ことばを遊ぶ

暇つぶしに辞書を読む人がいた。調べる対象となる用語を決めて読むのではなく、調べるついでに別のページをめくって読むという感覚らしい。ぼくにもそんな覚えがある。ある語を調べたついでに辞書の中を徘徊していたという経験なら誰にでもあるに違いない。但し、手持ちぶさたなときに首尾よく辞書が手元にあるとはかぎらない。それもそのはず、辞書を携えて外出することなどほとんどありえないのだから。また、辞書というものは、時間と場所をわきまえずに引けるものでもない。

それにしても、ことばには我を忘れさせる愉快な魅力がある。辞書にのめり込むと、飛び石伝いにことばは別のことばへと連なっていく。たとえば、一昨日のブログでたまたま「曲学阿世」という四字熟語を使った。そして、書いてからしばらく凝視していたら、阿世の「阿」という文字が気になってきた。大阪市内の南東部にある「阿野」という地名は身近な存在である。同じ「あべの」でも、近鉄の駅は「阿野橋」と書く。「倍」と「部」の違いがある。こんなことを思い巡らすうちに、阿がますます不思議な造形に見えてきた。

阿は、表記としては稀だが、「阿る」という動詞として使われる。クイズ番組の国語の問題に出そうな難読字で、当てれば「ファインプレイ!」と褒められるだろう。「おもねる」と読む。へつらうという意味だ(へつらうも漢字で書けば「諂う」で、これまた難読字だ)。ここから先、辞書世界に埋没していくことになる。「阿諛あゆ」という語を思い出して調べ、これが世間に媚び諂うという意味で阿世に通じていることがわかる。阿とは「山や川の曲がって入り組んだ箇所」だと知る。阿と安は万葉仮名の「あ」を代表している……などなど。


略語系はやりことば
これも遊べる。遊びというよりも「もてあそび」に近い。ぼちぼち「古い!」と言われそうだが、“KY”なる略語に未だに違和感がある。これで「空気読めない」としたのはセンスが悪いのではないか。KYなら「空気読める」の略でなければならない。空気が読めないのなら“KYN”ではないか。あるいは“Not KY”だろう。“AKB48″は「あくび48回」と読める。「今年はお世話になりました、来年もよろしくお願いします」を“KONRYO”とするのはやり過ぎかもしれない。

ツイッター
タレントが元夫の不倫をツイッターで流した一件で、「ツイッターはつぶやくものだから、あんなメッセージは度を越している」と誰かが言えば、「もはやツイッターにそんな原初的な純粋機能などはない」と別の誰かが反論している。すべてのことばは早晩発祥時の意味を変えて、はやったり廃れたりしていく。ことばが生き残るかぎり、意味は変遷しおおむね多義を含むようになる。よく語の起源はこうだった、にもかかわらず現在はズレてしまったなどと批判されるが、変化を批判しても詮無いことである。ツイッターは「つぶやき」を起源としたかもしれないが、誕生と同時に「無差別ばら撒きビラ」の機能も併せ持ったのである。

草食系
一年ほど前の調査だが、肉食系を「貪欲で積極的に活動する人」という意味にとらえ、対して、草食系が「協調性が高く優しいが、恋愛などに保守的になりがちな人」と考える傾向が明らかになった。動物界では、草食系のほうが肉食系よりも行動的な気がするのだが、どうだろう。猛獣は明けても暮れても動かないし、食事は腹八分目で比較的禁欲的である。草食系の協調性は保全のための群れの行動である。草を求めてよく移動するし、肉食系よりも食欲旺盛ではないか。

ことば遊びに正解はない。遊びの本領はイマジネーションにある。そして、ことばの意味についてあれこれと思い巡らすことが、おそらく概念的に考えるということにつながっている。

雑学・雑文の味方

半月ほど前に「断章」について書いた。何かについて手始めに考えをしたためる手頃さと手軽さに肩入れした。著述を生業とする人々にとって断章は文字によるスケッチの役割を果たす。ノートに書き込んだ文章は再構成され推敲されて本になり、やがてメシの種になる。但し、ほとんどの書物は見込みで刷られ、他の一般消費財と同様に売れたり売れなかったりする。だから、メシが食えない場合もある。

断章と言えば聞こえはいいが、ぼくがノートに書いているのは雑文と呼ぶにふさわしい。断章よりもさらに気楽である。書くことは億劫ではないが、しかるべき専門書を読み、ふんだんに字句を引用して論文をまとめるのは好まない。おおよそ特定分野を体系的に学ぶほど退屈なことはないと思っている。ここにスペシャリスト批判の意図はない。ぼくにはできない、向いていない、その気になれないという吐露にほかならない。

本はよく読むが、変則読書家であるから一冊完読することが稀だ。最初のページから読み始めるが、しばらくするとページ番号にこだわらず、おもしろそうな章へと跳び、気に入った項目を中心に読む。あるいは、よく知らない事柄について知的刺激を受ければ、今度は徹底的かつ集中的に読む。こんな気まぐれな性分だから、学者になれるはずはないし、なろうとも思わなかった。大学の特別講座で何度か講義した経験もあるが、学問的視点で話せないことを痛感した。小器用に知を齧る技だけは持ち合わせているので、学問を志していたら、間違いなく曲学阿世の徒か詭弁師に堕ちていただろう。


浅いが、知の守備範囲は手広いと思うし、好奇心は人一倍旺盛だ。浅いということは、やっぱり体系学習が苦手ということだろう。体系的であるためには深堀する根気が不可欠だ。ぼくにも根気や集中力はあるが、専門の中心部を深くえぐろうとすると疲弊してしまう。逆に、中心から周縁へ、さらに隣接へ、やがて無関係なジャンルへと延伸していくと嬉々として愉快になる。いつも反省するのだが、じっと一つのことを集中的にやり遂げる執着心が決定的に欠けているようだ。

肉汁たっぷりのステーキは口を開いて大きく齧って頬張るが、知識のほうは小さく齧る。小さく齧るから不足を感じる。すると、不足を補おうとして(同じ知識ではなく)別の知識を齧りたくなる。こんな危なっかしい「多品種少量学習」ばかりしてきた。しかし、年季というものは確実に利息をつけてくれるもので、広く浅く散りばめられた小さな知どうしの間に回路ができてきた。この回路が考えることに役立ってくれる。ちっぽけな雑学思考の回路かもしれないが、これが雑文と相性がいいようである。

今年ぼくは五冊目のノートを書いていて、年内にほどよく最終ページを迎えそうである。現在のノートに書いてある事柄は百数十ページ分あってもだいたい覚えている。けれども、三冊前や四冊前になると、まるで他人が書いたノートを読むような新鮮なページにも出合う。時間のできる年の暮れに雑文を読み返すと、なまった頭にはほどよい刺激になってくれるのである。

今日は今日の面倒を見る

昨日と同じ位置に太陽が今日も見える。来る日も来る日も。やむなく「昨日、今日」ということばを使ったが、そんな概念は最初からなかった。やがて、これは一つの周期であると確信して一日を割り出した。すごいのは、この一日が365回やってくれば、これが別の一つの周期になるという発見だ。こうして一年が365日に決められた。天文観察や気候変化などにまつわる人類の経験的科学が、ここに生かされたに違いない。

ところで、この365日を「一の日」から始めて、「二の日」「三の日」(……)「七十七の日」(……)「二百二十二の日」(……)と呼び、「三百六十五の日」を最後の日として、次の日からまた「一の日」として振り出してもよかった。にもかかわらず、365日は12の月に分けられた。春、夏、秋、冬という表現も別途あるのだから、一年4ヵ月でもよさそうなものだ。だが、一年は12に文節された。たまたまそうなったようにも思えるし、疎いぼくが知らない真実があるのかもしれないが、ここに至るまで慣れ親しんでしまったら、必然としか思えない。

ともあれ、一年は12ヵ月であり、その最後の月が12月、古風に言えば「師走」である。去年の師走に、「そのうちそのうちといいながら 一年がたってしまいました」という訓話を紹介した。今年も暮れを迎えて、この素朴でクールな言い回しがチクリと怠慢に釘を刺す。いったいいつになったら、何年経ったら、百八煩悩を祓う必要もなく、ひたすら純粋な音としての除夜の鐘に共鳴できるのか。何が何でもその時その場でやり遂げたこともある。その一方で、明日でいいか来週でいいかと先延ばしして年を越す課題も少なくない。いくつになっても、学習はむずかしい。


いつ覚えたのか定かではないが、「明日がどうなるかは、今日はわからない」や「今日の一日は明日の二日に相当する」などの箴言は身に染み込んでいるはずである。それでもなお、油断も隙もないのが怠け癖だ。目線を今日から逸らせて明日へと向けることから、面倒臭さが始まる。何度も自分に言い聞かせてきたのに、ぼくたちは今を生きていることを忘れてしまう。怠慢は今日の忘却によって芽生え始める。

明日は来るのだろう。だが、自分にやって来るとはかぎらない。明日は当てにならない。その明日へと今日のやり残しを送りつけるのは、今日を粗末に扱うことを意味し、同時に明日に負荷をかけてしまうことにもなる。〈いつか・どこか〉ではなく〈いま・ここ〉であり、〈いま・ここ〉があるからこそ〈いつか・どこか〉も淡い確率としてありうるのだ。まずは、今日の面倒をしっかりと見ることである。

ここまで書いて「ようし」と気合を入れるが、今さら鼓舞するまでもなく重々承知していることではある。年末に襲ってくるこの自責の念を忘れずに、来年の今頃は晴れやかな心身へと再生できているだろうか……。あ、だめだめ! この瞬間、ぼくは一年後のことを語ってしまった! その前に今なのだ。自責の念に苛まれて身震いしたその時点で、即刻自己変革を遂げねばならない。そう、今すぐ。間髪を入れずに。すぐに忘れてしまう「今への視点」。今を凝視することは生やさしいことではない。しかし、未だ見ぬ明日への橋は今日側から架けるしかないのである。

三十而立、四十而不惑

私塾のプレゼンテーション・コンテストの第部〈私の尊敬する人〉で、北陸講座の塾生Yさんが孔子を取り上げた。エントリーの時点で「孔子を尊敬? 孔子ほどの古典的人物に尊敬ということばが当てはまるのか? むしろ、第部の〈人物研究〉にエントリーすべきではないか?」などとぼくは感じていた。発表は、孔子を人材育成の始祖として尊敬するという内容であった。結果は、聴衆票と審査員票ともに2位、総合1位でYさんが優勝した。

ご存知の「三十にして立つ。四十にして惑わず」。Yさんはこの箇所でわざと脱線して「少しやばい」と分析した。要するに、「孔子先生、立つのが三十、惑わないのが四十とは、ちと遅いんじゃないですか」という指摘だ。会場には笑いが起こった。なるほど三十にして独立生計というのは晩熟おくてかもしれない。けれども、五十過ぎても人生に迷い悩み、モラトリアムへと引きこもる現代人を見れば、四十でぶれないのはやはり尊敬に値すると言わねばならない。実際、孔子の言う「立つ」も、ぼくらのようにふつうに立つのではない。人生の師として導く立場に就くことであったから、ぼくたちの一人前とはだいぶわけが違ったはずである。

「不惑」。四十歳の意味にとらえるよりも、「潔さ」の象徴としてぼくは考えてきた。歳を重ねたら誰でも自然に不惑の境地に達するのではない。そうではなく、不惑とは、未練を断ち切ってこそ獲得できる「鉄の意志」なのである。想像してみてほしい。たとえ四十にして不惑を標榜しても、その後の十年、二十年でさまざまな事変を目の当たりにすれば、価値観も変わり思想もぶれるだろう。ましてや、孔子が生きたのは群雄割拠の春秋時代だったのである。「不惑」とは何があろうとも動じないことである。信念のみならず、潔さがなければ不動心を保てない。本来なら耳したがわねばならぬ年齢を目前にして、ぼくはやっと惑わなくなった。潔さのお陰だと思っている。


孔子は、「学に志ざす」の十代半ばから「心の欲する所に従ってのりえず」の七十までを振り返った。この振り返りという点を見落としてはいけない。三十、四十、五十などの時々の節目であるべき姿をそのつど語ったのではなく、晩年になってから孔子は己の生き様を回顧したのである。もちろん、ぼくたちも同じことをしてもよい。また、七十歳を過ぎてからでなくても、それぞれの年代で十年前を振り返って後進が参照しやすいよう語り記しておくのもいいだろう。

それにしても、現代と二千数百年前の寿命の差を軽々と乗り越えて、四十にして惑わずの頃合いの良さにほとほと感心する。「五十にして天命を知る」という命題はハードルが高すぎる。他方、ただ立つだけでいいのなら、三十にして安月給で嫌々の仕事に就くのはさほど難しくない。三十と五十の間の四十不惑の難度が絶妙なのである。ぼくは二十年近く前にそこを通過したが、結果に一喜一憂せず仕事と生活を楽しもうと考え、「できる・できない」をよく分別しようと心に決めた。だいたい四十歳にもなれば、過去の経験と知識が未知の可能性よりも大きくなっているはずである。「実現の確からしさ」は経験と知識に依存する。ありそうもない夢を見て他人に迷惑をかけてはいけないのだ。

かと言って、やみくもに可能性の芽を摘むのではない。人一倍想像力が働くのであれば、蓋然性の高い道へ進むべきであろう。だが、やはり「できる・できない」の判断は容易ではなく、誰しも苦悶するに違いない。そこで、もう一つの尺度に照らしてみるのである。「向き・不向き」がそれだ。「できそうもない、しかし自分はそれに向いている」ならやってみるべきだ。さほど適性もないくせに、「できそうだ」と錯誤するのは恐い。四十歳になれば、不向きなことに無理をするのは控えるのがいい。なお、どの世代にあっても「好き・嫌い」への執着は人生を生きにくくする。 

問うことの意味

概念の大小関係上、「歩いている」は「動いている」の集合に含まれる。だから、誰かが歩いているという事実は、必然的に動いていることを意味する。逆に、「動いているから歩いている」は確定しない。歩いているかもしれないが、走っているかもしれないし跳びはねているかもしれないからである。したがって、「動いている」という描写に対しては、ふつうぼくたちは「もう少し詳しく言うと?」や「具体的には?」と聞きたくなる。大から小へと概念レベルを下ろしてほしいと言っているのだ。「さあ、移動しよう」に対して、徒歩か電車かバスか車かと移動手段を聞くのは当たり前なのである。

別の例を挙げよう。「品川に出張した、有馬温泉で一泊した、桜島を見学した」がそれぞれ事実ならば、それぞれに対応して東京、兵庫、鹿児島に滞在したのは確かだ。だから「品川で仕事? ほう、つまり東京出張ですな」などという、言わずもがなの推論にほとんど出番はない。ところが、「兵庫に遊びに行っていました」に対して、「あ、そう」では愛想もリアクションも無さすぎて会話の体をなさない。よほど無関心でないかぎり、「どのあたり?」か「海? それとも山?」などと尋ねるものだろう(それが嫌な者は人間関係には向かない)。

自前で推論できるなら、何もかも問うことはない。「詰問」などの強く問いただすという意味もあるが、今はそんな話をしているのではない。会話をしていて、知らないことや推論できないことに出くわせば、もっと知ろうとして聞き、確かめたくて問うものである。「その人は携帯を耳に当てていた」と誰かがポツリと言って黙ったとする。あなたは「何かを話したり聞いたりしていた」と勝手に推論するかもしれない。そう推論して、そこで話を終わらせるのか。それでは真相はわからない。その人が話をしていたか、相手の声に耳を傾けていたか、留守録を聞いていたか、あるいは電話をする振りをしていたか、単なる癖であるかは、確かめないかぎりわからないのである。


繰り返すが、知らないから――あるいは、もっと知りたくて――聞くのであり、確かめたいから問うのであり、さらには、興味があり好奇心がくすぐられるからもう一歩踏み込んで尋ねているのである。このうち、「知らないから聞く」を恥ずかしいものだと見なす文化がわが国にはあったし、今もある。「問うは一度の恥、問わぬは末代の恥」が典型である(この諺は「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」としてよく知られている)。知らないことをそのままにしておくのはよろしくない、だから恥を忍んで尋ねなさいと教えている。問い聞くことの重要性を教え諭すのはいいことである。

だが、ぼくは待ったをかける。これでは、問うも問わぬも、聞くも聞かぬも恥の扱いを受けているではないか。たとえ一度や一時であっても質問行為に恥の烙印を押すことが解せないのである。立派な大人がフランスの首都を知らないことは恥なのか。いや、それは無知なのである。そして、無知であることは必ずしも恥ずかしいことではない。いい歳になるまでパリだと知らなかったことは無知である。だが、「すみません、フランスの首都はどこですか?」と聞くのは恥でも何でもないし、この問いを境目にして無知とさよならできる。

さまざまなジャンルやレベルでぼくたちは、一方で博学、他方無知であったりする。世界一物知りでも、知らないことは知っていることよりも圧倒的に多いのである。知らないことや忘れてしまったことを、知っている人や覚えている人に聞くことの、いったいどこが恥なのか。問い聞く者は、恥どころか、幸福を味わうのであり、他方、尋ねられる者も光栄に浴するのである。あの諺で「恥」と言ってしまっては、見栄っぱりはたとえ一度でも一時でも恥をかきたくないだろうから、結局末代まで知ったかぶりし続ける。恥すらかかない。ただ無知な人生を送るだけである。ゆえに、諺は「問う(聞く)は知への一歩、問わぬ(聞かぬ)は無知の一生」と改めるべきだと思うが、どうだろう。

人に学び、人を語る

本年度の私塾《岡野塾》の全日程が終了した。6月から11月まで毎月『知のメンテナンス』をねらいとして講座を実施した。そして一昨日特別開催〈第1回プレゼンテーション・コンテスト〉を開催して締めくくった。発表のテーマは「人に学び、人を語る」。座右の銘ほどの位置づけではないが、ずっと以前から「人は人からもっとも多くを学ぶ」ということを繰り返し強調してきた。どんなに高度な情報化社会になっても、ぼくたちは機器やソフトウェアから学んでいるのではない。学習源はまた書物でも談論でもない。ほとんどの知識の源流は人に遡る。

自然現象は人を介さないでやって来る。自宅やオフィスにいて地震に襲われるのは、自然が発した直接の情報を感知したということだ。天変地異は脳や身体で感知する。暑い寒いもそうだろう。だが、これらは聴覚・視覚・味覚・嗅覚・触覚の五感を通じてぼくたちが取り込む情報のほんの一部にすぎない。その他の圧倒的な量の情報はどこかで誰かが発信したものだ。そして、情報を受信しているのも、他ならぬ人からなのである。情報を知と言い換えるならば、知の主たる源泉は他者にある。人は相互刺激によって知を交わす。

ありていに言えば、知のベースに学問があり読書があり仕事があり趣味がある。これらすべての行動において、そこにはつねに人がいる。人が申し訳なさそうに脇役として介在しているというよりも、人が主たる原点にある。ぼくたちは話を聞くと言い、本を読むと言う。情報を取り込むとも言うし、街を眺めたり現場を見学するとも言う。しかし、よくよく考えてみれば、話も本も情報も、街も現場もすべてがメディアなのではないか。これらの媒体の向こうにぼくたちは人を見て人から学んでいる。


話を聞くと言うが、ほんとうは人を聞いているのだ。「おれの話を聞け!」というのは「おれを聞け!」であり、英語なら“Listen to me!”になる。本を読むのも、ほんとうは人を読むのである。戯曲の題名が『ハムレット』であろうと『ヴェニスの商人』であろうと、ぼくたちはシェークスピアを読んでいる。これも、英語では“I read Shakespeare.”と言う。ちなみに“read”には「研究する」や「専門にしている」という重要な意味もある。

『ソクラテスの弁明』を読むとき、ぼくたちは著者プラトンを読んでいる。もちろんソクラテスにも学んでいるが、ソクラテスを語るプラトンにより多くを学んでいる。『本居宣長』を通じて小林秀雄を読み、小林秀雄に学んでいる。Pが人物Sを語るとき、ぼくたちはSのことばかりを躍起になって学ぼうとするが、語り手であるPによりぶれない軸を移しておくべきだろう。さもなければ、P以外のQRという語り手でも誰でもいいということになってしまう。PQRかによってSという人物は大いに違って見える。別人ではないかと思えることさえある。語り手あるいは書き手Pゆえの人物Sなのである。

坂本竜馬について誰が語り誰が書いたのかが重要なのである。竜馬と会ったこともないぼくたちが知りうることは、語り手と書き手の文言を除いて他にないのだ。本年の私塾で、ぼくはプラトンやレオナルド・ダ・ヴィンチや老子やマキアヴェッリを語った。実は、塾生たちはテキストを書き講話したぼくを学んでくれたのである。このことがいかに希少な僥倖であるか、そして、それを肝に銘じるからこそ、ぼく自身も神妙に人物から学ばねばならず、片時も手を抜くわけにはいかないと強く自覚できるのである。語り書くという行為が安直であってはいけない。そこにおける責任は重い。

ちょうど一年前

ちょうど昨日の今頃、ちょうど一週間前、去年の今頃……というふうに人は振り返る。明日へも思いを馳せるのだが、明日はなかなか見えてこない。確実なのは過ぎし日々だ。それゆえ、記憶に残っている過去は回顧しやすい。但し、記憶にない過去は過去ではない。過去とは記憶の中に存在するものだからである。日記や写真は手元にある現在にほかならない。

テレビ番組のように「三十年前の今日」というタイムスリップはあまりないが、最近の区切りのよい一ヵ月前や一年前ならよく振り返る。今年に入ってから現在五冊目のノートを使っている。ノートの真ん中を過ぎればそのノート内に一ヵ月前の記載が見つかる。しかし、新しいノートを使い始めて一ヵ月未満の間は、一ヵ月前に遡るために直前のノートを見なければならない。というわけで、ぼくはたいてい直前ノートと現在進行形ノートの二冊を鞄に入れている。

ノートにメモした内容のおよそ8割は未公開である。つまり、残りの2割をネタにして研修テキストを編集したり本ブログで記事を書いたりしている。ちょうど一年前のノートには「星座占い」と「決めランチ」について走り書きをしていて、いずれもブログで取り上げた。星座占いの奇異については数日前にもノートに書いた。師走になると占い批評の気分が高まってくるのだろうか。


ちょうどではないが、昨年の127日に年賀状のことを書いている。苦労話に近いが、今年も11月初旬からあれこれと考えてきた。昨年よりも遅めの14日に書き終えた。苦労と言っても、書くのに困るわけではない。書き始めたら、推敲も含めて2時間で終わる。えっ、2時間も!? と思われるかもしれないが、なにしろ原稿用紙にして5枚半だからやむをえない。それよりも何よりも、今年はどんなテーマにするか、どんな項目を取り上げるかに思案し苦心するのである。

ご縁ある方々はその年賀状を楽しみにしていただくとして、ここでは昨年書いて今年の正月にお届けした謹賀新年2010.pdfをご覧いただこう。この年賀状の劈頭でぼくは「何か変だ」と書いた。たしかに未だに何か変な気分が続いている。リーマンショックから醒めたようで、まだ変を引きずっている。猛暑も変だったが、政権交代しても相変わらず変なのである。何もかも変なのは、変な日本にいるせいだろうか。皮肉も揶揄も空しい。

ぼくたちにできること。それは変を察知することだろう。そして、自分の力量と相談しながら活動範囲内で精一杯異変に対処することに違いない。一年はあっという間に過ぎる。一ヵ月や一日はなおさらである。喉元過ぎるとすぐに何でも忘れてしまう、世界でも稀な国民性。時折り、過去を顧みて、あれはどうなったのか、あれから現在まで何がどう変わったのかを自問自答してみるべきだと思う。未来を洞察するために。

論を立てるということ

論理、弁論、議論、論説などとよく使っているが、考えてみると「論」を一字単独で用いることは少ない。かつてはおそらく「君の論は」とか「この論によると」などと言っていたと思うが、論は「意見」に座を譲った。ぼくの語感では、「筋のある意見」が論である。だから、論を立てたり張ったりするのは、理にかなった意見構築をおこなうことになる。説明がくどくなるが、「理にかなった」とは第三者が聴いて「一考に値する」と感じること、あるいは「暫定的にオーケー」を出すことだろう。

ネット上に『論を立てる』という番組があると耳にした。ちらと見たかぎりでは、対立的な論戦・激論というよりも意見を交互に述べる談論に近いようだ。論を立てると「立論」になる。ディベートではおなじみの基調弁論の一種だ。立てるのはあくまでも論である。自分の意見で筋を通す。意見を支えるのは、これまた自分で編み出す論拠である。こうして立てた論の信頼性と実証力を高めるために証拠や権威筋の証言を引用する。

ところで、熟年過ぎてから大学院で学んでいる知人がいる。期限が迫ってきた修士論文で困り果て、添削・推敲してくれとねじ込んでくる。不案内のテーマについて書かれた文章など簡単に手直しできるものではない。困っている人を放置できない性分なので、数十枚の論文を読んではみた。各章の書き出しくらいは何とかしたが、その他はどうにもならない。引用文でガチガチに固められて分解修理のしようがないのである。


メールを送った。「このテーマについて何を書きたいのですか? 読み手に何を伝えたいのですか? 何が自分の意見ですか? 人はわかっていることしか書けません。また、わかっていること以外を書くべきではありません。あなたが考えたり読んだりしたことと、あなたのことばの表現・論理が一致しなくてはいけません。」 すると、「これは文献研究なんです」と言うから、またメールを送った。「では、次のような手順で書き換えなさい。1.この本にはこんなことが書かれている。2.私はそれをこう読んで自分のこれこれの意見と照合し考察した。3.この本の意義を私はこれこれに見い出す。」

文献研究ならば、その著者と文献を選んだ動機はあるだろう。必ずはじめに自分の価値観なり意見なりがあるのだ。このような論文にしてもディベートの立論にしても、ほとんどの人がリサーチから入る。文献を読み新聞を切り抜く。テーマや論題について自力で考察していない。ぼくに言わせれば、設計図なしに部材だけを集めている状態。調べると情報の縛りを受ける。複数の情報を組み合わせて論を立てようとしてもうまく整わないのである。

仮説と呼んでも構想と呼んでもいいが、まず自前で論を立てる。情報不足だから中身は空っぽかもしれない。だが、筋さえ通しておけばいい。簡単なシナリオを一枚の紙にざっと書く。一切の情報を「ないこと」にして自分なりの論拠を捻り出す。こうして出来上がったケースシートに一本筋が通ったと判断したら、その時点から筋を補強してくれる裏付けを取るために証拠・権威の証言を調べるのである。すでに仮説の網を張り軸を決めているから、関連情報も見つけやすくなる。いろんな人に口を酸っぱくして助言するのだが、みんな重度の情報依存症に陥っているせいだろうか、言うことを聞いて実践してくれないのは残念である。

断章とあとがき

金曜日に『粗っぽいメモ』について書いた。粗っぽいメモには「気ままな走り書き」も含まれる。息の長い論理の構築を焦らず急がず、テーマの出発点である脈絡のない着眼を忘れぬように書き留める。そこに書き連ねる文章表現や構成は目を覆いたくなるようなお粗末さだ。だが、それでいい、それがいい。気ままな走り書きは「このテーマ、現在さらに考え中」として位置付けることができる。

そこにあるのは、きちんとした章の全体ではなく、アイデアの断片にすぎない。この断片をぴったりと表わす術語が〈断章〉である。断章とは「章を断つ」ことであり、全体を明らかにするのではなく、むしろ全体とは無関係に、取り出した一部のみを意味づける。断章について、哲学者中村雄二郎はその意義を次のように鮮やかに説いている。

同じテーマや素材を扱っても、それをどういう書き方で書くかによって、言えること、言えないことがちがってくる。断章形式で書く場合、比較的長いエッセーで書く場合、書き下ろしの単行本で書く場合、それぞれによって。私の経験では、断章という形式は新しいテーマや素材にとっかかるときか、ある程度展開した考察をまとめるときか、どちらかの場合に概して好都合である。とくに、新しいテーマや素材にとっかかるときがいい。というのは、断章という形式が思考の増殖というか、多方面への自由な展開を促してくれるからである。(『哲学的断章』のあとがきより)


ぼくなりの解釈はこうだ。断章は全体の整合性を先送りし論理の出番を遅らせる、そして、手かせ足かせの負荷のない思考は自由闊達にあちこちへと羽ばたいてくれる。七〇年代の半ばに安部公房の『砂漠の思想』を読んだが、あれも一種の断章だった。その文集を「私の創作手口の公開」と呼び、安部自身、「あまりにも複眼的であり……」、「テーマも、方法も、とにかく拡散的で、時間的にも、空間的にも、おおよそ一貫性を欠いている。どこを目指しているのか、目的地の所在は自分にも釈然としないありさまだ」とあとがきで書いている。先の中村の断章評と大きく隔たった見解ではない。

読みごたえのある断章が章立てされた書物にひけを取らないように、すぐれたあとがきは本編に続く単なる付録などではない。あとがきに目を通してから本文を読むなど邪道のように言われたこともあり、たしかに取るに足らないあとがきも少なくない。しかし、一冊を読了したに値するほどのあとがきも現に存在する。あとがきを書き下ろすために、本文を書いた著者以上の時間とエネルギーを注いだのではないかと思ってしまうことすらある。

最近ではルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの『青色本』の野矢茂樹のあとがきが出色の出来栄えであった。同書では「あとがき」などとは書かれておらず、〈解説 『青色本』 の使い方〉という見出しが立っている。もはやあとがき以上の意気込みなのである。野矢は論理学にも造詣の深い哲学者だ。ウィトゲンシュタインを入門書も含むいろんな本で読んだが、なかなか理解の糸口がつかめなかった。この人の『ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考を読む』 』を読んで、やっと原本の『論理哲学論考』がわかった。

あとがきの書き手が本文の著者よりも鋭く本質を衝き、本書よりも洞察に満ちたメッセージをしたためる。あとがきだけで本を読んだふりなどしなくても、実際、本を読んだ以上の成果が上がることもありうるのである。

粗っぽいメモ

ノートの効用についてずいぶんいろんな人たちに講釈してきた。続けること自体をひとまず評価するものの、続けること自体は意地によっても可能になる。要所はさらに先にある。ノートは記憶の補助装置であると同時に、本家である脳の記憶領域を強化することにもつながる。書くことは、考えることであり、覚えることであり、知の相互参照をおこなうことである。ノートをつけることは、そういう効用につながるものでなければ意味がない。

何人かのノートを見せてもらった。驚くほど几帳面な字で必死になって文章にしている。まるで誰かに報告するレポートのようである。「これではダメなんだなあ」とぼくは溜息をつく。「完成」に近い形でアイデアなり情報を書き込もうとすればするほど、ノートは色褪せていく。もっと粗っぽくていいのである。ふとひらめいたアイデアやどこかから取り込んだ情報が揮発する前に、ささっとピン留めするのである。そこに完全を期す必要はまったくない。とにかくペンを走らせるのがよい。

ぼくが本ブログで書く記事はほぼすべてが手帳サイズのノートを経由している。逆の言い方をすれば、ノートに粗っぽくメモしたものが、数日後あるいは数週間後(場合によっては数ヵ月後)にメモよりも少しましな文章へと発展している。たとえば、数行の走り書きが適度な熟成期間を経て、原稿用紙にして四、五枚に膨らむ。下手するとただの水増しになる場合もあるが、たいていは別の知識やアイデアが絡んで原メモ以上の内容になってくれる。


ここ数日間に走り書きした実際のメモを原型のまま書き出してみよう(すべてのメモにぼくは見出しをつけている。アナログノートの弱点は検索にあるから、インデックスは絶対必要なのだ)。

珠玉の一行
一冊の本の全体あるいは要約を丹念に読むのと、その一冊の中のこれぞという一行が等価ということがある。読みにくい本を辛抱して読み続けてもろくに意味もわからないのなら、いっそのことやめる。やめて、あらためて適当にページをめくり、その本のどこかに書かれている一行の文章だけに目を止める。そして、その文章だけを玩味する。そうするだけでも、その本を読んだと言える場合があるのだ。

国境とテリトリー
動物に国境はない。しかし、かれらにはテリトリー〈棲息領域〉がある。ぼくは市場(顧客、業種業界)を選ばない。しかし、ぼくには専門領域がある。動物もぼくも、油断しているとテリトリーだと思っているところで淘汰される危険性に晒されている。

綱渡りのような話し方
日本人は、誰が話しても同じようなことをよくも凡庸な表現で平気で語るものだ。コミュニケーションが無難へと向かい、おもしろくも何ともなくなっている。言葉狩りにも責任があるし、失言する偉い方々の先例を見て危なっかしい話し方を遠ざける。レッドゾーン手前で自分の表現をデフォルメする勇気がいる。話をするということは、だいたいにおいてスリリングで挑発的なのである。型通りの虚礼的記者会見などコミュニケーション相手をバカにしているのである。


書き出せばキリがない。以上のような、相当粗っぽいメモが何十も熟成中で、いずれ本ブログでも取り上げることになるかもしれない。なお、粗っぽくていいというのは文型と論理についてである。ぼくは長年書いてきたので文章の形でメモすることが多いが、箇条書きであってもまったく問題はない。要するに、体裁のいい文章にしようとか筋を通そうとかしていては、ノートの意義が半減すると言いたいのである。