テレワーク雑感

創業してから数年のうちに本を3冊著した。仕事場で本業をこなしながら、合間に原稿を書いた。締切直前にはオフィスに顔を出さずに自宅でワープロを打った。今風に言えばテレワーク。能率は落ちなかったが、誰にも気遣いがいらないから集中力に乏しくなるし、疲れたら横になるという甘さも出た。当時は郊外に住んでいたので、往復の通勤1時間半が節約できたが、節約できたその時間が作業時間にプラスされたとは思わない。

今は自宅とオフィスは徒歩で10分少々、自転車なら5分。のろまなパソコンとプリンターと程度の自宅インフラでは仕事がはかどらないので、自粛ムードの今も毎日会社に出ている。ワンフロアでたった一人という日が週に何度かある。小さな会社なりにITインフラを完備しているし、蔵書のほとんどをオフィスに収蔵しているので、出てくるほうが何かと便利がいい。

この一週間、「非通知」の電話が何度か鳴った。受話器を耳にあてると、いきなりの音声ガイダンス。どんな悪だくみなのか興味があるのでしばらく聞き流してみた。給付金を振り込むので情報をインプットせよという内容で、おそらく最後には銀行口座番号とパスワード入力へと誘導するメッセージが続くのだろう。人間にこんなテレワーク営業をさせていたら人件費が高くつく。コンピュータに自動音声で営業させれば能率はアップする。思えば、「オレオレ詐欺」などはある種のテレワーク営業ではなかったか。


オフィスの道路向かいにマンションがある。一方通行の狭い道路なので、目と鼻の先という感じだ。当社は5階、マンションのその一室も5階。毎朝ぼくは8時台に出社して、ロールブラインドを上げて窓を開放する。午前9時、正面に見える一室の窓際の椅子に男性が座る。おそらくテレワーク組だと思われる。さっきベランダに出てきたが、初めて顔を見た。見た目30代前半。

今日は半袖の赤いポロシャツ姿で、おそらくパソコンに向かって、おそらく仕事をしていたと思われる。かれこれ一ヵ月。別に裏窓から覗いているわけではない。窓外に目を向ければ勝手に見えるのだ。長袖の白のカッターシャツの日もある。上司か得意先とのテレビ会議だろうか。在宅勤務時間もランチタイムも休憩にもルーチンを決めているに違いない。ぼくは何度も席を外したり隣の部屋へ行ったりして頭を切り替えるが、彼はずっと座っている。まじめな働きぶりが窺える。

あの彼がハードワークしていると仮定しよう。しかし、今まで出社してしていた仕事をこんなふうに毎日テレワークでできてしまうなら、もうオフィスはいらなくなる。二ヵ月か三ヵ月続けられそうなら、半年や一年でもできてしまうだろう。オフィスと在宅の仕事に効率や質の差がなければ、企業はインフラだけ整備して正社員を契約社員にすればいい。オフィスは縮小できる。

これを機にテレワークができる体制を取るべしという意見が目立つ。しかし、部屋に閉じこもって電話かビデオで時々やりとりして済むような仕事は、やがてAIに取って代わられる。一部職種で仕事がかなりデジタル化されたのは間違いないが、仕事から人と人の関係が消えることはない。いや、消えることがないように、自分の固有のアナログ価値を保持しなければならないはずである。

ともあれ、ほとんどの会社にとってテレワークは非常措置である。すべてとは言わないが、いずれ年初の頃の状況に戻る。数ヵ月在宅したテレワーカーたちが首尾よくオフィスや現場に戻れるか。出社拒否症候群という禍も想定しておかねばならない。

「騙し」の構造

どんな意見でもひとまず受容することにしているが、こと現象となると、信じるか懐疑するかの二者択一しかなければ、懐疑から入るのを常としている。いったん盲目的に信じてしまうと、相当怪しく感じるようになっても、信じた己の正当性を否定しにくくなるからである。逆に、対象が何重もの懐疑のフィルターを潜り抜けたなら、それに共感して納得に転じることにやぶさかではない。

スピリチュアルが入っている人には申し訳ないが、超能力や超常現象は信じる者による独断的な定義だと思っている。別の者にとっては「トリックによる創作」という定義が成り立つ。科学絶対とはゆめゆめ思わないが、すべての現象は現代科学ですでに説明がついているか、現代科学で解明できていないかのいずれかである。後者の、解明できてはいないが、現実に起こりうるものは能力であり現象であって、わざわざ「超」や「超常」を被せる必要はない。

超能力の仕業とされていることのすべてをミスターマリックやナポレオンズやマギー司郎ならやって見せるだろう。自分がこの宇宙で棲息している事実以上に不思議な現象に未だかつて出合ったことはない。

「騙し」の構造について書評会で『人はなぜ騙されるのか』(安斎 育郎著)を取り上げたことがある。もう一度拾い読みしてみた。

本書では109の話が、第Ⅰ章 不思議現象を考える、第Ⅱ章 科学する眼・科学するこころ、第Ⅲ章 人はなぜ騙されるのか、第Ⅳ章 社会と、どう付き合うか、第Ⅴ章 宗教と科学の5章に割り振られている。サブタイトルに 「非科学を科学する」 とあるように、不思議や超常の仕掛けが次から次へと科学的に暴かれていく。なお、本書の示唆をぼくは教育的啓発としてとらえるようにしている。


スレイド事件
スレイドは交霊できる職業的霊媒であった。何も書いていない一枚の石板とチョークをテーブルの下に置いて、居合わせた人の先祖と交信して霊にメッセージを自動書記させた。錚々たる物理学者もみんな信じてしまった。
ある交霊会でロンドン大学の教授が、スレイドが交霊する前にテーブルの下から石板をひったくるという荒手を使ったら、そこにはすでにメッセージが書かれていたのである。

ノーベル生理学賞のリシェー教授と幽霊
心霊現象に否定的だった教授は、ある将軍の家で幽霊を出現させるのを目撃してから、一気に幽霊説に傾いていった。しかし、人間が幽霊に扮したかもしれないという疑問をまったく検証することはなかった。人は信じたいほうを信じ、信じたくないほうを疑わないという習性を持つ。

幽霊の写真
撮影霊媒で有名だったデーン夫人は、現像段階で早業のすり替えを暴かれた。誰もが騙されてきたのは、すり替えの小道具に 「讃美歌の本」 を用いていたからである。「神を讃える聖なる書物を、まさかインチキの小道具に使うはずがない」 というキリスト教徒の常識的道徳観が、詐欺師を見破る目を曇らせたのである。「奇術とは、常識の虚をつく錯覚美化の芸術である」。

こっくりさん
降神術の一種であるこっくりさんは、英語で 「テーブルターニング(机転術)」 とか 「テーブルトーキング(談話術)」 などと呼ばれている。大学生の頃、合宿などでよく興じたものだ。
十九世紀の科学者にとっては こっくりさんの解釈の足場を 「霊界」 に据えるのか、それとも 「理性」 の側にしっかりと足を踏まえるのかは、いわば思想の根本にかかわる問題だったのである。
こっくりさんは、答えはこうなるはず、こうあってほしいという 〈予期意向〉 と筋肉運動である 〈不覚筋動〉によるものであると解明された。

文化勲章受章者と死後の世界
岡部金治郎博士は、「動物の霊魂→五官で完治できない神秘→不生不滅の法則→魂の素→肉体の活性から非活性状態→……→魂が受精卵に宿る」という見事な(?)説を唱えた。生真面目な一方で、すべての根底に「人智の及ばぬ神秘」 という荒唐無稽が置かれている。死後の世界論どころか宗教なのである。
霊魂の存在などまったく証明されていない。ここにあるのは 「私は霊魂を信じる」 という前提のみである。科学と信仰が混同された典型的な例であった。

経験絶対化の危険性
しばしば自分の感覚器官でとらえた 「事実認識」 を絶対化し、厳密な検証もなしに、その命題が 「真」 であることを信じ込む。
「この目で見た」 「この耳で聞いた」 という体験がもつ説得力は非常に大きい。しかし、 「感覚器官は錯誤に陥りやすい 」ことを忘れてはいけない。

科学のブラックボックス化
科学は進歩しても、なかなか人間の意識の変革は思うに任せず、孔子の春秋時代からあまり進歩していないのではないか 。
現代人はWhyへの執着心よりもHowへの指向性のほうが強い。科学技術の成果がブラックボックスになったがゆえに、「なぜ」 が消え失せてきた。科学の時代であればこそ非科学的思考に陥る危険があるのだ。

錯誤と対象認識過程の省略
人間は、部分から全体を推定し、 時間を追って順番に起こった事象については、本当はそれぞれの事象が独立のものでも、「一連の事象」 として関連づけて理解してしまう。
大きさ、形、色、肌ざわり、香り、味などの性質を刷り込んで、リンゴを認知する。しかし、今度再認識するときは、これらすべての性質を再生するのではなく、二つくらい一致するだけで対象を認識するのである。


本書によれば、「信じよ、さらば救われん」 も 「為せば成る」 も 「念じれば花開く」 もすべて、非科学的ということになる。因果関係の吟味、二者関係の明確化、主観的願望と客観的推論の峻別などをおろそかにして結論を導くのは危ういのである。

UFOよりも46億年経過してもマグマがたぎる地球のほうが不思議であり、幽霊よりも一般的なオバチャンのほうが怪奇的である。超常現象をわざわざ創作しなくても、現実の現象だけで十分に不思議であり驚きなのである。

マスクとまなざし

まなざしや顔つき――突き詰めれば〈ペルソナ〉――は、平時と有事で異なる。平時では、目を中心とした顔がふつうに見え、表情がわかりやすい。他方、最近のようにマスク装着が常の有事になると、顔全体が見えないので表情のニュアンスが感じ取れない。

「目は口ほどにものを言う」はおおむねその通りだと思うが、鼻も口も、さらに顔全体が見えて輪郭もはっきりしているからこそだ。見えるのが目だけだと眼力めぢからばかりが際立って、表情が窺いづらく不気味さを感じることがある。


先日、輸入食料品店でこんな出来事があった。

通路がいくつもあり、探している商品の棚がすぐに見つからなかった。通路を順に覗き込んで移動し、それらしい棚が並んでいる通路に足を踏み入れたところで、マスク姿のぼくの視界に熟年男性が入った。男性はマスクをしていない。

目が合ったわけではない。男性をまじまじと見たわけでもなく、男性の立つ前の棚のパスタに視線を向けただけだ。いきなり男性がぼくに向かって「何か用か?」と言った。まるで万引き寸前の男が見つかる前に先制攻撃するかのような口調。この時点で目が合った。厳しい目つきである。手に商品をいくつか持っている。

お目当てはパスタだから、男性に関わる気はない。こっちが動じる理由もないので、男性に近づき、丁寧かつ穏やかにこう言った。「あなたを見ていないし、あなたに用もありません。今夜の食材を探しているだけです」。

マスクをしている時の目、そのまなざしは、見られる側からすると自分に向けられているように感じるのだろう。そのことは自分の立場になればわかる。道で向こうから歩いてくるマスクの顔の目という目のすべてが自分を見ているように思ってしまう。明日への見通しも、人どうしのまなざしも焦点が定まりにくい今日この頃である。

足下を見つめてみた

この時世、協働パートナー以外の人たちとここ一カ月ほとんど会っていない。目を向けるのは見えざる情報世界ばかりで、現実の生活周辺への視界は決して良好ではない。かろうじて足下だけが見える。そこから思いつくまま思い出すまま断章を綴る。


🖋 「今日の忍耐、明日の希望」「今日の焦り、明日の絶望」。今日とは今日のことだが、明日はずっと先までの未来の比喩。

🖋 巨大な建物は、意識せずとも、正面からそこに近づけば必然見える。しかし、巨大な建物を背にした格好で、たとえばメトロから地上に出ると、どれだけ大きくても見落としてしまう。背を向ければ、対象が巨大であろうと微小であろうと同じ。
まあ、建物に気づかないことくらい大した問題ではない。大切だが見えづらいものを見損じるほうが恐いのだ。

🖋 周りを過剰に気にして、何に対しても様子を窺っていると「左顧右眄さこうべん」に陥って決心がつかない。何を見て何を見ずに済ませるかは、自分の立ち位置、社会や他者へのまなざしが決める。

🖋 Give and takeギブアンドテイクであってはならない。ギブは主体的であってもいいが、テイクはそうではない。取るのではなく、授かるのである。ゆえにGive and givenギブアンドギブンでなければならない。価値を提供したら、その価値に見合ったほどよい対価を授かるのである。取りに行ってはいけないし、取れると思ってもいけない。

🖋 数年前に『欲望の資本主義』をテーマにしたドキュメンタリー番組を見た。「現代は成長を得るために安定を売り払ってしまった」という一言が印象に残る。これに倣えば、「現代は今日の欲望を得るために明日の活力を前借りする」とも言えるだろう。

🖋 その番組中に語られた比喩的エピソードをふと思い出した。アレンジしてみると、次のような話だった。
金曜日の夜に酒を飲む。もう一軒行こう、カラオケに行こうとテンションを上げてエネルギーを消費する。しかし、このエネルギーは飲めや歌えやの勢いで生まれたわけではない。土曜日に使うべきエネルギーを金曜日の夜に前借りしたのである。

🖋 足下あしもとを見つめてみたら、生活の大半は不要不急であることがわかる。経済は、不要不急の大いなる欲望によって成長してきたにすぎない。

票数と点数

ある種のコンペティションでは、審査員の採点の合計点数で最優秀を決める場合が多い。入札や評価型スポーツ(スキーのジャンプ、フィギュアスケート、体操など)は点数方式だ。スポーツの場合は個々の技術に関して細かな基準があるが、イベントや作品などのコンペでは審査員の主観的な評定に依存する。

審査員によって見方や点数の付け方は様々なので、1位と2位の採点が大差になる場合も僅差になる場合もある。全審査員の採点を単純に合計する方法では、たった一人の審査員が大差を付けてしまうと残りの審査員の採点がまったく反映されないことがある。このやり方を是正するために、採点結果から最高点と最低点を除外して合計点を算出する方法が採られる。

しかし、審査員が誰に投票するかという票数方式でもなく、また最高点・最低点除外という方式でもなく、単純に採点を合計して最高得点者を最優秀とするコンペが慣習的におこなわれている。5人の審査員によるABという二者コンペの採点結果をシミュレーションしてみよう。

審査員① A=90点 B=60
審査員② A=82点 B=85
審査員③ A=71点 B=80
審査員④ A=81点 B=83
審査員⑤ A=88点 B=89

単純合計すると、A=412点、B=397点となり、ABを上回る。審査員①の大差採点がかなりのウェイトを占めた結果だ。ちなみにABの最高点(それぞれ90点と89点)とABの最低点(それぞれ71点と60点)を除外した後の合計点は、A251点、B248点となり、これもABを上回る。ここでは除外のメリットが出ていない。いずれにせよ、票数では上記の赤色で示す通り、A1票に対し、B4票を獲得している。大差であろうと僅差であろうと、Bの方が審査員団に支持されていることになる。


上記のような単純合計方式でおこなわれる審査を数十回依頼されてきたが、最高点・最低点除外方式に変えたとしても同じ結果になることが多い。したがって、上記のシミュレーションは例外的ではない。ただ、点数を合計してしまうと、個々の審査員の一票に託した意思は弱められる。自分の意思が合計点の中で掻き消され、極端な採点をした審査員一人の採点が結果に反映されてしまう。

と言うわけで、票数で決めたこともある。しかし、審査員数を偶数にしたため問題が起こった。4者コンペで2者に2票ずつというケースが生じたのである。協議しても誰も自分の1位指名を譲らなかった。結局、全員が2位指名していた参入者で妥協せざるをえなかった。後味が悪かった。

議論を2者対抗でおこなうディベートの試合の勝敗判定は合理的である。審査員は3人、5人、7人などの奇数。審査用紙は様々な項目を点数評価するが、全員の採点を合計しない。各審査員の採点が大差であろうと僅差であろうと、各審査員は自分の採点で点数が上回ったサイドに1票を投じる。引き分け判定はなし。だから、必ず3票対0票、4票対1票、5票対2票という具合に勝敗が決着する。負けたサイドに投票しても、それは決して死に票にならない。点数と違って、票の痕跡が残るからである。自分が票を入れた側が勝とうが負けようが、潔く結果を受け入れることができるのである。合計点方式では、審査員①の存在によって「自分がいてもいなくても同じではないか」という空しさだけが残る。

恒例を変えてみた

儀式や行事をいつも決まって同じようにおこなうこと。それを恒例という。だから、変えるともはや恒例ではなくなる。「変わりゆく恒例」など本来ありえない。

今の居住地に引っ越してから14年。元日には毎年高津宮こうづぐうに詣でて神籤みくじを引いてきた。今年も同じく詣でる〈儀〉を執り行ったが、神籤は引かなかった。過去13回引いて、吉が出たのが一度、あとは凶や小凶や大凶の類ばかり。吉の出た年を除いて、過去13年はまずまずの好日の日々だった。神籤? もういいだろうという気分で引かなかったのである。つまり、枝葉末節的に恒例を変えてみた。

二日後にたまたま天満宮近くを通りかかったので、ついでなので境内を横切ることにした。元日ほどではないが、大いに賑わっている。人混みを避けて歩いていたら「おみくじ所」の前に出た。高津宮で引かなかったから今年はここにするかとふと思ってしまい、美人の巫女の列が空いていたので引いた。変えた恒例がまた変わった。 

番号札は第十五番。いつもの通り「凶」だった。よほど凶との相性がいいようだ。けれども、凶に特別な嫌悪感はない。くにがまえならメ(×のつもり)が格納されているみたいだが、幸いにしてメが入っているのはうけばこである。上部が開いているからいつでもメを取り出せばいい。


引いた手前、凶の文字だけ見て終わらない。律儀に全文に目を通す。願事、学業、恋愛、探物、健康、旅行、商業、家庭……どれも良くないことが書いてある。とりわけ、健康は身体ではなく心の養生をせよと。精神に問題を抱えているのか。縁談は時期尚早、良縁を待てとのお達し。もうとうに手遅れだ。

吉方のみ、良いも悪いもなく、「北の方」が良いと告げる。遠方の出張では西方面多く、北にはほとんど縁がない。但し、近場なら、自宅から事務所は北の方向、月に一、二度行く梅田も北。吉方が北だからと言って、北ばかりに行くわけにはいかない。行った手前、帰ってこなければならないから、同じ数だけ南へ戻ってくることになる。

総評または概要として【ただ祈るべし】という見出し。神社仏閣に詣でても祈ることはないし、神仏の信仰心も浅いことが見抜かれたようである。祈るべしと命じられたら祈ることはやぶさかではないが、そもそも「何をどう祈るのか」を知らない無粋者である。

当たり外れ――ご飯編

「ご飯」は丁寧語で、二つの意味がある。一つは「めし・食事」の意。別に和食とはかぎらない。「ご飯を食べてから帰る」と言っても、食べるのはステーキかもしれないしラーメンと餃子かもしれない。もう一つは「米の飯」そのものを意味する。

家庭料理にはうまいもまずいもある。長年食べ親しんできたから、たとえ少々まずくても、家庭の味ゆえに受け入れる。家では「まずうま・・・・」が成り立っている。コストはかかっているが、そのつどお代を払うわけではない。「ちょっと塩気が強い」とか「味が薄い」とか「煮えすぎた」とかの軽いコメントが出て、その場はそれでおしまい。

お代をもらって食事を出すのが食事処。それを生業としているのだから一応プロである。半世紀などという長いスパンで捉えなくても、この10年に限っても店で出される食事はおおむねレベルアップしてきた。合格と不合格の微妙なライン上のものもあるが、それとて値段相応である。注文する客も価格に応じた味でいいと割り切っている。


問題はプロの店で出される「米の飯」である。ランチにしては少々値の張る1,500円の酢豚定食。酢豚は合格だが、ご飯とおかずの相性が悪い。米の質と炊き方、ご飯のよそい方がお粗末なのである。ご飯へのこだわりがなく、ただ大盛サービス、お替わり自由で片づけてしまっている。一品料理はうまいのに、ご飯でがっかりさせられるこんな店は案外多い。

数年前、親しくしている老舗米問屋の若い社長から「食事処向けに米の性質、米の選び方やおいしいご飯の炊き方など、啓発スライドを作りたい」という相談があった。こっちは米の素人だが、スライド構成とコンテンツのアイデアを貸してほしいという要望である。何度か打ち合わせとメールでやりとりしながら完成させた。続編も作った。この編集の過程で実に多くのことを知った。米と水との微妙な関係、深くて複雑なご飯の食味の話、等々。米のソムリエでもある彼は言った、「正直言って、家庭の炊飯器でできてしまうことを料理のプロたちが怠っている」と。

かつ丼、オムライス、パエリア、和定食……うるさく言うと、それぞれに合う米があり、仕上がりとしてのご飯がある。何度も試行錯誤してこそ、この料理にはこのご飯と胸を張れるようになる。焼肉を堪能した後、最後の二、三切れをご飯で仕上げる。べたついたご飯が食事を台無しにしてしまう。どんなに焼肉がうまかったとしても、ご飯の〆がお粗末だと店の格付けは落とさざるをえない。

当たり外れ――コーヒー編

喫茶店でもカフェでもいい。コーヒーを飲みに入る。入れば少なくとも半時間、時には1時間ほど長居する。手持ちぶさたにならないよう、本とノートは必ず小さなバッグに入れてある。店の看板や店内の雰囲気・インテリア、応対する店員の立ち居振る舞いは客の気分に影響するが、コーヒーそのものの香りと味がやっぱり絶対条件。

初秋の、まだ暑さが残る午後、たまに入るカフェDCに久しぶりに入った。この店では決まってエスプレッソだが、喉が異様に乾いていたので初めてアイスコーヒーを注文した。エスプレッソのうまさには及ばなかった。これならホットのブレンドにしておけばよかったと少々後悔。

とは言え、感じのいいマスターだし、少し長居できる雰囲気もあり、文章を思いつくまま綴るには落ち着く場所だ。しかも、250円なら文句は言うまい。一応合格。


その翌週、老舗の昭和感たっぷりの喫茶B屋へ。数年ぶりになるので、この店の味はうろ覚えである。店の定番の420円のブレンドを注文する。香りも立たず、一口啜れば味が薄く、お粗末だった。以前はこんな味ではなかったはず……。懐かしさが漂う希少な喫茶店ではあるが、偶然通りがかったとしても、もう二度と入らない。

ここはマスターが一人でやっている店。注文したブレンドをカウンター越しに出し終えたら、端っこの空いているカウンター席に座ってスポーツ新聞を読み始めた。競馬欄に食いついている。


オフィスに近いカフェLの売りは自家焙煎のエスプレッソ。ある日は焙煎7日、別の日には焙煎15日とかの表示があり、同じ豆だが焙煎の違うエスプレッソを飲み比べできる。本場イタリアと互角の上等の味である。以前は週に二度通っていたこともある。いつぞやアイスエスプレッソを注文した。新顔のバリスタがぼくに尋ねる。「アメリカーノですか? 水で薄めますが、よろしいですか?」 こんなことを聞かれたことはない。質問を無視して「エスプレッソのアイス」と念を押した。

出てきた注文の一品は、エスプレッソ用の焙煎の香りはするものの、想像以上の薄味だった。メニューにアイスエスプレッソがなく、アイスの注文が入ると水で薄めるのがこの店の流儀なのに違いない。水増ししたらエスプレッソの強さと濃さは半減する。

アイスエスプレッソはあらかじめグラスに氷を一杯入れておき、そこに熱々のエスプレッソのダブルを注ぐのが正解。オフィスのマシンを使って作る時はそのように淹れる。そうしないと、ホットで飲むうまさがアイスで生きてこない。ぼくの淹れるアイスエスプレッソのほうが格段に上である。

コーヒーの当たり外れに喫茶店の当たり外れ。よくあることだが、ホットでもアイスでも同じ確率で外れに遭遇する。当たり外れは自己責任であるから、文句は言えないし言おうとも思わない。ただ二度と行かないという選択肢があるのみ。

インタラクティブの不足

会話の場面が以前に比べて極端に減ったとは思えない。世間話はするし、時事的な話題の、さほど深掘りしないやりとりは交わされる。しかし、こうした会話が中身のある対話になっているかと言うと、そうではない。会話と対話を厳密に区分しづらいが、一つだけ大きな違いがある。

会話で交わすのは雑談である。雑談に厳密なコードはない。三人の場合、Aが話し、それにBCが頷いて何も言わず、次いで、またAがことばを継ぐのはよくあることだ。一区切りして振り返ったら、場を仕切って喋ったのはほとんどがAで、BCは寡黙。即座に響かず声を発していないので、この類のコミュニケーションは対話と呼べないのである。

先日の病院の待合室でのこと。ぼくが座るソファのすぐ隣りにシニア夫婦。妻が少々ややこしい手続きの話をしている横で夫は目を閉じ、目に見える反応もせずに聞いている。いや、聞いているかどうかもわからない。妻は時折り夫の顔を見、スマホの画面を見せながら手続きの説明をしているが、夫はスマホの画面を見ない。しばらくして、妻は語気強く言った、「ねぇ、聞いてる?」 

打てども響かない夫。響く気がないのか、響く能力がないのか。響く能力とは“response + ability”、一語にすると“responsibility”である。ふつう「責任」と訳される。誰かの問いかけや意見に対して響く能力を発揮するのは責任にほかならない。ぼくに丸聞こえの妻の切り出した話は雑談で片付く内容ではなく、対話でなければならなかったはず。


本来なら直に対話すべき内容をメールで片付けている今日この頃である。メールに目を通すことと、目を通したことを相手に伝えることは違う。メール見ましたと伝えることと、メールの内容に反応して返信することはさらに違う。手紙でも同じことだが、手紙では発信と受信、受信と返信に時間差があるから、良識的にはなるべく返信を急いだものである。

ところが、メールになると、ほぼリアルタイムであるから、送った側は即時読んでもらえるものと思っている。半日が過ぎ、翌日になっても返信が来ない。少々苛立つ場合もあるだろう。実際に会っていたら、相手もこういう無反応であるわけにはいかない。

メールにせよSNSにせよ、発信には熱心だが、受信してもレスポンスを怠る傾向が顕著である。レスポンスしない、しても遅いのは双方向インタラクティブ対話の責任を果たしていない。直接会ってないからこそインタラクティブが重要ではないのか。一対一のインタラクティブが基本になって、それが人間関係や人間交流のネットワークを形成していくのである。

ありえない「みんな」

パンテオン(Pantheon)はギリシア語起源、由来は“pan+theos”。「すべての神々」のことで、転じて万神殿を意味する。建立当時の二千年前はまさに「神様のデパート」の様相を呈していたが、後世になるとキリスト教だけを崇めるようになった。あの神もこの神も祀りたいという気持ちはわかるが、必ずしも現実的ではなかったようである。

すべて、全部、みんな……。理念は結構なのだが、めったに長続きしない。まんべんなく公平は実現したためしがなく、万民のための策を講じているつもりでも、万民と呼ぶ対象がすでに「みんな」ではない。万人向けは誰にとっても喜ばれない場合も少なくない。

「ローマに行くのですが、パンテオンは一度見ておいたらいいですかね?」と聞かれて、「ええ、ぜひ一度。一度は見ておきたいですね。ツアーにも含まれていますし、みんな・・・見学していますよ」と答えた。よく考えて答えたのではない。口走ったというのが正しい。みんなが見学しているという確証あっての助言ではない。それどころか、「みんな見学しています」はいい加減なな証言なのである。


ぼく自身はパンテオンに二度足を運んだ。それでも、「みんな見学しています」と言った時のみんな・・・に自分が含まれていないことを自覚している。他の人たちというほどの意味である。みんなは曖昧語だ。決して「全員」ではない。もっと言えば、みんなを定義することは不可能。文脈に応じてそのつど変わるし、もしかすると、現実にはありえない空語なのかもしれない。

以前、大阪限定の啓発コマーシャルがあった。「ここは駐車禁止です!!」という警察官に対して、主婦が反発する。「なんで私にだけ言うの!? みんな・・・停めてるやないの!」 ここでのみんなとは自分を除く他者のこと。極端に言えば、他者は一人でもかまわない。みんなはall(すべて)ではなく、someone else(他の誰か)のことだ。

結党当時は勢いのあった「みんなの党」。みんなという命名に無理があった。みんなは一握りの人たちのことで、党首からすれば仲間というほどの意味だった。そして、みんなは崩壊した。良識的に考えればわかることだ。国家や企業や党がみんなのことを考えているはずがないのである。