩きする……樹間から射してくる光、繁る葉で狭められる空、名も知らぬ鳥の啼き声三つ、四つ。そこでは、静寂であるだとか深閑であるだとかの観念的な表現は浮かんでこない。二次的に処理されたことばに出る幕はない。しかし、部屋に戻って文章を書き始めると、徐々に現地の印象が希薄になり、加工しようとする意識が優勢になってくる。現場での視聴覚体験から机上の思考へと軸足が動く。机の前に座る時間が長くなると、必然机上の空論を弄することになるのである。

おびただしい形容詞で細密描写したからと言って経験が生かされているわけではない。たとえ机に向かっていても、現場とつながっていれば思うことの表現は簡素かつ平明であってもいいのである。むしろそのほうが再現性に優れていると言えるだろう。ところで、このように一文を結んで知らん顔して終えるのに苦はないが、現場の経験と机上のことばを簡潔につなぐには高級な知が働かねばならず、ぼくごときにとっては道は険しいと言わざるをえない。

未来へ逃げる人々

先月に書いた「明日はあるのか?」の続編。

現実逃避は現実を苦しいもの、厳しいものと考える人たちに生じるのであって、現実に向き合い、過去の経験を振り返る人たちにとっては無縁である。では、現実から逃避する人たちはいったいどこへ行くのか。酒に手を伸ばして陶酔の世界に向かう人がいるだろう。また、感情の水面をたゆたいながら自分世界に引きこもる人もいるだろう。そして、大多数は今日の結果を見届けずに未来という仮想世界に手っ取り早く心を馳せる。いずれの世界へ逃れても、行く末が見えないという点では不安は残る。だが、その代償として何も見えないからこその安らぎが手に入る。酔いはいずれ醒め、引きこもりも続かない。現実逃避者にとっては定まらぬ未来こそが永遠の安息場所に見えてくる。

生きることができるのはこの瞬間だけである。英語には、今に生きるという意味の“live in the present”という表現と並んで、“live in the past”という言い回しがある。過去に生きるという意味だ。昔ながらに生きるというニュアンスがある。過去を引きずり、思い出に浸って昔のことばかり考えて生きるという意地悪な解釈もできる。そんなふうに生きてくよくよばかりする人に“Stop living in the past!”と励ます。「今を生きなさい」という助言である。過去を生き直すことはできないし、いつまでも懐かしんだり執着したりしてもしかたがない。しかし、過去を生きたことは事実であり過去は経験を通じて思い起こすことができる。個別な経験として振り返り今日に生かせる教訓を拾い出すことはできる。その過去と現在は間違いなくつながっている。

では、未来はどうか。未来は生きることも知ることもできない。未来に期待できるのは、過去からも現在からも逃げずに生きている人に限られる。ところで、トーマス・ジェファソンは「私は過去の歴史よりも未来の夢を好む」と言った。身の程を顧みずに異議を申し立てたい。未来志向と言えば頼もしいが、こういう考えが人を反省なき楽天家にしてしまうのだ。少なからぬモラトリアム人間を間近に見てきたぼくは、過去にも現在にも知らん顔して将来にツケを回す彼らの性癖にうんざりしている。ジェファソンのことばは己の励みになるかもしれないが、そんなふうに生きる者は周囲に迷惑をかけていることにほとんど気づかない。


人は未来を知りたがる。しかし、社会、科学、経済、文化……どの分野でもいい、どんな未来が出現するかを見通した先人がどれだけいたか。何百何千という予言のうち一つや二つは後々に偶然現実になったことはあった。だが、まぐれあたりに期待はできない。未来をいかに洞察しようとも、洞察の材料は現実と過去の記憶以外にはない。未来を知る有効な方法はそれだけである。ろくに今の現実を知りもしないぼくたちが未来を知ろうとするのは大それた話だ。ニコラス・ファーンの「人間を知ることができると主張するのは、無数の神話を信じ込んでいる人だけだ」(『考える道具』)という指摘は的を射ている。人間を知らずして未来を知ろうなどとは厚かましい。

過去・現在・未来という文字をじっくり眺めてみると、それぞれの本質がよく見えてくる。過去は「過ぎ去った日々」であり、現在は「うつつる日々」であり、未来は「いまきたらぬ日々」である。現実逃避とは、確実な過去の経験に見向きもせず、さらに確実な今に目をつぶり、一寸先の闇に逃げる生き方だ。言い換えれば、確実なものを信じもせずに不確実を信じる生き方である。今の自分を見失えば、未来に頼るしかなくなる。こうして、意思決定を迫られない子どものようなモラトリアム人間が出来上がる。

タブレット世界の未来

モラトリアム人間は、過去から現在に至る経験というなけなしの貯金を、未来行きのチケット代に使い果たしてしまう。しかし、そんなチケットが存在するはずもない。行先不明のチケットを誰が販売できるだろうか。未来は絵に描いた餅であり、今風に言えばタブレット画面上に錯視する幻影に過ぎない。わざわざ未来へ逃げるには及ばない。何もしなくても、未来は現実になろうとしていつも待ち受けているのだから。

守破離と型

芸道や武道、茶道には型がある。いつの時代も、師から弟子への型の伝承は文化創造の要とされる。型を単純継承するだけでは発展はおぼつかない。それゆえ、師匠の型の模倣から始まって最終的には自分の型を生み出さねばならない。ここに〈守破離しゅはり〉という考え方が生まれる。ところが、守破離は「(師匠の)型を守り、それを破り、そして型から離れて自由自在になる」と一般的に理解されてきた。はたしてそうか。

問題は、守破離の〈離〉のステージの解釈だ。脱型して自由自在になる状態だと言われる。しかし、そのステージに達したとしても、型が消えてしまうわけではない。誰かが「ついに型から離れた」と悟ったかのように言っても信用しかねる。師匠クラスの技や振る舞いに何がしかの型を知覚するからである。〈離〉は型の不在ではない。ある型から離れて辿り着く先が型無き混沌の状態であるはずもなく、そこには進化した別の型が姿を現わす。〈破〉のステージも同様である。型を破るにしても同時に別の型が生まれるのである。

守破離

守破離とは一つの固定した型を巡っての熟練化概念ではない。端緒を開くのは守るべき型だが、それを破ったとしても次に「型破りな型」が育まれるのであり、そこから離れても次に「型離れした型」が現れるのである。「守り破り離れる」を弁証法的に繰り返し、つねに新しい型を創造していく修行の過程を守破離は説いているのではないか。


何々道だけの話ではない。おこなうことも考えることも模倣から独創への過程を踏む。たとえ独創的な次元に達しても型なき行動も思考も想像することはできない。おそらく人は型に縛られて生きる宿命を背負っているのだろう。これは、しかし、一つの型に縛られるということではなく、つねに型から型への〈変態メタモルフォーゼ〉を免れないという意味である。ぼくの知る名人達人は誰もが型を持つ。微動さえしない型ではなく、自在性と可塑性を併せそなえる型を持つ。型のないものをそもそも認識することはできないのである。道を究めた技を「自由自在」だとか「暗黙知」だと言っても、型がそういうふうに形容されたにすぎない。

型はヤドカリの住まいに似て、入型と脱型という新陳代謝を繰り返す。こうして身の程や技や力量に応じた型が研ぎ澄まされていく。守破離は型が洗練されていく道程であり、それは究極のシンプリシティへと向かう。「シンプリシティは究極の洗練である」というレオナルド・ダ・ヴィンチのことばが思い浮かぶ。こうしてみると、離れるとは技における余分の引き算ではないか。雑味を除いて純度を上げると言ってもいい。

「無用の用」ということばがある。無用も「用」である。そうであるなら、無型に見えるものも「型」に違いない。その型は絶対精神にも似た究極の洗練、シンプリシティを目指す。言うまでもなく、一人の人間の生においてそのシンプリシティを見届けるのは叶わないだろう。未来永劫、代々続く師弟関係においてこその守破離なのである。「芸術は長く人生は短し」というヒポクラテス由来の言がこのことを物語っている。

先近後遠

「先近後遠」などという四字熟語はない。造語である。何と読もうか。訓読すれば「近きを先に遠きを後に」だが、一応「せんきんこうえん」としておく。

数年前、ある大学院の准教授が“Near first, far second”という表現を使った。「直近に迫っていることや身の回りのことを先に済ませ、時間的場所的に遠いものは後に回す」という優先順位の話だった。念のためにいろんな辞書や書物で調べてみたが、ついにそんな英語の成句は見当たらなかった。調べようが足りなかったのかもしれないが、その先生の造語だと推測する。別に和製英語だからと言って問題があるわけではない。意図するところは十分にわかる。英語が造語なら、ついでに日本語も造語でいいだろうと思った次第である。

様々な遠近がある。時間の遠近なら、遠い将来と現在(または近い将来)、場所の遠近なら遠方と自分のいる所(あるいは周辺)、間柄の遠近なら疎遠と親密である。いずれでも、まずはよりよく見えるもの、手を伸ばせば届きそうなことを優先せよというのが先近後遠の考え方だ。なるほど、これを習慣化すれば先送りしなくなるし、仕事もテキパキと片付くに違いない。しかし、必ずしもいいことづくめでもない。中長期的展望や構想が後回しになりかねないからだ。仕事は日々のルーチンが中心となり、緊急の業務が優先される。グズ防止の処方箋ではあるが、目先の戦術ばかりで戦略がお留守になる危うさもある。

腹が減ったら目の前の食事にありつこうとする。当たり前だが、空腹時に次の誕生日の晩餐メニューにまで思いを馳せない。直近の物事に目を凝らし、ひとまず差し迫った事態に反応するのは、人も動物だからだ。ちゃんと先近後遠がDNAに仕込まれているのである。動物は目の前のエサに反応し、近くにいる天敵に怯え、先のことなど考えずに交配する。種の保存を強く意識して行為しているという説は滑稽である。たとえば「巣作り→抱卵→生育」などと書くと、そこに時系列の流れを感じ取ってしまうが、そんなものは概念上の理屈に支配されているからだ。どの過程もその時その場の行為であって、深慮遠謀の目的が意識されているはずもない。


人が動物と異なるのは、手段と目的の分別をしている点においてだ。目的を達成するために手段があり、また、諸々の手段は目的につながるものであると考えている。そして、しばしば手段と目的を取り違えたり目的よりも手段が気になったりするのは、時間的に手段のほうが目的よりもつねに手前にあるからだ。こうして、だいたいにおいて目的よりも手段が優先されることになる。本来は目的あっての手段だったはずなのに、本末転倒の誤りをおかしてしまう。小事と大事の関係も同様で、小事ほど具体的に見え、大事ほど輪郭がぼやけている。だから小さな仕事が大きな仕事につねに優先される。理不尽にして小さなクレームなのに緊急に対応してしまうなどはその最たるものである。

呼出と流す

ところで、二つの事柄に遠近の差がないとどうなるか。たとえば、よく使うものは先近、めったに使わないものが後遠のはずだが、両者が空間的に同じように扱われ近接している場合である。先日泊まりで検査入院した折りにこれを経験した。個室のトイレの〔流す〕と〔呼出〕ボタンがそれである。

病の身でないから、よほどのことがないかぎり〔呼出〕に用はない。下剤を服用し水分を十分に補給しているから、出番があるのは〔流す〕のほうだ。にもかかわらず、二回に一回はつい〔呼出〕に手が伸びてボタンを押しかけた。幸い一度も誤作動させずに済んだが、こういう状況に置かれると、ぼくたちは遠近や先後に、ましてや手段や目的に意を払うどころではなくなってしまうのである。

と、ここまで考えてきて、ふと気づく。頭の中でやれ手段だ目的だ、これが先であれが後、これが近であれが遠だなどと思い巡らしてみても、結局のところ、今何が重要なのかという判断は個人に委ねられる。ちょうど病院やトイレ設計者が自らの思惑で〔流す〕と〔呼出〕を同等に扱って近接させたように、ぼくたちも日々の仕事において勝手な思い込みで先近後遠を判断しがちである。ならば、いっそのこと先の先まで考えずに、その時その場で環境の変化に対応すべく日々を営めばいいのではないか。遠望を捨てる代償は小さくないが、とりあえず目先の小さなことをこつこつとこなしていくほうがうまく行くこともある。少なくともグズな人には有力な処方箋と言えるかもしれない。

「任せる」の多義性

角川の『基礎日本語辞典』に「任せる」という見出し語が収録されていない。これはかなり重要な動詞なのに。意外だった。実は、一般の辞書では解き明かしてくれないこと――信頼、自由、放置、諦念などのニュアンスの重なり――を調べてみたかったのである。

「ここまではぼくがやった。後はきみに任せる」という時は、きみへの信頼ときみの裁量を含む。「想像にお任せします」なら、自由と放任、すなわち、勝手気ままにお好きなように、である。「成り行きに任せる」なら放置と諦念、「神の思し召しに任せる」なら信頼と諦念。「あいつは何事も他人任せ」は無責任と甘えという具合。

どこかの牛丼店じゃないが、自分がやってみるよりも「うまい、安い、早い」なら適材に任せる。自分ができないことを、見事にやってのける人がいれば、その人の才能やエネルギーに期待すればいい。但し、自分がやってみるほうが「うまい、安い、早い」という場合でも、早晩任せるつもりなら、先物買いよろしく誰かに役割を委譲すべきだという意見もある。

小さな記念日(ワイン)

一杯のワインが欲しい時、素人が自分で作ってみようなどと思うのは暴挙である。ぶどう畑を手に入れ、苗から木を育て、秋に収穫、破砕、圧搾して発酵させ、再び圧縮し樽で熟成させて濾過し、やっと一杯のグラスに注げる。その一杯が世界一うまい保障はないが、世界一コスト高のワインになることは間違いない。最高級のロマネコンティを買うほうがずっと安くつく。蛇の道は蛇、餅は餅屋、ワインは蔵だ。上手・安価・迅速の三拍子が揃わないなら、アウトソーシングするに限る。


何かにつけて親に頼り、判断は人に委ね、流れに身を任せて生きていけばどうなるか。子どもならともかく、成人してもなおこのようなモラトリアムが根を生やした「必殺任せ人」に必殺仕事人はいない。日常生活でも、どこに遊びに行くかは友人任せ、焼肉の塩・タレ・素焼きの味付けも料理人任せ。仕事においても、上司任せで指示待ち。その上司にしても部下に任せっぱなし。権限委譲と言えば聞こえはいいが、それもお任せの一つの亜流にすぎない。「 任せ任され  うまくは行かぬ  ドジを踏んだら  きみのせい」と都都逸の一つで皮肉りたくなるのが、当世の会社事情である。

生れてからある時期まで、人は生きること、すべきこと、学ぶことなど、ほとんどすべてを他者に依存し、他者に判断を委ねる。依存とは任せるということだ。そして、任せておけば真剣に考えないで済む。考えないとは疑念を抱かないことでもある。何事かを疑い自ら別の判断を捻り出さないのは、一個の人間として未成熟、未完成の証である。

しかし、幼さを脱皮して青年期に差し掛かれば、何事かを誰かに任せながらも、そのことを納得してばかりいられないという内的動機が生まれてくるものだ。かくありたい、かくあらねばならないという意識への目覚めから、他者への依存が弱まり自助自立への意志が強まる。「他人に任せる」から「自分に任せる」へ……考えることも生きることも判断することも……これを「責任」と呼ぶ。それは、任せることと任せっぱなしの峻別をともなう能力でもある。

視覚とエッシャー

滝、上昇と下降、反射球体と手、メタモルフォーゼ、メビウスの帯、空の城、解き放ち、モザイク、鳥で平面を埋めつくす、バベルの塔、相対性、凸面と凹面、メタモルフォーゼ、爬虫類、魚とうろこ、蝶、蟹のカノン、三つの世界、露滴、もうひとつの世界、メビウスの帯、昼と夜、表皮片、水溜り、さざ波、ラーメスキータ、三つの球体、立方体とマジックリボン、蟻のフーガ、秩序と混沌、上と下、龍、カストロバルバ、描いている手と手、プリント・ギャラリー、言葉。

以上はエッシャーの版画やスケッチに命名されたタイトルである。

エッシャー2

ここに拾ったタイトルの図版は、ダグラス・R・ホフスタッター著『ゲーデル、エッシャー、バッハ――あるいは不思議の環』に収録されている。これは750ページを超える大作で、いったい何についての書物かを説明するのに戸惑う。一応科学に分類されるのだろうが、かなり多岐にわたっている。お勧めする気はまったく起こらない。それにしても、エッシャーの絵画には、まるで短編小説を思わせるようなタイトルが並ぶ。

エッシャーは版画家である。しかし、「だまし絵」と称される一連の作品は、科学や哲学など芸術以外の分野の考察対象にもなっている。自然法則上の構造に対して独創的なアンチテーゼを呈したのがエッシャーだ。彼の作品には空間の有限世界を無限化してみせるというテーマが横たわっている。


エッシャー

エッシャーの図録を何冊か持っている。ページを繰って眺めていると、ありきたりだが、視覚の不思議に気づかされる。視覚はおそらく知覚の代表格である。人は長きにわたって「一見いっけん」の力を信じてやまなかった。しかし、視覚は「錯視」という誤動作をしばしば起こす。手品のネタを明かされても手さばきの鮮やかさに見惚れてしまうように、エッシャーの版画の構成の正体を承知してもなお、何度見ても錯視が生じてしまうのである。

エッシャーの作品には幾何学や物理学の法則が本来あるべき姿として存在していない。だから、不安定で不気味で落ち着かなくなるはずである。しかし、なじんでしまうと、しかるべき現実の空間のほうにむしろ違和感を覚えることがある。うまく表現しづらいので、『共通感覚論』から中村雄二郎の視点を拝借する。

「(……)一面幾何学的な冷やかさをもちながら、同時に人間くさく、宇宙的感覚に充ちている」
「(……)視覚の逆理が単なる知的遊戯として示されているのではなく、作者のうちに内面化され、いわば触覚化されている(……)」

この文章からぼくが想起するのは、バルセロナで眺め、そして会堂に佇んだ、ガウディのサグラダ・ファミリア教会である。それはまさに〈人間的ミクロコスモス〉であり〈宇宙的マクロコスモス〉であった。作意が鑑賞者の内面にも響き、視覚の限界を超えてしまうのである。エッシャーの作品も同様だ。視覚の逆理を遊ぶ「だまし絵」というジャンルに振り分けられているが、騙されることを了解した上で鑑賞しているのである。こうしてみると、今ぼくたちが目の前にしている現実が――そこにあるモノや構造物が――「だましのない、見えるがまま、あるがままの存在」と言い切れない気がしてくるのである。

ここはぼくの場所だ

大きな世界地図を手に入れた。かなり精細に作られている。この一枚をトイレの壁に貼ることにしたわが家は狭いが、トイレの壁面積はまずまずなのである。その地図の、陸地ではなく、大西洋、インド洋、太平洋の海に浮かぶ小さな島々を目で追った。島と島を空想的に巡っていくと、点と点が結ばれ、地図上には引かれていない線が浮かび上がってくる。

Outre-mer_en

フランス領の島々がかなりあるので、インターネットで調べてみたら《フランスの海外県・島々》と題した地図が見つかった。フランス領の島々が他国領の数を凌いでいるように見える。これは新しい発見だ。南太平洋、インド洋、北大西洋のメキシコ湾に仏領の島々が点在している。もちろん、スペイン領の島……イギリス領にアメリカ領の島……オーストラリアやニュージーランドにも島が多い。

大航海時代に遡ってみる。これらの島々の一部は無人島だったかもしれない。しかし、アメリカ大陸発見と同じ経緯も多々あったと推測できる。つまり、航海者や探検家にとっての「発見」であって、たいていの島では原住民が古来住み続けていたはずだ。領土と宣言するに到る過程の血生臭いシーンが浮かぶ。先住権よりもよそ者の横領による占有権がものを言った。「ここはオレの国の島だ!」


と、ここまで書いて、パスカルの警句を思い出した。

ぼくのもの、きみのもの。
「この犬はぼくのだ」と、あの坊やたちが言っていた。
「これは、ぼくが日向ひなたぼっこする場所だ」
――このことばに地上のすべての簒奪さんだつの始まりと縮図がある。

(パスカル『パンセ』295

既得権のある者が領域侵犯者に告げるのではない。簒奪ということばが示すように、のこのこ後からやって来た者が既得権者に対して「そこはオレの場所だ!」と縄張り宣言をして横領したのである。日向ぼっこというたわいもない習慣で終わらないのが強欲な人間の常であり、覇権をねらう国家の魂胆も別のものではない。日向ぼっこの席がベンチ一つ分へ、ベンチの周辺へ、さらには公園、地域へと拡張していく。

「オレの、私の、ぼくの、われわれの」という一人称所有格は厄介である。かと言って、「みんなの」と言い換えたところで共有意識が高まるとはかぎらない。その名を持つ政党が崩壊したのは記憶に新しい。人間生来の欲望だろうか、自分のものは自分のものであり続けて欲しい。そして、垣根を一つまたいだところにある誰かのものも、できれば自分のものにしてしまいたい。ギャグめいた常套句、「ぼくのものはぼくのもの、みんなのものもぼくのもの」がこうして生まれる。

小さく威張ることに慣れると、やがてエスカレートして大きく威張るようになる。小さな権利を手に入れれば暴走気味に大きな権利を欲しがるようになる。ぼくの小学生の頃、教室の机は一卓二人掛け。机の中央に線を引く男子がいた。その線を消しゴムが越境すると、「ここはぼくの机だ」と主張した。やがて、「こっちに入ったら返さない」と言い始めた。中央に引く線が引き直され、男子は机上の領土を広げた。これが簒奪の始まりであり縮図であるなら、その後の人生で彼はかなりの数の消しゴムや鉛筆、その他諸々の物品や土地を手に入れたに違いない。