語句の断章(36)多々益々弁ず

「多々益々弁ず」の意味を正しく知っている人は少なく、ほとんどが知らないか誤って解釈している。誤って解釈するのは少々教養があるためで、弁術や弁論に使われる弁という漢字から連想して「話すこと言うべきことが増えれば増えるほど弁が冴えてくる」という意味に解してしまう。

実際、ぼくもそんな一人だった。いちいち辞書を引かなかった若い頃、初見の表現や成句なのに適当に類推だけで済ませて、我流の解釈のままで放置していた。その最たる例がこの「多々益々弁ず」。ある日、この表現が弁論に関わるものではないことを知る。さすがに今は、分かったつもりにならぬよう、面倒臭くても調べるようにしている。

弁論や弁護の弁は「話す」の意で旧字の「辯」には言が入っている。一方、多々益々弁ずの弁の旧字は「辨」のほうで、「わきまえる」の意。すべきこととそうでないことの区別やけじめをつけて、物事を巧みにコントロールしたりマネジメントしたりすることだ。多々益々弁ずは「仕事や物事が多ければ多いほど処理能力が高まるさま」を表わしている。

言語や表現が豊かというのではなく、仕事や物事の「事」にまつわる成句なのである。あの人は多々益々弁ずと言えば、仕事や物事が増えても次から次へと片付ける、手腕や能力のある人物のことにほかならない。なお、由来についてはここでは書かないが、たいていの故事名言・諺辞典には記述があるので参照していただきたい。

秋気配を読む

どの季節にも言えるが、季節の始まりは触覚、視覚、聴覚、旬の味覚を通じて感知する。もう一つ加えるなら、その季節の風情をうたったり著したりした本の中に見つけることもできる。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる (古今集)

視覚よりも聴覚が先に秋を知る。この時期、まだ葉は落ちず、また山なみを遠望しても秋色に染まる様子は窺えない。目に見えるものは同じでも、窓越しに台風の音を聞くと、夏の終わり、秋の始まりを察知する。たとえその後夏っぽさが戻るにしても、わずか一日でも気温が下がって「涼しい、蒸し暑くない」と体感したら、その時に秋が兆したのである。

秋の見方、感じ方は人それぞれである。ボードレール『巴里の憂鬱』の一節「黄昏」はどこか秋を思わせる。

日が沈む。一日の労苦に疲れた憐れな魂のうちに、大きな平和が作られる。そして今それらの思想は、黄昏時の、さだかならぬ仄かな色に染めなされる。

他の季節にはない、秋ならではの日の沈み方、物思いへの指向性、黄昏、色というものがある。秋は慌てず急がず、夏の高ぶりを鎮めるように、つつましく始まる。

動物学者の日高敏隆に『春のかぞえ方』という本がある。春が訪れると花が咲いて虫がそこに集うようになる。この本は、花や虫がどのように春を感知するのかについて研究したものだ。日高によると、生き物にはそれぞれの三寒四温の「積算方法」があり、季節は積算によって正確に計られるという。ならば、春をかぞえるのと同じように、動植物は秋もかぞえているはずである。前年の冬から毎日の温度や湿度を数え始め今年の夏までの全日を積算して、「よし、そろそろ秋!」と判断しているに違いない。

『第三版  俳句歳時記  秋の部』(角川書店)から「秋の雨」という一節。

秋といえば素晴らしい秋晴れを連想するが、むしろ天気は悪い方である。毎年九月中旬から十月中旬までは秋の長雨といわれる一種の雨期に入る。「秋雨」はどこかうそ寒く、沈んで浮き立たない。

次いで、秋雨や秋霖を詠む句がいくつか並んでいる。一句を拾う。

秋雨や地階まで混むビール館  高井北杜

真夏にぐいっと飲む生ビールはキンキンに冷えた液体であって、はたして人はビール本来のうまさを味わっているのかどうか。台風が去って暑さがやわらぎ、湿度が下がって空気が乾燥する。その時、ビールは熱を冷ます任務から解放され、客を味に集中させるミッションに就く。ビール党でないのに生意気を言うが、秋になるとビールのうまさが増す。そして、ビールと相性のよいつまみも増えるのだ。乾杯!

街中の目撃と雑感

赤瀬川原平らが提唱した「路上観察学」は1986年に学会を立ち上げ、同じ年に『路上観察学入門』という本も出版された。日々の散歩でも少し遠出する街歩きでも、見慣れない風物や場面に遭遇したり目撃したり、そのつどいろいろ感じることがある。まさに路上観察。もっとも、ぼくの街への情熱は路上観察学のオタク諸氏の足元にも及ばない程度だ。


👓 いつもの道で街路樹が何本も思い切りよくられ、「腰から足元」だけが残っている状態になった。木に貼られた紙には「この木は将来、根上がり等がさらに進行し、安全な道路の通行に支障を来すおそれがあるため、撤去を予定しています」と書かれていた。
歩道のタイルが膨らんでいるのをよく見かけるが、あの状態を「根上がり」と呼ぶそうである。同日の帰路、クレーンが出ていて根っこが抜かれていた。撤去後に新しい木を植えるらしいから、街路樹が歯抜けにならずに済むのは何より。

👓 どう見ても空き家にしか思えない豪邸がある。空き家になると庭木が伸び放題、わずか数年でジャングルのようになる。裏手には悪意ある者たちがゴミを捨てる。誰も住まなくなって十年や二十年放置されてきた一軒家。てっきり無人と思っていたその家から、ある日、生活感のある人が現れてゴミ出しする場面に出くわしたら、たぶん背筋が寒くなる。

👓 街歩きの途上で寄り道する。カフェ、古書店、文具・雑貨店、公園、記念碑等々。知っているはずの地元で知らないことだらけを痛感する。「行ってみたい所は多い、行っている所はわずか」という思いで帰ってくる。そして、「やりたいことはいろいろ、やっていることはわずか」といつも反省し、次の休日になるとその反省をけろりと忘れてしまっている。

👓 どう見ても廃屋にしか見えない家の軒先に瓢箪がっていた。下町の平屋の家に住んでいた幼少の頃、裏庭の便所の横に瓢箪が植わっており、かなり大きく育っていた。祖父は縁起物で厄除けになると言い、誰かが凶事をまねくのではないかと言い、父は黙って瓢箪を加工していた。ところで、写真の瓢箪を見つけた翌日、たまたま寿司屋で干瓢かんぴょう巻きを食べた。別に関連づけたわけではないが、干瓢と瓢箪は同じウリ科のユウガオである。

👓 休日の15:30に最寄りのバス停から「なんば行」のバスに乗る。橋の多いエリアなので、このバスは橋を巡る路線になる。末吉橋、長堀橋、三休橋、心斎橋、道頓堀橋を経由する。赤字のバス路線がずいぶん廃止されたが、行政は損得だけでものを考えてはいけない。バスにはロマンと懐かしさがある。バスの由来であるラテン語のomnibusオムニバスは「すべての人のため」という意味。単に人を運ぶ乗り物ではないのだ。

レストランはこうして生まれた

食事や料理を主題にした映画が上映されると足を運ぶ。食べることは人類の共通の生命線であり関心事であるから、言語や文化が異なる外国の映画でも難なく筋が追える。ここ数年間では『バベットの晩餐会』(1987年のリマスター版; デンマーク映画)、『世界で一番しあわせな食堂』(2019年; フィンランド/イギリス/中国合作映画)が印象に残っている。

92日に公開されたフランス/ベルギー合作の映画、『デリシュ!』も出色のできばえだった。題名になっているデリシュはジャガイモとトリュフを使った手の込んだ料理。公爵主催の晩餐会に向けて気合を入れて創作した一品だが、期待に反して来賓の貴族たちに酷評された。ここから物語が始まり、そしてレストランの歴史が始まる。

店を構えて、老若男女や貴賤を隔てずに客に料理を提供する形態は、18世紀半ばにフランスで始まって今日に至る。レストラン(reataurant)の語源はフランス語の“restore”で、「回復する」を意味する。食べるとは疲れを癒して休憩することだった。

まずテイクアウトや仕出しによるごく簡単な料理の提供があったようだ。そして、もう少し先になってからテーブルと椅子を用意して店で食べさせるという、今と同じやり方が定着した。レストランはまたたく間に増えていった。なぜか。

「折しも、革命(1789~)によって貴族の邸にいた料理人が失業して、町にレストランを開いた。これがフランスで、上等の食事を供する食堂が一般化した始まりである」(柴田婧子著『フランス料理史ノート』)

舌の肥えた貴族を満足させていた料理がリーズナブルに食べられるのだからレストランは人気を集めた。ちなみに、同書によると、日本でも同じ時期に本格的な高級料理屋が次々に出現している。深川の升屋など多くの料理屋が寺社の門前に構えられることになった。

くだんの映画の話に戻る。レストラン誕生以前にも泊まりを基本として、簡単な食事が付く程度の旅籠はたごはフランスでも日本でも存在していた。しかし、一般庶民はめったに外食機会に恵まれず、質素な食事でしのいでいた。他方、貴族は一流の料理人を雇って館に住まわせて「美味求真びみきゅうしん」の日々を満喫し、ハレの日には貴族仲間を招いての晩餐会に興じていた。しかも、料理人に献立を任せるのではなく、自分たちの食べたいものを20品、30品と用意させたのである。

晩餐会で不評を買って解雇された映画の主人公。失業すると新しいパトロンを探すしか料理人としての道はなかったが、周囲の人たちの助言もあって料理して供する場を作ろうと英断する。前菜、主菜、デザートのコースを決めて料理を提供したのはある種の革命だった。このレストラン革命がフランス革命と時を同じくしたことに偶然と必然の重なりを覚える。

ベートーベンのTシャツ

20083月、ミラノの「レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館」にいた。一巡して中庭で休んでいたら、現地の社会見学の少年たち数人が近づいてきて「日本人か?」と聞く。うなずくと、一人の少年が別の少年を後ろ向きにしてTシャツの背中を見せた。

「これは日本語?」と聞くから「そうだ」と答えたら、どんな意味か教えろと言う。イタリア語では小学校高学年以上の少年は“ラガッツォ”という。対して、幼い男の子は“バンビーノ”だ。彼らは145歳なのでラガッツォがふさわしいが、それではおもしろくないので、バンビーノと言ってやった。案の定、Tシャツ少年はみんなに背中を指差され、「バンビーノ! バンビーノ!」としばらくからかわれていた。

胸にベートーベンのイラストが描かれているTシャツを見たことがある。背中を見るとトンカチを手にしたベートーベンの別のイラスト。意味があるのかないのか、あるとすれば解くべき謎があるのか。背中のイラスト、そのココロは「大工=第九」だった。


少年もベートーベンのTシャツも特殊なギャグで、一般汎用的にピンときたり笑えたりするものではない。漢字を読めないイタリア人にとっては「少年」と書かれたTシャツに意味はないが、バンビーノと訳せば少年が坊やになるから冷やかしネタになる。ベートーベンのほうは日本限定のローカルギャグ。しかし、第九を知らない日本人には通用しない。

所詮ローカルなネタなのだから、Tシャツはベートーベンではなく、千利休や幕末人気人物ナンバーワンの坂本龍馬あたりにして、何か工夫をするほうがいいかもしれない。高知では映画『ローマの休日』をもじった「リョーマの休日」という観光キャンペーンが展開されている。

阪神タイガースで活躍したランディ・バースが入浴シーンのコマーシャルに起用されたことがある。バースから「バス=風呂」を思いついたのだ。バースは“Bass”と綴る。風呂のバスは“bath”である。文字でも発音でもまったく類似性のない、別物である。時代が下って、阪神ではマートンが活躍した。マートンは“Murton”と綴り、発音は口を開いた「マー」ではなく、口を閉じ気味に鼻で「ムー」と響かせる感じだ。なのに、応援席ではファミリーマート・・・Family Mart)と絡ませた「ファミリーマートン・・・・」という文字が揺れていた。

上記の例は英語のダジャレではなく、ローカルなカタカナ遊びにすぎない。ダジャレの国際化は実に難しいのである。世界に通じるユーモアを目指すなら、地域文化を脱してユニバーサルな価値をネタにする必要がある。

ちょうどいい加減の説明

先日、かなり譲歩して理解につとめたが、その短い説明文の意味がさっぱりわからなかった。いったい説明にどれだけのことば数を費やせばいいのか。ことばを多めに尽くすにしても少なめに抑えるにしても、内容に応じてわかりやすくほどよいことば数に調節するのは一筋縄ではいかない。

本を解説する無料の小冊子が出版各社から出ている。たとえば手元にある『新潮文庫の100冊』。読ませどころのさわりを23行の見出しで示し、内容を66文字以内で解説している。無駄なく見事にまとめられている。こういう簡潔な書き方のほうが、好きなだけことばを蕩尽するよりも時間がかかる。

翻って、思いつきで適当に書いたり話したりした説明は、読み手や聞き手に負担をかけてしまう。説明者のことば足らずや饒舌ぶりを読み手や聞き手が忖度することになる。説明者のことば足らずにはことばを補い、ことば過剰なら引き算しなければならない。

いま、「書いたり話したり」と書いたが、目の前で話されたことなら、わかりにくさはほぐすことができる。意味や意図を直接尋ねることができるからだ。しかし、書いた本人がそこにいない時――本などがその典型だが――聞きたくても聞けない。下手に書かれていたら、パズルを解くような覚悟で歩み寄るか、あきらめて投げ出すしかない。


力のないことばを吐かないようにしよう……ダラダラと説明したり言い訳したり独り言のようにブツブツ言うのはやめよう……いま目の前にいる相手――目の前にいなくても想定する読み手――に伝えよう……書いて伝えるなら論理を整えよう、そして説明をきちんとやり遂げよう……説明責任を果たそうとすればことば数は増えるものだ。迷ったら、不足よりは過剰を選ぶ。

理解のもどかしさは、突き詰めていくと、ほとんどことばの拙さに辿り着く。ことばによるコミュニケーションは人間だけに付与された特権なのに、修行不足のせいで誰もがことばでつまづく。言い得ぬもどかしさ、伝えづらいもどかしさ、思い通りに伝わらないもどかしさに苦しむ。これらはうまくいかない人間関係のもどかしさにつながる。

そんなことで苦しむくらいなら、思いつくまま話したり適当に書いたりしておけばいいと、つい思ってしまう。そして残念なことに、多くの人がそう思う時代になって、意味不明な短い文章ばかりが垂れ流されている。

抜き書き録〈2022/09号〉

今月は科学者が著したエッセイと科学をテーマにした本を取り上げた。


私は虫の本を見て、チョウの翅の顕微鏡写真を知り、その微細さに驚くとともに、顕微鏡の歴史を知りたくなった。そして十七世紀、オランダの人、レーウェンフックと出会った。彼の生まれた街デルフトを訪ねると(もちろん本の上で)、そこにはフェルメールがいた。かくして私は、虫の虫から、本の虫、本業としては顕微鏡オタク、趣味としてはフェルメールオタクに至ったというわけである。
(福岡伸一『やわらかな生命せいめい』)

過去のどこかを切り取って何かに嵌まった経験を思い出せば、誰もが上記のような連鎖を綴ることができるはず。しかし、綴る人は少ない。発想や能力の差ではなく、観察と記録のマメさの違いだ。世の中には、思い出してはマメに記録する人と、記録するのを面倒臭がる人がいる。後者の人は記録よりも記憶に頼ろうとするが、残念なことに記憶力がよくない。


来年のNHK前期の連続テレビ小説は『らんまん』。植物学者の牧野富太郎と妻が主人公。たまたま新刊の『草木とともに 牧野富太郎自伝』を読んだ。二人のなれそめは牧野本人がこの本で書いている。研究生時代、牧野は下宿先の麹町から東大の植物学教室へ人力車で通う時、いつも菓子屋の前を通っていた。

この小さな菓子屋の店先きに、時々美しい娘が坐っていた。私は、酒も、煙草も飲まないが、菓子は大好物であった。そこで、自然と菓子屋が目についた。そして、この美しい娘を見染めてしまった。私は、人力車をとめて、菓子を買いにこの店に立寄った。そうこうするうちに、この娘が日増しに好きになった。

牧野は自分でプロポーズできず、石版印刷所の知り合いに娘を口説くよう頼みこんだ。縁談はうまく運び牧野は結婚した。草木の話もおもしろいが、小説のようなこの一文、「わが初恋」が印象深い。朝ドラではどんな脚本に仕上がるのだろうか。


漬け丼が売りの食事処に最近よく通う。昨日も昼に行った。注文したのは、鮪の中トロ、天然ハマチ、鰹、ハモ、そしてヒラメを乗せた海鮮丼。鮃はエンガワの歯ごたえがよく、また昆布じめにしても美味である。その鮃を丼に乗せるという贅沢。先日適当に読んだ本に鮃の記述があったのを思い出し、もう一度読んでみた。

(鮃の)脂質含量が一月に獲れた天然の寒鮃かんびらめでは筋肉100gに対して2.2gほど含むが、夏に獲れる痩せたものは0.8gである。寒鮃は夏鮃の二倍以上の脂質を含む。
(成瀬宇平『魚料理のサイエンス』)

筋肉のエキス窒素分が旨味と関係するらしいが、この例のように鮃は夏よりも冬がうまいという情報が刷り込まれるのも考えものだ。知識には体験が伴うべきで、また体験には知識の裏付けが望ましいなどと言われる。しかし、夏場でも鮃をおいしく食べようと思うなら、筋肉に占める脂質量のことなど知らないほうがいいのである。