ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス④ 透明な空気

聖書やキリスト教についてまったく無知ではない。歴史についても少しは勉強してきた。だが、クリスチャンではない。そのぼくが旅行のたびに教会を訪れるのは、山がそこにあるから登るように、そこに教会があるからだ。決してギャグのつもりではない。教会があるから教会を訪れる――これは、欧米の地では教会を避けて街歩きしたり佇んだりすることが不可能であることを意味している。とりわけ教会を中心に都市の構造が形成されているヨーロッパでは、教会を抜きにしては街への理解は進まない。

日曜日、ローリング・ヒルズの教会(Rolling Hills Covenant Church)に行ってみた。もちろん教会だから多少の儀式色はあるが、空気はフランクである。ペテロの第一の手紙第3章の7「夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、……」に始まり、途中エペソ人への手紙第5章の22「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。」から、同33「いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい」までの話を関連づける。

空気を変えるのは場か、自分自身か、他人か、それとも自然か。いや、これらだけでもない。時間というのもあるしテーマもある。しかし、その教会でぼくが感じた空気の変化は明らかに牧師(pastor)のことばによるものであった。スピーチではなく語りかけである。強弱もあり緩急自在。総じて早口なのだが、絶妙な話しぶりだ。頭脳明晰、ユーモア、教養はことばに現れる。誰かに何かを説くことに関して新たな勉強になった。

写真撮影を控えたので教会の写真はなし。その代わりというのも変だが、車で15分圏内のマリンランドとその近郊のシーンを紹介したい。お世話になっていたパロス・ヴェルデスの住宅街にはあちこちに白い柵があり、馬道がつくられている。乗馬センターの馬ではない。このあたりの住民は自宅で馬を飼っている。道路を渡るときの信号押しボタンも、歩行者用の位置と馬上から押せる位置の両方にある。

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壁が住宅地一帯を囲む「〇〇が丘団地」。Gated Communityと呼ばれる。
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馬のお散歩。
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近くのモールの書店。全ページ総カラー512ページの”The Every Day CHICKEN Cookbook”(毎日のチキン料理集) と、これまた総カラー544ページの”501 Must-Read Books”(501冊の推薦図書)を買った。
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土・日曜日に開催されるカーニバルフェア。
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遊園地は駐車場に特設される。子どもだましではなく、本格的なものだ。
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クジラがやって来るマリンランドの岬と灯台。
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海の青が濃さが際立っている。
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遠くに見える海岸線を辿っていくとサンタモニカに達する。
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マリンランドから北方面を見る。
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岸壁から数十メートルのところに高級住宅地が居並ぶ。一本の木を挟んで、左手にやや懐古趣味的な住宅、右手に対照的なガラス張りのモダンな家。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス③ 青空とステーキ

滞在しているのは日本人の従妹の住まい。彼女は大学卒業後にUCLAに入学して著名な会計監査法人などの勤務を経て、現在ホンダ・アメリカの財務部の要職に就いている。ご主人も同じ会社のITスタッフだ。敷地内に入りオフィスの中まで見学させてもらった。社長や役員用の個室はない。みんな”フラット”である。デスクはパーティションで区切られ、マネジャー職以上のスペースはやや広いものの、自由闊達な空気を感じる。本田式ワイガヤ会議も活発だそうだ。敷地内にはセルフのガソリンスタンドがあって、公私を問わず満タンにし放題とのこと。

二人には6歳になる三つ子がいる。今年9月に小学1年生になるこの子たち――男の子二人と女の子――はものすごくエネルギッシュで日々忙しい。月曜日から金曜日までは、9時から8時間義務教育の幼稚園に通っている。ふつうは午後2時頃までらしいが、両親が働いているので5時まで面倒見てくれる。土曜日には日本の学校法人が経営する日本語学校へ。そして日曜日は10時半から正午過ぎまで教会の日曜学校だ。

住居は住宅街のど真ん中。住宅以外は学校と教会と医院があるばかりで、コンビニもショップも何もない。一番近いモールまで徒歩30分。誰も歩く人はいないが、ぼくは歩いた。歩くしか手段がないからだ。自転車はあるが、坂道なので、行きはよいよい帰りは恐い。とはいえ、夕方から夜にかけてジョギングや速歩をしている人たちもいる。とにかく景観がいいので、ジョギングにも散歩にも最適な環境だ。

ロサンゼルスの中心街から南へフリーウェイで約50分、国際空港からは30分くらいのロケーション。海辺までは少し距離があるが、高台なので海岸もよく見える。日曜日の昼に庭でバーベキューをしてもらった。こちらに来る前の想定通り、今日まで肉食中心の生活になっている。体重は23キロ増えたに違いない。陽射しは思ったほど強くはないし、日中も暑さを感じない。その証拠に、ぼくはずっとフリースの裏地がついたウインドブレーカーを着ている。

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家の近くの遊歩道から見下ろす岬の住宅。
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海岸近くの住宅街。 
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リアス式のような海岸。
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遊歩道のあちこちに野生のサボテンが棲息している。
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周辺の住宅街。ちょっと北海道を思わせる。
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象徴的な「この木何の木」。
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自宅のバーベキューコーナー。
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自宅の庭。ソファ式のブランコで揺られると、うたたねしてしまう。
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庭から見る自宅の裏側。
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ブランコに座ると、海の水平線が見える。
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バーベキューパーティー。一枚約80グラムの骨付きカルビ。
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手のひらサイズのキノコとエビの串焼き。
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別の日のレアのステーキ。右上のワインのコルク栓と比較すれば大きさがわかる。これが一人前。たぶん450グラムくらい。どうにかこうにか完食した。お礼にシーフードのお好み焼きを三枚焼かせてもらった。子どもたちに「やみつきになるおいしさ」と褒めてもらった。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス② 夕暮れのビーチ

ロサンゼルスから海岸を南へ下ると有名ビーチが目白押し。サンタモニカ、マンハッタン、エルモサ、レドンドと続き、岬を東へ折れてからロイヤル・パームズへ。その次が都市名にすらなっているロングビーチ。すべて観光地で全米はもとより海外からの来訪者が絶えない。6月はまだハイシーズンではないが、学校が休みに入る中頃からは賑わいを見せる。

レドンドビーチに連れて行ってもらった。もうだいぶ暗くなっていたので海の色もわからない。シーフードレストランが軒を連ねて並んでいる。よく見ると、コリアン風やジャパニーズ風という店もある。ジャパニーズ風には当然のように“SUSHI”という表示がある。Old Tony’sという店に入った。生ガキにカニコロッケ、それにサンフランシスコでも食べた小イカのから揚げ「カラマリ」も試してみた。実はすでに自宅で夕食を済ませてから出たので、これは夜食ということになる。

ちなみにカリフォルニアロールはサンフランシスコ空港で出発待ち時間に食べてみた。まずまずの味で合格点をあげてもいい。いま手元にレシートがある。値段は5.95ドルで6切れ。「お~いお茶」のペットボトルが驚きの3.75ドルなので、巻き寿司がまあまあの値段に思えた。このお茶に天ぷらうどんに寿司の盛り合わせを食べているビジネスマンがいたが、30ドルくらいのランチになっていたはず。

レドンドビーチに行った翌日にラグナビーチまで足を運んだ。サンディエゴ方面におよそ60マイル(約100キロ)のところ。このビーチ近辺には芸術家が住んでいるそうだ。通りに沿ってアートギャラリーも目立つ。カフェレストランやバーも意匠を凝らしてある。海外からの旅行者向けの観光地ではなく、地元住民が集うスポットとのこと。アメリカ人らしくなく、ドレスアップしている若者たちもいる。

レドンドビーチ(Redondo Beach

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5秒間露光で撮った夜景。
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夜釣りを楽しむ人たち。聞けば、子サバを釣っているという。
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シーフード目当てに入った店。
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夜景を楽しめるよう店内を思い切り暗くしてある。
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ボートが繋留されている桟橋近く。 
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カニは好物だが生きたまま群れていると食欲は高まらない。

ラグナビーチ(Laguna Beach

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サンセット間近。海の東側。
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こちらは西側。東側と比べるとこんなに明暗が違ってくる。
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日没直後の海岸線のシルエット。
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土曜日の夜、賑わうストリート。
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夕暮れの後も絶妙の明暗構図がしばらく楽しめる。
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レドンドではうまくいかなかったストロボが機能してくれて、写真が撮れた。これはいわゆる「海鮮盛り合わせ」。三種類のタレがついてくる。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス① ドジャー・スタジアム

ロサンゼルスは日本時間から16時間遅れ。たとえば69日(火曜日)の午前1045分は、こちらでは8日(月曜日)の午後645分。ロサンゼルス郊外、市街から南へ約時間、海岸沿いにあるランチョ・パロス・ヴェルデスの親戚の家にいる。

昨日の午後5時、ドジャー・スタジアムに出掛けた。言うまでもなく、ロサンゼルス・ドジャースのホームグラウンドである。対戦相手はフィラデルフィア・フィリーズ。途中、バスケットボールのファイナルの会場前を通ると、レイカーズファンでごった返していた。ほぼ同時刻のスタートなのでどっちを観戦するか迷ったファンもいるだろうが、レイカーズのほうは数万円にまでチケットが跳ね上がっていると聞いた。

☆     ☆     ☆

さて、スタジアムで陣取った席はドジャース側、つまり三塁側ブルペンの少し上。一塁側だと直射日光を浴びるが、ちょうど陰になった直後の場所で5イニング頃からは冷えてきた。3イニング終了時点で名物のホットドッグ「ドジャードッグ」を頬張る。ロサンゼルスに来て過食気味なので夕食はこれとコーラだけ。ぼくの前の列の四人家族などは試合もそっちのけで、次から次へと飲み食いしていた。

野次はそこそこあるが、「かっとばせ~」というのがない。一球ごとに電子オルガンが鳴ったり拍手が起こることもあるが、一投一打の一瞬はシーンとする。おまけに申し訳程度のバックネットが少しあるだけで、ぼんやりしているとネット越えのファウルボールが危ない。甲子園のようにファウルグラウンドが大きくなく、観客席のすぐ前に三塁コーチが立っているほどの接近感。ファウルボールは日本の倍は飛んでくる。

3回裏、数メートル左手にファウルボールが飛んできた。一人がはじき、そのはじいたボールを取ろうとした直前の列、すなわちぼくと同列の三、四人向こうの男性がこれまたはじき落とす。その落としたボールがバウンドせずにちょうどぼくの足の下に転がってきた。もちろんこのチャンスを見逃すはずもない。立ちもせず、足元のボールを拾うだけなのだから。日本から旅行で来た者にこんな漁夫の利があっていいものか。

年間チケットを購入するほどのドジャースファンで20年来通い詰めても手に入れていない人がいるらしい。試合後にオフィシャルショップでシャツか帽子でも買おうと思っていたが、そんなものどころか、千載一遇の宝物となった。

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駐車場から臨むスタジアム。
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外観同様、球場がコンパクトに見える。ファウルグラウンドが狭いせいだ。 
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フィリーズ側に若干空席があるが、ほぼ満員。
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絶好の席に陣取るもチケットは75ドル。
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レフト側のビジョン。
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KISS CAMタイムには画面に映った人がキスをする(ことになっている)。
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チャンスが到来すると、観客は一斉に立ち上がることもある。日本ほどではないが……。
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ドジャースはヒットを量産するものの、手に汗握る場面はなかなかやって来ない。
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敗北濃厚ゆえ、9回には出口側へ移動して観戦。ここもなかなかの位置どりだ。
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希少な記念品になった、微妙な汚れのついているファウルボール。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ⑤

ひとまずサンフランシスコは今日で最終回。この後、ロサンゼルスの郊外に移動して親戚の家にお世話になる。

何から何まで写真に収めたわけではないが、ユニオン通りやサクラメント通りなどの代表的なストリートは歩いてみた。ゴールデンゲートブリッジの近くには行っていない。少し離れた所から撮影したが、見せるほどの出来ではない。サンフランシスコ近代美術館も近くまで行ったが、入館も外観見学もできなかった。

数ある名所の中から最後に選んだのがアラモ・スクエア(Alamo Square)。午後4時頃、まずノブヒルのホテル前のカリフォルニア通りからケーブルカーとバスを乗り継いでシビックセンター(Civic Center)へ。ここは市役所などの行政関連のビルが群を成す官公庁街。地図ではここから西側にアラモ・スクエアがあるが、バス乗り場が見つからない。だいたいの見当をつけて2キロメートルほど歩くことにした。途中のヘインズ通りがヨーロッパの街並みにそっくりだ。イタリアンの店のお兄さんは「ボナセーラ(こんばんは)」と声をかけてくる。

この道でいいのかと不安になりつつも、やっとスタイナー通りへ。ここがアラモ・スクエア。名所になった理由の一つはビクトリア朝様式の家が建ち並ぶからだ。ただし様式であって、古い家々ではないし、これだけなら名所にはなりえない。これらの家々の背景に、まるで映画のセットのようにサンフランシスコの現代が控える構図がおもしろいのである。ガイドブックにはまるで「絵はがき」と書かれている。ぼくの写真もそう見えるだろうか。誰でもこの程度の写真は撮れると思うが、午前や午後の早い時間は逆光になるためうまくいかない。晴天の夕方前がベスト。

出発の朝、せっかくなのでノブヒルの一番高い位置まで散歩した。坂のある風景を見晴らす絶好の締めくくりとなった。

《サンフランシスコ完》

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市役所(City Hall)。
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シビックセンター周辺は木も芝生も緑にあふれ、よく手入れされている。
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ヘインズ通りの家並み。住宅と坂の構図が絶妙。
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アラモ・スクエア近くの交差点。
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ビクトリア朝風の住宅と現代の高層ビルの対比。
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まるで前景と後景を合成したように見える。
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最終日の朝。元メジャーリーガー、レフティ・オドールゆかりのカフェへ。
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ボリュームたっぷりの朝食メニュー。
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ダウンタウンの中心ユニオン・スクエア。南北戦争時の北軍(ユニオン)支持派の集会が開かれたことにちなむ。公園の地下を駐車場にしたのはここが世界初と言われている。
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サンフランシスコで一番高いノブヒルから臨む湾。まるでジェットコースターのような趣だ。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ④

ガイドブックを頼りにハイド通りをハァハァと息を切らせながら上がってきた。人だかりしているその場所がロンバード通り。ここはあまりにも傾斜がきついので、1920年代に意識的に道をくねらせた。どうくねらせたかと言うと、5メートル下っては道を曲げ、また5メートル下っては道を曲げた。これを何度か繰り返して勾配を少しでもゆるやかにしようとしたのである。

勾配はゆるやかになったものの、車は曲がった直後に次の急カーブに備えねばならない。この曲線の坂を下るすべての車は歩くより遅い。赤いレンガを敷き詰め、カーブを描く道路に沿って色とりどりの鮮やかな花々が花壇を飾りたてている。この一画に住んでいる人の車の往来も見かけたが、観光で訪れている大勢のドライバーたちがここを通りたがる。運転しながらも、前の車がつかえるとすぐさまカメラを構えているドライバーもいる。

ぼくはカメラを構えながら、ゆっくり急勾配の階段を下りては立ち止まりして写真に収めた。家にも工夫がされており、眼下に海岸が見晴らせるので住むには恰好のロケーションだと思う。しかし、観光シーズンはさぞかし迷惑なことだろう。意識して観光スポットにしたわけではなく、住民便宜のための工夫だったはずだから、自宅周辺を観光客がたむろするとは思わなかったに違いない。

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ロンバード通りを坂上から下る途中の光景➊
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光景➋
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光景➌
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光景➍
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光景➎
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光景➏
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通りの終わりまで降りきってから見上げる。花壇の合間を縫うようにくねくねと道が折れている様子がわかる。ここを車が徐行する。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ③

サンフランシスコと大阪は姉妹都市関係にある。当たり前だが、姉妹都市だからといってどこかしら雰囲気が似ているなどということはない。しかし、この街にさほど違和感を感じないのは、通りや賑わいや店舗の数など日本の大都市構造と共通点があるからだろう。もしサンフランシスコに坂とケーブルカーがなかったら、どこにでもある街並みになっていたかもしれない。地形と、その地形に合った乗り物がこの街の生命線になっている。

海岸線も特徴の一つだ。ピア39にやって来ると、この街が神戸に酷似しているように見えてくる。正確なことはわからないが、神戸のモザイクがここを真似たに違いないと確信してしまう。この確信が間違っているのなら、サンフランシスコのピア39が神戸を真似たに違いない。しばし目を閉じ、再び開けてみると、神戸にいるような錯覚に陥る。

昨日パスした屋台でシーフード料理を食べる。大人の片手より一回り大きいパンの塊をくり抜き、その中に具だくさんのクラムチャウダーを注ぐ。もう一品、イカ(caramari)のガーリック風味のから揚げ。二つで18ドルくらい。「うまいかまずいか」と二択で聞かれれば、うまいの欄にチェックを入れる。だが、「安いか高いか」だと、よくわからない。うまいかもしれないが18ドルなら当然だろうという感じ。日本人は食に貪欲だとつくづく思う。フィッシャーマンズ・ワーフの名物料理でも費用対効果は「普通」になってしまうのだから。

少し沖合いにアル・カポネが収容されていた監獄の島アルカトラスがある。遊覧して上陸できるが、所要4時間と聞いてやめる。当初の予定通りに海岸沿いを歩き、ハイド通りに入ってブエナ・ビスタ・カフェ(Buena Vista Cafe)の前に出る。アルコールの入ったアイリッシュコーヒーで有名な老舗店だ。競馬ファンならずとも聞き覚えがあるかもしれない。今年の桜花賞とオークスの二冠に輝いた最強牝馬の馬名がスペイン語で「すばらしい景色」を意味するブエナビスタである。

この店の前をさらに上がっていくとリーヴンワース通りと交差する。ここまでの道は冗談抜きに心臓破りの坂である。その坂から左を見下ろせばロンバード通り。ここが「世界で最も曲がりくねった通り」と呼ばれる曲者の坂。続きは次回。

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ピア39の土産店・飲食店通り。
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ピア39には迷うほどのシーフードレストランがある。
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ピア39のヨットハーバー。
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沖合いおよそ2キロメートルのところにあるアルカトラス島。
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海岸の道路に埋め込まれているトレイルコースの標識。
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手前がクラムチャウダーの大。パンはやや酸味が強い。その上がカラマリのから揚げ。チリソースとタルタルソースがついている。
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ケーブルカーにはいろんな種類があり、イタリアやオーストラリアでお払い箱になった路面電車が使われている。
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ハイド通りとビーチ通りの角にブエナ・ビスタ・カフェがある。
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ブエナ・ビスタ・カフェの建物。
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ハイド通りを上り振り返る。なるほど、急勾配が”ブエナ・ビスタ”を演出している。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ②

「ゴールデンステート(Golden State)」はカリフォルニア州の愛称。アメリカの全州にはこのような愛称がついている。学生時代にいくつか覚えた。たとえば、ニューヨーク州が「エンパイアステート(Empire State=帝国の州)」、フロリダ州が「サンシャインステート(Sunshine State=日光の州)」。一番おもしろいと思ったのがミズーリ州。この土地の人たちは疑い深いということになっていて、誰かが何々を持っていると自慢でもしようものなら、「じゃ、見せてくれよ」と言うので、「ショーミーステート(Show Me State)」と呼ばれる。「アロハステート(Aloha State)」ならハワイ州というわけ。さしずめ「県民性コンセプト」といったところだ。

初日の夕方はケーブルカーで近くのスーパーへと買い出しに行った。行きが急坂なのでケーブルカーに乗る。チキンのローストとサラダとパン。食後にカリフォルニア通りの坂を下って東側の海岸へ。下りだからぶらぶらと30分くらいは歩ける。途中、中華街も見たが横浜のほうが大規模で活気があるように思った。さらに下ると、オフィス街。そこを抜けて周回バスの乗り場を探したが、あいにく地図を持って出なかったので見つからず。誰かに聞けばそれまでだが、なるべく自力で探し当てるのがいい。気ままにフェリーターミナルまで歩いた。

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二日目の朝。時差ボケはない。近くのカフェでモーニングスペシャルを注文する。コーヒーは自由。トーストと卵2個のスクランブル。「るるぶ」的なものへの憧れがほとんどないので、歴史探訪することにした。まずはドロレス伝道院(Mission Dolores)へ。ホテルからはケーブルでパウエル駅を経由して地下鉄で4駅目。後でわかったことだが、地図に間違いがあったため、方向を誤って歩き始めていた。通行人に道を尋ねたが、スペイン語の単語のアクセント位置がよくわからない。「ミッション・ドロレス」と発音したら首を傾げられ、言い直して「ミッション・ドローレス」で通じた。場所は探すまでもなく、目と鼻の先だった。

カリフォルニアにはこのようなミッションが21もあるという。ここが州内最古の建物で、もらったリーフレットには年代的には1791年完成と記されている。但し、この地に入植しミッションが始まったのは建国年の1776年に遡る。あまり細かなことはわからない。白壁の装いからスペインの影響を見て取れる。伝道院から徒歩、ケーブル、バスを乗り継ぎ、再度フィッシャーマンズ・ワーフを目指す。ピア3939番埠頭)からの話は次回。

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幻想的な夕暮れ時のフェリーターミナルの海岸通り。
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夜は10℃を切り、冷たい風が吹く。6月に冬装束でも不思議でない。
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駐車状態から坂の勾配が半端ではないことがわかる。
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朝のカフェ。”モーニング”は日本同様だが、卵料理が選べる。
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ドロレス伝道院の聖堂を覗いたらミッションスクールの卒業式だった。
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18世紀を偲ぶ小ぢんまりした博物館。
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ドロレス伝道院の中庭。
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ドロレス伝道院と聖堂の全景。
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聖堂と鐘楼。欧米では常にセットである。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ①

サンフランシスコに到着したのは、現地時間6月2日の午前11時半。名物の坂は予想以上に勾配がきつく、タクシーは勢いよく駆け上る。市街のもっとも高い丘の一つであるノブ・ヒル(Nob Hill)の一角にあるホテルにチェックインし、荷を解いてすぐに近場を散策してみた。続いてケーブルカー乗り場へ。とりあえずフィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman’s Wharf)を目指そうとしたが、待つこと10分、15分、20分……待てどもやって来ない。待つ人が増えてくるが、ケーブルカーが上ってくる気配はいっこうにない。

痺れを切らして、10分ほど坂を歩いて下り発着駅へ行ってみた。何か事故があったようで、乗客が長蛇の列をつくっている。ケーブルカーも何台も連なって発車待ちの状態。ランチを食べていないのに気づき、近くのショッピングモールへ向かった。ホットドッグとプレッツェルのシナモンスティックで腹ごしらえして戻ってきたら、ケーブルは動き始めていた。

乗車料金は15ドル。やや割高感があるので、18ドルの3日間チケットを購入した。これを使えば、ケーブルカーも市内の地下鉄もバスも乗り放題だ。パウエル駅からノブ・ヒルへ上がり、坂を下りながら海岸へ。思ったほどの賑わいではない。日本人らしき観光客は何組かいるが、団体客のツアーが皆無。そう言えば、残席わずかと急かされたユナイテッド航空の関空発の便はガラガラだった。インフルエンザの影響だったのかもしれない。

フィッシャーマンズ・ワーフは翌日にじっくり見るつもりだったから、中途半端に見学せずホテルに戻ってきた。ホットドッグのせいもあってカニやエビの海鮮屋台にも食指は伸びなかった。気がつけば、日本時間なら午前9時。もう24時間以上寝ていないことになる。

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ホテルから見るノブ・ヒルの光景はよく澄み切っていた。
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中央の星条旗のある建物がホテル。到着日の午後は好天だったが、風が強く寒かった。
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ようやく発着駅に入ってきたケーブルカー。
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木製の円盤の上に車両を載せたら、その後は手動で回転させて向きを変える。
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フィッシャーマンズ・ワーフの「玄関口」。
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フィッシャーマンズワーフでは海特有の潮の匂いがほとんどしない。
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鐘を勇ましく鳴らして走るケーブルカー。
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「鐘鳴らしコンテスト」の開催案内。運転士がテクニックを競う。

それでも差異はつくられる

「メニュー全品280円」を売りにする居酒屋がテレビで紹介されていた。ビールも一品料理もすべて280円という。この値段をどう見るか。誰も高いとは言うまい。ならば、安いかリーズナブルか? コストは、味という”パフォーマンス”によって人それぞれが感じるものだろう。

変えてはいけない(あるいは、変える必要がない)価値と、積極的に変えねばならない価値を見極めるのが商売の心得。料理店にとってはここが腕の見せ所だ。その店は今のところ繁盛している。その店では廃業したテナントが残していった什器や備品で使えるものはそのまま流用している。これが不変の価値。と同時に、何でも280円というのは、かつての百均革命に相当する、異端領域への踏み込みである。これが変化の価値。

「居酒屋は安くて旨ければそれでよし」と、満足げな常連たちが異口同音に評価しているらしい。家族で来ていたある主婦は「食べるために来ているのだから、雰囲気は関係ない」と、暗に雰囲気がイマイチであると匂わせながらも、この店のやり方に賛辞を送っていた。賑わっている、客の評価も良好、わかりやすくて安い価格……これら三拍子が揃えば、居酒屋は「形より中身」と結論づけてよいか。「旨ければ付加価値はいらない」を普遍的な公式にしてもよいのか。あいにくなことに、話はそんなに簡単ではない。


ノーと力強く叫ぶ自信はないが、さりとて手放しでイエスとも言い切れない。優柔不断だが、半分イエス、半分ノーである。半分イエスの根拠は「オール280円の低価格」と「過剰投資をしないインテリア」。この二つは一つのビジネスモデルになりうる。安くて旨いものに憧れる人間心理は、おそらく十中八九不変だろう。

しかしながら、半分ノーにも有力な根拠がある。この280円路線と低コスト内装を他の居酒屋がマネて「売りの目玉」にしはじめたとき、店選びは偶然に委ねられるのだろうか。いや、そうではない。先発・後発とは無関係に、店と店の間にまったく別の差異化ポイントが生まれることになる。安いだけではない何か、旨いだけではない何か、雰囲気以外の何かを求めて人々は店の選択を検討するようになるのだ。

人は飽きる。新しいもの、よりよいものを求めるのが人間の本性である。それゆえに市場価値は巡り巡る。売る人と買う人はいずれもよりすぐれた価値へと向かう。差異化の成功は「次なる淘汰試験」の始まりであり、片時も成功に安住することはできない。昨日の席次一番が、翌日落第の憂き目に遭うかもしれない。異質から同質へ、同質から異質へ……この繰り返しは終わりのない差異化競争を生む。そして、競争はますます熾烈になっている。