『出発』とランボー

飛行機雲1

鮮やかに直線を引く飛行機雲を目にした。飛ぶ機体も、背景に青をいただく白という図も何度も見上げてきた。しかし、いつも同じようには見えない。季節の空気で気配は変わるし、しばらく続く残影も気分によって変わる。すべての飛ぶ飛行機は「着陸」を目指す。つまり、ある地点に到着する。高空にある飛行機を見るたびに「どこへ行くのだろう?」と素朴に思う。けれども、すでに離陸したからこそ着陸がある。「どこから来てどこに向かうのだろう?」と想像すれば、出発と到着が一つにつながる。

若かりし頃に読んだアルチュール・ランボーの一篇を連休中にふと思い出した。もちろん、半世紀近く前の詩を丸暗記しているはずもない。だが、偶然とは不思議なもので、この飛行機雲を見上げる直前に、古本屋で懐かしいランボー詩集に巡り合い手に入れていたのである。買ってはいたが、数冊のうちのついでの一冊であり、ページすらめくっていなかった。飛行機雲を見たその場では「離着陸」を連想し、もう一度写真を見てランボーのイリュミナシオンの中の『出発』がよみがえり、そして詩集を買ったことを思い出したのである。早速その一篇を探した。フランス語と日本語の併記で紹介されている。

DÉPART

Assez vu. La vision s’est rencontrée a tous les airs.
Assez eu. Rumeurs des villes, le soir, et au soleil, et toujours.
Assez connu. Les arrêts de la vie. ―― O Rumeurs et Visions!
Départ dans l’affection et le bruit neufs!

出発

いやほど見た。幻はどんな空気にも見つかった。
いやほど手に入れた。夜ごと、町々のざわめき、陽が照っても、いつもかもだ。
いやほど知った。かずかずの生の停滞。 
――おお、ざわめきと幻よ!
新たなる愛情と響きへの出発!


フランス語は話すのは苦手、聴くことはさらに苦手である。苦手なのはほとんど口と耳を使って学習してこなかったからだ。それでも、辞書があれば、英語とイタリア語からの連想も交えて、ある程度は読み取れる。まったく偉そうなことは言えないが、この詩のフランス語はさほど難しくない。しかし、この訳で原詩のニュアンスが伝わっているのだろうか。上田敏ならどんなふうにこなれた日本語で紡いだだろうかと想像した。好奇心から他にどんな訳があるのか調べてみた。『ランボオ』について書いている小林秀雄の訳を見つけた。

見飽きた。夢は、どんな風にでも在る。
持ち飽きた。明けて暮れても、いつみても、街々の喧噪だ。
知り飽きた。差押えをくらった命。――ああ、『たわ言』と『まぼろし』の群れ。
出発だ。新しい情と響きとへ。

これはどうなんだろう。先の訳よりも切れ味があるような気はする。しかし、こうして二つの訳を比較してみると、同一の原詩を訳したとはとても思えないほど感じるものがかけ離れてしまう。もう一つ別の訳がある。

見あきた あるだけのものは もはや見つくした
聞きあきた 夜となく昼となく いつもお定まりの町々の騒がしさ
知りあきた 生命もたびたび差し押さえられた ――ああ やかましい雑音と仇な幻
出発だ 新たな情緒と新しい雑音のうちに

どの訳に最初に出合うかによって詩人に抱く印象が変わる。そして、もし最初に読む訳詩だけしか知らずにいたとしたら、決定的である。詩には小説の翻訳以上に訳者の思いが反映される。詩人と訳者の合作を読んでいるようなものだ。


ランボーの署名が残っている。その直筆に幼さを感じる。それはそうだろう、37歳で生涯を終えたランボーが詩作したのは156歳からのわずか数年間だけだったのだから。誰もが認める早熟の天才。そのサインの筆跡が示す通りの幼さを見せながらも、ランボーは奇跡的に現れて、「不思議な人間厭嫌の光を放ってフランス文学の大空を掠めた(……)」(小林秀雄)、そして、不気味な空気を詩編に残して、彼は消えた……。

早逝の詩人ゆえ当然寡作である。全詩を読み尽くすのに、念には念を入れて仏和で味読したとしても、一日あれば十分である。ぼくらの世代のちょっとした文学青年なら十代か二十代前半に読んでいる。とうの昔のことだからすでに本を処分しているかもしれない。ぼくもそんな一人だ。半世紀近くを経て偶然手元にあり、今ページが繰られる。そう、あの飛行機雲から『出発』を思い出した偶然の成せる業である。ところで、最近の若い人たちはランボーを読むのだろうか。

「百聞は一見にしかず」なのか?

「百聞は一見にしかず」。聞き上手が褒められるわが国でこの諺は生まれにくかったに違いない。同じことを百回も聞く人は聞き上手に決まっている。この諺は和製ではなく、戦地に赴くことを宣帝に願い出た趙充国将軍の言に由来する(『漢書』)。何度も人から聞くよりも、自分の目で実際に見るほうが確実であるという意味で今も使われる。ここで確実と言うのは「確実に知る」ということ。何かを理解し分かるためには、聴覚よりも視覚のほうがすぐれている、見るは確実に知ることにつながる、と言う教えである。

百聞は一見にしかずか?

英語では“Seeing is believing.”がこれに相当することになっている。「なっている」というのも変だが、そう書かなかったら英語のテストで誤答とされたから、しっくりいかないけれども、そう答えるしかなかった。しかし、どう考えても、「百聞は一見にしかず」と同じではない。英文は聞くことについては言及しておらず、「見ることは信じること」と言っているだけであり、見ることの確かさについても保障してなどいない。「見たら信じられるか?」と聞かれて、ぼくは即答できない。幻覚には見落とし、見損じがあるからだ。

見ること――この目ではっきりと見ること――は、はたして物事が確かに分かることなのか。しかも、「一度見る」だけで十分なのか。自分自身のこと、周囲にいる知り合いのことを思い浮かべてみればいい。一度見ることが百回聞くよりも優るのは常ではない。人次第、正確に言えば、理解力次第である。ある人が一度だけ聞いて分かるのに、別の誰かは百回聞いても、そして百回見てもさっぱり理解しないことなどはよくある。ぼく自身、一度聞いて分かることもあるし、何度聞いても分からないことがある。ならば、聞くのをやめて、見たら分かるか。いやいや、一回見て分かることもあれば何度見ても分からないことは、聞くのと同じ程度に起こる。


この諺に異議を唱える諺がある。「心ここにらざれば、視れども見えず」がそれだ。心ここに在るとは集中力だ。集中力を欠いてぼんやりと見ているだけでは何も見えてこないだろう。ロダンの、「私は毎日この空を見ていると思っていた。だが、ある日、はじめてそれを見たのだった」という述懐には、ある時、突然集中のギアが入った印象がうかがえる。

「我々の感覚は見ていても、見えていないのである。ノートル・ダム正面玄関のロザース〔薔薇窓〕辺の石の壁面の美しさは、見ていても多くの場合、我々には見えていないのである。窓の間の壁面の美しさを何十何百とある建物の中に気がつくようになって、或る日ふとノートル・ダムを眺める時、今まで見えていなかったものが、突然見えるようになって来るのである」
(森有正 『遠ざかるノートル・ダム』)

あるものが見えるためには場数が必要である。同時に見る対象の付帯状況に身を置き、対象と一つにならねばならない。野次馬のように、対象と自分を切り離されたものとして凝視しても易々とは見えてこない。なぜなら、ものは外からのみ見るのではなく、そのものの内面からも見えるからである。内面から見えるとは、感覚を研ぎ澄まして想像力を働かせるということだ。それなら、見ることに限った話ではない。聞くことには、音によって視覚を補おうとする想像が蠢く可能性がある。

見るにせよ聞くにせよ、対象が鮮明に確実に分かるためにはある程度の時間をかける必要がある。一度や二度で分かろうなどとは調子が良すぎるのだ。ロダンにしても森有正にしても、何回も何日も熟知に至る時間を費やした。もちろん、何事かを即座に直観的に分かることもある。しかし、百聞して分からぬことはおそらく一見しても容易ではない。視覚の聴覚に対する優位性をかたくなに信じる向きもあるが、ぼくはエッシャーのだまし絵を鑑賞して以来視覚を過信しなくなったし、身近では、毎日の散歩道で日々新しい視覚的体験に驚いている。人は、聞いているようで聞いていないし、見ているようで見ていないのである。だからこそ、全身を耳にしてことばを傾聴し、全身を目にして対象を注視しなければならない。

信と疑の再考

イエスのほうがノーよりも聞こえがいい。述べた意見に「その通り」とうなずかれると快く、「違う」とか「賛成しかねる」ときっぱり言われたら気持ちは穏やかではない。人は否定されるよりも肯定されるほうを好む。そして、肯定されるためには、自らが他人を肯定せねばならないから、みんなが互いに褒め合うようになる。そんなやわな褒め合いが昨今の風潮である。

思考のどこかには、「既にあるもの」への疑問や、他人の意見や常識を単純になぞってたまるかという意識が潜むものだ。ほどよい懐疑と自覚が理性的思考の前提にある。懐疑するには、懐疑する対象を動かす「テコ」を持たねばならないのである。だが、テコがなければ、反証できずに泣く泣く受容せざるをえない。褒め合う風潮の背景には、このテコを持ち合わせない人が増えてきたこともあるのだろう。

神々の支配下にあった古代末期から中世初期にかけて、ヨーロッパでは神に従ってさえいれば万事無難という生き方が趨勢であった。ところが、そうしているにもかかわらず、生活も良くならず生きがいもない。ならば、人が人として生きてみよう、考えてみよう……ギリシアやローマの古典古代に生きた人々のような人間性を復興させよう……そんな気運になってきた。この人間復興が文化復興へと発展し、ルネサンスと呼ばれる時代を迎えることになる。危機への意識は、イエスや肯定などの信によってではなく、ノーや否定などの疑によって芽生えるものだ。常識を疑う批判精神が創造への道を切り拓いたのである。


ここで「シャルリーエブド」の話を持ち出すつもりはない。風刺の話ではなく、あくまでもぼくたちが縛られている信と疑のありきたりな観念を見直してみたいというのが動機である。疑が信よりも重要だという幼い主張をするつもりもない。無思考的に〈信〉に流れている風潮に対して、〈疑〉というものの本来的な力にも目配りをすべきではないかという問題提起である。

明暗信疑2

そこで、先人の知恵を渉猟することにした。そして、信と疑について、さらにポジティブとして、あるいはネガティブとして語る言説を分類してみたのである。

信と明をつなぐもの。すなわち、信への信。

自分自身を、自分の力を信じることが才能である。(ゴーリキー)
自分自身を信じてみるだけで、きっと生きる道が見えてくる。(ゲーテ)

信と暗をつなぐもの。すなわち、信への疑。

誰でも恐れていることと願っていることを易々と信じてしまう。(ラ・フォンテーヌ)
物事は確信を持って始めると、疑惑に包まれて終わる。(ベーコン)

疑と明をつなぐもの。すなわち、疑への信。

まず疑う、次に探究する。そして、発見する。(バックル)
初めに疑ってかかり、じっくりそれに耐えれば、最後は確信に満ちたものになる。(ベーコン)

疑と暗をつなぐもの。すなわち、疑への疑。

自分が相手を疑いながら、自分を信用せよとは虫のいい話だ。(渋沢栄一)
惚れていて疑い、怪しみつつ愛する男は、呪われた月日を送る。(シェークスピア)

言うまでもなく、偉人の言を鵜呑みにしてもいいし、それらに首を傾げてもいい。これらを統合的に眺めてみれば、疑と信のいずれも、一本槍では済まないということが学べるだろう。相手関係や世間の価値観の呪縛から逃れて、疑も信も使いこなせというわけだ。これが基本である。ポアンカレの次の言が結語にふさわしい。

すべてを疑う、またはすべてを信じるというのは都合のよい解決法である。どちらにしても、われわれは反省しないで済むからだ。(ポアンカレ)

リンゴの種(ネタ)

リンゴ、りんご、林檎……どう表記しようか。ちょっと迷う。林檎はともかく、カタカナにするかひらがなにするか。英米人には“apple”しかなく、こんなところで逡巡しない。ひとまずカタカナにすることにした。ところで、30数年前の歯磨きのテレビコマーシャル、「りんごを齧ると歯茎から血が出ませんか?」というセリフを思い出す。台本は「りんご」か「リンゴ」のどっちだったのか。

サンふじ 巨大リンゴ

とてつもなく大きなサンふじが自宅に届いた。iPad上に二個並べられないサイズ。実に立派なリンゴだとまじまじ見ていると、リンゴにまつわる記憶がよみがえる。うろ覚えのものはちょっと調べてみた。暇つぶしのリンゴのネタ探し(ここは「タネ」ではなく、逆さ読みして隠語の「ネタ」がいい)。それはそうと、林檎の「檎」は何度覚えても忘れてしまう。どんなもんだいと書ける者も少なそうだから、カタカナかひらがなに落ち着くのもやむをえない。

英語では成句の“apple-polish”がよく知られている。日本語の「ごますり」にあたる。リンゴを磨いて先生にあげて喜んでもらうのだが、テストの点数に反映されたら贈収賄である。諺では“An apple a day keeps the doctor away.”も有名。「一日リンゴ一個で医者いらず」。リンゴ1個の箇所に、たとえばにんにく卵黄何粒などのサプリメント名を入れてみる。それで医者いらずとはいかないから、リンゴの効能も過信しないほうがいいだろう。


「リンゴと言えば?」と数人に何を連想するか尋ねると、必ずイブが出てくる。『旧約聖書』によると、イブは蛇にそそのかされて禁断の果実に手を出した。その禁断の果実がリンゴであるとは書かれていない。一応リンゴということになってしまい、それゆえにリンゴには誘惑だの不従順という、リンゴにしてみれば不本意な花言葉がついてしまった。

(……)
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の空に
人こひめしはじめなり
(……)

島崎藤村の「初恋」の一節である。このシーンではリンゴやりんごは絶対にダメで、林檎でなければならない。なお、ここでもリンゴは誘っている。「和製イブ」の雰囲気が漂わぬでもない。

歯にあてて雪の香ふかき林檎かな    渡辺水巴

当然林檎でなければならない。リンゴのシャキッとした歯触りが伝わってくる。あの歯磨きのコマーシャルのように丸かじりなのだろうか、それともスライスした一片なのだろうか。ここは前者だからこそ香りが深く伝わってくるはず。もちろん歯茎から血が出ると様にならないから、歯周病とは無縁の健康の歯でなければならない。と言うわけで、リンゴからぼくは歯を連想することが多い。

午前七時、西の月

午前7時の月

不思議なものである。126日にプラネタリウムを楽しんでから空を見上げる機会が少し増えた。その日は満月であった。その三日後、朝七時に西の窓を開けた。すっかり闇からほどかれた月が西の空に浮かんでいる。「ぽっかり」と言うしかない浮かびようであった。

月には「ぽっかり出る」という表現があることを思い出した。中原中也の『湖上』の一節である。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
   ( …… )
月は聴き耳立てるでしょう、
すこしは降りても来るでしょう、
われら接唇くちずけする時に

月は頭上にあるでしょう。

舟はどこに浮かんでいるのだろう。水辺と月は相性がよさそうだ。省略した「……」の部分に「沖」ということばがあるから、舟は海に浮かべるようである。なお、ぼくの見た月は少しも降りて来なかったが、聴き耳を立てているように見えなくもなかった。


月と海の関係について数冊の故事・名言・格言辞典を調べてみた。ちょっと時間がかかったが、マルタ共和国の次の諺に出合った。

月は眠っても、海は起きている。

地中海の島国ならではの、油断大敵を戒める諺である。月が眠っているように見える穏やかな時でも、海は危ないぞ! ゆめゆめ気を緩めてはいけないぞ! という意味らしい。ぼくの見た「ぽっかりの月」は、聴き耳を立てているように見えたくらいだから、ちゃんと目覚めていたに違いない。

太陽神に比べれば地味だが、ギリシア神話にもちゃんと月の神が登場する。太陽神アポロンと対比されるのは月の女神アルテミス、セレーネ。ローマ神話に転じると、それぞれがディアーナ、ルーナと名前を変える。ディアーナはイタリア語では普通名詞として暁の明星とか朝という意味でも使われる。午前七時に見上げたあの月はディアーナと呼ぶにふさわしかったようである。

ジョルジオ・モランディのこと

ボローニャ モランディ

本の仕分けと所蔵のことでずっと頭を痛めている。美術関係の図録や海外で買い集めた街のガイドブックなどは分厚く重い。雑誌もかさばる。これらが幅1メートル、3段の棚を占めている。何とかしようと整理にかかると、珍しいものに出くわし、座り読みして作業が渋滞する。昨日ぼくの手を止めたのは20055月号の芸術新潮。特集は『モランディのまなざし』である(写真がその雑誌とモランディの作品のポストカード)。

ジョルジオ・モランディ。回りに知っている人はほとんどいない。ぼくも12年前は知らなかった。1890年イタリアのボローニャで生まれ、1964年に73歳で亡くなるまでほぼ生涯をボローニャで過ごした。20043月、ぼくはボローニャに滞在し、マジョーレ広場へ出掛け、敷地内にある市庁舎を訪ねた。その市庁舎内でモランディ美術館の存在を知り、モランディ作品を鑑賞する縁があった。

とにかくモランディは静物画ばかりを描いた。静物画の主役はほとんどがびんである。いろいろな壜を描いたが、まったく冴えない同じ壜でさえ執拗に繰り返し描いた。美術館で作品を眺めながら、「静物画だけに静かだ……おとなしくて上品だと言ってもいい……けれども凡庸だ……この程度なら……」と感じていた。これがぼくの第一印象である。鑑賞する作品のほとんどに〈静物〉という題がついている。静物、静物、静物……絵画にもタイトルにもちょっとうんざりした。


おもしろいものである。あまり感心をしたわけではないのに、見終って出口近くのミュージアムショップに寄ると、ふとジョルジオ・モランディが近い存在に思えてきた。見た目にあまりパッとせず口あたりもよくない料理だったけれど、食べているあいだに癖になり、舌の上で食味の余韻が残っているような感じがしてきた。立ち去りがたく、しかし、いつまでも佇んでいてもしかたがないから、ポストカードを数枚買って市庁舎を後にしたのである。

冒頭の芸術新潮にモランディのことばが紹介されている。

「人が実際に見ているものほど抽象的で非現実的なものはない(……)客観世界について見てとることのできるものは、私たちが主観であり客観でない限り、それを見て分かったと思うとおりに存在しているわけでは決してないのです(……)私たちに知ることのできるのは、木は木、コップはコップであるということだけなんです」

要するに、壜は壜なのである。モランディは、何の変哲もない壜を、描くのと同等かそれ以上のエネルギーをかけて観察したという。脱主観の境地に達するまで見つめ続けたのだろうか。

EPSON MFP image

翌日、ボローニャ名所の一つである斜塔の木造階段を恐々上り、マジョーレ広場と市庁舎を見下ろした。ボローニャはめったにツアールートに入らないが、個性ある街という点ではミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマにひけを取らない。それどころか、ここでしか感応できない対象がある。モランディ美術もその一つと言えるだろう。もちろん、タリアテッレのボロネーゼも忘れられない。

落葉と孤独

「落ちる」ということばを聞いて歓喜して小躍りしたくなるか。決してならない。「恋に落ちる」を唯一の例外として、落ちたいなどと思う人はいない。同音の「堕ちる」も「墜ちる」も字姿が危なっかしい。葉は芽吹いて青くなり、季節が巡ってやがて紅葉し、枯れて落ちる。せつない。落ちるよりはでるほうがいい。墜ちるよりは翔ぶほうがいい。

落葉はやるせなさを募らせるし、別に悲しくもなんともないのに、まばらに路肩に撒かれたような落葉を見ると感傷的になってしまう。それらの落葉は公園通りで掻き集められ、大量に袋に詰め込まれて清掃車を待つ。このように扱われると、せつなさもやるせなさも漂ってこない。もはやただのゴミである。

パリの落葉 2011年もの

子どもたちが落葉を拾っている。黄色、赤色、褐色の葉を集めてはしゃいでいる。その嬉々とした姿を見ていると、落葉の光景から哀愁が消える。3年前の今頃、ぼくも子ども心に戻って十数枚の落葉を拾っていた。場所はロダン美術館のある庭園。その時の落葉は、今では水分をすっかり失って枯れ切ってしまい、おそらく乱暴に扱うとパリっと割れるか粉々になるだろう。


ロダン公園

ロダン美術館はロダンの邸宅だった。1917年に没するまでロダンは10年間ここで過ごした。美術館には多数の作品が展示されているらしい。「らしい」というのは、足を運んだのに美術館に入館していないからだ。ぼくはまず庭園を歩いた。広大な庭園内を歩きながら、青空を眺め、深呼吸し、落葉を拾い集めた。その合間に屋外に置かれている『考える人』や『地獄の門』を鑑賞した。美術館に戻ってきた時、もう十分に芸術とパリの秋に堪能していたのである。

パリから持ち帰った落葉を見るたびに、半月ほどの滞在の日々をかなり濃密に回想することになる。この時期に振り返る街角、広場、舗道、カフェなどのシーンには物悲しいシャンソンがお似合いだ。孤独に陥る寸前の自分に別の自分が視線を投げて少々陶酔している図も見えてくる。

ロダンは名声を得る前、孤独だった。だが、やがておとずれた名声は彼をおそらくいっそう孤独にした。名声とは結局、一つの新しい名の回りに集まるすべての誤解の相対にすぎないのだから。
(リルケ『ロダン』)

孤独とは厄介な心理である。無名であろうと有名であろうと人は孤独に苛まれる。孤独から逃げ出すために群衆に溶け込もうとしたものの、意に反して強度な孤独に襲われて眩暈に苦しむ。一、二枚の落葉も孤独の誘因になりうるが、大きな孤独を招かないためのワクチンだと考えればよいのである。

バッハから……ブッダまで

今日のことば、あれこれ。ただ書くがまま思うがままである。他意はない。

バッハのすべて編集

『バッハのすべて』を読む。もちろん、この一冊でバッハのすべてがわかるはずもないし、わかってやるぞと思うわけではない。バッハは作曲家であり演奏家であり教育者であった。すべてに超のつく「めい」がつく。加えて、楽器、とりわけオルガンの名鑑定家としても知られていた。18世紀当時、オルガンと言えば教会。響きには北ドイツ系、オランダ系、フランス系などがあったという。オルガンは製作されるものではなく、「建造」されるものであった。そんなプロジェクトにバッハは関わってもいたのである。

「音楽は精神の中から、日常の生活の塵埃じんあいを除去する。 」
ヨハン・セバスチャン・バッハ)

三年前の今頃、パリはサン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会。そこで最古のパイプオルガンの響きを体感した時、音楽の奇跡的な浄化作用を確信した。塵埃が積もり過ぎてしまう前に、精神、つまりは脳の自浄作用が働くように音楽サプリを摂取しておくのがよい。


柿が好きだ。昨夜も京都でほどよく熟した柿のデザートを堪能した。今夜も食後に柿を食した。酸味のある果物が苦手と思われているのだが、そんなことはない。ただ、口あたりのよいほどよく甘い果物のほうが好きだというだけのことである。それにしても、果物はえらいと思う。八木重吉にこんな短詩がある。

 果物

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまつて
うつとりと実のつてゆくらしい


昨日花園大学に行った際に『ブッダのおしえ  「お経」のことば』という小冊子が廊下のテーブルの上に置いてあった。「自由にお持ち帰りください」とは書いていなかったが、持って帰っていけないわけがない。と言うわけで、今手元にある。

八正道はっしょうどうの話が書いてある。煩悩の根本を滅ぼして執着しゅうじゃくを離れれば苦しみがなくなる……そのために修めるべき八つの正しい道がある。

正見  (正しい見方)
正思惟    (正しい考え方)
正語        (正しいことば)
正業        (正しいおこない)
正命        (正しい生活)
正精進    (正しい努力)
正念        (正しい思い)
正定        (正しい心の統一)

実は、数年前からぼくの企画の演習の中にも取り入れている。上記の八正道を紹介した後に「八正道を九正道にしたい。あと一つ何を付け加えるか?」という演習。やさしそうだが、すでに存在している八正道との折り合いもあるから、やや骨が折れる。正食、正縁、正聴などが加わってもよさそうだ。正笑や正遊も候補に挙がるかもしれない。

知は力か無力か

エサしか見えないカエル

万物の霊長も、カエルのことを「餌しか見えないやつだ」などと言えた立場にない。欲に目がくらんだり直近のものに強く反応したりするいう点では、両生類とぼくらの間に大差はない。両生類よりもすぐれた知力が備わっていても、欲が強くなる時、知の働きが鈍くなるのが人の常。

「知は力なり。とんでもない! きわめて多くの知識を身につけていても、少しも力を持っていない人もあるし、逆に、なけなしの知識しかなくても、最高の威力をふるう人もある」
(ショーペンハウエル)

知力あるいは理性が潜在的に備わっていても、顕在化するとはかぎらない……眼前の対象に右往左往していては力を発揮できない……知の多寡は現実の成果とは無関係である……ショーペンハウエルはこんなふうに言っているのだろう。ショーペンハウエルが槍玉にあげた「知は力なり」というのはフランシス・ベーコンのことばである。ここでの知が知恵なのか知識なのかという議論もあるが、ラテン語では“Scientia potentia est.”と表現されている。“Scientia”は「知識」の意味にとらえるべきなので、ショーペンハウエルの焦点の絞り方は妥当と言える。


ぼくが「ことばは力である」と言うとする。いや、実際にこれまでもよくそう言ってきた。これに対して「いや、あふれるような笑顔のほうが力だ」と誰かが反発する。いや、それどころか、ことばよりもハートだなどともよく反駁されたものである。もちろん言い返されて納得できれば主張を取り下げてもいい。ところが、ハートを持ち出す者から具体的な論拠を聞かされたことはない。論拠のない反論に耳を貸す必要などさらさらないが、世間には検証もせず議論もせずにハートのほうを容認する人たちが少なくない。

「ことばは力である」に反論するなら、そのことのみを否定すべきである。つまり、「ことばは力ではない」を反証しなければならない。「ことばよりもハートだ」というのは反論になり得ていないのである。同様に、「理性よりも感性だ」も理性の否定になっておらず、「きみがイケメンなら、オレもイケメンだ」も「きみがイケメンである」ことを揺るがしてはいない。幼い口げんかに過ぎない。

では、ショーペンハウエルのベーコンの「知は力なり」への反論はどうか。「とんでもない!」と強く反発しているが、「知は力ではない」と言い得ているだろうか。あくまでも「場合によっては」とか「人によっては」という条件付きになっている。知を力にできるかどうかは人次第であり、知そのものが他の要因を無視しては力にはなりにくい、という批評に留まっている。そして、完全否定などではなく批評ならば、知を力にするには何が必要かを提示してもいいはずだ。もっとも、こんなことをショーペンハウエルは百も承知である。

裏返せば、ベーコンの「知は力なり」も真に受けてはいけないということがわかる。「知は力になりうる」というほどの意味だ。一、二行だけポツンと言い放たれたり抜き書きされた、いわゆる名言や格言を読む時の最低限の作法を身につけておかねば浅い理解に終わってしまうのである。結論――「知はうまく使えば力になる。しかし、過信された知は無力である」。どうも冴えない結論だが、まあ、こういうことなのだろう。

食欲の秋に思う

食欲の秋、実際に食欲は増進するのだろうか。そして、摂取食事量も他の季節よりも増えるのだろうか。食材が豊富に出回るこの季節、みんなせっせと食べているのだろうか。いや、そうとはかぎらない。食欲の秋に食欲不振に陥る残念な人もいるはずである。

事実をどれだけ反映しているのかわからないが、“Amore, cantare, mangiare”(アモーレ、カンターレ、マンジャーレ)はイタリア人を象徴する三大動詞と言われる。「恋する、歌う、食べる」。彼らが惚れっぽいのは映画を観ていればうなずける。歌うのはゴンドラの漕ぎ手やレストランの流しの歌手を見て知っているが、猫も杓子も歌うカラオケ文化のわが国に比べたらさほどでもないような気がする。

ボンルパわいん家2

食欲旺盛な大食漢ぶりは日本人がイタリア人を凌いでいると断言できる。かつてフルコースという概念に振り回され、日本人観光客はヨーロッパに出掛けると、前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザートをまめに注文した。もちろん、イタリアでも前菜、第一の皿(パスタ類)、第二の皿(魚料理・肉料理)、デザートというカテゴリーは今もある。ぼくもそんなふうに生真面目に全品注文したことがある。実際のところ、ハウスワインの安いのとつまみとパスタだけ、またはサラダとピザだけという現地の客が多い。日本人観光客のようにハムとチーズの前菜、パスタ、肉料理、デザートとコーヒーなどは例外と言ってもよい。


閑話休題――。時はまさに天高く馬肥ゆる秋である。食欲旺盛になって体重を増やすのは馬のみにあらず。ぼくたちも、豊富な食材や美酒にそそのかされ、気が緩んでしまうとつい鯨飲馬食しがちである。ぼくのささやかな知識の中には、秋の食欲旺盛ぶりにちなむ外国語の諺や格言はない。但し、食べることと恋することに関しては、イタリア語に次のような常套句がある。

Chi non mangia ha già mangiato, oppure è innamorato.
(食事の進まない者は、今しがた食べた者か、恋する者である)

大食いを除けば連食・・などはできない。したがって、今しがた食べた者の食事が進まないのは当然。では、恋する者は食事が進まないか。これには異論が出るだろう。「恋して、歌って、食べる」がイタリア人の特質ならば、恋と食は仲違なかたがいしない。それどころか、恋心が食を旺盛にすることもありうる。

おそらくここで言う恋とは叶わぬ片想いの恋か、すでに失恋間近の、成就しそうにない恋なのに違いない。フォークとナイフを動かしている割には、口の中に食べ物をあまり運んでいないうわの空状態。そのような恋ならば、食欲どころか勤労意欲も遊興欲も活発にならないだろう。恋以外の何がしかのストレスも食欲減退の要因だと言われるが、この歳になっても未だに食欲不振に陥ったことのないぼくには無縁な話である。しかし、このことは食欲の秋にはかなり大きなリスクを秘めることになる。