嘘と悪口

この名随筆シリーズの「嘘」を編集するにあたり、八年間かかって五万冊の随筆集を読破した。「嘘」をテーマにした随筆は数少なかった。さらにまた、読んで面白いと感じたものはもっと少なかった。そのためわたしは鬱病となり、リタリン(鬱病の投薬剤)を八百錠のみ、そのため胃潰瘍となって手術を八回した。

これは、日本の名随筆シリーズ『嘘』のあとがきの書き出しである。同書の編集を担当した筒井康隆の文章だ。どうやら嘘っぽい。と言うか、嘘である。嘘について書かれた随筆を集めて一冊の本にすれば、あとがきも嘘で締めくくるのは当然? いやいや、案外まじめにあとがきを書いてしまいそうな気がする。嘘のあとがきはちょっと気づきにくい着想だ。

急ぎ足で歩いていたら見ずに済んでいた。ほんの少し歩を緩めたばかりにその標語が目に入ってしまった。見るだけでは終わらず、そこに書かれている所論しょろんの罠に引っ掛かったかのように、下手な考えを強いられる破目になった。


他人の悪口

「他人の悪口は嘘でも面白く、自分の悪口は本当でも腹が立つ」と書いてある。特に前段が引っ掛かったのである。悪口とは読んで字のごとく「人のことを悪く言うこと」である。たしかに他人を悪く言うのを愉快がる者はいる。しかし、それは本人のいない場での陰口の場合だ。本人に直接悪口を言う時ににこりと笑うことはなく、ほとんど非難や罵倒に近いはずだ。面と向かって非難したり罵倒したりする時は、おもしろいなどとは思わず、たいてい怒り心頭の場合ではないか。

譲歩して、他人の悪口を言うのがおもしろいとする。それでも、なぜここに「嘘でも」と付け足さねばならないのかがわからない。「嘘でも」と言うかぎり「本当である場合は言うに及ばず」を前提としている。「A氏が禿げていてカツラをしている」のが真実だとして、その話を酒の肴にしておもしろがるのは悪口なのか。それが悪口かどうかは、A氏に聞かねばならない。陰で言われていることを知ったA氏が、寛容の人物なら「真実だから悪口じゃないね」と言うかもしれないし、禿げていてカツラを付けていることにコンプレックスを感じているなら「けしからん悪口だ」と憤るかもしれない。けれども、真実でないのなら、それは陰口でも悪口でもなく、ただの嘘である。

つまるところ、「他人の悪口は本当でも嘘でもおもしろく、自分の悪口は本当でも嘘でも腹が立つ」と言いたいのだろう。それなら、「他人の悪口はおもしろく、自分の悪口には腹が立つ」で事足りる。しかし、他人の悪口をおもしろいと思わず、自分の悪口にも腹が立たないぼくには当てはまらない。そこで、「他人の悪口をおもしろがる者は、自分の悪口には腹を立てる」と全文を書き直して、悪口好きな人間の話にしてしまえばいい。いずれにせよ、嘘と悪口の併せ技はちと欲張り過ぎた気がする。もし冒頭の随筆シリーズが『悪口』だとしたら、『嘘』で収録された随筆とはまったく違う作品が編まれたに違いない。嘘と悪口は別物なのである。

「傾聴」が誤解されている

仕事や打ち合わせの場面で相手が虚ろなので、「きみ聴いている?」と尋ねる。相手が「はい、聴いています」と答える。それでも、どうも聴いているようには思えない。親しい間柄なら、問いの一つや二つを投げ掛ければ理解のほどを確かめられる。しかし、初対面の相手やさほど親しくもない相手に対しては、確認質問はおろか、「ぼくの言っていること、聴いていただいていますか?」などと聞くこと自体が失礼だ。だから、聴いている姿勢を示す相手に向かって話し続けるしかない。相手が聴いてくれていると信頼して、ぼくは諄々と話し続ける……。

傾聴?

傾聴ということばを最初に知ったのは討論術の勉強を始めた19歳の頃である。傾聴力という表現で出合った。身近にある辞書で調べてみればいい。傾聴とは「一心に聞くこと」や「熱心に聞くこと」などの語釈ばかりである。もっとひどいのになると、「耳を傾けて聞くこと」とある。わざわざ説明してもらわなくても、「傾聴」という語そのものに「耳を傾ける」という意味があるではないか。それはともかく、傾聴には「まじめに、誠実に」という言外のニュアンスが漂う。傾聴とは、「まじめに一所懸命に聞く」という程度のやわな行為だったのか。

傾聴が誤解されている。言い過ぎだとすれば、都合よく解釈されていると言い換えよう。傾聴が単純に一方的に聞くことだと思っている者は、人の話をまじめな顔をして聞き、時折りうなずく。だが、黙して語らず。相手が話し終わると今度はあたかも攻めに転じるかのように一方的に喋り始める。ここにおいて、聞く側と話す側は暗黙のうちに役割を分担する。一方的なスピーチが交互に足し算され、双方向に交わる対話というシーンは現れない。傾聴だけをことさら強調しても、人と人との対話は成り立たない。傾聴のためには、まず傾聴に値する発言内容が前提となるはずだ。


どうやら傾聴は本来の意味から分岐して、いくつかの新しい意味を持つようになったようである。たとえばカウンセリングにおいては、相手理解による、相手自身の理解促進であり、行動のサポートである。また、傾聴ボランティアにおいては、割り込むことなく最後まで話を聞き、考えを理解し思いを受け止めて共感することである。これらの傾聴は、傾聴する側に吐露する相手を受容する余裕があることを特徴とする。自分に困り事や悩み事があれば人の話など聞いてはいられない。

「誤解されている傾聴」とは、もちろんカウンセリングや傾聴ボランティアのことではない。仕事の場面で、あるいはゆゆしき討論の場面で、聞き上手という美名のもとに傾聴を単に頷くことだとしている姿のことである。傾聴は英語の”critical listening“や”active listening“の翻訳と思われる。敢えて訳さなくても、”listening“は聞き流しなどではなく、それ自体が相手の言っていることを理解しながら聴くという意味である。つまり、「批判的に(フィルターをかけながら)脳を活性化して聴く」ということにほかならない。

相手の話していることを分析し判断しなければ傾聴にならないのである。判断をしたり批判したりしていては、理解に支障を来すではないかという反論がある。しかし、自分に対して発言されていることを白紙状態で受け止めることは、聞き流しに等しいではないか。発言内容を判断し批判するのは対話相手の責任として当然の姿勢なのである。聴くとは自分の考えとの照合作用である。海苔の養殖に「のり粗朶そだ」と呼ばれる木や竹は欠かせない。なければ海苔はまつわりつかないのだ。人の話に対しても「脳の粗朶」がなければ、話は無機的に浮遊するばかりで輪郭を形づくってくれはしない。判断や批判というのはこの粗朶に相当する。粗朶でしっかりと意見を聴く。甘ったるい聴き方をしていては相手に失礼なのである。

苦労話、または不幸自慢

私の人生は苦労ばかり……

自分自身の苦労話をテーマに講演する人がいる。著名人にもいるし無名な人にもいる。ぼくの知人にもいる。誰の経験にも喜怒哀楽があり、一言で括り切れない凹凸があり精神的なひだがあるはずだ。「私の人生は苦労の連続だった」などと言って片付くものではない。おそらくいいこともあったはずなのに、苦労話のみを取り上げて教訓やセオリーを導く。苦労話と来れば、お決まりネタは生い立ちや人間関係や病気や金策など。しかも、たいてい悲劇として脚色される。

桂米朝が亡くなった直後、「落語家として師匠のどんな教えを受け継いでいきたいか」と聞かれ、弟子の桂ざこばが次のように語っている。

ぼくが小学校一年で親父を亡くしてアルバイトをした話をすると、「苦労したんやな」と言ってくださったんです。「でもな、世間にはもっと苦労した人がいる。あんまり、苦労を自慢話にしたらあかん」とおっしゃったのが心に残っています……。

こんな失敗や苦労をした、それを糧にして私は生き延びてきて今日に至っている……という話の展開だが、講師として迎えられるくらいなのだから、今は苦労を脱出しているに違いない。にもかかわらず、苦労話を売りにして活躍している講師が少なくない。義理で何度かその類の講演を聴いたことがあるが、教訓として記憶に残るものはほとんどなかった。そもそも成功か失敗かを問わず、ぼくは自分のキャリアにも他人のキャリアにもあまり興味がない。自分の過去を振り返り苦労を吐露するのはある種のノスタルジーだ。そんな哀愁ドラマは一人芝居していればいいのである。


「苦労を自慢話にしたらあかん」のは見苦しいからであるが、何よりもまず、生き方として粋ではないのである。もし苦労話をするのなら、喜劇仕立てにしてもらいたい。そもそも苦労とは、困難に直面して必死にもがき肉体的・精神的に多大な労力を費やすことだ。どんな困難か、いかに必死だったか、どれほどの多大な労力かは人それぞれ。世間的には苦労と呼べないほどのことなのに大仰に扱って涙ながらに語るか、他人から見ればのっぴきならない苦労を苦労だと思わずユーモアで自戒するか……ぼくは後者を粋な生き方だと見立てているが、残念なことに前者の話のほうが受けがいい。

ついでに辞書で「苦労話」を引いてみたら、「いかに自分が苦労してきたのかを、その経験とは何の関係もない他人に語ること。不幸自慢とも言う」とある。的を射た定義である。「個人的な苦労話をヒントにしていただければ幸いです」というスタンスの苦労人もいるだろうが、苦労話はほとんどの場合、本人の述懐に終始し、聴衆へ橋が架からない。ゆえに、聴いておしまい。余韻はめったに翌日まで残らない。いくばくかの感動を覚えるのは、自分に重ね合わせるからではなく、話に瞬間的に感情移入してしまうからにほかならない。苦労体験を積んで世事や人情に通じている「苦労人の話」と、己の責任で厄介事に巻き込まれた「運の悪い人の苦労話」との線引きをしておくべきである。

苦労人の話に耳を傾けるのを拒否しない。だが、苦労や努力の意味を理解せず、世間の人々がふつうに経験している程度の困難を、まるで自分一人の専売特許のように語る苦労話には辟易する。「あなた、苦労話以外にも語るに足る経験がおありなはずなのに……」と言いたくもなる。いや、一度だけ語るのならいい。誰を対象にしてもどこで話そうとも、苦労話が十八番おはこになっているのである。いつまでも苦労話の再現をするのではなく、苦労話を葬ることこそが近未来への展望につながるのではないか。話し手も話し手だが、苦労話の愛聴家もほどほどにしておくべきである。

陳腐なことば

『ニッポン景観論』(アレックス・カー)を興味深く読んだ。とりわけ日本人がこよなく愛するスローガンの話がおもしろかった。日本人はスローガンが好きであり、そのスローガンにお決まりの無難なことばを使いたがる。「ふれあい」を筆頭に、「文化」「交通安全」「人権尊重」「世界平和」「環境にやさしい」……などのキーワードが街を覆い尽くす。これに、あってもなくても誰も見向きもしない注意書きが加わり、街の景観価値を台無しにしてしまっているのである。

ダヴィデ像1+2

上の写真は同書から。左が本家フィレンツェのダヴィデ像と佇まい、右は「もし日本にダヴィデ像があれば」という仮定で著者が合成したもの。いや、これは仮想などではなく、間違いなくこうなると思われる。実際、「まちをきれいにしましょう」というスローガンが街そのものよりも目立っている景観地はいくらでもある。

本来五感に響くはずだった景観。それが、たった一つの注意書きで色褪せる。同じことは新しい考えについても言える。斬新な表現に魅了される一方で、たった一つのことばでメッセージが陳腐化する。ぼく自身、ありふれていて、しかも手垢まみれのことばを使った直後にハッとすることがある。ことばなら気づくからまだいい。それが発想や考えだったら、ハッとがぞっとに変わる。

他人の発想や考えがたとえマンネリズムであっても、なるべく領域侵犯しないようにしている。しかし、企画という職業柄、一緒に仕事をする仲間の陳腐なことばには神経センサーがつい反応してしまう。この時、自分自身がさっき使ったお定まりの文句にはひとまず目をつぶり耳をふさいでいるのであるが……。


言うまでもなく、陳腐化した表現や常套句を使わずに言語活動することは不可能である。けれども、そうしたことばを使いながらも、表現を組み合わせたり文脈上の工夫を凝らしたりして少しでも新鮮味を求めるべきだろう。安易に妥協してはいけないと自らを戒める一つの教えを思い出す。「新しき酒は新しき皮袋に」がそれだ。この名言自体が常套句になったきらいがあるので、やや複雑な気分で引用することにする。

「新しい葡萄酒を古い皮袋に入れようとはしない。そうするなら、皮袋は破れて酒は流れ出て、袋もまたすたれてしまう。新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れる。そうすれば酒も袋も保たれる」
(新約聖書 マタイ福音書)

この故事は転じて、今では一般的に、新しい考え・思想には新しい表現や形式が必要であるという意味で使われる。つまり、伝えたい「何か」に新しさがあるのならば、陳腐なことばでまかなってはいけないという教訓である。

キーワードの一つ、「文化」ということばの陳腐性には当然ぼくも気づいている。何とか文化会館や何とか文化講座などあちこちで顕著である。これをカルチャーと呼び換えても平凡さは変わらない。文化ということばを使うたびにいくばくかの後ろめたさを感じるし、代替してくれそうな表現に辿り着けないのをもどかしく思う。もしぼくの伝えたいメッセージに文化以上の価値があり、それが従来の文化の概念と一線を画するのなら、文化で間に合わせてはいけないと思う。なぜなら、他人はありきたりの文化のことだと思ってしまうからである。けれども、やむなく文化で済ますことが多い。これは、ある種の言語的怠慢だと自覚している。

あるカフェの印象

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コーヒーはおいしくて安いし、窯だしのパンもいい……店のしつらえは落ち着いたオーガニック系……自宅から徒歩数分と近いこともあり、足繁く通っている……と、ここまで褒めれば合格も合格、「たいへんよくできました」のスタンプが押せる。しかし、とても残念なのだけれど、「もうすこしがんばりましょう」と言わねばならない。

ここはカフェコーナーが併設された焼き立てベーカリー。かなりの繁盛店である。七、八人のスタッフが常時顔の見える所にいてきびきびと動く。パンの種類も多い。パンは時間差で焼き上がり窯から出される。そのたび、パンをトレイに盛る担当の女性が「ただいまチョコレートクロワッサン、焼き上がりましたぁ~」と店内に告げる。よく通る声で「いかがでしょうかぁ~」ととどめを刺す。この声に応じて他のスタッフ全員が「いかがでしょうかぁ~」と声をそろえる。

パンがのべつまくなしに焼かれるわけではないから、コーラスは5分か10分ごとである。しかし、この店では、コーヒー1杯の客にもパン一つの客にもこの調子、しかも店を後にする客に対しても同様に「ありがとうございますぅ~」。来店の際にも「いらっしゃいませぇ~」と礼を尽くすので、およそ30秒に一度のペースで店内に声が響き渡る。当然、本を読むぼくの耳をもつんざく。


座ってからの状態がこれである。ぼく自身はカウンターでコーヒーを注文しパンも一緒に買っているから、目と鼻の先の距離で「ごゆっくりどうぞぉ~」とすでに叫ばれ済み。そう言ってもらったにもかかわらず、ゆっくりとくつろげないのが情けない。おいしいコーヒーと焼き立てパンを賞味する気分に棘が刺さり、棘が刺さったまま本に向かうが、落ち着いて本を読ませてくれないのである。

大学生の頃に製麺所や鉄工所でアルバイトを経験した。みんな黙々と仕事をしていて発声らしきものはほとんどなかった。ただ単調な機械音が間断なく繰り返されるばかりだった。間が開かない機械音は意外にもノイズにはならず、ある種の環境音として場に同化する。物理的には聞こえているのだが、手先や目先の作業に集中しているからまったく気にならなくなるのである。

カフェにはしばしの静寂も生まれるので、耳が声を雑音としてキャッチしてしまう。このカフェのほとんどの客はおしゃべりもせずに、本や雑誌を読んだりスマホやPCでネットやメールを見たりしている。先日、珍しく閑散とした時間帯があった。スタッフの声が途切れ、2分、3分と時間が過ぎた。その時初めて、ぼくはその店にBGMが流れていることに気づいたのである。そうか、音楽がかかっていたのか……。「もうすこしがんばりましょう」とつぶやきながら、せめて「よくできました」になることを願いながら、ぼくは性懲りもなく通っている。

牽強付会の説

最初通読して「なるほど」と感じ入った見解だったが、もう一度読み直してみたら「ちょっと待てよ」と再考したくなることがある。そのつど、一度だけではわからないものだと痛感する。もう一度読んでみて「やっぱりそうなんだろう」と思えば、知の度合はともかく、暫定的に納得しておくしかない。逆に、「おかしい」と感じたことを二度目に読んで「間違いなくおかしい」と思い至ることもある。

煉瓦

ある建築史家の講演での話を引いた新聞記事があった。「日本人がなぜ赤レンガの建物が好きなのか」という理由が二つあるという。一つは縄文時代以来、日本人が延々と土を焼いてきて、焼き物や瓦が生活の原風景にあり、レンガで心が休まるというもの。もう一つは、日本のレンガ建築の多くは英国にルーツを持ち、近代日本人の英国への思いが愛着の背後にあるというもの。この話を読んで、ぼくは最初に「何か変」と直観的に反応し、もう一度読み直しても「変」という思いは変わらなかった。

まず、縄文時代以来土を焼いてきた日本人の生活の原風景にレンガはずっと存在してなどいなかった。もしレンガへの憧憬があったのなら、メソポタミア文明のようにレンガで建造物を作っていたはずである。わが国がレンガ工場を作ってレンガを生産し始めたのは1870年になってからのことだ。次に、仮に縄文時代以来の「レンガDNA」を唱えるのなら、わざわざ近代になってからの英国の影響を引き合いに出すこともない。もし確かに英国の影響を受け、それがDNAと相まってレンガ建築好きを助長したのだとしても、では、日本人はなぜ明治・大正期の数々のレンガ建築を解体して、代わりに無味乾燥な建築物を量産していったのかという説明がつかない。経済成長はDNAを駆逐する?


縄文時代と英国という二つの事象を一つにまとめ、本来相互に関係がないのに、無理にこじつけているかのようだ。これを「牽強付会けんきょうふかい」と言う。なぜこういう話になってしまうのか。おそらく最近東京駅がレンガ造りに再現されたり、古いレンガの建築物を一部でも保存しようという動きがごく稀に出てきたりするからだろう。個人的には赤レンガが好きである。しかし、赤レンガの家を建てようとは思わない。観賞者として赤レンガを好むことと、それを生活に自ら取り込むこととは別のものである。赤い色をこよなく愛しても赤いスーツを着ることにつながらないように。

土を焼いて器や瓦を作りはしたが、レンガによって住まいを囲おうとしなかった日本人。他方、レンガを積んで住居や周辺の壁を固めた民族がある。この相違点にこそ考察に値する妙味があると思うのだ。この点については、たとえば芦原義信『続・街並みの美学』の次の一節に興味を覚える。

オットー・ボルノーやハイデッガーはその実存主義的立場から、建築における壁の存在の重要性を強調している。そして堅固な人為的な壁によって内部に庇護性ひごせいのある空間をつくりだし、そこに人間が住むことによってのみ自己の本質の実現に到達する(……)

空間とは、言うまでもなく、「場」である。人が生活する場である。もし人がそこに居合わせないなら、それは場にはなりえない。その場を堅固にレンガの壁で固めることを「生きること、命を守ること」としたヨーロッパの人々がいたのであり、いるのである。英国の話を持ち出すのなら、“An Englishman’s house is his castle.”(英国人の家は彼の城である)こそがレンガの意味を説くのにふさわしい。強くなければ家ではない、というわけだ。赤レンガが好きだからレンガを積んだのではなく、庇護性のある空間のために居住空間を囲ったのである……と考えるほうが素直ではないか。最後になるが、ぼくは居住者ではあるが、建築の素人である、念のため。

お勘定は別々

レストランに行ったら長蛇の列ができていたとしよう。並ぶのが嫌なら立ち去ればいい。義務などない。と言うわけで、別の店を覗いてみた。空席があり、すんなりと入れた。食事しているうちにやがて客が増えてきた。食事を終えてレジを見ると、そこに長蛇の列。この列に並ばずに店を出るわけにはいかない。並ぶのをパスして立ち去れば食い逃げである。

お勘定別々の団体がレジ前で並ぶ場面に時々出くわす。レジ担当者の要領が悪いと列がさばけずに渋滞する。団体の中の一人が「お勘定は別々だけど、わたしがみんなの分をまとめて払っておく。精算は後で」と仕切ってくれたら、レジ前で苛立つこともないのに、と思う。

「店を出てから精算なんて現実的ではない」と反論を食らう。「第一、お釣りに困るし……」とも言われる。お釣りに困るなら適当に小銭に両替してもらっておけばいい。レジ担当にしても、一枚の勘定書きを見ながら「Aランチの方、972円です……Bランチの方は1,180円です……」などと数人相手にやるよりは、一人から全額まとめて受け取った上で、千円札何枚分かを各種硬貨に両替してあげるほうが楽であり仕事も早いはずである。

別勘定する女性たち

出張先のディナータイム。女性78人がイタリア料理の店で「別勘定」をしてもらっている。すでにぼくは食事を終えていたが、ひっきりなしにグループが勘定を済ませるのを、テーブルについたまま所在なく待っていた。こういう時は席を立って集団の後ろにつかないようにしている。しかし、そうできるのはレジが見える場所だからで、そうでなければ勘定書きを手にして席を立つことになる。

後ろに待つ人が一人客だと気づき、「お先にどうぞ」と集団の誰かが気配りしてくれることはめったにない。あるいは、「レジ待ちのお客さんが多いから、ここはまとめて出しておくね」と誰かが言い出すこともほとんどありえない。ランチタイムに比べてディナータイムはさらに時間がかかる。コース料理ならいいが、アラカルトに加えて、やれコーヒー、やれデザートという具合だから、レジ係は電卓を持ち出して個別計算することになる。

仮に別勘定にしても、フランスやイタリアのレストランでは他の客の迷惑にはならない。まず、テーブルごとにホールスタッフが決まっていて、案内、注文、飲食のサービス、勘定までを一人でこなす。そして、ほとんど例外なく、テーブルについたまま勘定ができるのである。つまり、客がテーブルを離れてレジに向かうということがないのだ。その担当者は当たり前のように三つ、四つのテーブルを担当しているが、通りがかった時に「お勘定」と一声かけておけばいい。スタッフが勘定書きを持ってくるまでは座ったままでいられる。こういう仕組みは日本では高級料理店に限られるが、どこの店でも採用すればいいのである。客を待たせないというメリットに加えて、責任感あるプロのスタッフへの信頼性が高まり、店の評判にもつながる。

ジョーカーだけのババ抜き

政治学者や政治評論家の諸説についてまったく知らないわけではないが、すべてを括弧の中に封じ込めて、自説を書いてみることにする。

選挙期間中にいつも思い出すことばがある。

「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である。」

服毒自殺で人生を終えた芥川龍之介。人生を重大に扱ったのか扱わなかったのかわからないが、結果的にはばかばかしくかつ危険だったようだ。芥川の言う人生を、ぼくは「選挙」や「投票」に置き換えてみるのである。一枚の投票用紙に候補者名や党名を書くたびに一票の軽さを痛感し、午後8時ちょうどの開票速報で自分の一票の無力をばかばかしく思う。しかし、その空しさを自暴自棄に変えてはならぬと承知しているからこそ、投票を重大事と見なして毎度出掛けて行くのである。昨日も期日前投票を済ませてきた。

マニフェストでうたう政策評価で候補者を選べというまことしやかな説がある。比例代表で党を選ぶ際には政策の吟味があってもいい。けれども、支持政党がない無党派にとっては、主要な政策の5つ、6つのすべての細部に立ち入って判断し、自分の考えに近いのはこの党だ! などと結論するのはほとんど不可能である。他方、決まった党を支持していたら、はじめに党ありきであるから、政策などは決定的な要因になるはずもない。


3 jokers

政策を十分に検討した上で比例代表の投票用紙に「X党」と書いて投票したとしよう。けれども、小選挙区にX党の候補者が立っていないのである。友人の選挙区では候補者が二人。二人とも支持政党に属していない。棄権したくないし白票も嫌だと悩み、当選して欲しくないのはどちらかと考えたと言う。

小選挙区の候補者を政策で選ぶなどというのは所詮ありえないのである。比例代表を党で選ぶのなら、小選挙区は人で選ぶということにならざるをえない……しかし、地域の土着民でない有権者は人そのものを知らないから、ごくわずかな活字情報から直感で判断するしかない……と言うわけで、投票には行かねばならないと権利を行使し責務を果たす良識ある有権者とて、確固とした根拠で一票を投じているわけではないとぼくは思うのだ。

このレストランで食事せよと決められ、そこに行けば3種類の料理しかなくて、どれもおいしくなさそうだ。食べたくないと思うなら、いただいた食券を放棄するしかない。つまり白票で投じるのである。ぼくの選挙区は3枚のババのうちどれかを引かねばならぬゲームのようであった。どのカードを引いてもババなのである。どれも引かないというのは、これまた白票投票になる。泣く泣く一人の候補者の名を書いたが、鉛筆を走らせている時の違和感が今も余韻となっていて、とても気分が悪い。

消去法で消していくと全員が消える。こんな候補者ばかりが立つ選挙区の投票率が上がってくるはずがない。そこで、当選させたい候補者がいない場合、落選して欲しい候補者を書けるしくみを提案したい。投票所には赤ペンも用意しておき、赤ペンの票数をマイナスカウントする。つまり、「黒ペン票数(獲得票)-赤ペン票数(批判票)=有効票」。きわめて情けない投票のしかただが、裁判官には「×」を付けるのだから、その変形的応用だと考えればいいのである。

大大阪という時代

かつて大阪が「大大阪だいおおさか」と呼ばれた時代があった。大正末期から昭和初期にかけての頃である。そう誰かが命名したのだろうが、当時の人々も自ら生活する街をこぞってそう呼んだのである。戦後の高度成長時代と比べても遜色ない繁栄ぶりがうかがえる。その昔、父親から聞いた話だが、昭和一桁時代に「一圓」あれば、二、三人で通天閣あたりに行って芝居を見て晩飯にご馳走が食べられたらしい。

その通天閣、かつての威風堂々の雰囲気はすっかりくすぶってしまい、おまけに同じ地域にハルカスが誕生して俯瞰的にもかすんでしまった。地上に降りれば観光客で賑わってはいる。けれども、ぼくの少年時代からのイメージは、土地柄とも相まって、通天閣は垢抜けしない存在であり続けている。庶民的ではあるが、その姿も周辺の飲食店も場末感が強く、しかも風紀的にも好ましい印象からはほど遠い。

通天閣 歡樂の大阪 十里一望を標榜せる新世界の通天閣

『大大阪「絵はがき集」』が手元にある。大阪に華があった当時の勢いを示す写真24景が原色のまま収められている。もちろん通天閣は24景の一つで、「歡樂の大阪 十里一望を標榜せる新世界の通天閣」という一文が添えられている。誰かが言っていた、「スマートな東京タワーに比べたら、通天閣はコテコテ。えらい違いや!」と。通天閣を設計したのは内藤多仲だが、驚いてはいけない。「塔博士」と称せられた内藤、実は東京タワーの設計者でもあるのだ。


大阪大好き大阪人もいる。しかし、大大阪時代の誇らしげな心情が100パーセント残っているなどと言い切る自信はない。「やっぱ大阪好きやねん」と言いながらも、大半の大阪人の内には二律背反的な価値観が潜んでいる。自画自賛する一方で、自虐的であったりする。観光客が大阪城や通天閣に詰めかけるのを見てあほらしいと薄ら笑いを浮かべ、ミナミなどは怪しいディープな匂いがするなどと貶されると、「気さくでフレンドリーなんや!」と意固地になって反論する。

絵はがき集の冒頭で橋爪紳也が大大阪時代のことを次のように書いている。

大阪は「水の都」の愛称を得る。「東洋のベニス」と呼ばれた都市の中之島には、パリを想起させる美しい公園が整備され、市民の憩いの場に変容する(……)「煙の都」という異名ももらう。東洋のマンチェスター(……)

引用はこのくらいでいいだろう。東洋のベニスの中にパリの公園があって、ちょっと離れるとマンチェスターのような工場地帯が乱立していたのが大大阪時代なのであった。いったいここはどこ、ベニス? パリ? マンチェスター? 観光客が増えたと手放しで喜ぶ向きもあるが、何のことはない、大阪のアイデンティティの乱れは今に始まったものではないのである。カオスを個性とする現代の大阪は大大阪時代からのDNAをちゃんと受け継いでいるかのようだ。「幸か不幸か」と付け加えざるをえないが……。

食を巡る栄枯盛衰

風土や食性に合った定番メニューは、人気の上昇下降や頻度の高低などの変化にめげずに、時代を経て口に運ばれる。しかし、食にもはやりすたりがある。食材の過剰や不足によってメニューが変わる。マスコミや噂に煽られて人気メニューが登場する。一時的に貪られても、徐々に飽きられ、やがて表舞台から消えていく。世界の食材・料理を柔軟に取り入れてきたこの国の人々は、食性の広さに関するかぎり世界一である。何でも食べる。そして、食のトレンドに敏感である一方で、食べ飽きるのも早い。

食文化の歴史を辿れば、日本人は近年急速に食べるものを多品種化してきた。一昨日は天ぷら定食、昨日は豚の生姜焼き定食、だから今日はパスタセット、明日はたぶん和定食……などという食習慣は世界に類を見ない特殊だ。和洋中に加えて麺類専門、カフェ系、エスニックなど店の顔ぶれが多種多様である。つまり、それだけ競争も激しいのである。

会社を興して2年後に今の場所に移転した。以来25年間、ぼくのオフィスは動いていない。つまり、ぼくはオフィスが立地する地域、とりわけ食事処によく通じているのである。たまに弁当を食べるが、ランチはたいてい外に出る。したがって、休日や出張で不在の日を除けば、約200食×25年、合計で五千食以上どこかの店で昼食をしてきたことになる。オフィスを中心に見立てると、「食事圏」は南北800メートル、東西で600メートル。おそらく二、三百軒の食事処に足を運んだはずである。


店の数が常時二百も三百もあるわけではない。看板やのれんが変わったから、合算するとそのくらいになるのである。たとえば、二つ隣りのビルの地下の食事処は現在で6店目である。大衆居酒屋、創作居酒屋、鯨肉割烹……などと代替わりし、今は洋風レストランになっているらしい。覗いたこともないから、看板から類推して「らしい」と言うしかない。このような現象が圏内にあまねく見られる。そして、25年間に及んでぼくが目撃し、実際に食事をした店のうち、屋号もメニューも立地も変わらぬ食事処はおそらく十指にも満たない。

健闘しているのは、リーズナブルで味がまずまずの店であり常連客がついている。他に、家内営業的であることだ。夫婦二人で営んでいる喫茶店がそうであり、親族経営の和食の店がそうである。もう一つ加えると、週に一、二度通っても飽きがこない、定番系のメニューを揃えていることである。創作系やヌーベル系はことごとく消え去った。さらにもう一つ加えるなら、アルバイトを過剰雇用していないことである。暇そうなパートがいる店も負け組である。

ビフカツ大

栄枯盛衰の食事処シーンを回顧するにつけ、飲食業の難しさを痛感する。パスタと洋食でまずまずの人気を集めていた店がある。イタリア語で綴られたメニューの三ヵ所にスペルミスがあって気になってはいたものの、その店には月に二度は足を運んでパスタランチかビフカツの大を注文していた。まずまず気に入っていた。ある日、その店先に移転のため何月何日に閉店すると貼り紙が出た。

閉店前後に何度か前を通ったが、移転先を告知するような貼り紙はついに出ずじまい。おそらく移転というのは廃業の口実だったに違いない。ランチタイムはかなりの賑わいだったのに、なぜ? とも思うが、オフィス街特有の事業継続のもう一つの絶対条件を見逃してはならない。夜に人が入らないと採算が合わないのである。昼にやって来る客が、仕事が終わって近くの洋食店で一杯引っかけたりしない。わがオフィス圏内で飲食業を始めようと思う経営者は、不動産屋で店を探す前に、ぼくの証言に耳を傾けるべきである。