語句の断章(33)大衆

オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』のような難しい話は書けない。いや、できない。いつも通り、語句を断章的に綴るのみ。

大衆とは集団である。英語でも“mass”とか“public”と言うから、大多数から成る一つのまとまりだ。多くの人々で構成されるそのまとまりは権力や財力や特権を持たない。つまり、大衆は知識人やエリートや貴族ではない。どちらかと言えば、労働者的である。

食堂という普通のことばを大衆食堂と言い換えるだけでチープ感が滲み出る。「メシ屋」のイメージが強くなる。大衆食堂の単品メニューはカレーライス、オムライス、ラーメン、うどん、そば、チャーハン、丼である。定食は焼き魚、煮魚、トンカツ、鶏のから揚げ、野菜炒めなどの主菜に、ご飯、小皿一品、味噌汁、お漬物が付く。ご飯は大中小から選べる。

文学に大衆をかぶせてみよう。大衆文学はいきなり純文学との違いを主張する。純と違うなら不純なのだろうと勘違いされる。純喫茶でない社交場がかつて特殊喫茶と呼ばれたように、大衆小説も特殊な場面や関係が描かれることが少なくない。いやいや、それは偏見だ。できるかぎり幅広い読者層に楽しんでもらうのが大衆小説の売りだった。

ともあれ、以上書いてきたことはすでに過去の話である。今となっては大衆を見つけるのは難しい。人々が個性的で十人十色になったと言い切る自信はないが、高度成長時代までの十人一色という趣とはまったく違う。大衆は分衆化したのである。そして、分衆は「小衆」の様相を呈し始めている。

カタチを小衆に変えた現代の大衆は「ステキ」と「うざったい」の対象を変えた。彼らにとって知識人やエリートや貴族はうざったいのである。ネットはステキだが、新聞はうざいのである。思いつきはステキだが、理性はうざいのである。その昔、大衆の一員だった者が今の大衆についていけなくなり、うざい存在になりつつある。

切り取りと切り捨て

人は日々「もの/こと」を切り取って生きている。もの/ことという対象を五感を通じてとらえている(これを切り取りとか抽象という)。その時、知ってか知らずか、他の何か、別の何かを排除している(これを切り捨てとか捨象という)。

たとえば、景色を写真に撮る。構図内のある部分を強調してテーマにしたり、気に入っている箇所を切り取って残す。その時、不要な部分が捨てられる。トリミングとは切り取りと切り捨て――または抽象と捨象――を同時におこなうことだ。

ニュースのハイライト、コーヒーの抽出、広告のキャッチコピー、雑誌の特集、合格発表……これらすべてが、何かを切り取ったり抜き出したり選んだりしている。同時に、それ以外のものは切り捨てられたり、来るべきいつかのために保留されたりしている。


パリに北駅がある。パリ市内の北部に位置するので、当初はロケーションに由来する駅名だと思った。しかし、そうではなかった。駅名を付けるにあたってロケーションは本質的ではなかった。重視して抜き出されたのは、そこから向かう方面という要素だった。つまり、列車がパリの北、ベルギー方面に向かうから北駅なのである。特急タリスに乗車してブリュッセルへ向かった時、パリ北駅の意味が「パリの北方面に向かう出発駅」だとわかった

パリから南東へ470キロメートルの位置にフランス第2の都市リヨンがある。しかし、リヨン駅があるのはパリだ。リヨンという地名がパリ市内にあるのではない。北駅と同じで、リヨン駅からはリヨン方面の列車が出るのである。リヨン駅とは「リヨン行きの駅」という意味なのだ。パリを出てリヨン市内に入るとリヨン・ペラーシュ駅という主要駅に着く。リヨンにリヨン駅はない。

土地の名称にちなむ駅名を付けるのが当たり前ではないか。しかし、「どこどこの駅」を捨てて、「どこどこ行きの駅」のほうを切り取っているのである。これは、新大阪に「東京駅」と名付け、今の東京駅とダブると都合が悪いので、本家のほうを「東京終着駅」に呼び替えるようなものである。

写真にしても文章にしても、あるいは考えやその他諸々の都合も、意識的または無意識的に何かを切り取り、そして同時に意識的または無意識的に他の何かを切り捨てる。発想の違いはこうして生まれるのだろう。そして自分の都合が、時として誰かの不都合になるということに、ぼくたちはほとんど気づいていない。

挿し木してみたくなる症候群

みるみるうちに、さっきまで命ある樹々の枝葉だったのが次から次へと地面に落ち、ゴミと化していく……時々出くわす街角の光景だ。公園事務所の職員(または下請け業者)はてきぱき剪定し、ばっさばっさと伐採し、時にはぐいっと抜根する。迷いも未練もすっぱり断ち切る。当然だ。いちいち感情移入していたら仕事にならない。

室内で植物を育て観葉しているぼくのような者にとっては、剪定は恐る恐る身構えるような作業になる。先月もらったサクラの枝の切り花がピークを過ぎ、そろそろお別れする時になった。緑色が残っていて新しい芽がついている小枝を数本、15センチほどの長さに切って、切り口に発根促進剤を塗って水に漬けた。半月経っても根が出る気配はなく、枝も変色し始めた。うまくいかなかった。

元気がない別の植物も同じように処理して水耕している。ダメもと覚悟の上だが、うまく命をつなげればと思う。こんなことをここ数年続けているうちに、まずますの確率でうまく発根することを知った。土に植え替えて面倒を見れば上々に育つものがある。こうして、蘇生やリレーのための挿し木が剪定時の習わしになった。


観葉植物は春先から夏の暖かい時期に剪定する。切った枝葉のうち良さそうなものを選んで、水に浸したり土に差し込んで発根を期待する。一般的に、観葉植物を挿し木する時、最初は水耕で育てるほうが根が出やすい。ところで、なぜこんな作業をしているのかと言えば、元の植物と同じものを増やすためである。

放置しておくと、鉢植えの観葉植物は根詰まりするし栄養状態も悪くなる。だから毎年剪定し、数年に一度は新しい土に植え替えてやる必要がある。剪定した枝葉をうまく人工的に培養すれば、クローンのように増殖してくれる。しかし、増やして誰かに譲るわけではない。鉢の数が増えると世話する手間も増える。週一回の水やりに半時間もかかる。にもかかわらず、なぜそこまでして増やすのか。

剪定した茎や枝をゴミ箱に捨てる際に芽生える罪の意識だ。せめて一本か二本を挿し木にすることで償っている。間違いなく最初の頃はそうだった。しかし今では、罪の意識や償いではなく、発根達成感を求めているような気がする。モンステラなどはこんなふうに挿し木していって、子孫兄弟の鉢を五つも六つも増やした。今年も剪定と挿し木の季節がやってきた。ゴールデンウィークの頃から忙しくなる。

四百字のアフォリズム

帯に「この一冊 余白はあなたのために! 現代日本のすぐれた知性がそれぞれ400字の中に圧縮されています」と書いてある。書名は『街頭の断想』(共同通信社発行、1983年)。表紙にはAPHORISM(アフォリズム)の文字がデザインされている。

錚々たる56人×400文字である。「アフォリズム=80年代へ・街頭の断想パンセ」というタイトルのもとに19809月から19834月まで綴られた。まず12名分が地下鉄千代田線「明治神宮前駅」のプラットフォームに掲示された。次いで、残りの著者分が新宿センタービル地下1階「水の広場」の4本の柱に順次掲示されていった。ちょっと考えにくい公開方法だ。

巻頭で本書への思いを書いた中村雄二郎は、56人の400文字の文章が〈アフォリズム〉だと言う。しかし、普段訳される「警句」や「箴言」というもったいぶった表現から受ける印象ではなく、「簡潔な圧縮された形で表現された人生・社会・文化などに関する見解」という広くて深い意味を感じさせる定義である(と、中村雄二郎はアフォリズムを捉えている)。

ここで引く一例選びに悩んだ末、作曲家、武満徹の400字アフォリズムを選ぶことにした。難解だが、じっくり文章を追ううちに刺すように響いてきたからである。「電話」と題された一文。

 窓を開ける。陽光ひかりが溢れる。変哲もない一日が始まる。この区切りもない棒状の文脈に、不意に電話のベルが不規則な律動リズムを付け加える。黒いビニール・コードで被覆されたラインの覚束なげな接触を通して齎らされるものは、確かな死の告知である。
 陽光ひかりで満たされた部屋に、真空の亀裂が太陽の黒点のように存在しはじめる。
 だが、生に韻律をあたえるのは、実はこのような、不意の電話であるのだ。
 静寂が支配する部屋に、感覚では把え難い超越的な意識の海が、光の飛沫となって充溢するのを感じる。
 この世界に、この部屋に、死によって明瞭に縁どられた生の形容かたちである私は、電話の声に耳を傾ける。


ツイッターの140文字以内では「線状の思い」を書くのは難しいと考えて、ブログで平均1,000文字を費やしていろいろと書いてきた。しかし、線はある程度表現できても、断線あり脱線ありで、未だにベストの文字数を割り出しあぐねている。本書は刺激になった。メッセージと表現の凝縮、ひいては意図された自在なアフォリズムの語りかけが、懐かしい「四百字詰原稿用紙」の響きを新たにしてくれた。おそらく400字は子どもの頃から刷り込まれてきた基本形なのだ。

抜き書き録〈2022/04号〉

木にもあらず草にもあらぬ竹のよのはしにわが身はなりぬべらなり
(『古今和歌集 』詠み人知らず)

「木でもないし、草でもない竹。わが身は、その節と節の間の中身のない端切れのようになってしまった」という意。空洞にもいいところがあるから、そこまで嘆かなくてもいいのに。それにしても、素材としての竹の力強さと柔軟さが生み出す造形美は他に類を見ない。その竹を木や草と呼ぶことにはたしかに抵抗がある。林に残ったままでも、切り出されて細工を施されても、竹は竹だ。

舌はキエフまでも連れて行く。
(『世界の故事名言ことわざ』)

ロシア正教の総本山だったキエフはよく知られていた。そこを目指す者は、道を知らずとも、出合う人に訊ねながら行けば無事に着けたのである。「舌」はことばや会話の比喩。某侵略軍がキエフに行けなかったのは不幸中の幸い。

徐々に空間を埋めていく快感は誰しも少なからず体験していることだろう。コレクションなども、すべて集め尽くさないと気が済まなくなる。一種の隙間恐怖症だ。
(松田行正『眼の冒険――デザインの道具箱』)

ジグゾーパズル熱もコンプリート願望も隙間恐怖症である。そう言えば、本棚が一段空いていたりするとぼくは落ち着かなくなり、古本を買ってきては並べる。オフィスの観葉植物も、置き場所を埋めていくうちに50鉢になった。そうか、病気だったのか。

唯一の証拠は、自分の骨身に沁み込んだ直感的な無言の異議申し立て、つまりは、今の生活状況の耐えがたいものであり、前はそうではなかったに違いないという本能的な感覚より他にない。
(ジョージ・オーウェル『一九八四年』)

「フェイクだ、信用できない」と他人がほざこうとも、自分自身が――自分の肉体が――何もかも知っているのだ。ぼく自身とぼく自身の差異の感覚が、ぼくが信じてやまない証拠である。

「汝がうちに汝の心あり、また汝がまわりにかくも多くの星と花と鳥あるとき、何のゆえの書物ぞや」というアシジの聖者の言葉が時として美しく思われる(……)
桑原武夫「書物について」; 日本の名随筆『古書』より)

アシジを訪れたことがある。20013月のこと。この地で13世紀にカトリック教会を開いた修道士、聖フランチェスコへのオマージュだった。本や読書の前に、自分を見よ、自分を取り巻く自然に気づこう……このイタリアの守護聖人がそう告げている。漫然と本を読んでいる場合ではないと思うことが、時々ある。

語句の断章(32)観察

使用頻度の高い語句には認識の油断が生じる。「観察」もそんな語句だ。観察ということばを使う時、「○○を観察する」というふうに注意は対象に向く。しかし、観察者自身のこと、たとえば観察者の立ち位置などには注意が向かず、また意識も薄い。

『新明解国語辞典』によれば、観察とは「そのものがどうなるか、どういう状態であるかありのままの姿を、注意して見ること」。「ありのまま」とは何だろう? 念のために「ありのまま」の項を見ると、「何の粉飾もせず、実情のままであること」と書いてある。今度は「実情のまま」がよくわからない。

新明解は「観察眼」も取り上げていて、「うっかり見のがすようなところをも、見落とすことなく正しく見る力」と説明している。この「正しく見る」がまた、悩ましい。

ありのまま、実情のまま、正しく見る……こう言い放つのは簡単だが、いま目の前にあるコーヒーカップをどう観察すればありのままに見たことになるのか。あるいは、このコーヒーの味をどう感じた時に本来の味として正しく飲めたことになるのか。

「テーブルの上に3個のリンゴがある」と言えば、実情のまま観察しているかのように思える。しかし、それは数字の「3個」についての正しさであって、テーブルやリンゴについてはありのまま、実情のまま、正しく見ているという保証はない。現実と観察の間には誤差があるのだ。誤差とは個人差であり、個性の違いにほかならない。ゆえに、対象は観察者によって変わる。

対象を観察したデータは、観察時の視線の角度や光によって変化する。何よりも観察者自身の存在がデータを変えてしまう。観察環境がつねに一定などということはありえない。

ところで、桜の標本木を決め、つぼみの状態を毎日観察して開花を宣言をする習わしがある。気象や植物の科学に基づいているとは言いいがたい。標本とされた桜は任意に選ばれたのであり、観察者がチェックして「桜が咲いた」と解釈し「開花しました」と表現しているにすぎない。開花の観察と宣言とは、科学的と言うよりも文学的と言うべきではないか。

創作小劇場『四月馬鹿』

 四月一日。わたしは陽気に誘われて散歩に出掛けた。足の向くまま歩いているうちに公園に来た。初めての公園だ。ベンチに腰掛けて子どもたちの遊ぶ様子を眺める。少し離れた所に一人でいる小さな男の子を見つけた。そわそわしていて、一見困っているようだった。ゆっくりと男の子の方へ向かった。

 「どうかしたのかい? おじさんに言ってごらん」
 男の子は半泣きになっていた。
 「おうちのカギをなくしちゃった。ポケットに入ってたカギ」
 「それは大変だ。おじさんが一緒に探してあげよう」

 その瞬間だった。背後に大勢の人の気配を感じて振り向いた。大人たち、若者たち、子どもたち十数人が立っている。少し異様な雰囲気だった。わたしは慌てることなく言った。
 「いったい何だね、あなたたち?」
 リーダー格の大人の一人がわたしとカギをなくした男の子の間に割って入った。
 「さっき『おじさん』と二度おっしゃいましたね?」
 「おじさんと二度? どういうことかな?」
 「『おじさんに言ってごらん』と言い、続けて『おじさんが一緒に探してあげよう』と告げられた」
 カギをなくした小さな男の子は、いつの間にか大勢側に立っていた。何かが変だとわたしは気づいた。
 
 「おじさんと二度言ったことがどうかしましたか?」と訊ねた。
 「誰が見てもあなたはおじいさん・・・・・ですよね。おじいさんなのに自分のことを『おじさん』と呼ぶのは詐称じゃないでしょうか?」
 「詐称とはちょっとひどいな。学歴や名前じゃあるまいし」とわたしは首を傾げた。
 「いえ、それが問題なのですよ。ぼくたちは子どもたちに嘘をついてはいけないとしつけていますから」
 「嘘? それもひどいな」
 「何か正当な理由がおありなら、聞かせていただきます」とリーダー格が言うので、わたしは思うところを語り始めた。

あなたたちからすれば、たしかにわたしは老人に見えるかもしれないし、もしそうならば「おじいさん」なのでしょう。けれどもね、わたしはそこにいる小さな男の子とは初対面ですよ。初対面なのに「おじいさん」と言うと、男の子の祖父みたいな関係になりはしませんか? だから、あの声掛けの場面では、身内じゃない他人、特に小さなお子さんには「おじさん」のほうがいいのじゃないでしょうか?

 「あの場面で、そんなことまで考えて、おじいさんではなく、おじさんと言ったというわけですか?」 リーダー格は軽くため息をついた。
 「そこまで考えたのかと言われれば、うーむ、考えていなかったかもしれない。しかし、『どうかしたのかい? おじいさん・・・・・に言ってごらん』とはわたしには言えない。理由はわからないけれど、わたしにはしっくりこないのですよ」
 「ところで、大変失礼ですが、お名前とお歳を聞かせてもらっていいですか?」とリーダー格が言った。
 「特に名前はないのです。一応『カミ』と呼ばれています。年齢は……ちょっと数えられないです」
 「カミ? 神様のカミ、ですか?」
 「ええ」
 「で、年齢もお分かりにならない?」
 「長く生きてますから」
 「ご冗談を」とリーダー格が言って右腕を挙げて指を鳴らした。取り巻きの全員が笑顔になりクスクスと声を漏らした。
 みんなが一斉に叫んだ、「エイプリルフール!」

 わたしは呆気にとられた。わたしのその表情を見てリーダー格が笑みを浮かべて、「神様、ごめんなさい」と頭を下げた。そして、「ところで、あなたもエイプリルフールごっこですか?」と訊ねた。
 「さっきも言いましたが、わたしは神です。年齢は不詳です」とわたしは言った。そして、「実は、さっき『おじさん』と言ったのは、『神に言ってごらん』と言っても信じてもらえないからです」と、別に言わなくてもいいことまで静かに伝えた。
 みんながまたクスクスと笑い、リーダー格が「はいはい、わかりましたよ。神様」と言って深々と一礼した。

 集団がほどけて、一人減り二人減りして、やがて誰もいなくなり、静寂の公園でわたしは一人取り残された。
 そうか、今日は四月馬鹿だったのか……長く人間界にいるが、見知らぬ人たちにかつがれて小馬鹿にされたのは初めてだ。それにしても、手が込んでいたなあ。わたしが住んでいた神の世界には四月馬鹿という風習がないから、これは希少な体験かもしれない。

 その日の夜、久しぶりに神の世界に帰省した。かなり世代交代していて、見知らぬ若い神々もいた。ありがたいことに小さな宴で温かく迎えてくれた。「人間界でちょっと愉快な体験をしたんだよ」と言って、わたしは話し始めた。熱心に耳を傾けてくれた。話が終わると、みんながにやりと笑った。神の一人が言った、「おじいさん、それ、エイプリルフールでしょ?」

〈完〉