懐かしい味

子どもの頃によく食べたおやつがある。その名もバナナカステラ。ぼくの周囲ではバナナパンとも呼んでいた記憶がある。懐かしい菓子であり、そして、昔ほど目につくわけではないが、今も売られている。「おかしなバナナ」と命名された商品を見つけた。菓子だから「おかしなバナナ」。

バナナカステラの他に、味つけパン、塩パン、蒸しパンなども末裔が生き長らえて昭和の食の風物詩を今も紡ぐ。生地に染み込んでいるのはノスタルジーの味である。

バナナカステラには自己同一性があるなどと言えば、大袈裟に過ぎるだろうか。時代が移り変わり人の味覚が変わっても、バナナカステラかくあるべしという主体性を失っていない点では、そう言えるような気がする。では、その正体はいったい何であったのか、そして今も何であり続けているのか。


たいせつな点だが、バナナカステラは果物のバナナがカステラになったものではない。バナナ味のエッセンスで味つけしたカステラであり、本物のバナナとは関係がない。ぼくにとっては菓子パンの一つだったが、パンよりもカステラが言い得て妙なのは、水分がかなり少ないからである。

カステラには“BANANA”という文字が浮き彫りになっている。エンボス加工である。「おかしなバナナ」のパッケージは「白あん入り」と謳っている。いかにも、白あん(または白あんモドキ)が中に入っている。商品によっては、白あんは文字の“ANAN”のあたりだけで、冒頭の“B”と末尾の“A”になかったりする。端の一口を齧ってもカステラだけということがある。

うまいかと聞かれれば微妙だ。昔と違って、食感のいい美味な菓子は今ならいくらでもある。バナナカステラのポジションは「マズウマ」かもしれない。まずいようでうまい。これは絵の「ヘタウマ」と同じで褒めことばだ。カステラの部分は乾いているので唾液がいっぺんに取られてしまう。そこに白あんが絡んで、ほんの少しだけしっとりする。お茶にも合う。

菓子パンの定番であるアンパン、イチゴジャムパン、クリームパン、メロンパンと比較すると、マイナーな存在と言わざるをえない。しかし、子どもにとっては目新しかった。おそらくバナナそのものが貴重な時代ならではの存在だったのだろう。時折り思い出しては一本賞味してみようと思う。一本食べると、もう一本に手が伸びてしまうのは今も昔も変わらない。

あの時、観戦者も飛んだ

帰宅して夕食時から午後11時頃は、仕事のある平日で一番ほっとする時間帯。話や文字から解放されたら、音楽を聴くかテレビを見るか、ぼんやり考え事をする。テレビはBGMみたいな存在で、テレビを点けたまま音声だけ聞き、食後のコーヒーを啜ったりする。

ここ10日間はかなりスタイルが変わった。変えたのは平昌ピョンチャンの冬季五輪。自ら体験した競技は何一つないが、札幌の冬季五輪から今日に到るまで、熱心に観戦してきた。特にスピードスケートとスキージャンプは欠かさず見てきたし、最近ではカーリングの高度な技とスリリングな展開に強い興味を覚える。自宅にはカーリングのミニチュア遊具も備えてあるくらいだ。

五輪のみならず、サッカーでも野球でもそうだが、録画はつまらない。結果を知らないで見る録画はまだしも、結果を知ってからの録画は話にならない。現場観戦が一番いいだろうが、それが叶わないならせめてライブだ。時差のない今大会はライブ観戦できるから興味は倍増する。と言うわけで、毎夜観戦を楽しんでいる。冬の競技はミスが起こりやすい。ある意味で減点スポーツ的な意味合いがある。だから、ハラハラする場面が多い。


印象に残る冬季大会は1994年リレハンメルだ。スキージャンプ団体は、原田選手の失速に日本じゅうが悲鳴をあげた。観衆も一緒に自分の腹筋に力を入れて1メートルでも先へと足腰を浮かせたが、結果は銀メダルに終わった。

さらに印象的なのがその4年後の長野大会。ラージヒル団体戦の当日、ぼくは講師として大手企業の合宿研修の最中だった。神戸六甲の立派な研修センターでロビーには大型テレビがある。最終ジャンパーの跳躍だけでもライブ観戦したいとの思いから、卑しくもその時間帯を自習させることはできないかと画策していた。

結果的には卑しくならずに済んだ。と言うのも、企業の研修担当課長が「受講生は、研修していても気が入らないでしょう。ぜひ30分ほど休憩してみんなで観戦しませんか?」と申し出てきたのだ。ここで相好を崩すわけにはいかない。ポーカーフェースで「う~ん、やむをえませんね」とぼく。

4年前の雪辱を果たす原田選手のウルトラジャンプ! あの時、観戦者も一緒に飛んだ。全員拍手と感激の嵐、金メダルに酔った。気がつけば、ロビーは他のコースの研修生も含めて観衆で溢れていた。やっぱりライブだ。研修室に戻っても受講生のテンションの余燼はくすぶり続け、研修モードに切り替わらない。その後の研修の調子が失速していったのを覚えている。

2017年の年賀状

当社は本年十二月に創業三十周年を迎える(予定)。
縁と機会に恵まれて今ここに至れたのは感慨深い。他人様から期待されるものがあり、その期待に応える相応の努力を重ねる日々であったと振り返る。
企画と言えば、表現や編集など、どちらかと言えば、手の技が主役だと思われがちだが、わたしたちの使命は考え伝えることであり、新しい発想からの切り口を提供することに尽きる。
その一端を示す仕事の習慣と方法を『いろはカルタ発想辞典』として編集し昨年の年賀状で紹介したところ、一部の読者から反響があり、「ぜひ続編を」という励ましをいただいた。
今年は「いろは」に替えて「一二三」と数にちなむ諺や故事成語などの用語を発展的に解釈してみた。発想上の戒めやヒントを導こうと試みた次第である。

一言以て之を蔽う
〔いちげんもってこれをおおう〕
様々な物事が集まって全体が意味を持つ。言いたいことは山ほどあるのに、本質をわずか一言で表わすには勇気がいる。しかし、多種情報の一元化にコンセプトの一言化は欠かせないのである。

二兎を追う者は
〔にとをおうものは〕 「一兎をも得ず」と続く。同時に二つの物事を狙うと一つの目的さえ叶えられないという戒め。足の速い兎を欲張って二羽追い掛けるから失敗の憂き目に遭う。逃げも隠れもしない二つの関心事なら両得はありうる。二足のわらじも恐れずに履いてみるべきだろう。

読書三到
〔どくしょさんとう〕 本を読む時に心得るべき三か条。声に出して読む口到(こうとう)、すなわち音読。目を見開く「眼到(がんとう)」。心を集中する「心到(しんとう)」。文のリズムを体得し視野角を広げて心を集中する。三到は三昧の境地に通じる。

四面楚歌
〔しめんそか〕 回りが意見の違う者ばかりということはよくある。だからと言って、孤立無援だなどと落胆するには及ばない。逆縁は転じて順縁になるのが常。楚の国の項羽も、自分を取り囲む漢の軍から楚の歌が聞えてきたことにひとまず安堵するべきであった。そこから先を読むから被害妄想に陥ったのである。

五里霧中
〔ごりむちゅう〕 深い霧の中ではつい方角を見失ってしまう。しかし、霧もなく見晴らしがよくても、何が何だか分からないのが今置かれている状況である。先もよく見えない。これが考えるというプロセスにほかならない。そもそも思考はカオスである。混沌ゆえにダイナミズムが生まれるのだ。

双六
〔すごろく〕 思い通りに事が運ばない双六は仕事の比喩である。紀元前ローマの詩人テレンティウスは言った。「人生は双六遊びのようだ。願う目が出ない。だが、偶然出た目を己の力によって生かせばいいのだ」。偶然をチャンスと見れば、「偶察」して望外の功を得るかもしれない。遊びの精神はセレンディピティを育む。

無くて七癖
〔なくてななくせ〕 癖がきっかり七つあるという意味ではない。別に一つでもいい。癖というものは芯まで染みついているから、改めるのが難しい。しかし、すべての癖が悪癖とは限らない。経験を積んだ技能も癖と言えば癖なのだ。ことばで説明できないすぐれた癖、それを「暗黙知」と呼ぶ。

腹八分
〔はらはちぶ〕 少し控えめに食べれば医者いらずなのだが、この八分の見極めが悩ましい。今は七分なのか、それともすでに九分過ぎなのか、的確に判断しづらい。ところで、脳の空きスペースは無尽蔵であるから「満脳」になることはない。くだらない情報以外の知はいくら貪っても問題ない。

九回裏
〔きゅうかいうら〕 勝負決したと思われる九回裏ツーアウト、走者なし。スコアは3対0。ここからヒットと四球でつながって満塁。打席には四番バッターが立つ。アナウンサーは十中八九こう言う、「さあ、わからなくなりました」。九回裏とは後がない終盤だが、諦めるなという場面でもある。

十で神童
〔とおでしんどう〕 二十歳過ぎて只の人になるための過程。晴れの成人の日に凡人になることを誰も望まないから、十で神童や十五で才子になってたまるかと抗う。わが国で十代の天才が生まれにくいのはこのせいである。

十二進法
〔じゅうにしんほう〕 十二よりも十のほうが「ちょうどいい感がある」などと考えてはいけない。十二は古来生活上の重要な分節単位であった。時計も一年も十二を基数としている。両手の指が十本だから、数える時に二つ余ってしっくりこないが、今さら一日を二十時間、一年を十か月に変更できない。一ダースの卵も二個減ることになってしまう。

十五 十六 十七
〔じゅうご じゅうろく じゅうしち〕 ♪ 十五、十六、十七と私の人生暗かった……。大いに遊んだり将来のことを考えたりする最良の高校時代に受験勉強を強いられれば、人生は暗くもなるだろう。夢は夜ひらくなどと若くして退廃してはいけない。

十八番
〔じゅうはちばん(おはこ)〕 昨年、十八歳に選挙権が与えられた。本来この歳あたりで得意な技芸の一つも身につけておくべきだが、二十歳過ぎて何をしたいのかも分からず、勤め先だけを決めたがる若者ばかり。中高年にもいる。「十八番は?」と聞かれてカラオケしか思い浮かばないとは実にお寒い話ではないか。

【あとがき】 十八番をトリとした。十一、十三、十四を欠番にしたことに他意はなく、単にスペース不足のため。欠番があることへの批判はお控え願いたい。

深まる秋の記憶

明日から3日間の連休。予定は特にない。秋深まる気配に心身を晒すような休暇にしてみようと思わなかったわけではない。しかし、「行楽シーズン到来」という世間一般の常套句が脳裏をかすめた瞬間、尻込みしてしまった。

今住む街の周辺にも、手招きせずとも秋は向こうからやって来る。眺めるのは同じ光景だが、初秋から晩秋へと模様は変わる。他の季節に比べて、秋の風情のグラデーションは豊かだ。たとえその場が都会であっても。と言う次第で、近場を散策すれば十分ではないかと、半分前向きに、だが半分面倒臭がりながら、結局、例年と同じ過ごし方に落ち着きそうである。

オフィスから歩いてすぐの場所に天満橋が架かり、その下を大川が西へと流れている。天満橋の下流にある次の橋が天神橋。二つの橋の距離はわずか350メートル。橋を渡った対岸には、ちょっとした遊歩道があり、川に沿って歩くと樹木の色合いが秋ならではの装いを演出している。もうかなり色づいているだろうと想像するばかりで、夏が過ぎてからはまだ歩いていない。


こんなことを思いめぐらしているうちに、記憶の扉が開いて過去に誘われた。場所はパリのヴァンセンヌの森。広大な森の端っこに一瞬佇んだに過ぎないが、撮り収めた数枚の写真の光景が、タブレットのアルバムを検索する前に忽然と現れたのである。

ヴァンセンヌの森(Bois de Vincennes)。それは201111月だった。今の時期よりももう少し秋深まった頃。緯度の高いパリのこと、日本の感覚ではすでに冬だった。それが証拠に写真に映るぼくの衣装はしっかりと乾いた寒さに備えている。約10日間借りたアパルトマンはパリ4区のマレ地区、メトロの最寄り駅はサン・セバスチャン・フロワサール。あのバスティーユやヴォージュ広場やピカソ美術館も徒歩圏内という好立地だった。

その日は青い空が広がる絶好の日和。窓外の景色を堪能しない手はないから、メトロではなく迷わずにバスを選んだ。広い道路の閑散としたエリアにバスが停車する。そこから、自分なりには森に入って歩いたつもりだが、後で地図で確認すると入口あたりをほんの少し逍遥した程度だった。ともあれ、静謐の空気が充満していた。色があるのにモノトーンに見せる風景が印象深い。朝靄のあの光の記憶は今もなお鮮明である。

心身が浄化されて帰りのバスに乗り込んだ。バスに乗る直前に歩いた通りの名称がジャンヌ・ダルクと来れば、忘れようとしても忘れるはずがない。秋は記憶の扉が開きやすい季節なのだろう。「記憶は精神の番人である」というシェークスピアのことばが思い浮かんだ。

路地のある光景

「ろじ」を露路と表記すれば茶室へと導く通路の意味になる。そんな風情は周辺には見当たらない。だから、路地と書く。裏町の民家と民家の間の狭い通りのことである。

ぼくの住む街は、かつて町家だったと思われる痕跡を今もあちこちに留めている。実際、林立するマンション群の隙間に解体を免れている町家が少なからず点在する。町家ある所、路地も残る。表通りに佇んで路地を覗き、好奇心に促されてそろりそろりと進めば、狭い小道の左右に民家が立ち並ぶ光景に出合う。迷路と呼ぶほどの複雑な構造ではないが、近道だろうと思って入り込んだのはいいが、行き止まりということはよくある。

稀に旧住所を示す標識やブリキ製の看板が板塀に残っているが、路地を路地らしく装っていた小道具の大半は姿を消した。今では自転車やバイクが停めてあったりする。ちょっと奥へ進むと、町家を改造した雑貨店やカフェが出現する。それでも、表通りから眺める遠近感と光と陰翳の微妙な綾は、昔も今も大きく変わらない。


民家の立ち並ぶ表通りを歩けば、ちょうどいい具合に路地が一定のリズムで現れる。家、家、家、家……そして路地……という配置は心地よく、そぞろ歩きしていても飽きることはない。しかし、数カ月も経とうものなら、いくつかの隣り合った町家が壊されて更地になり、路地も消える。翌年になると光景がビルやマンションに一変していることも珍しくない。

ぼくにとっては路地ではない幅広い道なのに、それを路地と呼ぶ人もいる。その人の路地には軽自動車が入ってしまう。車が入ったりすると、もはや路地ではない。路地は人々の日常の生活と歩行を保障する治外法権的な地帯でなければならない。時に、よそ者の通行人も招き入れてくれる。

路地は暮らしやすさのバロメーターなのではないか。その街に住んでよし、歩いてよし。それはまた、街を小さく区分してちょうどよい戸数、ちょうどよい人数で共同生活する上での知恵のようにも思える。というふうに、懐かしく好意的に見るのだが、半時間ほど歩いてもなかなか子どもたちが遊ぶ姿にはお目にかからない。路地の奥まった家々ではひとりぽっちでゲームに興じているに違いない。路地の面影はかろうじて留めていても、人々のライフスタイルは様変わりしたのである。

2016年の年賀状

2016%e5%b9%b4%e8%b3%80%e7%8a%b6

かつてカルタ遊びは正月の風物詩の一つとして人気があった。百人一首にいろはカルタ。庶民は特に後者に親しみ、「犬も歩けば棒に当たる」などの読み上げに反応してはカルタ取りに興じた。

古今東西、一枚一枚のカルタに印された文言は処世訓でもあった。生きる上での教訓には二様あって、一つは善き言行のすすめ、いま一つは悪しき言行の戒めである。目上の人間から諭されると素直には聞きづらい道徳色の強い諺や教えも、ゲームとして親しんでいるうちにすっと頭に入り覚えたのだろう。

さて、企画を志す者の心得集を考えていた折り、ふといろはカルタが浮かんだ。正月に間に合うよう執筆編集に努め、遊び感覚を備えたわが国初の『いろはカルタ発想辞典』がついに完成した。知的作業や構想に悩む方々のヒントになれば幸いである。 


  一を知って十を考えよ
一を聞いて十を知るでは不十分。考えに到らぬ知は功が少ない。

  論も証拠も
証拠に論拠が伴わなければ、手抜きしている印象が強くなる。

  話し上手が聞き上手
聞き上手だけでは場はもたない。

  逃げては事は片付かない
整理整頓や問題解決は保守とは無縁の、攻める闘いである。

  惚れたテーマに三度は挑め
何事も回を重ねてよくなるもの。諦める前に三回試してみよう。

  ペンはキーボードより強し
文字盤を叩いても頭への刺激は小さい。書けば脳が鋭く響く。

  当意即妙がほんとうの力
想定外の事情が生じれば、備えあっても憂うことがある。

  地をよく見て図を描く
図の上手下手は前提や条件に合っているかどうかで決まる。

  理屈が付いてこその値打ち
ぽつんと置かれただけのモノは価値を自ら語ることができない。

  ヌーヴォー万能にあらず
新しさが常にいいわけではない。

  類は集まってバカになる
同類・同質は進化に逆行する。

 (……)

  わが主観に溺れるなかれ
客観でなく主観で考えていい。ただ、絶対としてはいけない。

  カタカナ語に偏見持つな
大量の外国語がカタカナ日本語になった。使わねば不便である。

  よく語りよく書けて一人前
プロフェッショナルはアウトプット型言語行動を顕在化させる。

  棚から出さぬ本はレンガ
読まぬ本はかさばって高くつく。

  礼儀過ぎて誠意足りぬ
社交辞令人間は心ここにあらず、仕事のできる者もあまりいない。

  それあれこれでごまかすな
危機管理するなら代名詞追放。

 つまらぬ空想もネタになる
たいていのグッドアイデアは元々小馬鹿にされた経緯をもつ。

 猫の手よりも自分の脳みそ
猫は傍にいない時があるが、脳みそはいつも頭の中にあるはず。

 習って慣れれば習慣となる
習うのは一瞬、だが慣れるには年単位の歳月を要する。

 楽と苦はワンセット
楽の後に苦でもなく苦の後に楽でもなく、二つは表裏一体。

  無理と道理は紙一重
たった一枚の紙で無理な話も道理あるシナリオに変わる。

  売り言葉に誠意を込めよ
買い手にホンネで約束し、その約束を果たすことが信用を得る。

ゐ  (……)

  ノーの数だけ精度が上がる
ノーは検証やチェックの別名。

  思いを言葉にする一工夫
ピンポイントの表現が見つかるまでは粘り腰で考えに考え抜く。

  苦しい時の紙頼み
腕を組んでも苦悶は増すだけ。素直に紙に書いてみるのが正解。

  やればできるは甘い慰め
ここ一番頑張っても普段できている以上の成果は生まれにくい。

  待つだけの身に果報なし
果報は寝て待て? その他力精神、厚かましいにもほどがある。

  芸は仕事の自然調味料
技術や経験だけで仕事に味は出ない。芸、遊び、ユーモアも少々。

  不思議がるほどにひらめく
なぜ、どのようにという問いが立てば答え探しの眺望が広がる。

  コンセプトはひねり出す
コンセプトはどこにもない。想いを貫いてひねり出すものである。

  絵に描いた餅は脳を満たす
食べる前にイメージを浮かべる。実用に先立つ想像が必要だ。

  出る杭だから気づかれる
出ない杭は存在しないに等しい。

  開けてびっくりポンな本
手に取らなかった読まず嫌いの本に望外の掘り出しヒントあり。

  三人寄っても知恵湧かず
三人の頭数が必要と思う時点で、三人は凡人の可能性大である。

  企画に勇気と異端発想を
時代は新しい企画を待望している。前例の真似事に出番はない。

  ゆうべの思いを今朝へと繋ぐ
アイデアは睡眠中に途切れる。線にして温めて孵化したい。

  目は時に真、時に偽を見る
百聞より一見と言われるが、目は案外偏見が好きなようだ。

  ミラクル頼みは仕事の敵
コツコツするのが仕事。やっていること以上の成果は生まれない。

  知るとおこなうは大違い
知る段階に達するのは多数。知ってから先に進むのは少数。

  (……)

  他人あってこその人間関係
関係の中心に自分を置いてもいいのは神と幼児だけである。

  モラトリアムの付け回し
仕事を先送りするグズのツケはまじめな仲間が背負わされる。

  拙速は巧遅に勝る
ウマオソよりもヘタハヤ。下手でもいいから、まずは機敏な動作。

  好きは最強の動力源
いつでもどこでも自家発電。石油も原子力も太陽光もいらない。

ん  (……)


【あとがき】 すべての諺や名言に反証例があるように、ここに紹介した教えも絶対ではない。実践効果がなかったとしても、異議申し立てはご遠慮願います。

七月の風物の記憶

七月が終わる。振り返ってみると足早に過ぎた一ヵ月だった。逃げるのは二月だけ、去るのは三月だけに限らなくなった。ぼく固有の感覚なのか、それとも誰にも働いている感覚なのか。

昨日まで企画の指導をしていた。「昭和ノスタルジー」をテーマにした班があった。寂れた駅前をシニアの便宜を図るために再活性化しようとする案。紫煙くゆらす喫茶店や雑居ビル一階の食いもん横丁などの雑談をしているうちに、昭和と暑い七月固有の風物が重なり始めていた。ぼくの記憶の在庫棚には各種風物・歳時が並んでいる。金魚や西瓜はすっと取り出せるが、正確には八月の暦に記される風物である。


思い出さなくてもいいのに、つい思い出してしまうのが忌まわしい蚊にまつわる体験だ。マンションの高層階まではやって来ないので、最近は蚊に食われることはほとんどない。しかし、子どもの頃は蚊に吸われ放題だった。梅雨明けの頃から、蚊は大量に発生した。年寄りたちはそれを「蚊が湧く」と表現した。

蚊取り線香
蚊取り線香(絵:岡野勝志)

蚊を「追いやる」のがかつての線香だったらしい。しかし、線香の火が消えて煙が出なくなれば蚊は戻ってくる。湧くようにいるのだから、追いやってもきりがない。蚊はやっつけるべき憎き存在となり、線香には「蚊取り」という攻撃性が加わった。

子どもはある時から火をけたがるようになる。花火に着火して持ちたがる。蚊取り線香もしかり。便利な使い切りライターがなかった時代、徳用マッチを擦った。手際が悪いとうまく火が点かず、二本目のマッチを取り出した。

蚊取り線香は大した発明である。渦巻きの美学の凝縮形と言っても大げさではない。火種が曲線的に動き、緑から灰色に色が変わり、灰色が下に落ちる。蚊はしばし逃亡している。蚊を追い払いやっつけるはずの煙を自分が大量に嗅いで吸いながら、渦巻きに見入って飽きない。蚊取り線香の煙の向こうには、もちろん蚊帳が吊ってあった。

昭和30年代初期の記憶

昭和の年に25を足すと西暦の下二桁になる。昭和30年だと25を足して55、この前に19を置けばいい。つまり、1955年。西暦のその年から東京五輪開催の1964年までが昭和30年代である。

一円玉

現在流通しているアルミニウムの一円玉は昭和30年に発行された。その翌年に五歳年下の弟が母の実家で生まれる。ぼくも立ち会っていた。当日のことは今でもよく覚えている。祖母から十円硬貨をもらい、近所の店にポンせんべい(満月ポン)を買いに行った。当時、十枚で5円だから一枚0.5円の勘定になる。つまり、50銭(1円は100銭に相当)。

1円未満の商品がまだあったので「銭」という単位は「仮想的に存在」していたが、銭の通貨はもはや出回っていなかった。だから、ぽんせんべいは一枚だけは売ってくれない。いや、奇数の枚数だと50銭のお釣りがないから、必然的に偶数の枚数を買うことになる。十枚買うことにし、十円硬貨を手渡した。お釣りは5円。てっきり五円玉を受け取ると思っていたら、手のひらにのせられたお釣りが一円玉5枚だった。初めて見る一円玉。キラキラと光っていた。家に戻って親族に見せびらかした。よほどうれしかったのだろう。

昭和34年(1959年)の夏に引っ越した。大阪のとある下町から別の下町へ。生まれて八歳まで過ごしたエリアの近くに半月前に行く機会があり、寄り道してみた。住んでいた家は当然跡形もなく、別の家が建っていた。どの家にも見覚えはないが、西川金物店が看板を掲げて存在していたのには驚いた。町内に何十軒もの家が立ち並ぶ中、昭和33年にテレビを所有していたのはその金物店だけだった。大相撲やプロレスの日には溢れるほど人が集まってテレビ観戦していた。誰でも気さくに招き入れた西川の爺さんの顔が思い浮かぶ。


テレビ観戦で印象に残っているのが、昭和33年のプロ野球日本シリーズ。西鉄ライオンズvs読売ジャイアンツの対戦だ。巨人3連勝の後、西鉄が4連勝して制覇し、奇跡の逆転劇シリーズと言われる。西鉄の稲尾投手が全7戦のうち6戦に登板、うち4戦が先発という獅子奮迅の活躍を見せた。「神様、仏様、稲尾様」はこの時に生まれたことばである。

町内に物乞いに来るホームレスの男性がいた。いつも来るのではなく、忘れた頃にやって来る。西鉄と巨人の日本シリーズが終わった後に来た。ボロを纏っていても礼儀正しいところがあったので、子どもたちはなついていた。彼の歩く後をついて回ったりした。彼は特殊な才能の持ち主だった。どこで手に入れたか知らないが、ラジオを持っていて、いつも野球放送を聞いていた。そして、アナウンサーの一言一句を一試合分丸ごと覚えてしまうのである。「西鉄と巨人の第7戦」の実況も見事に再現したのだった。テレビで観戦済みのぼくなどは、もう一度ラジオ放送を聞く気分で昂ぶった。今にして思えば、サヴァン症候群の天才だったのかもしれない。

町内に唯一モダンな住居があった。当時のことばでは「洋館建ての家」。世帯主の職業は知らない。玄関を入って右手にガラス張りの応接間があり、ひときわ目立っていた。その家を見るたびに外国をイメージしたものである。

路上での遊びはビー玉であり、ベッタン(メンコ)であり、相撲であった。信じがたいことだろうが、小学校一年の頃、春から夏の季節になると、学校から帰宅してすぐに浴衣に着替えていた。子どもは浴衣姿で遊んだものである。大人も子どもも、暮らし方も気質も、食べ物も習慣も現代とはまったく違っていた。初期の昭和30年代はおそらく何かにつけて今とは別物であり、もっと言えば、昭和40年代・50年代とも様相が異なっていた。遠く過ぎ去ったはずの大正・明治の影を引きずっていたと思うのである。

2015年の年賀状

年賀状2015年(web版)

生きていくうえで人は環境に適応しなければならない。そのために環境から情報を得て環境を知る必要がある。情報は日々の生活や仕事の場面で人を介してやってくる。しかし、こうして得る情報はささやかであり偏っている。そこで、新聞・雑誌、テレビ、インターネットなどの媒体を通じて体験外の情報に目配りする。古来、書物はそんな媒体の一つとして親しまれてきた。

「一人の子ども、一人の教師、一本のペン、一冊の本で世界が変わる」……一冊の本で世界が変わるなら、一人の人間なら容易に変われるはずだ。
数ある読書の方法から見出しを厳選し、わずか一ページの『読書辞典』を編んでみた。主な読み方の特長、効果、短所のほどを探っている。ご笑覧いただければ幸いである。


あいどく 【愛読】
いつもの本をこよなく好み、繰り返し読むこと。理解は深まるが、「狭読」になることは否めない。

いちどく 【一読】
本の最初から最後まで一通り読むこと。これで分かるかどうかは本の難易度と本人次第である。

いんどく 【印読】
傍線を引き、各種の印をつけ、欄外にメモを書き込みながら読むこと。古本価値が低くなるのが短所。なお、傍線一本やりの読者は「線読」と呼んでいる。

うどく 【雨読】
雨の日に読むこと。晴耕と対なので、晴天日に働くことが前提となる。わが国の平均雨天日は年間約一二〇日。これだけ読書ができれば十分。但し、降雨の地域差があるため、北陸では一八〇日の雨読日があるが、広島のそれはわずか八五日。

おんどく 【音読】
声に出して本を読むこと。幼稚だとする意見もある。斎藤孝が言い始めたのではなく、人類は十九世紀まで音読していたのである。読解効果は不明だが、やった感はある。〔反意語〕 黙読。

かいどく 【会読】
みんなで本を読むこと。参加者はそれぞれ違う本を読むのがいい。ちなみに、当社主宰の《書評輪講カフェ》では書評による発表で会読効果を高めている。

くどく 【苦読】
難しい本と格闘しながら読むこと。学びが少なくても忍耐力が鍛えられる。苦読が被虐的になると「悶読」へと変化する。

げきどく 【激読】
なりふりかまわず懸命に読むこと。傍目には読書ではなく運動に見える。〔類語〕 爆読、烈読。〔反意語〕 軽読。

ざつどく 【雑読】
ジャンルを問わずに手当たり次第に読むこと。クイズ大会に出場する直前には有効な方法とされる。

しどく 【覗読】
電車内で隣席の他人の新聞・雑誌・書籍をのぞき見すること。文脈までは理解できないが、時間潰しにはもってこいの読書法。

すんどく 【寸読】
ちょっとした空き時間にページを適当にめくって読むこと。運がいいと望外のお宝情報に出合う。

せいどく 【精読】
手抜きせずにディテールまで読むこと。ローマ時代の博物学者小プリニウスは「多読よりも精読すべきだ」と言った。正しくは、精読の反意語は濫読。多読かつ精読はハードルが高いが、必ずしも相反するものではない。

そつどく 【卒読】
読み終えることだけを目指して急いでざっと読むこと。牛丼をがっつくようなさもしいイメージがつきまとう。〔反意語〕 熟読、味読。

たどく 【多読】
数多く本を読むこと。読書の専門家たちが推薦する読み方。自腹だと家計を圧迫する。〔類語〕 広読。

たんどく 【耽読】
一心不乱に読むこと。オーラが出ることがある。なお、読み耽った結果、「溺読できどく」にならぬよう注意したい。〔類語〕 熱読。

ながしよみ 【流読】
すでに内容を知っている本に限られるアバウトな読み方。類語の「速読」などもちょっと胡散臭い。

ねんどく 【念読】
本と一体になりたいと祈るように読むこと。宗教や超常現象関係の本の読書に適している。

はんどく 【反読】
批判や敵意を前提にして読むこと。たった一文にも納得・共感してはいけない。〔類語〕 攻読。

ひつどく 【必読】
「これは読むべき本だ」と権威に勧められて読むこと。人生に必ず読まねばならない本などはない。

ふりよみ 【振読】
実際は読んでいないが、書名と目次を見て読んだことにすること。

へいどく 【併読】
複数の本を並行して読むこと。異種知識を有機的に統合できる高度な読み方。ストーリー性のある読み物には向かない。

へんどく 【偏読】
分かる箇所だけを読み込み、分からない箇所を無視する読み方。知識が偏るが、これが一般的な読書だと言われている。

みどく 【未読】
類語の「積読つんどく」は読む気がまったくないが、こちらは一応読む意識だけはある状態。

やどく 【夜読】
夜に読むこと。関連語に朝読、夕読がある。

らくどく 【楽読】
気楽に読むことではなく、読むことを楽しむ読み方。趣味欄に読書と書く人に人気がある。

りどく 【離読】
本を読み漁った結果、読書がすべてではないと悟る心理状態。再び戻るつもりなら「休読」、生涯本を読まないのを「不読」という。 

れんどく 【連読】
一冊の本に刺激を受け、関連する本を求めて読み続けること。

わどく 【和読】
著者と共調しながら波風を立てずに読むこと。平均的教養を身につけるにはいいらしい。


《あとがき》 本の読み方は、環境(人・時代・世界)の読み方の縮図である。

未完の書

「はじめに」の一文の後に19943月とある。そこにはこんな文章が書かれている。

本書『成功への触媒』は、混迷を極める市場環境、ひいては企業活動、組織、人材を、ぼくたちのささやかな仕事のフィロソフィを光に変えて精一杯照らし出そうと試みたものです。
その光――きわめて日常的視点からの光――が、既成の事実や価値観に新しい意味を与え、「触媒」として機能し、成功を生み出す小さな発想やきっかけになればと願っています。
「成功」ということばには数限りない定義と意味が与えられてきました。その中からベン・スイートランドのことばを借りることにします。
“Success is a journey, not a destination.”(成功は旅である。目的地ではない。)
『成功への触媒』はさしずめ「旅のお供」というところでしょうか。邪魔にならないお供にになれば幸いです。

成功への触媒

全原稿の7割ほどをぼくが書き、スタッフ78名が残りの原稿をそれぞれの視点で書いた。百数十ページの小さな本が出来上がるはずであったが、いくつかの理由があってそのまま放置された。もはや日の目を見ることはないだろう。「はじめに」で書いているように、時代性を反映するタイミングが肝心であったから、今となってはほとんどの原稿が色褪せてしまったはずである。

実際に色褪せた紙の束を手に取って懐かしく読み返してみた。ぼくの思いとは裏腹に、今でも発想の触媒になりそうな普遍的な気づきが忍んでいることに気づいた。出版しておけばよかったと、ほんの少し自責の念にかられる。未練はさておき、今もしっかりと記憶に刻まれている一つのエピソードを紹介する。


水漏れしない蛇口

 ずいぶん前にリンカーン・ステファンというアメリカ人が書いた『未完の仕事』と題するエッセイを読んだ。冒頭はこう始まる。

「水道の蛇口から水が漏れている。きつく締められない。よろしい。七歳の息子に人生のレッスンとしてやらせてみよう。息子は蛇口をつかみ、必死にねじる。無理! 息子は嘆く。『どうした、ピート』と私。息子は笑みを浮かべながら言う、『パパ、これは大人の仕事でしょ』」

 著者は続ける。
 「大人はちゃんとした蛇口さえ作れないのだ。息子のほうが水漏れしない蛇口を作れる可能性を持っている。どんな仕事においても、可能性の大きさは次の世代のほうが上回っている。何事も究極的に最善におこなわれたことはない。何事も明晰に完璧に突き止められたことはない。」
 ステファンによれば、われわれの世代が作った鉄道、学校、新聞、銀行、劇場、工場には完璧なものはない。さらには、理想的な事業を築き経営している企業も存在しない。われわれは未知なるものの1パーセントすらも発見していない。
もちろん極論であり、1パーセントという根拠もない。しかし、共感せずに通り過ぎることはできない。
 スペースシャトルが宇宙へ旅立ち、バイオが遺伝子を操作し始め、超LSIがものの見事に情報をつかさどる。ステファンの主張に反して、ぼくたちの社会の進歩は道の壁をどんどん崩していくように見える。
 しかし、ぼくたちの住まいでは、寝静まった夜に締まりの悪い水道の蛇口からは相も変わらず水が一滴ずつしたたり落ち睡眠を妨げる。大雨の日に背中や足元を濡れぬように雨をしのいでくれる傘は未だに発明されていない。車は依然として通行人にやさしくはなく、歯磨きは歯周病を完璧に防いでくれない。
 ひと頃、ハイテク型のニッチビジネスがもてはやされ、異業種交流会花盛りの趣があった。ほとんどの試みは大した成果もなく霧散した。足元のローテクに改善の余地があるのに、遠くのハイテクが優先される。緻密をモットーとし予算もリスクも大きいハイテクに比べ、ローテクは人間的で泥臭い。心意気と一工夫で見違えるような改善も可能なのだ。水道の蛇口のようなモノはもちろん、日常のサービスも、ほんの少しのテコ入れを待っているのである。


リンカーン・ステファンのように、水道の蛇口一つで息子や娘に教育できるような父親になりたいものである。ぼくたちときたら、子どもがわざわざ「なぜタイ米がダメなの?」と経済社会的問題に関心を抱いて質問してきても、めったなことではまともに受け答えしてやらない。「タイ米はまずいから」などといい加減だ。すると、子どもに「なぜまずいの?」と聞かれ、苦しまぎれに「パサパサだから」と言うと、「なぜパサパサだったらまずいの?」と追い打ちを食らう。こうなると困るので、たいていの父親は最初の質問時点で「大人になったらわかるさ」と逃げの一手で対応する。これは無責任である。大人になってもわかるようにならないのは、自分自身が証明しているではないか。