大大阪という時代

かつて大阪が「大大阪だいおおさか」と呼ばれた時代があった。大正末期から昭和初期にかけての頃である。そう誰かが命名したのだろうが、当時の人々も自ら生活する街をこぞってそう呼んだのである。戦後の高度成長時代と比べても遜色ない繁栄ぶりがうかがえる。その昔、父親から聞いた話だが、昭和一桁時代に「一圓」あれば、二、三人で通天閣あたりに行って芝居を見て晩飯にご馳走が食べられたらしい。

その通天閣、かつての威風堂々の雰囲気はすっかりくすぶってしまい、おまけに同じ地域にハルカスが誕生して俯瞰的にもかすんでしまった。地上に降りれば観光客で賑わってはいる。けれども、ぼくの少年時代からのイメージは、土地柄とも相まって、通天閣は垢抜けしない存在であり続けている。庶民的ではあるが、その姿も周辺の飲食店も場末感が強く、しかも風紀的にも好ましい印象からはほど遠い。

通天閣 歡樂の大阪 十里一望を標榜せる新世界の通天閣

『大大阪「絵はがき集」』が手元にある。大阪に華があった当時の勢いを示す写真24景が原色のまま収められている。もちろん通天閣は24景の一つで、「歡樂の大阪 十里一望を標榜せる新世界の通天閣」という一文が添えられている。誰かが言っていた、「スマートな東京タワーに比べたら、通天閣はコテコテ。えらい違いや!」と。通天閣を設計したのは内藤多仲だが、驚いてはいけない。「塔博士」と称せられた内藤、実は東京タワーの設計者でもあるのだ。


大阪大好き大阪人もいる。しかし、大大阪時代の誇らしげな心情が100パーセント残っているなどと言い切る自信はない。「やっぱ大阪好きやねん」と言いながらも、大半の大阪人の内には二律背反的な価値観が潜んでいる。自画自賛する一方で、自虐的であったりする。観光客が大阪城や通天閣に詰めかけるのを見てあほらしいと薄ら笑いを浮かべ、ミナミなどは怪しいディープな匂いがするなどと貶されると、「気さくでフレンドリーなんや!」と意固地になって反論する。

絵はがき集の冒頭で橋爪紳也が大大阪時代のことを次のように書いている。

大阪は「水の都」の愛称を得る。「東洋のベニス」と呼ばれた都市の中之島には、パリを想起させる美しい公園が整備され、市民の憩いの場に変容する(……)「煙の都」という異名ももらう。東洋のマンチェスター(……)

引用はこのくらいでいいだろう。東洋のベニスの中にパリの公園があって、ちょっと離れるとマンチェスターのような工場地帯が乱立していたのが大大阪時代なのであった。いったいここはどこ、ベニス? パリ? マンチェスター? 観光客が増えたと手放しで喜ぶ向きもあるが、何のことはない、大阪のアイデンティティの乱れは今に始まったものではないのである。カオスを個性とする現代の大阪は大大阪時代からのDNAをちゃんと受け継いでいるかのようだ。「幸か不幸か」と付け加えざるをえないが……。

食を巡る栄枯盛衰

風土や食性に合った定番メニューは、人気の上昇下降や頻度の高低などの変化にめげずに、時代を経て口に運ばれる。しかし、食にもはやりすたりがある。食材の過剰や不足によってメニューが変わる。マスコミや噂に煽られて人気メニューが登場する。一時的に貪られても、徐々に飽きられ、やがて表舞台から消えていく。世界の食材・料理を柔軟に取り入れてきたこの国の人々は、食性の広さに関するかぎり世界一である。何でも食べる。そして、食のトレンドに敏感である一方で、食べ飽きるのも早い。

食文化の歴史を辿れば、日本人は近年急速に食べるものを多品種化してきた。一昨日は天ぷら定食、昨日は豚の生姜焼き定食、だから今日はパスタセット、明日はたぶん和定食……などという食習慣は世界に類を見ない特殊だ。和洋中に加えて麺類専門、カフェ系、エスニックなど店の顔ぶれが多種多様である。つまり、それだけ競争も激しいのである。

会社を興して2年後に今の場所に移転した。以来25年間、ぼくのオフィスは動いていない。つまり、ぼくはオフィスが立地する地域、とりわけ食事処によく通じているのである。たまに弁当を食べるが、ランチはたいてい外に出る。したがって、休日や出張で不在の日を除けば、約200食×25年、合計で五千食以上どこかの店で昼食をしてきたことになる。オフィスを中心に見立てると、「食事圏」は南北800メートル、東西で600メートル。おそらく二、三百軒の食事処に足を運んだはずである。


店の数が常時二百も三百もあるわけではない。看板やのれんが変わったから、合算するとそのくらいになるのである。たとえば、二つ隣りのビルの地下の食事処は現在で6店目である。大衆居酒屋、創作居酒屋、鯨肉割烹……などと代替わりし、今は洋風レストランになっているらしい。覗いたこともないから、看板から類推して「らしい」と言うしかない。このような現象が圏内にあまねく見られる。そして、25年間に及んでぼくが目撃し、実際に食事をした店のうち、屋号もメニューも立地も変わらぬ食事処はおそらく十指にも満たない。

健闘しているのは、リーズナブルで味がまずまずの店であり常連客がついている。他に、家内営業的であることだ。夫婦二人で営んでいる喫茶店がそうであり、親族経営の和食の店がそうである。もう一つ加えると、週に一、二度通っても飽きがこない、定番系のメニューを揃えていることである。創作系やヌーベル系はことごとく消え去った。さらにもう一つ加えるなら、アルバイトを過剰雇用していないことである。暇そうなパートがいる店も負け組である。

ビフカツ大

栄枯盛衰の食事処シーンを回顧するにつけ、飲食業の難しさを痛感する。パスタと洋食でまずまずの人気を集めていた店がある。イタリア語で綴られたメニューの三ヵ所にスペルミスがあって気になってはいたものの、その店には月に二度は足を運んでパスタランチかビフカツの大を注文していた。まずまず気に入っていた。ある日、その店先に移転のため何月何日に閉店すると貼り紙が出た。

閉店前後に何度か前を通ったが、移転先を告知するような貼り紙はついに出ずじまい。おそらく移転というのは廃業の口実だったに違いない。ランチタイムはかなりの賑わいだったのに、なぜ? とも思うが、オフィス街特有の事業継続のもう一つの絶対条件を見逃してはならない。夜に人が入らないと採算が合わないのである。昼にやって来る客が、仕事が終わって近くの洋食店で一杯引っかけたりしない。わがオフィス圏内で飲食業を始めようと思う経営者は、不動産屋で店を探す前に、ぼくの証言に耳を傾けるべきである。

大賞・最優秀賞の意味

金メダル4個.jpg一つだけが群を抜いており異口同音の評価が下されれば、それを選べばいい。だが、評価すべき対象が拮抗することもよくある。優れているものが複数存在することは珍しくないのである。それでも審査や選考という仕事は、大賞や最優秀賞に値するものを、甲乙つけがたい苦悶の末に一つに絞ってこそ任を果たす。選ぶのが難しいからと言ってすべてを選んでいくとキリがなく、また本来の大賞・最優秀賞の値打ちも下がってしまう。

洋服にしても食事にしても何を着て何を食べるかに迷う。迷った挙句、すべてを購入したり食べたりしていては節操がない。そんなことができるのは特殊な人間に限られる。ぼくたちは、小から大に到るまで、日々選択の岐路に立って一つに絞る。決断とは一つの責任の担い方であり、外へ向かっては意思の表明である。悩み抜いた結果一つだけを選ぶのか、悩み抜いても決心がつかず複数を選ぶのか……後者は優柔不断に陥る。たった一度の例外を作ってしまうだけで、それが日常化し、無責任を正当化してしまうことになる。


こんなことを書いた理由はほかでもない。今年の流行語大賞の話題が先週あたりから出始めたのを知り、ふと昨年の『2013年新語・流行語大賞』のことを思い出したのである。大賞を受賞したのは四語。まだ記憶に新しいだろう。

「今でしょ!」
「お・も・て・な・し」
「じぇじぇじぇ」
「倍返し」

今年の審査員の面々が誰なのかは知らない。昨年は、やくみつる、姜尚中、鳥越俊太郎らであったことを覚えている。彼らはこれら四つの大賞に落ち着くまでに相当選考に苦しんだはずである。そうでなければ、金メダルを四個も出すことはなかったはずだ。

ところで、ぼくはネーミングという任務をたまに授かる。商品のコンセプトをよく吟味し、市場からの目線も踏まえて十いくつかの案を出し、三つ四つに絞り込む。絞りきれないからその商品の名前を複数にしてしまおうなどという乱暴な決断には陥らない。甲乙つけがたくても、一つに絞る。この種の作業において何かを一つだけ選ぶというのは、別のものとの決別でもあるのだ。そこには潔さが求められるし、その潔さによって選考した理由を自信をもって論うことができる。選べないから全部などというのは、審査員の役割をまっとうしていないのである。

と、硬派な意見を述べたが、一企業が企てている新語・流行語大賞ごときに本気でいちゃもんをつけているのではない。まあ、どうだっていいのである。ぼくがいまお手並み拝見したいのは、すでにノミネートされた今年の新語・流行語の50候補から、一つだけの大賞が選ばれるのか、はたまた今年も複数が選ばれるのか、という一点である。

この小文、読者をおもてなしするものでも読者に倍返しするものでもなく、じぇじぇじぇとつぶやきながら書いたものでもない。書くなら発表前の「今でしょ!」というつもりでしたためた次第。

文具ダンディズム考

具は飾り物ではない。高価であるとか安価であるとかも文具の必須条件ではない。文具は使うものであり、長年に及んで使い込めば愛用品と呼ぶにふさわしい一品に仕上がる。使う愛用品であって、決して飾り棚やケースに収納して愛蔵するものではない。専門の蒐集家ならいざ知らず、ぼくたちにとっては日々の実用品にほかならない。

紳士の文房具

粋やダンディズム、知性やことばについて造詣が深かった評論家の板坂元の著書を何冊か読んでいる。その中に『紳士の文房具』という一冊がある。題名が示す通り、いろいろなジャンルの文具についての考え方が披瀝されている。万年筆へのこだわりなどは、他の万年筆愛好家同様に尋常ではない。ぼくも万年筆には並々ならぬ想いがあるが、特段の造詣があるわけでもなく、周囲の知人友人を驚かせるほどの薀蓄を傾ける域には達していない。

使わないからどうぞと言われ、厚かましく頂戴したモンブランがぼくの愛用する万年筆の最高値である。10万円を下らない。パーカー、シェーファー、パイロット、セイラー、ペリカン、ラミー、ウォーターマンなど、二十代から自腹で10本以上買っているが、どれも1万円から2万円前後のものばかり。頻繁に愛用しているのは34種類だが、たまに手に取っては、どのペンにも出番を与えるようにしている。


先日、新聞の夕刊に万年筆について書かれた記事を見つけた。話は、大人の男の流れから万年筆へと及んでいたのだが、記者の取材した相手がダンディズムを売りにしている有名人らしい。「40歳過ぎて万年筆を使ってないヤツは子ども。大事な人へのお礼状は万年筆がベストだよ。字が多少下手でも雰囲気が出る」というくだりにちょっと首を傾げたが、目くじらを立てるほどのことはない。問題はその後だ。「5万円以上のものを使ってほしいな」。

手紙を書かない字の下手な男でも万年筆を買うか貰うかするかもしれない。しかし、断言してもいいが、使うとなれば三日坊主に終わる。ものを書くだけなら、万年筆以外のどんな筆記具でもいいわけだ。しかし、若い頃から万年筆を使ってきた者は、万年筆でなければならないと考えた段階で、すでに書く中身にこだわったはずなのである。誰にだって稼ぎに応じた懐の状況があるのだから、いきなり5万円以上から入門できる者などめったにいない。

5万円以上の万年筆を持てという時点で、文具ダンディズム失格と言うべきだろう。人にもらった10万円超のあのモンブランは、ペン先を調整すればよくなるだろうが、使いこなすにはまだ時間がかかる。手に馴染み筆感に優れ心地よくペン先を走らせることができるのは、1万円台の万年筆ばかりである。どのインクでどの紙に何を書くか、そしてどのペンを使うのか……万年筆を取り巻くソフトとハードは、価格などでは計れない長い歳月を経て決まる。愛蔵や見せびらかしなどとは強い一線を画するダンディズムに裏打ちされるものなのだ。縁あって手に入れた文具、せいぜい愛用すべきである。

「危ない!」とは何か

注意書きとは、言うまでもなく、注意を促すものである。注意を促しはするけれど、注意に従うかどうかはあくまでも促されたほうの判断次第。電車のドアに貼られているシールの、「指をはさまれないように注意」というメッセージなどはすっかり空気のような存在になってしまって、毎度毎度気にも留めないし注意を促されることもない。

「こちらはちゃんと注意をしている。何かあったら自己責任だぞ」という、表示者の責任回避の魂胆が見え隠れしている。おびただしい注意書きの割には、促される側はさほど意を注いだりしていない。要するに、人は注意書きに忠実に従って日々を生きているわけではないのである。

注意を促し呼びかけるだけでは効果がないと判断すれば、「危険!」とか「危ない!」と表記する。「ご注意」のなまやさしさに比べれば、迫力がありドスがきいている。

畝傍御陵前 龍のオブジェ

先週の出張時に見た研修会場前の噴水のオブジェを見た。龍がモチーフになっているが、何かの文化歴史的ゆかりのあるモニュメントかもしれない。「危ない」と呼び掛け、「ここで遊ばないでください」と補足している。オブジェは遊び道具ではなく、静かに愛でるものであるという意味なのだろう。

さて、「危ない」とあるが、ここで遊ぼうとする分別不十分な子どもに何が危ないのかが伝わるのか。「何が危ないの?」とパパやママに聞けば、「ケガするかもしれないでしょ」と答え、「なんでケガするの?」と聞けば、パパやママは「危ないからでしょ」と言うに違いない。同語反復的なトートロジーだ。もちろん遊び次第ではケガなどしないかもしれないが、その遊びの内容を規定できないからこそ、「ここで遊ばないでください」と曖昧なのである。


日本のB級標識・表示ばかりを集めた本に「危険! 触るとヤバイです」というのがあった。なぜ危険かという論拠が示されている。ヤバイから危険なのである。とは言え、何がヤバイのかはわからない。そのヤバさを明かすためには触ってみるしかない。触ってみて危険だということが実感できた時は手遅れである。やっぱりヤバかったということになる。

子どもたちにわかるようにと、「こちらはきけん! みぎにいけ」とひらがなで表記すると、「こちらは危険! 右に池」と読み取るとはかぎらない。「こちらは危険だから、右に行け」と推理するかもしれない。すると、お池にはまってさあ大変ということになる。「危ない」にはゆゆしき危険もあればこけおどしもあるだろう。ゆゆしき危険なら危険地帯を生活圏に作ってはいけない。作らざるをえないのなら物理的に立ち入りできないように造作しておくべきである。

突然「危ない!」と後ろから叫ばれても、体を右へかわすか左へかわすか、姿勢を低くするのか、走り抜けるのか立ち止まるのか……咄嗟の判断を迫られる。表示板の「危ない!」には考える余裕はあるものの、その余裕のせいで「なぜ、何が危ないのか?」と遅疑することになる。遅疑でもしてくれたらまだしも、慣れきってしまうと、やがて「危ない!」の効能は消え、無機的なメッセージとして景観を汚すだけの存在に成り果てる。

ヒーローの話

いろんなジャンルの「ヒーロー列伝」なる本がある。実は、15年前のノートを気まぐれにめくっていたら、そんな小話を綴っていた。と言うわけで、今朝はスポーツの話を書いてみる。

負けて銀、勝って銅

オリンピックや世界選手権では、それぞれのスポーツが独自の方法で金、銀、銅を決める。どの競技でも金メダリストは試合直後も表彰台でも歓喜している。ところが、敗者復活のある柔道やレスリングでは、悲喜こもごもの表彰式が見られる。金か銀を決着する優勝決定戦があり、銅かメダル無しを決める三位決定戦があるからである。

一回戦や二回戦の敗者は復活してももはや金、銀は取れない。よくて銅メダルである。三位決定戦には復活した敗者が出場することがある。金メダルを争う二人は準決勝を勝ち抜いている。銅メダルを競う三位決定戦の二人よりはおおむね力上位であり、現実に負けなしでファイナルに進んできた。

しかし、どうだろう。銀メダリストは最後に負け、銅メダリストは最後に勝っている。前者は試合後も表彰台でも敗北感を押し殺してうなだれている。後者は、一度負けた悔しさは尾を引くものの、敗者復活で拾われ、勝って銅メダルなのだから、涙にまみれることは稀である。銀メダリストは大会においてはヒーローの一人でありながら、ワンランク下の銅よりも辛い表彰式を迎える。

ヒーローインタビュー

ヒーローインタビュー

野球ではいわゆるお立ち台の光景。マイク片手にインタビューアーがヒーローを待ち受けて台上へと促す。そして、満員の聴衆の歓声と拍手が止むのにタイミングを合わせて精一杯マイクで声を響かせる。

「ホーソーセキ~、ホーソーセキ~」 ほら出た。必ず二度言う。実況中継を担当していた放送席に強く語り掛けるのである。元はと言えば、放送席の方が視聴者に向かって「では、ヒーローインタビューです」とマイクを現場に譲っているにもかかわらず。呼び掛けるべきは、放送席ではなく、球場を埋め尽くしたファンなり視聴者ではないか。

大したことを聞くわけではない。「いいピッチングでした!」か「見事なホームランでした!」と投げ掛ける程度である。「あの場面では何を考えてバッターボックスに入ったのですか?」に対しては、選手も「思い切り振って行こうと思っていました」くらいの答えしかない。外人選手の場合は通訳をはさむ。通訳は質問も感想もかなりアバウトに訳す。

それにしても、ヒーローへの質問が月並みである。それに対するヒーローの応じ方も月並みである。月並みなやりとりがヒーローを凡人にしてしまう。何よりも聞かされるぼくたちが気恥ずかしさを覚える。ヒーローの扱いに関してもっと勉強してもらう必要があるだろう。

難癖をつける世界

難癖の類語にいちゃもん、クレーム、揚げ足取りなどがある。私生活でも仕事でも頻繁に降りかかる。隣近所、集まり、会社、売場など、場も問わない。世界を股にかけるのも特徴だ。古今東西、数えきれない難癖がつけられてきた。ちょっとした口喧嘩が殴り合いに転じるように、いくつもの難癖がいくさにエスカレートしたのは歴史が証言する通りである。

捕鯨問題に見るように、難癖をつけられると対応に追われてしまう。遅疑逡巡していると後手を踏む。ディベートや論争でもそうだが、たいていの場合、異議申し立てする側が議論のペースを握る。もちろん先手だからと言って必勝の保証はない。それでもなお、領域や論点において用意周到に議論をリードすることができる。早い話が、問う側が答える側よりも勇ましく見えるのである。


三角形×2

三十年前、某大手家電メーカーの国際情報誌の編集に携わっていた時に、ある記事に対して難癖がつけられた。その企業は6大事業を掲げていた。ほとんどの海外代理店は特定事業分野の商品しか扱わない。そこで、知られざる他の事業内容も認識してもらおうと特集を企画したのである。英文をぼくが書き、デザイナーと打ち合わせをして6大事業を表わす図案を考えてもらった。

デザイナーは三角形を二つ組み合わせて6つの頂点を作り、その頂点に事業分野を英文で入れた。見覚えのある図案であるが、無償で配布する企業の情報誌であり、編集に携わった者全員と企業の担当者も「政治色」を感知せずに発行し全世界の拠点に配送した。

しばらくして、とあるイスラム圏の代理店からクレームが持ち上がった。これはイスラエルの国旗ではないか、と。「イスラエルに代理店はない。もとよりイスラエルでその企業の商品は流通していない。われわれアラブ諸国の代理店経由の顧客こそが大きな市場ではないか。なぜわれわれを挑発する無神経な図案にしたのか……」という趣旨。

イスラム対ユダヤの構図がこんなところで露呈してしまったのである。クレームのファックスを見て、リスクマネジメントが甘かったと反省した。だが、三角形は誰のものでもない。三角形と逆三角形を重ねるくらい誰でも発案できるだろう。反日国家の情報誌に図案化した太陽があしらわれても不思議ではない。

子細は省略するが刷り直しもなく、事は収まった。世界には宗教と政治を万物の尺度とする価値観が存在する。異文化間の尺度が相容れないならば、穏便に話し合うことはほとんど不可能である。こうして難癖はつけられる。そして、己に理がありと判断するならば、苦しまぎれの反応的反論ではなく、難癖に対して主体的な論拠を編み出さねばならない。是非はともかく、これが世界標準という現実なのである。

時代が読めない商売人たち

経緯やしくみを調べてもいいのだが、それほどの価値があるとは思えない。そこで、経験と推理だけに頼って一つ批評してみることにする。

ぼくの住まいの近くには玩具や繊維関係の卸問屋街がある。シャッターが閉まったままの建物、業種業態を変えた店や新築マンションが目立ってきたものの、かつて繊維で栄えた問屋通りがかろうじて生き残っている。問屋街というのは小売業者を相手に商売をしている。少なくともかつてはそうであった。小売業者はここでモノを仕入れてそれぞれの店で消費者に売る。当然のことながら、卸も小売も利益を上げないといけないから、〈製造元価格-小売価格〉の間で利益を分け合わねばならない。小売価格のことを彼らは「上代じょうだい」と呼ぶ。いかにも業界用語らしい。


「小売いたしません」という表示を掲げた鞄の卸問屋の店先にちょっとこましなのを見つけたことがある。聞いてみたら、表示通り「一般客には小売しない」と言う。つまり、小売業者にしか売らない。別の店にも同じような表示があった。ちょっと立ち止まって見ていたら、店主が出てきて「よかったら売ってあげてもいい」みたいなニュアンスで小声で話しかけてきた。問屋街ではなく勘違いの商売人たちである。

素人売りしない卸売店

「素人売りは一切致しません」。その言い方、上等じゃないか。時代錯誤で表示を掲げる商売気質、上等じゃないか。

この業界では今でも消費者を素人と呼んでいるのである。「うちは卸売りだから小売業者相手です。素人には売りません」と宣言しているのだが、素人に告げているのではなく、小売業者に対して「うちは小売業の商売を横取りなどしていません」と証を立てているのである。

欲しい・買いたい需要が強ければ、売り手は楽である。高度成長時代というのは、消費者の購買欲望に支えられてモノが勝手に売れたのである。供給されるモノの質と量に必ずしも満足していないが、とにかく少々の不満があっても待たされても、消費者が欲しくて欲しくてしかたがなかった時代であった。この時代に懐を肥やした業界が隠語の「いとへん」、すなわち繊維だったのである。

表向きは小売業に売る振りをしながら、実質は消費者向けの路線にシフトした卸業者は健闘している。時代が読めないセンスの悪い商売人は、繁栄の時代に染みついた体質から脱却できずにいる。成長から成熟へと時代が転じて久しい。購買熱を上回る供給のオーバーフロー、オーバースペックが常態になっている。「別に今すぐに買わなくてもいいさ」という消費者に対して、卸も小売もあの手この手で必死の販売戦術を繰り出さねばならないのである。「素人売り一切致しません」……どうぞお好きなように。こっちはちっとも困らない。

毎月26日

今日は826日。毎月26日が何の日であるかを知ったのは今年5月の下旬だった。よく通り過ぎる最寄りの区役所前ののぼりが目に止まった。ずっと以前からあったに違いないが、その日初めて気づいたのである。

この国には語呂合わせの好きな人が多い。日本語の特性が語呂合わせにおあつらえ向きだからである。英語で0から9までの一桁の数字で何かシャレを作ろうとしても限界がある。音が、zeroonetwo……eightnineでは語呂を合わせにくいのだ。ところが、日本語なら、4649で「よろしく」と読めるし、3341で「さみしい」と読める。電話番号を意味のあることばや文章にするのも朝飯前である。

こういう言語風土があればこそ、「何月何日は何の日」はやりたい放題になっている。毎月29日は「肉の日」であり、毎月19日は「インクの日」であり、そして、毎月26日は「ツーロックの日」なのである。なんと英語と日本語の併せ技で読むという芸当までやってのける。


最寄りの区役所とは大阪市中央区役所である。中央区にも地域差があって、ぼくの住居周辺はかなり治安がいい。けれども、区域が広がっているから、部分的には良からぬ一部居住者あるいは良からぬ一部ビジターがいる。中央区のひったくり、路上強盗、自動車・自転車の盗難件数は大阪市内でワーストワンになっている。このうち、自転車が60パーセントを占めているという。

ツーロックの日

そこで、毎月26日を自転車に錠をダブルでかけようということから、語呂合わせで「ツーロック」と読ませてキャンペーンが始まった。当初は中央区だけの運動かと思っていたが、市内全域、それどころか他府県でもこの日にキャンペーンがおこなわれているのを知った。今日がツーロックなら、16日は「ワンロック」でいいのかと意地悪を言われかねない。

もし語呂合わせにこだわらなければ、数週間連続でやればいいし、けしからぬ者にとっては路上犯罪は年中無休なのだから、毎日ツーロックで自転車を守るべきだろう。と、ここまで考えてはっと気がついた。今年は平成26年ではないか。何のことはない、このことに気づいていれば、「今年はツーロックの年」として11日から華々しくキャンペーンしておけばよかったのである。

甘いプロ

昨年12月、某新聞の夕刊にプロについて書かれたコラムを見つけた。結論から言うと、実に情けないプロ礼賛であった。

ちゃんぽん

コラムを書いた本人が昼下がりにラーメン店に入りちゃんぽんを注文した。「うまい!」と唸り、気分よく半分ほど食べた頃に女性店員が近づいて来て言った。「お客様、食べていただいているところに申し訳ありません。魚介を入れ忘れました」。

エビやイカを炒めて作り直そうとしたらしいが、あいにく昼の営業時間も終わり、火を落としてしまっていた。ここから先は文章をそのまま引用する。

言われなければ、まったく気がつかなかった。女性店員が続けた。「お代は要りません」。「えー!?」。850円。味が格段に落ちたとも思えない。「払いますよ」と答えたが、女性店員は言い切った。「本来の商品とは違いますから」。
プロの気概とプライド。(……) 偽りのない味と心意気に引かれ、この店ののれんをくぐっている。


あ~あ。この一文を読んで、ぼくは呆れ返ったのである。正直なところ、作り話か過剰に脚色したのではないかと思ったくらいだ。何百杯、何千杯とちゃんぽんを作ってきて具材の入れ忘れはないだろう。注文を受け、ちゃんぽんを作り、そして客に出した。その時点で料理人が気づいていない。運んだ店員も気づいていない。「偽りのない味」と筆者は言うが、本来の内容と違うという点で無意識の偽りである。

客である書き手には店側以上に呆れる。凡ミス以下のミスに謝罪してお代を受け取らないということに、世間一般の良識とかけ離れたところで勝手に高揚し感動してしまっている。しかも、本人は言われるまで気づかなかった。「味が格段に落ちたとも思えない」とは、かなりのバカ舌なのだろうエビとイカに失礼である。ちゃんぽんに少しでも食べ慣れていれば、「今日はカマボコとキクラゲの量が少ないこと」までわかるものだ。

ミスをしてそのミスの詫びの入れ方がお代の850円を受け取らないということに、なぜプロの気概とプライドを見い出せるのか。プロも甘ければ客も甘い。いや、客側のハードルの低さが甘いプロに助け舟を出している。お笑い芸人しかり、クリエーターしかり、プロスポーツ選手しかり。打席に20回立ってノーヒット、通算で打率2割にも満たない打者がサヨナラヒットを打って万雷の拍手を受けるのも滑稽だ。サッカーにもそんな選手がいる。喉元過ぎて熱さを忘れてはいけないのはアマチュアである客のほうだ。実力以上に過剰評価をせず、プロとして飯を食っている者にクールなまなざしを向けてしかるべきである。

「この一球は二度とない」
「プロはミスをしてはいけない」

王貞治のことばである。ハードルが高く、己に厳しい。この時間、この仕事、このお客は二度とないという覚悟。これこそがプロの気概とプライドではないか。プロでも、ミスはありうる。しかし、プロだからこそ、ミスをしてはいけないと自らに言い聞かせねばならないのである。