「一人歩き」を見直す

「一人歩き」と言っても、実際の歩行とは関係ない。使い慣れたマーケティング用語が勝手に一人歩きしてしまっている話。

「市場の動きをよく見て」「顧客の立場から言うと」「ニーズはいったい何か」……こんな言い回しが比較的多く飛び交う環境にいる。振り返ってみると、自分自身がこうした表現の発信者であることも少なくない。ところが、ここ数年、講演や会議や打ち合わせで、この種のことばを使うにつけ聞くにつけ、何かが引っ掛かってしかたがない。

その引っ掛かりが、暗黙の前提や相互了解から来ているらしいことがわかった。いちいちことばで説明しなくても、「市場は存在」し、当然ながら「顧客の立場は存在」し、「ニーズも存在」する。マーケッターや企画者はほとんど疑念もなく、このような姿勢を共有している。そして、お互い十分にわかったつもりになって、もはや定義や存在を再確認しようとはしない。気がつけば、概念が一人歩きしているではないか。

マーケティング、いや、もっとくだけて「商売」と言ってもいいだろう。ひょっとしてあなたは、商売に理屈を持ち込んで議論しても勝ち目がないことを知っているがゆえに、「商売は理屈じゃない」という持論側に立たされてはいないだろうか。なるほど、「商売は実践あるのみ」という定説には逆らいにくい。しかしながら、それは市場も顧客もニーズもわかっているからこその実践なのであって、そうではない状況では理屈や理論なくして商売を考えることはできない。理屈がなくても今日一日の商売は実践できるが、理屈を抜きにしては明日以降の商売は語れない。

ぼくたちは、市場について、顧客について、ニーズについて、「理屈抜きに」――あるいは「もはや問う必要もないほどに」あるいは「さも当然かのように」――よくわかっているのだろうか。非力を認めざるをえないが、たぶんノーである。


通常数百個しか売れない商品が「どういうわけか」1万個売れた。望外の幸せはマーケティング的に説明がつくか? それは市場が成長した証か? この市場には魅力があるのか? 自社に参入適性はあるのか? ここで言う市場とは1万人の人々から構成される場か? 機会か? それともニーズか? そうでなければ、いったい何なのか? その商品によって1万人のユーザーはどんなニーズを満たしたのか? 1万人に共通する顧客特性はどう割り出すのか? 割り出せはしない、しかし特性がバラバラだということはわかった、では、それはいったいどんな次の手を示唆しているのか? ニーズは一様だったのか? そのニーズはどうすれば知りうるのか、アンケートで聞いてみればわかるのか? 「なぜこの商品をお求めになりましたか?」と訊ねて、消費者はその「なぜ」を的確な言語で表現できるのか? 仮に文章で書いてくれたとして、それをそのまま鵜呑みにできるのか? あるいは、その文章から市場の、顧客の、ニーズの何を読み取るのか?

機関銃の弾のごとく”?”を連ねてみたが、考えてみれば、市場の、顧客の、ニーズの何が真であるか、ほんとうにぼくたちはわかっているのだろうか、いや、わかることができるのだろうか。「どこまで行ってもわからない。わからないからこそ、徹底的に客観的に問うべきだ」。こう考えて、マーヴィン・バウワーは「マーケティングとは一言で言えば、『客観性』だ」と達観したのだろうか。

客観性は主観性と二項対立の関係にある。絶対的な客観性ならば、主観性を消去しなければならない。それは「無我」を意味する。マーケティングとは無我の心境なのか。自分が考える市場や顧客やニーズと、実体としての市場や顧客やニーズは一致しているのか。こんな視点に立つと、まるで「現象学」みたいになってしまうが、主客の一致などというものが商売に存在するのか、ひいては「顧客のニーズを踏まえて」とか「顧客サイドに立って」などということが実際にありうるのかどうかは、あらためて問い直すべきテーマだろう。

何が真理かは、結局マーケッター自身が自分の眼力によって見極めるしかない。市場や顧客やニーズのところに真理があるのではなく、したがって、調査はもちろんのこと、客観的視点にも限界があり、ゆえにマーケッターは市場や顧客やニーズを自分のアタマの中で想定し、編集し、構築、検証、再構築するしか法はない。現在、ぼくはこの方向性で「概念の一人歩き」に見直しを加えつつある。

イタリア紀行37 「サン・ピエトロづくし」

ペルージャⅡ

初めての土地で一晩だけ過ごすとなると、貧乏性のせいか、見所に迷う。これは、国内でも海外でも同じこと。ホテルでじっとしているだけなら、どこにいても同じだ。旅はその土地限定のものに触れることに意味があり、ホテルは二の次。快適でゴージャスなホテルは世界中のどこにでもある。お金さえ惜しまなければ宿泊するチャンスもあるかもしれない。だが、何々美術館や何々教会や何々広場はホテルよりも固有性が高い。そこに行かなければ見ることができない。

ホテルのチェックアウトは午前11時。荷物は預かってくれるが、とりあえず部屋を出なければならない。午前中自由になるのは23時間。ホテル近くのプリオーリ宮に行き、「公証人の間」の寄せ木細工の天井を見て、国立ウンブリア美術館の名作を鑑賞するか……それとも、市街の外れまで歩いてみるか……前日の夜から悩んでいたが、早朝に晴天の空を見て腹を決めた。屋内ではなく、歩こうと。屋内より屋外がいい。では、どこに向かうか。中心街から一番遠くに位置する――とは言っても2キロメートル程度だが――サン・ピエトロ教会を選んだ。

教会を選んだのに特別の理由はない。サン・ベルナルディーノ、マッテオッティ、サン・セヴェーロ、サンタンジェロ、サン・ドメニコなど他にも教会はいくらでもある。その中からサン・ピエトロ教会を選んだことにも、これという動機はない。地図に視線を落としたら一等最初に目が捕まえたという、ただそれだけの「縁」である。

一つの選択は、その他すべての候補の非選択。だから、行かなかった他の場所と比較するすべはないが、サン・ピエトロ教会という選択は、「ここしかなかったのではないか」と思わせてくれた。こんなにじっくりと教会の敷地で時間を過ごしたことはない。創建されたのが千年前と聞けば、なるほどとうなずける歴史の風合いを感じる。

フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に付属する同名の薬局があるように、その昔、教会と薬には深い関係があった。教会が管理する敷地内にはハーブ園があり、隣接する「化学実験室」で薬効成分の分析や調合をしていたのである。教会と言えば、聖堂の内部見学だけで終わるのが常だが、ここサン・ピエトロ教会では敷地内を散策する初めての体験に恵まれた。

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やわらかな光が射す通り。辻ごとに微妙に表情が変わる。
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カヴール通りの店を覗きながら歩く。
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サン・ピエトロ教会の鐘楼は高さ70メートル。
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六角形の尖塔部。
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中庭を囲む回廊。
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現在も使われているハーブ園。 
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ハーブ園の日時計。
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中世にあった門の跡地。
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ハーブの研究をしていた、牢屋のような化学室。
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教会裏手のハーブ園からの風景。 

小さな創造性が役に立つ

幸か不幸か、野心的な商品開発や歴史に残る大発明を目指している人が周りにはいない。少々変わっている人はいるが、たかが知れている。過去もそうだった。したがって、ぼくは狂気と紙一重のようなクリエーターを間近に見たことはないのである。

ヒット商品、大いに結構である。画期的な技術革新、これまた何のケチもつけられぬ。けれども、「千三せんみつ」への飽くなき挑戦のための創造性は、発明発見を職業にしていないぼくたちとは無縁である。一般的な社会人が千回の仕事や作業のうち997回も失敗していたらたちまちクビになる。つまり、ぼくたちが求める創造性というのは、少し段取をよくしたり、小さなアイデアをどんどん出したり、以前よくミスしていたことをうまくできるようになるなど、総じて仕事を一工夫できることに役立つものなのだ。

「企画技法」の研修の中で、ぼくは発想についても言及する。もちろん大発明や偉大なる創造のための発想の話ではない。これまでいろんな発想法を学び試してきたが、だいたいにおいて「固定観念崩し」か「異種情報結び」のいずれかを基本とする。もし小さな創造性だけでも身につけたいのなら、ほとんど正解はこの二つで決まり、と言っても過言ではない。


「固定観念崩し」とは、新しい発想を妨げている「内なる法則」を取り除くこと。長年使ってきた思考回路は多かれ少なかれ、一定の法則でパターン化されている。パターン化されているから、ある意味では便利なのである。いちいち立ち止まらなくても自動的に考えることができるからだ。しかし、これでは再生的思考止まりで、新しい工夫への扉は開かない。

内なる法則は、「一対一」 だけを許容する窮屈な法則だ。一つの刺激に対して決まりきった一つの反応をすることで、「山」に対していつも「川」と反応するようなもの。さらに、二つの概念が密接にくっついて、たとえば「朝食―トースト」、「式次第の冒頭―来賓挨拶」、「外国人―アメリカ人」のように習慣や連想が固定してしまうのもこの法則の仕業だ。概念、連想などが固定するから「固定観念」。

特別な訓練は必要ではない。「一対一」を「一対多」に変えるよう意識すればいいのだ。情報やことばの一つの刺激から複数のことを導くようにする。情報なら少なくとも二通りに解釈し、ことばなら三つ以上に言い換えてみるなど。複数解釈や言い換えは「かくあらねばならない」と強迫されているマインドを「かくありたい」にシフトしてくれる。

本来なら無関係であったり別ジャンルに属している情報どうしを無理やりくっつけてみる。これが「異種情報結び」だ。遊び半分から偶然おもしろいアイデアが浮かんだりする。その昔、おにぎりの中に入っている具は昆布、かつお、梅干が定番だった。今ではバリエーションは豊富である。おにぎりをメシ、ライス、白ご飯、おむすびと呼び換えてみると、お見合い相手の情報も広がる。

「です・ます」のギマン

再来週から京都で4年目を迎える私塾の第1講と第2講の講義テキストを併行して仕上げている。実は、まだだいぶ先の5月のほうが進んでいて、間近の『テーマと解決法の見つけ方』のほうに少しアタマを悩ませている。とか何とか言いながらも、テキストは明日仕上げるつもり。

話し慣れたテーマなのだが、いつも同じパターンではおもしろくない。そこで、仕事やビジネスの問題・課題と、プラトンから始まる哲学命題のいくつかを重ね合わせて新しいソリューション発見の切り口を提供しようと考えた。しかし、実際に考え編集していくと、きわめて無茶な試みであることがわかってきた。とても難解になってしまうのである。自分で悦に入っても、塾生にはチンプンカンプンの可能性がある。さりとて、もはや「やっぱりや~めた」というわけにもいかず、思案した挙句にテキストを「です・ます」で書くことにした。

順調にテキストの半ばまでそのように書いてきた。そして、出来上がったところまで再読したところ、「です・ますの欺瞞性」に気づいてしまった。「問題が山積する時代。完璧なる正解でなくても、問題の原因に少しでも斬り込める解法を携えることができれば、時間と苦労は半減する。」とふだん記述するぼくが、「問題が山積する時代です。完璧な正解が出なくても、問題の原因に少しでも斬り込める解法を携えることができれば、時間と苦労は半減します。」と書いているだけの、情けない一工夫だったのである。

これで硬派な文章がやわらいだ気になるのは、どう考えても錯覚である。その錯覚を利用する書き手の思いは欺瞞に満ちている。やっぱり「です・ますは、や~めた」とさっき決意し、午後から書き直すことにした。


「哲学入門」や「よくわかる哲学」などと題された本を読んでみて、何だかよくわかるような気がするのは、ひとえに「です・ます」の巧妙な罠のせいである。形而上学的な概念を表現するときは、概念そのものの専門性を控えるべきであって、文末で難度ショックをやわらげるなどというのは姑息な手法なのだ。

「君は何歳?」を「ぼく、おいくちゅですか?」と言い換えられる日本人の、言語表現における相手に応じた変わり身は大したものだと思う。だからと言って、「年齢を問う」という、実は高度な(?)抽象概念が変化しているわけではない。あるいは、厳密に言えば、表現がやさしくなっているわけでもない。年齢や性差に応じた表現バリエーションが豊富であるがゆえに、やむなく使い分けているにすぎない。

とにもかくにも、好んでぼくの話を聞きに来る人が、「です・ますオブラート効果」でわかりやすいと感嘆するとも思えない。いや、何人かいるかもしれないが、そんな類の梯子を使って彼らのところに降りて行くのなら、別の階段を用意してこちらの方に上がって来るように仕掛けるべきだろう。どんな階段? それは編集構成のわかりやすさである。

レオナルド・ダ・ヴィンチを語る

一昨日の夕方、熱気あふれる書評輪講会を主宰した。数えて3回目。今回は10人が参加した。語ることばや想いから熱気はほとばしったが、テーブルからも立ち上がった。と言うのも、場所が鉄板焼の店だったからである。今回は書評会と食事会を同じ場所で開催した次第だ。

一応6月まで続ける予定で1月から始めた。そのうち一度はルネサンスがらみの書物を書評するつもりにしていた。ルネサンス全般を取り上げると持ち時間10分や15分ではきつい。そこで、さほど思案することなく人物をテーマに選び、さも必然のようにレオナルド・ダ・ヴィンチに落ち着いた。そこから先で少し迷った。最近読んだ『モナ・リザの罠』(西岡文彦)にするか、『君はレオナルド・ダ・ヴィンチを知っているか』(布施英利)にするか、はたまただいぶ前に読んだレオナルド本人の『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』にするか……。

結果的に『君は・・・』を取り上げることにした。レオナルドに関する知識の少ない人には、著者の言わんとすることがよく伝わりそうな気がしたからである。宇宙をかいま見た男、宇宙マクロコスモス人体ミクロコスモスを関係づけ対応させた話、生前は音楽家としての名声のほうが画家よりも上だったというエピソードなどは興味をそそる。


中高生の頃に絵画に打ち込んだ時期があって、何もわからぬままレオナルドやルネサンス期の絵画に魅せられた。とりわけ輪郭線を引かずに絵の具の明暗のコントラストだけで描いてみせる〈スフマート技法〉には目を見張った。何年か前に水彩で試みたが、人に見てもらえる出来上がりにはほど遠い。

レオナルド自身の手記を読めばわかるが、絵画技法にとどまらず、この天才は新しいテーマを次々と追究していった。手記の冒頭にはこう書かれている。

先人たちはことごとく有用な主題を選んでしまった、だから自分に残されたのは市場の値打ちのない余りものみたいなテーマばかりだ、だが、それらを引き取って何とかしてみよう。

ニッチ志向に到った趣旨が書かれている。シニカルな謙遜であり孤高の精神が滲み出る。

文章の切れ味にもこれまた感心させられる。哲学的メッセージあり、斬新なアイデアあり、鋭い視点あり。しかも、ほとんどが自信を漲らせた断定調なのだ。拾い出すとキリがないが、ぼくを反省させ、しかるべき後に心強くしてくれた箴言が二つある。その一つ。

権威を引いて論ずるものは才能にあらず。

若い頃、引用文だらけの書物にコンプレックスを抱いたものだった。「よくもこれだけ調べたものだ」と感心し、根拠のない自分の勝手気まま思考を責めたりもした。しかしだ、「偉い誰々がこう言っている」などという引用そのものは、努力と熱意ではあるだろうが、才能なんぞではない――レオナルドはこう言ってくれているのである。そんなことよりも自力で考えて論じなさいと励ます。

もう一つの章句もこれと連動する。

想像力は諸感覚の手綱である。

きみはいろいろ見聞したり触ったりするだろうが、そうして感知する物事や状態の大きさ、形、色や味、匂いや音・声などをつかさどっているのがイマジネーションなんだ、それなくしてはきみの感覚なんてうまく機能しないぞ、というふうにぼくは解釈している。観察や体験なども想像力でうまくコントロールしないと功を奏さない。ぼくが企画の研修のプロローグで想像力や発想についてかたくなに語り続けるのは、このことばが大きな後押しになっているからだ。なお、ぼくが出会った経験至上主義者で想像力が逞しかった人は一人もいない。

満悦厳禁。レオナルド・ダ・ヴィンチという権威を引いても、これはゆめゆめ才能ではない。いや、もしかしたら、天才レオナルドならこう言うかもしれない。「わしをそこらに五万といる権威と同じにせんでくれ。わしが綴ったことばで使えるものがあれば何でも使ってくれたらいい。五百年後もまだ光が失せていないのなら……」。 

リーダーのことばが色褪せる

人物と言論を切り離して考えるのはむずかしい。だが、できればそうするのが理想である。どんなにダメのレッテルを貼られた人間でも、その意見に傾聴に値するものがあれば認め、あるいは共感すればいい。さもなければ、いい人だからいいことを言っている、悪い人だから悪いことを言っているという、幼稚で短絡的な結論に至ってしまう。このあたりの話は、3ヵ月ほど前に「自分を棚に上げる風潮」と題して一度取り上げた。

このように考えないと、輝かしい金メダリストのスポーツ語録が、万が一彼もしくは彼女が後年法を犯したとたんに失墜してしまうことになる。もちろんスポーツだけにとどまる話ではない。一度コテンパンにやられた歴史上の偉人たちの金言・格言は輝きを失い、いやそれどころか闇に葬られてしまうことになる。つまり、古典的な価値など、すべて死滅することになるだろう。時代を超え人格や人間性を超えて、彼らの言わんとしたことを人物の盛衰や顛末とは無関係に眺めることは重要である。


とは言うものの、そんなに冷静で物分かりのいい見方が誰にでもできるわけではない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎んでしまうのが人のさがというものだ。嫌いな人間や憤りを覚える人間が、どんなにためになる話をしようが、天使のような心を見せようが、生理が受けつけぬ。これが偽らざる思いかもしれない。

かなり前の話だが、”フォーチュン誌”1995320日号に次のようなインタビュー記事の一節がある。

“There’s no magic. What will make all the difference in business will be how well you train your work force, how well you motivate―and how well you empower.”
(手品なんてない。ビジネスで差がつくのは、いかにうまく人材を訓練し、いかに動機付け、そしていかに権限を与えるかなのだ。)

企業論である。なかなかの慧眼ではないか。いったい誰のことば? 何を隠そう、経営破綻問題でいま脚光を浴びているクライスラー社の当時のCEO、イートン氏の自信に溢れた信念である。「おたくの会社、ほんとにそうやって人材を育ててきたの?」と、嫌味の一つも言いたくならないか?

まだある。当時その巨大企業の会長の任にあったリード氏は、1999年に自社の変革シナリオとして下記の5項目を高らかに謳った。

1.コスト削減
2.リストラ(組織集中と分社化)
3.強いメニュー
4.情報公開
5.顧客

なるほど。常識的だが、立派な企業はそういうところに落ち着くのかと納得する。で、どこの会社の話?  これまた経営危機に直面しているシティバンクだ。

イートン氏やリード氏の仕事ぶりと現在の両企業の経営状況との因果関係を判ずる手立てはない。人物と言論の関係は、企業と言論の関係にも通じる。一つの失態は清く正しく美しい理念やスローガンを一夜にして色褪せたものにする。


仮に、経営破綻で喘ぐ現在のCEOなりチェアマンが同様の内容を経済誌のインタビューに答えたとしたら、何をほざいているんだ! と凄まじい批判を浴びるに違いない。リーダーたちの言葉は成否と大いに関わっている。いや、実は関わりなどないかもしれないが、耳にするぼくたちが成否という視点からの発想でしか価値を見極められないのだ。

言葉が色褪せたり輝いたりするのは、時代のせいであるものの、おそらく大半は言動不一致に平然と澄まし顔している輩のせいである。と同時に、ぼくたちも一喜一憂の癖と想像力の限界からくる先入観を反省すべきだろう。 

イタリア紀行36 「街角に打ち解ける」

ペルージャⅠ

紀元前にエトルリアの由来をもつ古都――ペルージャについての知識はこれと、中田英寿が1998年イタリアデビューを果たした所属クラブの本拠地というくらいだった。それでも、一度は行ってみようと思っていたので、ローマ2泊とフィレンツェ4泊の予定の間に、ペルージャをはさむことにした。

旅程はウィーン~ローマ~ペルージャ~フィレンツェ~ボローニャ~ウィーン。ローマからボローニャへは列車の旅なので、細かくダイヤを調べていた。ローマ~フィレンツェに比べてローマ~ペルージャは少し面倒。ペルージャはローマとフィレンツェのほぼ中間に位置する。にもかかわらず、ローマ~ペルージャのほうがローマ~フィレンツェよりも時間がかかってしまう。これは、路線が逸れるのに加えて、直行便が少ないからだ。午後一番最初の直行便にユーロスター(ES)があったので、それを日本で予約しておいた。

列車時刻情報のみならず、この年は食事の内容やちょっとした日記などおびただしいメモをつけている。訪問した都市が多かったので、「アタマの中で捌いていた」のだろう。ちなみにローマからペルージャに向かった日にはこんなことを記していた。

39日(火曜日) ホテルスパーニャ(ローマ)での朝食ビュッフェは果物豊富。ランチはテルミニ駅内のトラットリア。チキンにポテト。ペンネのゴルゴンゾーラ。ローマテルミニ13:48ES。ペルージャ15:53着。駅前バスターミナルから7番でイタリア広場へ。ペルージャでの夕食はスーパーで購入。瓶詰めムール貝、たっぷりサラダ、モツァレラ、カットピザ。

古い建物を改築した、いびつな構造のホテルにチェックイン。なんとバスが着いたイタリア広場裏手の路地に入ったすぐのところだった。夕暮れ前なので、荷解きもそこそこに街に出た。イタリア広場からヴァンヌッチ通りを北へ250メートルほど行くとクアットロ・ノヴェンブレ広場。「114日広場」という意味で、ここにペルージャの象徴的なシンボルである大聖堂、プリオーリ宮、大噴水などがひしめいている。

翌日は15:46発の列車でフィレンツェに向かう。ペルージャ滞在時間は正味一日もない。それでもどういうわけか、まったく急かされる気分にならない。こぢんまりと落ち着いたこの空気は中世色の建物とモノトーンな路地のせいか。団体観光客は見当たらない。店を覗き路地裏へも足を向け、暮れなずむまでの時間を惜しむように歩いてみた。気がつけば空腹感。お目当ての外食は明日のランチの楽しみにして、スーパーで食料を買い込んでホテルへ。すでに日が落ちていたが、暮れた街角にも心は打ち解けた。

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ローマテルミニ駅からペルージャに向う列車の窓外。
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ペルージャ駅からバスは坂をくねくねと上り、丘の上の街へ。海抜500メートル近い。 
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うっかりしていると通り過ぎてしまいそうなホテルエントランス。
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ホテルの裏通りは坂道。この道は迂回して「114日広場」に出る。
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ホテルの窓からの遠景。翌朝に撮ったもので、お気に入りの一枚になっている。 
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南北の中心ヴァンヌッチ通り。国旗のある建物がプリオーリ宮、正面が大聖堂。
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大聖堂前の噴水。
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中世に誘う路地が随所に現れる。カラーで撮ってもモノクロのような味が出る。
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大聖堂の裏あたりを歩いているとテアトロの建物。映画館/劇場である。
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建物と建物を結ぶ空中回廊が出現。いや、これは行き止まりを回避する門なのだろうか。
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日が暮れた直後のとある街角。壁色と独特の青が意外に協調している。

「考えないこと」を考える

知らないことを知る――これが昨日のテーマであった。考えてみれば、当たり前のことである。何も知らないまま生を受けてからずっとそうしてきた。知らないことは無限だから、生あるかぎり知るという行為に出番はある。けれども、人はわがままだ。「知らないことをわざわざ知ろうとしなくても、知っていることだけで十分ではないか。それで差し迫って困ることもなかろう」という具合に考えて、知ることを面倒だと思うようになる。

これと同じことが「考える」ということにも起こる。考えられる範囲でのみ考える、複雑なこと・むずかしいこと・邪魔くさいことは考えない。いつも考えている手順・枠組み・パターンで考える。つまり、「考えないこと」を考えようとしなくなるのである。

「考えられないこと」と言っているのではない。「考えられないこと」はすぐには考えられるようにはならない。考えた時点ですでに「考えられないこと」ではないからだ。ぼくが意味しているのは、「ふだん考えないこと」である。あるいは「めったに考えないこと」である。これが簡単なようで簡単ではない。よく自分の思考状況を振り返ってみればわかる。いつものテーマを常習的な言語体系と慣れ親しんだ道筋で考えている。テーマが新しいものに変わっても、思考の方法はあまり変わることはない。


たいていの場合、「考える」は「流用する」や「なぞる」や「調べる」などと同義の内容になっている。特に茫洋と構えて考え事をしていると、ほとんど考え事に値しない時間だけが過ぎていく。新しいアイデアが出ないのは、ある種の考え方の上塗りをしているからであって、その結果出てくるのは既存知識に一本毛の生えた程度のものにすぎない。

「物事を自力で考えよ」など、まったくその通りと共感する。この「自力」というところがたいせつだ。他人や世間がどうのこうのと気にせずに、従来とはまったく異なる手順・枠組み・パターンに挑戦すること――これが自力である。

たとえば「よく考えよ」と言われると、たいてい深く考えようとする。一つのことを掘り下げて考える癖が出る。あるいは熟考してしまう。しかし、その一つのことについては、いつもよく考えてきたのではないか。それ以上ほんとうに考えることができるのか。ぼくたちは行き詰まりを避けようとして、「いつもの考え方→いつもの熟考」を繰り返しているだけではないのか。

もっとも手っ取り早く「考えないことを考える」には、深堀などせずに、見晴しをよくして広く考えればいい。そうすれば、テーマも思考パターンも枠の外に出る。必然容易に手に負えなくなる。これが「考えないことを考える」出発点になる。つまり、「いつもの考え方→行き詰まり→別の考え方」を強制するのである。いつもの考え方で生まれるようなアイデアが楽しいか。それでプロフェッショナルなのか。そもそもそのアイデアを求めてくれる人が世間にいるのか。

ほとんどの仕事は「考えること」を基本とし必要とする。行き詰まりの傷が思考の勲章であることを忘れてはならない。 

「知らないこと」を知る

十数年前、東京で「ディベート入門」の講演をした。そのときのレジュメが残っていて、「由来」から始まっている。初物を学ぶ人たちを対象にするとき、ズバリ本陣に切り込むのか、はたまた外堀を埋めるのかに悩む。それでも、最終的にはきっぱりと聴衆の層によって決める。まだキャリア不十分の若手にはストレートにハウツーから入る。仕事や他分野で経験や実績のあるビジネスパーソンに対しては、敢えて迂回して本題に近づいていく。

その講演でディベートの由来を冒頭に置いたのは、キャリア豊富な聴衆への敬意のつもりであった。古代ギリシャのソフィストであるプロタゴラスの話を少し、それからアリストテレスの弁論術から「相反する命題のいずれをも説得できる技術」についても触れた(ディベートの肯定側と否定側は相反している。論者はいずれの立場でも議論する必要があるので、この話は初心者には重要なのだ)。

反応もよく、まずまず順調に話を進めていき途中休憩となった。熱心に聴いてくれていた――少なくともぼくにはそう見えた――数歳年長の経営者が歩み寄ってきて、ぼくにこう言った。「先生、アリストテレスの話なんて興味ないですよ。あんなのいらないです。わたしたちはビジネスに役立つディベートを学びたいんですから」。その会合の重鎮ゆえか、その人は聴衆全員を代弁するかのようにコメントした。講演の後半も残っているので議論せず、ありがたく拝聴しておいた。

この人が何かにつけて一言批評を垂れる癖の持ち主であることを知ったのは後日のこと。その後も何度か会い話をするうちに、「知らないこと」にケチはつけるが、知ろうと努力しない人であることもわかった。


何でもかんでも知ることはない。ディベート初心者が直感的に「アリストテレスはいらない」と判断を下してもいいだろう。その代わり、知らないことはいつまで経っても知らないままだ。「知らないこと」を知ろうとする背後には好奇心もあるが、縁という要素もある。「縁あって」ぼくのディベート入門の話を聴きに来られたのだから、行きがけの駄賃のごとくちょっと齧っておけばいいのではないか、とぼくは考える。

さて、「縁あって」ここまで読んでくださったのなら、ついでにアリストテレスの話に耳を傾けるのはどうだろう(『弁論術』第23章 説得推論の論点)。

証明の主眼とする説得推論の一つの論点は、相反するものに基づいてなされる。すなわち、何かと反対なものに、その何かが持っている性質とは反対の性質が属しているかどうかを調べ、もし属していなければその命題を否定し去り、属しているなら是認するようにしなければならない。例えば、「節制あることはよいことである。なぜなら、放埓ほうらつであることは害をもたらすから」という命題がそうである。

むずかしいことが書いてある。〈節制⇔放埓〉が相反する価値である。節制の正反対の放埓が「害」であるならば、節制はその反対の性質である「益」をもたらす、ということだ。アリストテレスの本意と少しそれるかもしれないが、わかりやすく応用してみよう。「清潔な店は成功する。なぜなら、不潔な店は失敗するからである」。「清潔な店は成功する」と言われてみると、なるほどそうかもしれぬと思う。しかし、不潔な店でありながら失敗せず、それどころか繁盛している屋台だってある。とすれば、「清潔」は店が成功する絶対要因ではないことがわかる。

店のビジネスのあり方を考えるヒントになるではないか。「アリストテレスなんていらん」と言い放ったあの人は、ビジネスに役立つディベートを主張した。何のことはない、一工夫すればビジネス命題にもなるではないか。無関係で役立たないように見えても、知は必ずどこかで繋がっている。   

論理が飛躍したり抜け落ちたり

どういうわけか知らないが、ぼくのことをガチガチの論理信奉者のように思っている人がいるらしい。あるいは、「理性と感性、どっちが重要か?」などとしつこく迫ってきて、無理やりに「そりゃ、もちろん理性だよ」とぼくに言わせたくてたまらない塾生もいる。だが、昨日の「川藤出さんかい!」を読んでもらえばわかる通り、ぼくは論理の飛躍や欠如から生まれる不条理やユーモアをこよなく愛している。仕事柄論理や理性にまつわる話をよくするが、四六時中そんなことを考えているはずがない。

「川藤の話、思い出して久々に笑いました。この流れと、今でも使えますね。モルツのコマーシャルは他の作品もよくできていました。一つ、ナンセンスものとして印象に残っているのが、ヤクルトです。たぶんご存知でしょうが、ご紹介しておきます……」

昨夜、ブログを読んだ知人がメールをよこしてきた。彼が察した通り、ぼくはそのコマーシャルを知っていた。知ってはいたが、そうやすやすと思い出せるものではない。これはと思った広告コピーはだいたいノートにメモしている。このヤクルトのもどこかに記した記憶がある(ぼくは二十代後半から三十代前半にかけて広告やPRのコピーを書いていて、名文系・おもしろ系を問わず、気に入った文章を集めていた。この癖は今も続いている)。

知人が思い出させてくれたコマーシャルがこれだ。

「なんで(ヤクルト)毎日飲むの?」
「からだにいいからでしょ」
「なんでからだにいいの?」
「毎日飲むからでしょ」

ナンセンス論理の最たるものに見えるが、「なんで」の問いを「何のために」と解釈したり、あるいは「何の理由で」に置き換えてみると、おやおや意味が通っているではないか。因果関係的には、「毎日飲む(因)→身体にいい(果)」である。目標条件化してみると、「身体にいい」という目的を達成するための条件の一つが「毎日飲む」ということになる。

「ヤクルトを毎日飲む目的は何か?」「健康のためである」――これはよし。
「なぜヤクルトは健康にいいのか?」「毎日飲むからである」――これもよし。

四行まとめて読むとナンセンスだが、前の二行を目的の質問と応答、後の二行を原因の質問と応答というふうに読めば、やりとりはちゃんと成立している。


感謝の気持を込めて、今朝ぼくが送りつけたコマーシャルメッセージ。

「メガネはカラダの一部です。だから東京メガネ」

どうだろう、たまらないほど強烈なロジックではないか。これこそ、居合わせた人々全員をよろけさせる天然ボケの力だ。論拠を抜いてやると文章は滑稽になるのである。