イタリア紀行43 「サンタンジェロ地区」

ローマⅠ

20083月、パリに8日間滞在した後、ローマへと向かった。四度目のローマだ。それまでの訪問で名立たる観光地のほとんどに足を運んでいたが、何となく消化不良に終わっていた。自分が決めた予定にいつも急かされていたのである。それで、ゆっくり7泊することにした。ヴァチカンに近いサンタンジェロにいいアパートが見つかったので、そこに3泊。その後の4泊を市街地のほぼ中心にあたるヴェネツィア広場近くのホテルで過ごすつもりだった。予約は出発前にインターネットで済ませていた。

フィウミチーノ空港からレオナルド急行でテルミニ駅へ。スリの出没で悪名高いバス路線を遠慮して、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世通りの路線を走るバスで終点ピア広場まで。そこから徒歩約10分のクレシェンツィオ通りに面してアパートがある。サンタンジェロ城と最高裁判所のすぐ北側という好立地だ。出迎えてくれたのはフランチェスコという四十歳前のオーナー代理人兼管理人。実はこのアパートの他の全室はすべて住居。一階のこの一部屋のみが連泊希望の観光客に民泊としてレンタルされている。オーナーはフランチェスコのお兄さん。

リビングに広い寝室、キッチン、シャワールーム。日本式なら1LDKなのだが、廊下もあり天井も高く、何よりも70平方㍍もあるのでゆったり広々としている。ここで3泊だけとはもったいないと内心思いながら、フランチェスコの説明を聞き滞在費用をキャッシュで用意しかけた。すると、彼のほうからこう尋ねてきた。「ローマの後はどういう予定なんだ? 日本へ帰るのか?」

少しばつが悪かったが、このアパートを出た後にさらに4日間ローマに滞在すると正直に答えた。「どこのホテル? 料金はいくらか?」とさらに聞いてくる。「アパートで3泊、ホテルで4泊」にさしたる理由がなかったから、淡々とぼくは説明した。彼は「気に入ってくれたのなら、残りの4泊もここにすればいいじゃないか。キャンセルは簡単だ。『シニョーレ・オカノのローマの友人だが、オカノは都合でローマに来れなくなった』とホテルにぼくが電話してあげよう」。そう言うなり、半ば強制的にぼくに「オーケー」を求め、すぐに携帯を取り出すとキャンセルしてしまった。ちょっと危ない人ではないか……。

宿泊約款により、一週間以内のキャンセルのためキャンセル料は1泊分。当時はユーロ高だったので、2万円近くになる勘定だ。少し落胆していると、「その損失分を値引きするから心配なく。狭いホテルよりこのアパートのほうが絶対にいい」とフランチェスコが言う。勝手なもので、なかなかいい人に思えてきた。オーブンや洗濯機、シャワーの使い方を説明し、彼は「今夜食事に出るなら……」と言って、パルラメント広場近くのトラットリアを紹介してくれた。

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ローマでのアパート生活。ホテルならスイート並みの広々とした居間。
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ダイニングキッチンには食器や什器のすべてが揃っている。
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アパート裏のサンタンジェロ城とサンタンジェロ橋。
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テヴェレ川対岸からの夕景。 
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サンタンジェロ城から。白亜の建物は最高裁判所。
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城からはヴァチカンのサンピエトロ寺院全景が見渡せる。 
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アパート管理人フランチェスコ一押しの”ジーノ”は庶民的で親しみやすい。
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お任せの前菜。これだけですでに腹八分目に達する。
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特製の手打パスタ。この黄み加減は見たことがない。ソース焼きそばの麺のよう。アルデンテとはまた違う独特の歯応えがあった。

読書の方法と揺れ動く心

過去に大した読書習慣を持たなかった人が一念発起して本を読もうと決意した。しかし、その気になったものの、どんな本をどのように読めばいいのかさっぱりわからない。そこで手始めに読書術や読書論に目を通すことにした。読んでみると、何だかわくわくしてくる。本をこんなふうに読めばさぞかし楽しいだろうと、いよいよ「その気」になってきた。ところが、読書の方法と推薦図書の書名に精通してきたものの、いつまでたっても読みたい本に手をつけられない。気がつけば、読書術と読書論の本ばかり読んでいた……。


よく似た話に、「○○入門」ならあれこれと手広く読むくせに、本家本元の「〇〇」の著作を一度も読んだことがないというのがある。たとえば「カント入門」や「よくわかるカント」の類いに目を通し、『純粋理性批判』や『啓蒙とは何か』は読んだことがない。と言うよりも、これらのカントの哲学書に挑戦するために入門書や指南書を読んでいるわけでもなさそうなのだ。いずれにしても、誰かがカントについて書いたものとカント自身が書いたものは同じではないことだけは確かである。

読書の方法を説く書物はおびただしく、ぼくの書棚にも、古くは『読書について』(ショウペンハウエル)から最近の『多読術』(松岡正剛)まで十数冊が並ぶ。ただこれらの本の数ほどぼくは熱心な読書術の読者ではなく、誰かの意見を参考にすることはあまりない。二十代まではいろいろと漁って読みはしたが、記憶に残っているのは、若かりし加藤周一が昭和三十年代にカジュアルに書いた『読書術』のみ。そして、なるべく文庫本を買うことと、本を読まずに済ませる方法の二つを学んだ。ぼくにとって偉い人たちが書く読書術の大半は、ぼくの方法を客観的に検証するチェックシートにすぎない。


読書の本ではないが、「読んだ本から山のような抜き書きをして、それに『注釈』めいたものを書き連ねることをやめて伸びやかになった」(鷲田小彌太)などの、読んだものは忘れていいという潔い考え方もある。膨大な知識や情報をアタマ以外のところに蓄積できるようになったから、こういう思い切りのいいことが言えるようになった。アタマは記憶のためにではなく思考のために使え、というわけである。

この考えに与しないわけではないが、メモや抜き書きには効能もある。熱心な読書家でもないぼくには成果の確認という意味もある。それに、思考中心にアタマを使うといったところで、思考には知識が欠かせないわけだから、アタマの中に何らかの読書した情報を蓄えておいて悪いはずがない。


かつて速読術がはやり、昨今では併読術に多読術だ。これらすべてを今も実践しているが、誰かに教えてもらわなくても、読書していれば誰だって速読、併読、多読に辿り着く。同時に、これらと相反する読み方、すなわち精読や熟読や寡読の良さにも気づいてくる。こちらの読み方の延長線上には、必然的に「本を読まずに済ませる方法」も浮かんでくる。

先のショウペンハウエルの本には次の一節がある。

本を読むというのは、私たちの代わりに他の誰かが考えてくれるということだ。一日中おびただしい分量を猛スピードで読んでいる人は、自分で考える力がだんだんに失われてしまう。

さもありなん。一般の読書家はゆめゆめ書物の批評家や職業的読書家や書誌学者のような読み方に影響されてはいけない。一日に一冊読んだとしても、そのこと自体何の自慢にもならない。知を蓄えるためという、ごく当たり前のような読書の位置づけすらたまには疑ってみるのもいいだろう。読んだ本の中身を若干アレンジして披瀝するのか、あるいは書物を固有の思考のための触媒にするのか――この分岐点においておそらく読書のあり方は決定的に違ってくる。   

「10分進めています」

出張中は歩くことも少なく過食気味になる。今回は月曜日から金曜日までの45日。いつものように食べているとメタボを加速させる。と言うわけで、ホテルでの朝食ビュッフェはパスして、朝は野菜ジュース2杯だけでしのいでいる。今朝はコーヒーを求めて会場近くの喫茶店に寄った。ほとんどのお客さんがモーニングを食べている。モーニング付きもコーヒー単品も値段は同じ400円。トーストとゆで卵に触手が伸びかけたが耐えた。

喫茶店に入ると壁に掛かっている時計を何気なく見てしまう。万が一遅刻すると大変なので、普段以上に時刻に神経質になっている。今朝の店の時計は正確だった。腕時計と携帯の時刻表示も完全に一致していた。ふと同じような雰囲気の大阪のとある喫茶店のことを思い出す。その喫茶店もモーニング目当てのサラリーマンで朝が賑わう。

その喫茶店では時計の針を10分進めている。サラリーマンが遅刻してはいけないという配慮からである。だが、一見いちげんさんは、その時計を見て「あれっ?」と一瞬ドキリとし、慌てて自分の腕時計の「正確な(?)時刻」を確認することになる。そして、念のため「あの時計、時刻は合ってます?」と尋ね、「いえ、10分進んでいますよ」と聞いてホッとする。こうなると、わざわざ10分進めている理由がよくわからない。


別の喫茶店。時刻が正確かどうかを聞くお客さんが増えたのだろうか、その店では時計の下に貼紙がしてあった。なんと「10分進めてあります」と書いてあるのだ。これにはたまげた。とても不思議である。時計を進めた本来の目的が意味を成さなくなっているではないか。時刻を10分進めたのは、会社にせよ電車にせよ、お客さんが遅れないようにという意図だったはず。そこに注意書きがあって「10分進めています」と種明かしをしてしまったら、もはや「正確な時刻」を告げているのと同じである。

常連さんは時計が10分進んでいることをみんな知っている。だから誰も店の時計に目もくれない。つまり、常連さんにとっては時刻の狂いは想定内。ということは、一見さん向け? いや、一見さんに関しては先に書いたような反応を示すから、「お急ぎを」と促してもしかたがない。ぼくとしては、逆に時計を遅らせておき、「この時計は10分遅れています」と小さな貼紙に書いておくほうが、お客さんを慌てさせる効果があると思う。もちろん、正確な時刻の時計が一番であるが……。 

救いがたいほどの”センス”

先週の土曜日である。出張のため朝8時半頃最寄駅から地下鉄に乗った。マスク着用の乗客がちらほら見えるが、土曜日のせいか車内は空いている。ここ三年間職住接近生活をしているので、出張以外はあまり地下鉄に乗る機会はない。たまに乗れば混んでいるので車内の広告にまで目が届かない。その日はゆったり座って車内吊りポスターをじっくり品定めすることができた。

いったいどうしたんだ、大阪市交通局! 思わず内心そう叫び呆れ返った。シイタケとリンゴを擬人化したイラストが描かれた「座席の譲り合いマナー」を促すポスター。そこにはこんな見出しが書かれてあった。

互いに譲って うれシイタケ!
「どうぞ」の笑顔で すっきリンゴ!

これではまるで「おぼっちゃまくん」ではないか。「そんなバナナ」や「おはヨーグルト」を思い出した。いや、こんな言い方はおぼっちゃまくんには失礼だ。おぼっちゃまくんにはダジャレという売りのコンセプトがあった。譲り合いマナーになぜシイタケとリンゴなのか。必然性が見えないから、単なる思いつきのダジャレなのに違いない。一方がキノコで他方が果物というミスマッチも相当にひどい。

正確に言えば、こういう類いのことば遊びはダジャレとは少し違う。技としてはダジャレよりもうんと簡単で、一文字だけ合わせたら一丁上がりだ。これがオーケーなら、「うれシーラカンス」でもいいし「すっきリスザル」でもいい。要するに、「シ」と「リ」で始まる単語なら何だって成立してしまう。


シイタケとリンゴが大阪市の名産品なら理由もわかる。地下鉄のどこかの駅でシイタケとリンゴの物産展があるのなら、短期の季節キャンペーンだろうとうなずける。だが、そんな深慮遠謀はまったく感じられない。誰がどのような経緯でシイタケとリンゴという案に辿り着いたのか。ぼくの思いもよらぬ狙いがあったのならぜひ聞かせてもらいたいものである。

ポスターでここまで救いがたいほどのセンスを暴露しながら、車掌は「インフルエンザ予防のためにマナーとしてマスクを」と生真面目に車内放送していた。トーンが合っていない。そのポスターを見ながらマイク放送を聞いて、同一の発信源とはとても思えなかった。まあ、こんなことはどうでもいい。何よりも、財政難の折、一人前の大人にマナーを促すようなPR活動にお金を投じるのは即刻やめるべきだろう。

ブログ記事とカテゴリ選択

このタイトルの記事をどのカテゴリに収めるか、少し迷った。迷った挙句、とりあえず「ことばカフェ」というカテゴリに入れた。書こうと思っている記事の概略はすでにアタマにある。このテーマは結局「ことば」の問題になるだろうと見立ててのことだ。しかし、最終的には変更することになるかもしれない。今はまだわからない。


みんなどうしているんだろうか。迷ったら「その他」という万能カテゴリに放り込むのだろうか。あるいは、ブログの記事を書き終えてから、そのテーマにふさわしいカテゴリを選ぶのか。それとも、ひとまずカテゴリを決めてから、今日はこんな内容のことを書こうと決めるのか。ぼくの場合は、ある程度書いてカテゴリを選び、また書き続けてからもっともふさわしそうなカテゴリに落ち着く。ただ、ぼくのブログのカテゴリには「その他」はない。便利な「その他」がないのは、正直なところ、悩ましい。

悩ましくないのは「週刊イタリア紀行」のみ。このタイトルで書く記事は自動的に「五感な街・アート・スローライフ」に分類する。思案の余地なしだ。現地からではなく、ふだんの仕事と生活をしながら過去の旅を振り返りつつ綴るので、必然アートや街の話になる。このカテゴリ以外だと「看板に偽りあり」ということになってしまう。


今日から企画研修で出張中。企画研修では便宜上ざくっとしたテーマとタイトルを決めてもらう。それから素材を集め分析しアイデアをふくらませ構成していく。最終的な企画の構成案をもう一度検証し、タイトルを見直す。広告ならどうだろう。見出しづくりにさんざんアタマを捻ってから本文を書くのか。しかるべき本文を書いてから、それに見合ったヘッドラインを仕上げるのか。ぼくの場合は、いつも見出しの試案が最初にあった。

文章を書いて題をつけるのか、題を考えてから文章を書くのか。どっちでもよさそうなものだが、いずれにしても、ふらりと気ままな旅に出るのとはわけが違う。題や文章、タイトルや記事に先立って、必ずテーマというものがあるはず。テーマを「指向性あるコンセプト」とするならば、それを凝縮したメッセージを題名なりタイトルとして仮に定めておくのが筋だと思う。その筋に沿ってのみ文章や記事が書ける。適当に考えて適当に後付けされたタイトルでは無責任というものだ。

アイデアというのも同様で、テーマへの指向性が弱ければ浮かぶ頻度が低く、量もわずかで質も落ちる。見当をつけておかないとなかなか湧いてくれないし、湧いたところで意識が薄ければ通り過ぎてしまう。ゆえに、〈タイトル試案→記事作成→カテゴリの仮選択→文章推敲→タイトル見直し→カテゴリ決定〉という流れが妥当なのではないか。これが結論。そして、この記事は「ことば論」ではなく、「構成手順にかかわる発想ないしアイデア」なので、カテゴリは〈ことばカフェ〉ではなく、〈アイディエーターの発想〉がふさわしいということになった。ともあれ、テーマはカテゴリに先立つことは間違いなさそうだ。

イタリア紀行42 「丘陵の聖都」

アッシジ

一般にローマと言うとき、それは人口270万人の「コムーネ(comune)」としてのローマを指す。いわゆる「ローマ市」の感覚に近い。そのローマ市を包括する「ローマ県」もある。コムーネというのは地方自治体を指すことばだが、日本の市政概念とはだいぶ違っていて市町村すべてに使う。だから単純に行政規模の大小を類推できない。

このイタリア紀行における「街」や「都市」の視線は、県にではなく、終始一貫コムーネに向けている(しかもほとんど徒歩圏内の地区)。アッシジはすでに取り上げたウンブリア州ペルージャ県のコムーネの一つ。大都市ローマもコムーネなら、人口は約25千人の小村アッシジもコムーネである。アッシジの「サンフランチェスコ聖堂と関連遺跡群」は2000年に世界遺産に登録された。その翌年、ぼくはアッシジを訪れた。

バスは緑に溢れる平野を抜けて丘陵地帯へと向かう。修復作業以外に目立った工事が一切ありえない土地ゆえ、自然の一部を建物が拝借しているという風情である。だからこそ、聖地たりえるのだろう。コムーネ広場からほどよい距離を歩くとアッシジ生まれの聖人フランチェスコゆかりのサンフランチェスコ聖堂に着く。

フランチェスコはイタリア男性に多い名前だ。アッシジの守護聖人でありイタリアの国の守護聖人でもあるフランチェスコ(1182?1226年)は裕福な家庭に生まれた。若い頃に放蕩三昧したあげく、神の声を聞いて聖職への道についた。生地だから当然なのだが、こんな絶好の立地はない。世界遺産や聖人フランチェスコだけではなく、ロケーションもアッシジ人気の理由の一つだと思う。

聖堂で希少なフレスコ画を見て聖人の墓のある地下室へ。過酷な修道生活の日々が彷彿とする。キリスト教や聖書についてまったく無知ではないが、信仰者でないぼくでも敬虔にならざるをえない。修道院の中庭や回廊である「キオストロ(chiostro)」はたまげるほどのスケールだが、何かにつけて瀟洒で質素にこしらえてある。それがいっそう「聖なる空気」を充満させているのだろう。 《アッシジ完》

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中世を再現したかのような通り。
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小ぢんまりした市街のどこにも現代は見当たらない。
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遠近法に忠実なキオストロと呼ばれる歩廊はどこまでも続くかのよう。
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サンフランチェスコ聖堂のファサード。
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聖堂の中庭と修道院。
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聖堂のある高台から見晴らす風景。

タブー命題を封印してはいけない

誰から教わったのか覚えていないが、青年期から「政治と宗教」の話はタブーだと心得てきた。けれども、親しい友人となら平気でテーマにするので、いつでもどこでも絶対禁忌きんきと見なされているわけではない。政治や宗教とは無関係な、いろんな人々が集まる場や会合では、話題にしたり言及したりしないほうがいい、暗黙のうちにそうなっているのだから……というわけだ。議論やお喋り好きにとっては、舌に軽はずみをさせぬよう言い聞かせておくべき「禁じられたテーマ」ではある。

つまり、政治と宗教の両方に関わらない人たちにとって、「何かの席上」で論じることがタブーとされている。ところが、議員が政治と無関係の人たちに「政治」を語ることはタブーではなく、また僧侶が宗教と無関係の人たちに「宗教」を語ることもタブーではない。政治家にとっては「宗教問題」だけがタブー、また宗教家にとっては「政治問題」だけがタブーになっている。なぜぼくたちは、いずれのテーマもタブーとして封印しなければならないのか。


十数年前、ディベートの論題を決める際に上記のことが問題になった。政治や宗教の論題はやめるほうがいいというのが多数であった。多数意見を前にすると俄然ノーを突きつけたくなるぼくだ。強く主張した。

「ディベートは『論争のシミュレーション』、誤解を恐れずに言えば、ある意味で『議論ごっこ』なのだから、目の色変えて本気になってもらっては困る。アメリカでは『堕胎の是非』や『黒人生徒への学校の開放』のようなテーマも取り上げていた。極論すれば、どんなテーマでもよいはずだ。」

誰に睨まれようと、今もこの考えに変わりはない。タブー性の高い命題を互いに了解したうえで、議論好きの親しい人間どうしが集まり、たとえ口論寸前の過激なムードになっても咎められることはないはず。それがオープンなディベート勉強会という形になって、何かの拍子で第三者や報道関係者に公開されることになったとしても、ぼくは「見えざる世論」に遠慮することはないと思っている。

政治と宗教のみならず、タブーとしていったん「禁」のラベルで封印されると、どんな話題も公然と論議のマナイタに載せにくい。腫れ物に触らぬよう扱われているうちに、やがて社会的良識から乖離して「治外法権」へと逃げていく。もとより論議という関与しかできないぼくたちにとって、治外法権という温床に鎮座する禁忌命題はまったく手に負えなくなってしまう。そしてよりも深刻なのは、健康、病気、身体的特徴などタブー命題コレクションがますます増えつつあるという事実なのだ。クールに凝視して取り上げ、時には怒りながら、時にはわらいながら、論うことを忘れてはいけない。


油断していると、タブーは日常茶飯事の領域にまで忍び寄ってくる。タブーを侮ってはいけない。人間はタブー発言を耳にすると結束する習性を備えているのだ。「マスクなんてしなくてもいい」とか「マスク求めてドラッグストアに並ぶ連中の気が知れない」とか「インフルエンザにかかったら罹ったでしかたがない」とか、ゆめゆめ公言してはならない。世論が一斉にある方向に向かっている時は流れに逆らわないのが賢明なのだ。そして、やがてこんな弱腰が「異様なほど生真面目でおもしろくない社会」をせっせと築いていくことになる。世界から「ニッポンの常識は世界の非常識」とまたまた揶揄される。ついさっき、ある英文ニュースで「日本は戦争中だ。敵は新型インフルエンザ」というのがあった。案の定だ。

オイルショック当時、トイレットペーパーを買い漁る連中をバカにしたら何十倍もの非難を浴びせられた。後年、誰が愚かであったか、いずれに理があったかが自明になった。「言うべきこと」と「言うべきでないこと」を現在進行形の渦中で判断するのはむずかしい。しかし、結果がどうであれ、何でも言っておくことがマイナスになるとは思えないのだが、この考えは危険なのだろうか。  

出る杭とアンチテーゼ

ごくわずかな人たちを除いて、ぼくの回りで「過激発言する人」がめっきり減ってきた。ちょっと過激で「ピー」の音を被せなければならないときは、シモネタ系に限られる。テーマが時事であれ教育であれビジネスであれ、あるいは人物や思想の話に及んでも、なかなかハッとする見方に出くわさない。さらに、意見や価値観の衝突を未然に避けるので、争点の起こりようもなく議論にすらならない。要するに、対話をしていてもあまりおもしろくないのである。

まあ、五十の大台に乗ったのなら意見が少々控え目に傾くのもやむをえないだろう。だが、その意見がこれまた無批判に同調されるとなると、まったくアンチテーゼが出てこない環境に置かれることになる。歳を取れば過激度は自然に薄まるもの。しかし、それでもなお、周囲がそこそこに安全圏に留まろうという気配を感じたら、年配者だからこそ、意に反しながらも〈デビルズ・アドボケート(devil’s advocate)〉として登場せねばならないのだ。敢えて苦言や反対意見を唱える「悪魔の提唱者」、くだけて言えば、アマノジャクの役割のことである。

二十代、三十代でありながら「よい子」に収束しようとする心意がぼくにはわからない。わからないけれども、その世代にしてアンチテーゼの一つも唱えないようなら、四十代、五十代になったら絶望的なほど無思考人間に成り果てるだろう。若い頃に下手に成熟するのではなく、しっかりと若さゆえの役割を演じておかねば、反骨エネルギーはこれっぽちも残らない。そんなもの残らなくていいではないかと反論されるかもしれないが、反骨エネルギーこそが新しい発想やアイデアの源泉なのだ。老齢を避けることはできないが、「老脳」はテーゼに対するアンチテーゼ精神によって遅らせることができる。


古典に属する考え方で申し訳ないが、テーゼとアンチテーゼの関係は弁証法的展開には欠かせない。正統と異端もしのぎを削る。与野党の関係もしかり。すんなりと何かが決まり大勢が一つの色だけで染まるのが組織の老化現象の原因なのである。ディベートにしても肯定側(テーゼ)と否定側(アンチテーゼ)との間の意見交流だ。そのディベートという一種のゲームにおいてさえ、アンチテーゼがきわめて脆弱で腰抜け。ゆえにサスペンスも感動もない。若い人ほど情報に依存するあまり、ありきたりの検証に終始する。

血気盛んとまではいかないが、ぼくのような万年青二才からすれば、ぼくよりも二十も三十も年下の人たちがとてもお利口さんぶっているように見える。人間関係上の衝突を未然に避ける術を身につけている。だから、打たれないと判断すれば杭を出すが、危ないと見るや杭は決して出さない。しかし、こんな小器用な調整作業を繰り返しているうちに、しっかりと出る杭になるチャンスを逃してしまう。「出る杭」とはアンチテーゼ能力である。その能力を凌ぐと自負するテーゼ人間が杭を打ってくれる。大いに打たれて鍛えてもらえばいいのだ。

ところで、何がテーゼで何がアンチテーゼかは一筋縄では語れない。ひとまずぼくは先行発言や先行価値をテーゼと位置づけ、それらに「ちょっと待った」というのをアンチテーゼと呼んでいる。したがって、アンチテーゼのほうがいつも過激というわけでもない。テーゼが過激かつ異端的で、それに穏健なアンチテーゼが絡んでもいいわけだ。とは言え、アンチテーゼはアマノジャクでなければ迫力に欠ける。そう、アンチテーゼの原点にある意気込みは、「丸く収まってたまるか」であり「他人と同じ発想をしてたまるか」でなければならない。   

少々デフォルメがちょうどいい

四十歳前後の頃に顔面の三分の一くらい髭を生やしていた。二年くらい続いただろうか。ある日剃った。いつもと違う気分で出社した。スタッフの誰も何も言わない。ふだん通りに仕事が始まった。おもしろくないので、女性スタッフの一人をつかまえて、「何か変わったことに気づかないか?」と人差し指を顔に向けて聞いてみた。しげしげとぼくの顔を見たあと彼女は言った。

「メガネ、変えました?」

自分が自分を意識するほどには他人は意識してくれない。自分という存在は、他の誰にとっても光景の中の一対象にほかならない。そこに存在の軽重はあるだろうが、人間も机の上の手帳も路肩の郵便ポストも同列の対象として見えている。ドキドキするくらい派手なピンクのネクタイを締めていったものの、誰からもノーコメントだったというのも毎度のことだ。

無難に常識的に生きようとすれば、無難以下常識以下の人生に終わる。そこそこの仕事、まずまずの品質は、他人の目には「冴えない仕事、粗悪な品質」として映る。インパクトをつけたつもりが、その隣りにそれ以上のインパクトのあるものが並べば、もはや衝撃的な存在ではなくなる。すべての人、物事は別の誰か、別の何かとの比較の上で評価される、相対的関係性における存在なのだ。


他に類を見ないのなら、ことさらデフォルメするには及ばない。それ自体の品質、特徴、便益がすでに「比較優位性」を備えているからだ。意を凝らさなくても、自然体のデフォルメ効果がすでに演出されている、というわけである。力強い事実は誇張を必要としない。無難に常識的に訴求すればよい。ところが、そんな優位性がなければ、印象は客観に委ねられる。たとえば、Aという広告。Aを単独で見る、Aを見てからBを見る、Bを見てからAを見る、ABを同時に見る……同じAであるにもかかわらず、Aが人に訴求するもの、人がAに抱く心象はすべて異なってくる。

優れた特性を備えながらも地味な存在の人やものがある。情報洪水の時代では、いぶし銀と褒められて喜んでばかりはいられない。存在感を意識してアピールしなければ存在そのものが認知されないのである。過度の背伸びや売り込みを好まないぼくでさえ、少々のデフォルメやむなしと考えている。さもなければ、一瞥もくれない、記憶にも残らない存在として闇に消えてしまう。

前例を踏襲するだけの無策に甘んじてはいけない。極論すれば、頑として「非凡」を目指すべきなのだ。非凡を心掛けて実践しても、やっとのことで「平凡よりちょっと上」なのだ。ただ、平凡で地味な存在がいきなり非凡へと方向転換できないだろう。だからこそ、とりあえず「少々デフォルメ」を意識してみる。但し、デフォルメを虚飾や上げ底と勘違いしてはいけない。デフォルメには、品質なり力量なりの裏付けが不可欠なのである。 

ウィルスより怖ろしい潔癖連鎖

イタリア紀行でレストランの話を時々取り上げている。厨房の裏の裏まで覗いたわけではないので衛生管理の詳細はわからない。ただ、日本で当たり前のおしぼりやお手ふきの類いは出てこない。そのままの手が嫌なら、従業員にトイレの場所を尋ねて手を洗うしかない。トイレの場所を聞かねばならないのは、男女の人形ひとがたを示すピクトグラムも場所を示す矢印も店内ではふつう表示されていないからだ。

テーブルチャージに相当するコペルト(coperto)として、バスケットに盛ったパンが出てくる。コペルトは200円か300円くらい。前菜かパスタなどの第一の皿が出てくるまで客はパンを手でつかみワインを飲む。ぼくがこれまで目撃したかぎり、イタリア人は手を洗ったりウェットティッシュを使わない。ぼくも、よほど気になる場合は手洗いに立つが、たいていは気にせずにそのままパンをつまむ。

そのコペルトのパン。四、五人用のテーブルならてんこ盛りなので、メインの第二の皿の頃には誰も手をつけなくなる。そう、数切れまたは数個残る。残ったパンをすべての店がそのまま捨てることはない。テーブルナプキンなんぞでパンの表面をさっとぬぐい別のパンといっしょに次のお客さん用に盛り付けなおす。つまり使い回し。「まさか! うそ!」と思われるかもしれないが、ぼくはそんな光景を何度も見ている(但し、誤解があってはいけないので、いさぎよく捨てる店もあるかもしれない、と申し添えておく)。


世界から見れば、わが国の人々は常日頃から異常なほど潔癖である。ぼくには納豆やバナナを求めた心理とマスクを求め装着する生理が同根に思えてしかたがない。しかも、その潔癖さは賞味期限の年月日やらウィルス除去率何パーセントやらうがい回数何回などの「権威筋の数値」に依存している。「これは大丈夫、これはたぶんダメ」という動物的自己防衛機能はまったく作動していないのだ。

添加物を徹底マークして避けていた男がいた。弁当が出てもチェックして怪しければ食べない。にもかわらず、そいつは決して健康ではなかった。すぐに風邪を引く。過度の潔癖症は周囲の人間を不機嫌にしてしまう。そいつとは相席したことはないが、働き始めた頃、ぼくはよく大阪の鶴橋の屋台でホルモンを食べたものだ。一串20円か30円。豚足などはオバチャンが手も洗わずに手際よく割いてくれた。小ぶりなゴキブリが走る。皿に盛ったキャベツはもちろん手洗いしていない素手で口に運んだ。


さて、新型インフルエンザの疫学調査。感染拡大を防ぐため、患者の行動を過去にさかのぼって追跡するという。感染者が乗車した地下鉄、飲食した場所、足跡などの一週間分が判明したとしても、居合わせた他人や彼らとの距離は追跡不可能である。農産品のトレーサビリティよりももっと難度の高い課題なのだ。府域・県域一斉休校にするくらいなら、何よりもまず満員電車の一斉ストップではないのか。

確かなことは、人間の行動とウィルスの感染はグローバル規模でもローカル単位でもシンクロしているということだ。人が飛行機に乗ればウィルスも乗る。地下鉄にも無賃乗車する。学校の授業にも出る。ウィルスの感染を抑えるには人間の行動を束縛し、人間そのものを完全隔離するしかない。到底それは無理な話である。授業が滞るくらい何でもない。時間の工夫をすればいずれ挽回できる。しかし、仕事を一斉にストップさせるわけにはゆかないではないか。厚生労働省では、感染拡大期を「地域でどんどん患者が増え、もはや疫学調査が有効でなくなる段階」としている。その事態は不可避だし、実際そうなってしまっている。不可避だからといって、経済活動をすべて停止して引きこもるわけにはいかない。情報に一喜一憂して浮き足立っているわけにはいかないのだ。


その昔、鼻づまりがひどかったので薬を使った。やめると以前よりひどくなる。結局使う頻度がどんどん高まり手放せなくなってしまった経験がある。便利を手に入れたらリスクもついてくる。人工的な衛生環境に慣れすぎたら免疫力は落ちる。極度な潔癖性分はとても危なっかしい。今日は午後から京都で私塾。大阪からやってきた、招かれざる塾長にならぬよう気をつけよう。また、6月に入るとすぐにアメリカに行くことになっている。十日間滞在して帰国したら、非国民か国際テロリストのような扱いを受けるのだろうか。