自然の摂理に思うこと

世の中の事件や動きに同期して書くことはあまりないけれども、今回ばかりは無言で居続けるわけにはいかない。

311日午後246分、大阪のオフィス。座っている椅子が誰かにゆっくりと揺さぶられるように動いた。次いでビルそのものが横に揺れ始めた。立ち上がって別室へ行く。立っているだけで、脳が眩暈めまいの症状を訴え始めている。大阪にいても感じるその後の余震は数回。ぼくは少々の揺れにも過敏な体質なので、日曜日の今も目の奥が重く、船酔いしたような感覚が残っている。

しばらくしてからテレビをつけると、大津波が大小の船をまるでプラモデルを扱うように岸壁に放り上げていた。怒涛の海水が街を襲っている。その凄まじさをしのぐような猛スピードで今度は水が引いていく。おぞましい、戦慄すべき光景。偶然だが、『方丈記』を再読しようと思って一週間前にダンボールから出したところだった。

行く川の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず。淀みに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。

この有名な出だしから数段後に次の文章が現れる。

おびただしき大地震おおないふること侍りき。そのさま世の常ならず。山崩れて、川をうずみ、海はかたぶきて、陸地くがちをひたせり。土さけて、水湧き出で、いはお割れて、谷にまろび入る。渚こぐ船は、浪にたゞよひ、道行く馬は、足の立處をまどはす。都のほとりには、在々所々ざいざいしょしょ、堂舍塔廟たふべう、一つとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。ちり灰立ち上りて、盛んなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、いかづちに異ならず。家の中に居れば、忽ちにひしげんとなす。走り出づれば、地割れ裂く。翼なければ空をも飛ぶべからず。龍ならばや雲にも登らむ。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震ないなりけりとこそ覺え侍りしか。

元暦の大地震(1185年)の様子である。山紫水明の四季折々の風情に旬の食材の恵みと、ぼくたちはこの風土に育まれてきた。同時に、この国土特有の自然の振る舞い――人から見れば災害――を、いつの時代も覚悟せねばならない。八百年前の鴨長明の文体は古めかしいが、描写された自然の猛威は今もまったく同じである。


11日に帰宅すると自宅の電話に留守電が入っていた。安否を気遣うアメリカからの声だった。彼らにすれば、カリフォルニア州と同じ面積の日本だから、東北地方と大阪の距離感などあまりない。実際、その通りで、この国の地震を都道府県別に色分けしている場合ではない。すべての災害は自分の災害と認識すべきだ。一つの自治体や行政機関がまるごと壊滅する現実を突きつけられたかぎり、市町村主体の災害対策を再考せねばならない。

昨晩からずっと考えている。誰かが言った、「この世に神も仏もいないのか!?」 どうやらいないようだ。醒めた口調で言っているのではない。鹿児島に向かった一月末のあの日、直前に噴火した新燃岳の巨大な噴煙の真横を飛行機で飛んだ。あのとき、46億年前に誕生した地球の中でマグマがまだ燃え続けているエネルギーをあらためて思い知った。神仏さえも抗えない自然の力。

この世界に存在するもの・存在関係があるものは、自然、自然と生命、人間どうしの三つなのだろう。そして、忘れてならないのは、人間がこの世界を支配などしていないという真理である。人間は自然の摂理に従って生きる諸々の生命体の一つにすぎない。そして、自然はほとんどの場合、人間にありとあらゆるものを与えてよく面倒を見てくれるのである。しかし、摂理の一つとして「自然は振る舞う」。振る舞いは天罰でもなければ、人を裁くものでもない。ただ摂理である。自然のルールの中では、人間どうしが知恵を出し合って生きていくほかない。

一面だけでなく、新聞のほぼ全紙面には凝視するのがつらい大きな見出しが並ぶ。テレビの災害報道もしばらく続くだろう。知人はみな無事だったが、それとは別に、さっき耳にした万人単位の行方不明の報道に気も力も抜けてしまった。それでもなお、アメリカの新聞が見出しに書いた“sturdy”の一語に救われ励まされる。厳しい自然の振る舞いをも受容してきたぼくたちを「不屈」と形容しているのである。

幸せに形はあるか、ないか(3/3)

幸せを人に見せることはできないと書いた。幸福は見えたり見えなかったりするものではないとも書いた。つまり、「幸福に形などない」と大胆に宣言したのである。誕生日のプレゼントも豪邸もデートも幸せの形ではない。少なくとも、プレゼントや豪邸やデートの属性として幸福は存在しない。幸せを感じる時が幸せで、幸せを感じない時は幸せではない。幸せは、それを感じる時間そのものであると考える。

ところが、不幸に形はある。不幸は現象として目に飛び込んでくる。不完全な幸福をぼくたちは見てしまう。理想と現実もそうだ。アタマに思い描く理想は形として見えないが、現実は形として見えてしまう。理想にほど遠い現実を見てがっかりしたりもする。秩序と混沌、完全と不完全も同じような関係にある。秩序と完全は見えず、混沌と不完全ばかりが見える。プラトン流に言えば、〈イデアとしての点〉は位置を示すだけで目には見えない。しかし、実際にぼくたちが紙の上に書く点は面積のある、偽物の点なのだ。

すべての不幸は幸福を対抗概念としている。幸福という形を掲げるから、その形と異なる形を不幸と考えてしまうのだろう。冷静に考えれば、幸福に形を求めなければ、不幸にも形はないはずなのだ。百点満点をアタマに描くから70点が不完全になってしまう。幸福をそのような尺度という形でとらえなければ、不幸も形になどなりえない。


学習に関してぼくは安易な促成を嫌う。迂回することも覚悟して極力時間をかけるべきだと思う。しかし、こと幸福に関しては、そんな遠回りの必要などさらさらない。不幸や混沌や不完全の内にあっても、幸せを感じるようにすればいいのである。「どうすれば幸せになれますか?」と聞かれれば、「今すぐ幸せを感じなさい」と躊躇なく答える。

誰かの本に載っていた話。うろ覚えなのでいくぶん脚色することになるが、趣旨だけは間違わないように紹介しよう。

ある日本人の商社マンが南太平洋かどこかの島に駐在させられた。高度成長時代の日本の商社は、どんなものでも商材やビジネスチャンスになりそうなら、極端に言えば、草木も生えない場所に社員を派遣したものである。社命に忠誠を誓い、休みもなく朝から晩まで、島じゅうを駆け巡る商社マン。島民たちは浜辺に寝そべって、そのハードワークぶりを呆れるように毎日眺めていた。

ある日、島民の一人が商社マンに尋ねた。「なぜそんなに働くのか?」「業績を上げるためだ」「何のために?」「給料が上がるからだ」「それでどうなる?」「暮らしが豊かになる」「それで?」「別荘の一つも建てて、のんびり優雅に暮らせるようになる」「たとえば、どこで?」「ええっと、たとえば、そう、この島で」「あんたね、おれたちはろくに働きもしないが、すでにそうして暮らしているぜ」

他人との比較や客観的尺度や形などというものに影響されなければ、誰もが今すぐに幸せになれる。幸せに形などない。幸せを感じる時間を持つことが、どんな名誉や財力にも勝るのである。

《完》

幸せに形はあるか、ないか(2/3)

幸福について、一昨日書いた文章ではカミュ、ジイド、アリストテレスの相互参照ができた。こんなふうに記憶を辿ってリファレンスを見つけると愉快な気分になる。書いたり話したりする醍醐味の一つである。そして、いつだって愉快なことは幸せなことなのだ。その幸せを「ほら、これが幸せだよ」と言って人に見せることはできないし、手に取って確かめることもできない。

幸福というのはつくづく不思議な概念である。世界のどこかにオアシスやパラダイスのような具体的な形として存在しているものではない。自分の外を追い求めても幸せが見つかる保証はない。チルチルミチルの青い鳥を持ち出すまでもなく、幸福――または幸福の象徴――が自分の手の届くところにあったりすることをぼくたちは知っているはず。いや、あるとかないとか、見えたり見えなかったりするのではなく、幸福とは感じるものにほかならない。ただ感じるのみ。幸福の真のありかは、おそらく感じることの内にしかない。

幸福論から敢えて少し脱線することにする。次の文を読んでほしい。

Aを達成するために、Bを講じる」

この文章が妥当ならば、対偶の関係にある「Bを講じないなら、Aを達成できない」も妥当である。簡略的に言えば、「Bがなければ、Aはない」ということ。Bが原因(手段)でAが結果(目的)という構造であり、BAに先立って「行動手順的に重要」であることを示唆している。しかし、見落としてはいけないのは、Aという目的を定めなければBに出る幕などないという点。つまり、「構築手順的に重要」なのはAのほうなのである。戦略や政策の構想につきまとう悩ましい問題だ。


上記の「Aを達成するために、Bを講じる」の具体的な例として、くどいが、もう一文。

「知を広げるために、本を読む」

「知を広げるという目的のために、本を読むという手段を講じる」のだが、すでに明らかなように、これは「本を読まなければ、知を広げられない」をも意味する。ここであることに気づく。ぼくたちが目的と呼んでいるものは、ある手段によって獲得する価値でもあるということだ。知を広げるという目的は、本を読むことによって得られるメリットでもある。

では、「本を読むために、知を広げる」は成り立つか。たいていの人にとって成り立ちそうにない。なぜなら、行動手順的には《本を読む→知を広げる》が正しく、また、読書というものは何かそれよりも大きな目的のための手段にすぎないと、多くの人が考えているからである。けれども、「本を読むために、お金と時間をつくる」なら承認するだろう。この時、本を読むは目的であり、お金と時間によって得られる価値になっている。

話を幸福に戻してみる。お金と時間をつくる、本を読む、知を広げる……これらは何のためなのか。「人生や人間関係を豊かにするため」と答えた瞬間、大きな目的を語ったことになる。大きな目的は大きな価値である。さっきメリットとも言った。でも、価値とかメリットというのは、やっぱりその先に何かが想定されている。それが幸せなのだろう。そして、おそらくすべての営みは幸福につながろうとしている。幸福は価値でもメリットでもなく、その向こうに何もない。すべては幸福止まり。もしそうであるならば、いつでも幸せだと感じればいいだけの話である。 

《続く》

幸せに形はあるか、ないか(1/3)

アルベール・カミュの『異邦人』を読んでから40年近く経った。再読していないのでほとんど内容を覚えていない。但し、読むに至った経緯ははっきりと覚えている。

今でこそフランス語は少し読めるが、学生時代は第二外国語のフランス語をろくに勉強しなかった。単位を落とすことがほぼ確定的になったある日、担当教授から直々に自宅に電話があった。「日本語でいいから、カミュの『異邦人』を読んでレポートを書きなさい。そうすれば……」という、温情的なオファーであった。促されるまま『異邦人』を読んだ。

しかし、結局レポートを提出することはなかった。当然ながら単位は取れなかった。正確に言うと、単位を取る気がなかった。できもしないのに、合格認定してもらう厚かましさを持ち合わせていなかったのである。とは言え、潔さに胸を張った分、単位のツケは先送り。同時に、それ以来、まんざらでもなかったカミュとの縁も切れてしまった。『シーシュポスの神話』は読んだが、他の作品ときたら少し読んでは途中でやめる癖がつき、やがてついに手に取ることすらなくなった。

ところが、縁というものは再び巡ってくるものである。オフィスの本棚を眺めていたら、かつて勤めていたスタッフが置いていった本の中にカミュの『直観』があった。何十年ぶりかで手に取るカミュだ。ページをめくれば、「ぼくは、他になりたいものが何もなかったかのように、ひたすら幸福になることをねがった」という文章に出合う。アンドレ・ジイドからの引用である。そのジイドの、青春時代に読んだ『狭き門』では、幸せと聖なるものが葛藤する場面があったのを覚えている。


ちょうどその頃、アリストテレスの幸福論について考えていた。と言うのも、知人の「幸せは……のためである」という、手段としての幸福の位置づけに大いに疑問を抱いたからである。魂が幸福以上に聖なるものを求めるというのならまだしも、幸福が名誉や快楽や知性などの手段になるはずがないではないか。何でもアリストテレスにたのむのも考えものだが、『ニコマコス倫理学』には次のように記されている。

「われわれが幸福を望むのは常に幸福それ自身のゆえであって決してそれ以外のもののゆえではなく、(……)」

「(……)幸福こそは究極的・自足的な或るものであり、われわれの行なうところのあらゆることがらの目的であると見られる。」

「何のために仕事をしているのか?」「収入を得るためです」「何のために収入を得ているのか?」「家族を支え生活を営むためです」「何のために家族を支え生活を営んでいるのか?」「幸せになるためです」「何のために幸せになるのか?」「……」

「何のため」という目的探しの問いはエンドレスに続きそうだ。うん? はたしてほんとうに続くのか!? ちょっと待てよ、「……」は無言の苦悶の様子ではないか。そこまで順調に答えてきても、誰もが「幸せの向こう側」にあるものを訊かれて、ことばを失う。これがアリストテレスの言わんとすることである。幸福が別の何かの手段になることなどない。幸福の向こう側に目的などない。つまり、「何のための幸福か?」という問いはなく、問いがなければ、当然答えもない。 

《続く》

問題とモンダイモドキ

問題を解決すればすっきりする。苦労した末の解決なら爽快感もいっそう格別である。では、問題解決という満足を得るための第一歩――あるいは、欠かせない前提――が何だかわかるだろうか。

答えはとても簡単である。問題を解決するための第一歩、あるいは必要な前提は、問題が存在することだ。発生するのもよし、抱えるのもよし。いずれにしても、問題がなければ解きようがない。つまり、問題に直面したことがない人は問題を解いたことがないのである。また、問題解決能力のある人は、問題によく出くわすか問題が発生する環境にいるか、よく問題を投げかけられるか任されるかに違いない。断っておくが、詭弁を弄しているのではない。変なたとえになるが、自分の風邪を治すためには、風邪を引いていることが絶対条件と言っているのである。

問題とは困り事であり難しいものでなければならない。さもなければ、困りもせず難しくもなければ、解決などしなくて放置しておけばいいからだ。緊急であり、放っておくと事態が深刻化しそうで、しかも抱えていると非常に困る――問題はこのような要件を備えなければならない。問題解決も容易ではないが、問題を抱えるのもさほど簡単ではないことがわかるだろう。


本格的で真性の問題など、そこらに転がってなどいない。ぼくたちが「問題だ、問題だ」と称している現象のほとんどは、そのまま放置しておいてもまったく困ることもない「モンダイモドキ」にほかならない。モンダイモドキを問題と錯覚して右往左往している人を見て、内心、次のようにつぶやいている。

「きみ、そんなもの問題になりそこねた単なる現象なのだよ。問題に値しない、可も不可もない現象。きみは問題と言いながら、ちっとも困ってなどいないじゃないか。ただの現象を問題に格上げするきみの見誤りに気づいたぼくにとっては、きみ自身が問題ではあるけれどね……」

本物の人間などという言い回しがあるように、本物の問題というのがある。器が大きくて威風堂々とした問題、どっしりとして根深い問題、人を魅了し、かつ困惑させてやまない問題……「速やかに鮮やかに巧みにスパッと斬ってくれないと、大変なことになるぞ!」と挑発してくる問題。こんな「出来のいい問題」に遭遇できているだろうか。自称「問題で困っている人たち」をよく見ていると、みんなモンダイモドキに化かされてしまっている。付き合う甲斐もない似非問題に惑わされている。

さあ、しこたま抱えてきたモンダイモドキをさっさと追い払おう。一見絶望させられそうな難問を抱えたり呼び込んだりできることは一つの能力なのである。そして、難問こそが、「解決」というもう一つの能力を練磨してくれる。強い相手を見つけて練習する。これはスポーツ上達と同じ理屈だ。いや、練達や円熟への道はそれ以外にありそうにない。

「偽りを語るなかれ」

もう二年半前になるが、本ブログで嘘について集中的に書いたことがある。ギャグのようなもう少し嘘の話嘘つき考アゲイン性懲りもなく「嘘」の、堂々(?)たる四部作。久しぶりにさっき読み直してみた。自画自賛とのそしりを覚悟して言う、結構おもしろかった。

人は嘘をつく。但し、嘘をつくという理由だけで、やみくもに「嘘つき」呼ばわりできない。嘘つきとは「常習の確信犯」のことである。困った挙句に時々小さな嘘をつくぼくやあなたは彼らの同類ではない。嘘も方便という常套句の力を借りれば、「お似合いですよ」などは愛想混じりの嘘だから許容範囲だろう。但し、可愛げのある嘘も正当化し続けていると、可愛げがなくなるから要注意だ。

それにしても、人はなぜ嘘をつくのか。詐欺師は騙すことによって利を得ようとする。ぼくたちの場合は、だいたい都合が悪くなって嘘をつく。都合が悪い理由のそのさらなる理由は千差万別だろう。今の時期、嘘と言えば「八百長事件」を連想してしまうが、それはまた別の機会に取り上げよう。今日のところは、見栄や執着心と嘘との関係である。タイトルの「偽りを語るなかれ」は6世紀中国の学者、顔之推がんしすいの言とされる。


不可抗力によっても強いられる有言不実行とは違って、虚言は多分に意図的である。期限や約束破りは結果として偽ったことになる。愚かしいことに、その偽りをカモフラージュするために嘘を上塗りする。考えてみれば、都合を良くしようとする点では利を得ようとする詐欺師とあまり変わらないのだ。孫引き参照になるが、中村元の『東洋のこころ』に次のような引用がある。

「真実であるようだが、虚偽であることばを語る人がいる。そういう人はそれゆえに罪に触れる。いわんや嘘を語る人はなおさらである。」
(『ダサヴェーサーリア』75

「この世で迷妄に襲われ、僅かの物を貪って、事実でないことを語る人、――かれをいやしい人であると知れ。」
(『スッタニパータ』131

さて、嘘には〈偽薬効果プラシーボ〉があると思う。嘘も方便を足場にして毎日おだてているうちに、下手が上手になったり弱者が強者に変わったりすることもある。逆に言えば、まことの人が何かの拍子で舌に嘘を語らせ、悪しき口業くごうを繰り返すようになるうちに、「虚人」に成り果てることだってありうるだろう。

人はなぜ嘘をつくのか。先の書物で中村元は言う、「それは何ものかを貪ろうとする執著しゅうじゃくがあるからです」。執著、すなわち「こだわりの心」。何にこだわるのか。見栄にこだわり、やがて見栄が転じて虚栄となる。不完全な人間のことだ、非を認めずに我を通そうとすれば、嘘の一つもつかねば辻褄が合わなくなるだろう。嘘をつかない処方は簡単だ。我を引っ込めて非を認めればいいのである。

類似性への気づき

論理思考の研修経験は豊富であるものの、何もかも承知しているわけではない。ある程度詳しい分野もあるが、きっちりと誰かに説明する段になると話は別である。他者に説明できないのは十分にわかっていないからなのだと自覚している。だいたい論理学で扱われる、〈演繹〉や〈帰納〉などの用語につきもののペダンティック臭が気になる。と書いて、この「ペダンティック」などということばがその最たるものだと気づく。これは衒学的という意味。やれやれ、日本語で説明してもやっぱり鼻につく。「オレは知識があるぞと、ひけらかすこと」である。

未だによくわかっていると胸を張れないのが、最重要語である〈論理)、そしてその形容詞である〈論理的ロジカル〉の意味である。論理学で扱う論理という用語になじむ前に、「あの人(またはあの人の話)は論理的ではない」というように日常的な使い方を身につけてしまっている。ここから、論理が「筋の通っていること」、ひいては話の中身にまで立ち入って「矛盾していない、理路整然としている、明快である、わかりやすい」などと理解する癖が身についてしまっている。これはこれで必ずしも都合が悪いわけではないが、論理学では論理という用語をもっと素っ気なくとらえてしまう傾向がある。

ついこの間も、〈推論〉と〈類推〉の違いについて聞かれた。専門用語辞典のほうが精度が高いのはわかっているが、この質問を誰かにしなければならない人が辞典を読んで細密な定義の相違を理解できるはずがないのである。論理学者が耳にしたら怒るかもしれないけれども、手ほどきというものはおおむね大づかみなものなのだ。「推論は一つまたは複数の前提から結論を導くこと。類推は、この前提のうちに別の確証性の高い何かとの類似を見い出して結論を導くこと」と説明した。

そして、「論理というのは、中身のことではなく、推論の型のこと。前提を認めたら結論を認めざるをえないような型ならば論理的と言える」と一言付け加えた。これが余計なお世話で、質問者を混乱させてしまったかもしれない。わかりやすく解説しているつもりだったが、やっぱり「ペダンティックで衒学的で内包的定義」に過ぎる。ほんとうに嫌になってしまう。隙間なく規定された体系というものは、用語を精密部品のように操ることを強制するのである。


Xという前提からYを導く推論」を論理学で学ぶときはたいてい答がわかっている。「生卵を硬い床に落とすと(X)、割れてしまう(Y)」という具合だ。この推論は、Xという原因からYという結果が生まれるという因果関係を扱っている。論理の前に経験でわかってしまう。ところが、現実世界ではこうはいかない。「この広告を掲載すれば(X)、売上倍増になるだろう(Y)」のように、XYという結果をもたらすには、X以外にどんな前提が必要かという点まで考え抜かねばならないのである。

差異がわかっているから類似に気づき、類似がわかっているから差異に気づく。類似と差異はワンセットだ。AというパンとBというパンの味がよく似ている。Aに使用している小麦の産地がCなので、Bのパンもそうかもしれない――これが類似による類推(あるいは類比アナロジー)である。推論の蓋然性、つまり、「ありそうなこと」は定まらない。

「いま確かなことは三つだけである。一つ目は顧客の価値観が多様化していること。二つ目は顧客の願望が高度化していること。そして、三つ目は、この二つ以外に確かなことは何一つないということだ」。

これはフィリップ・コトラーのことばだが、要するに、確かなことは二つしかないということをデフォルメしたものである。ところで、ポンペイの遺跡で有名なヴェスヴィオ火山の噴火で亡くなったプリニウス1世(紀元23年-79年)に「唯一の確かなことは、確かなものなどないということだ」というのがある。コトラーはこのことばをもじったのか。それとも偶然の類似性か。いずれにしても、類似性に気づくためには、ある事柄を既に知っている別の事柄と照らし合わさねばならない。差異も同様である。気づくとはそういうことなのである。

二つの問題と知の分母

問題発生や問題解決などの四字熟語は、問題が歓迎されるものではないことを明示している。「問題が起こりました!」はいい知らせではなく、「問題が解決しました!」はいい報告である。「発生すると困り、消え失せるとうれしくなるもの、なあ~に?」というなぞなぞに「問題」と答えれば正解になる。もっと具体的に、シロアリの巣または借金またはシミ・ソバカスなどと答えてもよい。と言うよりも、{シロアリの巣、借金、シミ・ソバカス、クレーム、犯罪、凡ミス、etc.}を外延的要素として束ねる集合を〈問題〉と呼んでいるのである。

しかし、ここで少し冷静に考える必要がありそうだ。問題は頭を抱えるような困りごとばかりなのだろうか。いつも煩わしい事態を招くものばかりなのだろうか。実は、問題とぼくらが呼んでいるものは、正確には二つの種に大別できる。一つは〈プロブラム(problem)〉で、排除したり解決したりすべき原因を含むもの。そしてもう一つは〈クエスチョン(question)〉で、わからぬことを疑ったり新たな方法を問うたりすることである。便宜上、前者を〈P問題〉、後者を〈Q問題〉と呼ぶことにする。

「胃が痛い状態」はP問題である。P問題ではあるが、素人である本人には原因不明であることが多い。そこで専門家である内科医がその原因を診断し、原因を取り除くべく胃薬を処方したり養生の方法を指南する。P問題で困っているなら、問題の原因を排除する。それによって問題が解決する。原因を究明できれば問題は解決するが、原因が一つであることはほとんどなく、たいていの場合複数因が存在する。


Q問題がP問題とまったく異質であるわけではない。「胃が痛い」と感知した時点ですぐさま医院に駆けつければ、問題はP問題に留まる。「なぜ胃がしくしく痛むのだろう? 昨日食べた何かがよくなかったのか? それともここ最近の暴飲暴食のせいか? いやいや、仕事のストレスで胃が衰弱しているのか? これから胃腸を強くするにはどうすればいいのだろうか?」などと問うことによってはじめてQ問題へと発展し、少しでも推理したり振り返ったりする動機が生まれる。問いを発したからといって答えが見つかるわけではないが、問うことは答えに向けて考えるきっかけを誘発してくれる。

以上のように、Q問題はP問題の原因のありかと関わることがあるが、注意は、原因とは無関係な発見や創造に向けられる。そして、発見や創造への展望は、Q問題に入ることから開き始める。「言い表わすことのできない答えには問いを言い表わすこともできない。謎は存在しない。およそ問いが立てられるのであれば、この問いには答えることができる」(ヴィトゲンシュタイン)という至言を本ブログでも何度か紹介しているが、太字のように断言できるかどうかはさておき、問うことなくして答えが見つかることは到底ありえない。

混沌や無知蒙昧の中から問い(=Q問題)は生まれない。それどころか、P問題にすら気づかない。問題が問題であることに気づくためには、〈非問題〉に関する膨大な知のデータベースが前提になるのである。非問題の知識とは、平常の秩序的・共通感覚的なパターンのライブラリーだ。〈参照の枠組みフレーム・オブ・リファレンス〉としての知の分母と言い換えてもいい。問題意識はここから顕在化してくる。たとえ外部からやってくるトラブルであっても、それがトラブルであることを頭と照合しなければならないのだ。無知にあっては、PであろうとQであろうと、問題が生まれる余地などないのである。ゆえに問題を抱え問い続けているのは、知が健全に働いていることの証左と言える。悩むには及ばない。

今日は今日の面倒を見る

昨日と同じ位置に太陽が今日も見える。来る日も来る日も。やむなく「昨日、今日」ということばを使ったが、そんな概念は最初からなかった。やがて、これは一つの周期であると確信して一日を割り出した。すごいのは、この一日が365回やってくれば、これが別の一つの周期になるという発見だ。こうして一年が365日に決められた。天文観察や気候変化などにまつわる人類の経験的科学が、ここに生かされたに違いない。

ところで、この365日を「一の日」から始めて、「二の日」「三の日」(……)「七十七の日」(……)「二百二十二の日」(……)と呼び、「三百六十五の日」を最後の日として、次の日からまた「一の日」として振り出してもよかった。にもかかわらず、365日は12の月に分けられた。春、夏、秋、冬という表現も別途あるのだから、一年4ヵ月でもよさそうなものだ。だが、一年は12に文節された。たまたまそうなったようにも思えるし、疎いぼくが知らない真実があるのかもしれないが、ここに至るまで慣れ親しんでしまったら、必然としか思えない。

ともあれ、一年は12ヵ月であり、その最後の月が12月、古風に言えば「師走」である。去年の師走に、「そのうちそのうちといいながら 一年がたってしまいました」という訓話を紹介した。今年も暮れを迎えて、この素朴でクールな言い回しがチクリと怠慢に釘を刺す。いったいいつになったら、何年経ったら、百八煩悩を祓う必要もなく、ひたすら純粋な音としての除夜の鐘に共鳴できるのか。何が何でもその時その場でやり遂げたこともある。その一方で、明日でいいか来週でいいかと先延ばしして年を越す課題も少なくない。いくつになっても、学習はむずかしい。


いつ覚えたのか定かではないが、「明日がどうなるかは、今日はわからない」や「今日の一日は明日の二日に相当する」などの箴言は身に染み込んでいるはずである。それでもなお、油断も隙もないのが怠け癖だ。目線を今日から逸らせて明日へと向けることから、面倒臭さが始まる。何度も自分に言い聞かせてきたのに、ぼくたちは今を生きていることを忘れてしまう。怠慢は今日の忘却によって芽生え始める。

明日は来るのだろう。だが、自分にやって来るとはかぎらない。明日は当てにならない。その明日へと今日のやり残しを送りつけるのは、今日を粗末に扱うことを意味し、同時に明日に負荷をかけてしまうことにもなる。〈いつか・どこか〉ではなく〈いま・ここ〉であり、〈いま・ここ〉があるからこそ〈いつか・どこか〉も淡い確率としてありうるのだ。まずは、今日の面倒をしっかりと見ることである。

ここまで書いて「ようし」と気合を入れるが、今さら鼓舞するまでもなく重々承知していることではある。年末に襲ってくるこの自責の念を忘れずに、来年の今頃は晴れやかな心身へと再生できているだろうか……。あ、だめだめ! この瞬間、ぼくは一年後のことを語ってしまった! その前に今なのだ。自責の念に苛まれて身震いしたその時点で、即刻自己変革を遂げねばならない。そう、今すぐ。間髪を入れずに。すぐに忘れてしまう「今への視点」。今を凝視することは生やさしいことではない。しかし、未だ見ぬ明日への橋は今日側から架けるしかないのである。

三十而立、四十而不惑

私塾のプレゼンテーション・コンテストの第部〈私の尊敬する人〉で、北陸講座の塾生Yさんが孔子を取り上げた。エントリーの時点で「孔子を尊敬? 孔子ほどの古典的人物に尊敬ということばが当てはまるのか? むしろ、第部の〈人物研究〉にエントリーすべきではないか?」などとぼくは感じていた。発表は、孔子を人材育成の始祖として尊敬するという内容であった。結果は、聴衆票と審査員票ともに2位、総合1位でYさんが優勝した。

ご存知の「三十にして立つ。四十にして惑わず」。Yさんはこの箇所でわざと脱線して「少しやばい」と分析した。要するに、「孔子先生、立つのが三十、惑わないのが四十とは、ちと遅いんじゃないですか」という指摘だ。会場には笑いが起こった。なるほど三十にして独立生計というのは晩熟おくてかもしれない。けれども、五十過ぎても人生に迷い悩み、モラトリアムへと引きこもる現代人を見れば、四十でぶれないのはやはり尊敬に値すると言わねばならない。実際、孔子の言う「立つ」も、ぼくらのようにふつうに立つのではない。人生の師として導く立場に就くことであったから、ぼくたちの一人前とはだいぶわけが違ったはずである。

「不惑」。四十歳の意味にとらえるよりも、「潔さ」の象徴としてぼくは考えてきた。歳を重ねたら誰でも自然に不惑の境地に達するのではない。そうではなく、不惑とは、未練を断ち切ってこそ獲得できる「鉄の意志」なのである。想像してみてほしい。たとえ四十にして不惑を標榜しても、その後の十年、二十年でさまざまな事変を目の当たりにすれば、価値観も変わり思想もぶれるだろう。ましてや、孔子が生きたのは群雄割拠の春秋時代だったのである。「不惑」とは何があろうとも動じないことである。信念のみならず、潔さがなければ不動心を保てない。本来なら耳したがわねばならぬ年齢を目前にして、ぼくはやっと惑わなくなった。潔さのお陰だと思っている。


孔子は、「学に志ざす」の十代半ばから「心の欲する所に従ってのりえず」の七十までを振り返った。この振り返りという点を見落としてはいけない。三十、四十、五十などの時々の節目であるべき姿をそのつど語ったのではなく、晩年になってから孔子は己の生き様を回顧したのである。もちろん、ぼくたちも同じことをしてもよい。また、七十歳を過ぎてからでなくても、それぞれの年代で十年前を振り返って後進が参照しやすいよう語り記しておくのもいいだろう。

それにしても、現代と二千数百年前の寿命の差を軽々と乗り越えて、四十にして惑わずの頃合いの良さにほとほと感心する。「五十にして天命を知る」という命題はハードルが高すぎる。他方、ただ立つだけでいいのなら、三十にして安月給で嫌々の仕事に就くのはさほど難しくない。三十と五十の間の四十不惑の難度が絶妙なのである。ぼくは二十年近く前にそこを通過したが、結果に一喜一憂せず仕事と生活を楽しもうと考え、「できる・できない」をよく分別しようと心に決めた。だいたい四十歳にもなれば、過去の経験と知識が未知の可能性よりも大きくなっているはずである。「実現の確からしさ」は経験と知識に依存する。ありそうもない夢を見て他人に迷惑をかけてはいけないのだ。

かと言って、やみくもに可能性の芽を摘むのではない。人一倍想像力が働くのであれば、蓋然性の高い道へ進むべきであろう。だが、やはり「できる・できない」の判断は容易ではなく、誰しも苦悶するに違いない。そこで、もう一つの尺度に照らしてみるのである。「向き・不向き」がそれだ。「できそうもない、しかし自分はそれに向いている」ならやってみるべきだ。さほど適性もないくせに、「できそうだ」と錯誤するのは恐い。四十歳になれば、不向きなことに無理をするのは控えるのがいい。なお、どの世代にあっても「好き・嫌い」への執着は人生を生きにくくする。