シニアたちの日々

シニアの生活や社会との関わりについてコラムを依頼されることがある。何度書いても「シニア」ということばはしっくりこないが、それに替えて老人や高齢者と書くわけにもいかない。

ヘルマン・ヘッセに『老年の価値』という本があるが、老年・老齢・老境が頻出し、人を指す時は「老人」の一択である(翻訳本なので、「老人と訳されている」と言うべきか)。肯定的な存在として老人が語られる。たとえば次の一文。

「老年は、私たちの生涯のひとつの段階であり、ほかのすべての段階と同じように、その特有の顔、特有の雰囲気と温度、特有の喜びと苦悩をもつ」

「老いてゆく中で」という一篇の詩では、「若さを保つことや善をなすことはやさしい」が、「心臓の鼓動が衰えてもなおほほ笑むこと」を学ぶべきだと綴る。シニアの一人であるぼくは、今朝階段を上り下りした後に大きく深呼吸したが、たぶん疲れた表情をあらわにしていたはずだ。修行が足りない。

自分がすでに十分シニアなのに、他のシニアを「自分より・・シニア」として見ることがある。たぶん自分もそんなふうに見られているのだろう。商店街やスーパーで高齢化しつつある客層を見て、その中に自分が紛れる時、自他のシニア度を比較していることに気づく。まだまだ修行が足りない。

昨日、午前10時に開店するスーパーに行った。こんな時間に来るのは初めてだ。まだ5分前なのに、すでに店は開いていた。少なからぬ、見た目一人暮らしのシニアがすでに熱心に品定めをしていた。狩猟民のように見えて頼もしい光景だった。寒い外で待たせるのは気の毒だと、早めに開店する店の配慮がやさしい。

先日、焼酎のお湯割り用グラスのいいのを見つけた。値が張る。以前なら「これで飲めば普通の焼酎がうまくなる」と考えたものだが、今は「自分の家飲みグラスじゃないか。酒に酔わずにナルシズムに酔ってどうする」と言い聞かせる。そして、グラスの値段に相当する900ml焼酎を3本買う。迷わずに、体裁よりも実を取る。

平均的シニアは日々をやりくりして暮らし、行動やシーンごとに細やかに考えて対応する。シニアを一言で語ろうとしてはいけないが、敢えて一文にするなら、シニアは案外「合理性を重んじて生きている」。

見たこと、聞いた話

インド人? ネパール人? パキスタン人? スリランカ人?……顔や体躯を一目見ただけでは区別がつかない。彼らをまとめてぼくは「インド人らしき・・・人」と呼ぶ。大阪のインド料理店で働いているのはパキスタンやネパール系の人が多いと聞いたことがある。店で「あなたは何人ですか?」と聞いて確かめていないので、真偽はわからない。

近くのインド・ネパール料理店の店長はネパール人。自らそう名乗った。かなり食べ慣れたのでインド料理とネパール料理とスリランカ料理の違いがある程度わかるような気がするが、違いを説明するのは難しい。どの店に入ってもいろいろと尋ねるが、答えもいろいろ。一口に日本料理と言ってもいろいろあるのと同じ。

ぼくの住む街ではインド人らしき人とよく出会う。ステレオタイプな印象になるが、女性は小柄でさっさと速足で歩く。男性は細身で髭を生やしていて、たいてい自転車を漕いでいる。そして、イヤホンをして電話をしている。何だかんだと早口で割と大声で喋っている。


同じマンションに数年前までインド人A氏が奥さんと住んでいた。夫婦二人暮らしだが、よく友人が遊びに来て食事をしていた。A氏の5階からぼくの8階まで香ばしいスパイスの匂いが上がってきて、誘ってくれないかなあと願ったものだ。男の子と女の子がいて、インドで学校に通っている。つまり、両親とは別居。長期休暇になると日本で両親と暮らす。

A氏とはエレベーター、エントランス、道でよく会い、会えば英語と大阪弁で話を交わした。「先週テレビで見ましたよ」とぼく。「あ、見てた? そう、神戸の教会やね」とA氏。インド人のシーク教徒が礼拝する教会とのことだった。ちなみに、A氏はいつもターバンをしていて濃くて長い髭をたくわえている。

A氏によると、ターバンを巻く男性はシーク教徒のみで、髪も生涯切らず、髭も伸ばすばかりでまったく剃らない。シーク教徒は人口の2パーセントにも満たないのだから、ターバン組は少数派なのだ。日本人の抱くインド人の風貌のイメージは固定観念だった。「インド人と言えば、ターバン」などと言うと、ほとんどのインド人がびっくりする。

A氏の奥さんは、いつ見てもエコバッグからはみ出るほどのニンジンを買い込んでいた。インド料理にニンジン? といぶかったものだが、後年、スパイスの効いたアチャールという漬物だと知る。味こそ違うが、インド料理でもネパール料理でもスリランカ料理でも添えられたり小さな壺に入れてテーブルに置いてあったりする。インド人らしき人たちはみなアチャールを食べる。ぼくにとってもアチャールは福神漬けのような存在になった。

明るい夕方と陰翳の夕方

大阪市の北区と中央区は、この時期イルミネーションで華やかになる。年々コンテンツも多様化している。3年前までの数年間、御堂筋イルミネーションの業者選定審査員をしていた。立場上、1シーズンに23回足を運んで効果を検分した。その御堂筋イルミネーションは大晦日まで続く。

光の饗宴イベントはもう一つある。「OSAKA光のルネサンス2023」がそれ。こちらは8つのプログラムで構成されている。中之島イルミネーションストリートのみ大晦日まで続く。その他は今夜まで。光のルネサンスの一番人気は「大阪市中央公会堂プロジェクションマッピング」。過去56回鑑賞している。

クリスマスイブの昨日、近くで食事の予定があったので、早めに出て中之島に立寄った。数年ぶりのマッピングだ(何年か前までは「ウォールタペストリー」という名が付いていた記憶がある)。夕方4時半頃に着くとすでにかなりの人が集まっていた。5時から9時まで、7分間の作品が1時間に4回、合計16回上映される。

午後445分頃の中之島公会堂。冬でもまだ明るい。

いつも夕食後に来ていたから、建物の背後は暗闇のスクリーンと化す時間帯。建物に投影されるカラフルな光の絵はくっきりと浮かび上がり、動きもよく見えた。ところが、昨日は5時ちょうどの1回目の上映に立ち会った。ついでに寄ったのだし、たぶん明るすぎてよく見えないだろうと了解してのこと。案の定だった。

写真でも動画でもカラフルなぬり絵という感じ。夕方5時だとこれが精一杯。

期待して来た大勢の人たちはどう思ったのだろう。もう少し暗くなるのを待ってもう一度見た人はいいが、後に予定があればどうしようもない。おそらくがっかりして去った人も少なくなかったはず。いつぞやの上映ではどよめきが起こりフィナーレで拍手もあったが、昨日はシーンとしていた。

陰影あってのプロジェクションマッピングだ。まだ明るい5時にスタートする意味がない。6時か7時始まりにして10時までやればいい。人の夕方感覚は冬場で4時から7時、夏場で5時から8時ではないか。冬とは言え、5時台に上映しても作品は真価を発揮できない。

さて、今日が最終日。関係者でないから案ずることはないが、すっかり日暮れた時間帯にもう一度見てみるのも悪くないと思い始めている。それでがっかりなら、明暗の問題ではなく作品自体の問題になる。

他人の口癖を拾って数える

自分の口癖に本人が気づくことはめったにない。口癖は他人の耳に胼胝たこを作る。口癖というものは他人に気づかれ、本人には知らされない。わずか23分の話の間に10回以上「めっちゃ」を繰り返した女性がいたが、高揚した本人はそのことをまったく自覚していない。

語彙不足気味の評論家や講師には口癖の多い人が目立つ。言いよどみかけたら「やはり/やっぱり」を挟む。理由もないのに「だから」を多用して、筋が通っているように見せかける。「要は、要するに、つまり、言い換えれば」と転じたものの結論めいたものはなく、何を言っているのかよくわからない人もいる。

政治や行政の関係者には微妙な違いを「温度差がある」と言い、最優先課題という意味の「1丁目1番地」が気に入っている人が少なくない。また、「~するところでございます」や「~してまいります」という時代がかった常套句もよく耳にする。口癖は形式であって、ほとんど意味を持たない。

一対一の会話の中の口癖は一人で一手に引き受けなくてはならず、リアクションのしかたに困ることがある。大げさに「ウソ!? ホント!?  マジで!?」と合いの手を入れる人。以前、何を言っても、ワンパターンな「でしょ!?」で同意する強者つわものもいた。「はい」や「そうです」と軽やかでいいのに、「左様でございます」と応じた人よ、あなたは武士の末裔か。

どんなことを尋ねても、「全然大丈夫です」という店員もいる。「有料のレジ袋はご入用ですか?」や「○○アプリはお持ちですか?」も耳に付く。どちらも口癖ではなく、教えられたマニュアルトークだ。「バッグ持ってます。ポイントはないです」と機先を制すれば聞かれずに済む。 

1分や2分の短い間に同じことばが繰り返されるから口癖だと認識する。他人の口癖を拾ってしまうのは話の中身が薄く手持ちぶさたになるからだ。退屈な話をする話者のせいで、口癖を数える癖がついてしまった。逆の立場にならぬよう気をつけたい。

消えゆく季節のことば

大阪城南外濠の六番櫓付近

オフィスに近い大阪城と天満橋八軒家浜はちけんやはまには「標本的地点」と呼べそうなスポットが随所にあり、季節の移ろいを感知しやすい。9月下旬から11月上旬に撮った写真を数年前と今年で比較してみると、明らかに今年は秋が遅れている。ここ1ヵ月、夏を引きずったまま季節がほとんど動いていない。

最近とみに季節のメリハリの無さを痛感する。「春夏秋冬」が消滅危惧四字熟語になりかねない。四季でそうなのだから、ましてや繊細なグラデーションの二十四節気の趣がいつ消えてもおかしくない。暦以外でほとんど見聞きすることのない、雨水、清明、小満、芒種、白露、霜降などはとりわけ危うい。

旧暦に倣って暦月れきづきで区切ると、今よりも2ヵ月早く、春が正月~3月、夏が4月~6月、秋が7月~9月、冬が10月~12月になる。一方、二十四節気の節で区切れば、立春~立夏~立秋~立冬……と巡り、春は2月初旬、夏は5月初旬、秋は8月初旬、冬は11月初旬に、それぞれ始まる。


わが国は地域に寒暖差があるから、春だから暖かいとか、11月は紅葉真っ盛りなどと一概に言えない。暦月も節月せつづきも現代人が知覚している春夏秋冬とズレてきている。四季の名と体感を合わせようと思えば、結局は気象学的に区切ることになる。つまり、3月~5月の春、6月~8月の夏、9月~11月の秋、12月~2月の冬。

しかし、今年のような場合、四季に分けることにも一季に3ヵ月を割り振ることにも無理があるような気がする。夏が6月~10月と5ヵ月続き、秋が11月のみという異変ぶり。その11月がほぼ連日の夏日なのだから、このまま冬に突入すれば秋が消滅しかねない。かろうじてスーパーマーケットの食材に季節の味覚を想像しようと努める今日この頃だ。

世界には7,168の言語があり、そのうちの約40パーセントが消滅危惧言語とされている。日本語という同一言語内においても、同じようなことが起こりうる。四季折々の表現を口にしたり書いたりする人が減っていくと、季節のことばが一つずつ日本語から消えていくのである。今年に関して言えば、ファッションは春夏でも秋冬でもなく、「夏秋もの」を先取りするべきだった。

食事の前、後、間のこと

いつ、どのタイミングで薬を飲むかに神経質な人たちがいる。ぼくはと言えば、あまり薬のご厄介にはならないが、予防的に処方してもらうことがある。処方されたのが漢方薬の場合、昼食前の服用をよく忘れる。食前に比べれば食後は飲み忘れはあまりしない。とにかく食べた後に飲めばいいのだから。食べ終えたが、その後にデザートのつもりなら、デザートの後に飲めばいい。

かかりつけ医に聞いたことがある。食後とは「食べてから230以内」のこと。「薬は正しく服用」などと言うが、「230分以内」という言い方がかなりアバウトではないか。20分と30分では10分の誤差がある。いちいち気にしたくなければ、食べ終えたらすぐに飲むのがいい。実際、食事処では薬オタクっぽい人ほど箸を置いて即服用しているようだ。

ほとんどの漢方薬は食前の服用が推奨されている。漢方薬をよく服用していた父は忘れずに飲み、几帳面に15分ほどしてから食事を始めたものだ。食後の目安を聞いたさっきの医師に食前のことも聞いたら、これまた食事の230分前という返事。食事の1時間前でもいいとのことだった。

要するに、食後とは食べてから(できれば)半時間以内、遅くとも1時間後までに服用すること、また食前とは(できれば)食べる半時間前、場合によっては1時間前までに服用することのようである(諸説あるかもしれないが、気にしていてはキリがない)。


ところで、食後とは何時間経っていても食後だから、飲み忘れたのに気づいたのが仮に2時間後でも食後には違いない。問題は、先に飲まねばならない食前服用を忘れて、食べた後に思い出した時である。これも医師に聞いたら、「1回パスするよりも、思い出した時点で飲めばいい」ということだった。思い出して1時間後に食前の薬を飲めば、食後の薬と同じことになるが、それも可なのである。

食間は「食事と食事の間」だが、朝食と昼食(または昼食と夕食)のど真ん中という意味ではない。もしど真ん中なら、午後7時の夕食と翌日午前7時の朝食のど真ん中は午前1時ということになる。目覚ましで夜中に起きて飲まねばならなくなる。正しくは、食後2時間以上経っていれば食間扱いである。

食間を「食事中」と勘違いする話はギャグだと思っていたが、実際にいるらしい。食前、食後、食間についてきちんと説明してもらっている患者がそれほどいないのかもしれない。知人は10数種類の薬を服用していたが、食前と食後と食間の薬が重なり、すでに飲んだかまだ飲んでないかわからなくなり、ついに毎日記録する破目に陥った。一日中薬を飲み続けて薬漬け状態になっていた。努力空しく、残念なことに数年前に亡くなった。

夏のレビュー

埼玉で結婚式があって招かれたのが10年前の7月中旬。記録的な暑さに頭が朦朧とし会話もままならないほど消耗した。披露宴が終わって式場から礼服のまま乗ったタクシーが駅に着く。ドアが開いて降り立った時のあの灼熱と呼吸困難の苦痛が今もよみがえる。

京都伏見の4年前の8月。研修先から駅まで徒歩での帰路。この日もスーツ姿での日帰り出張。上着を着ようが脱ごうがほとんど差がない。容赦のない陽射し、38℃前後の猛烈で残酷な10分間だった。「駅まで車で送りましょうか?」という申し出に甘えておけばよかったと後悔した。

2023912日の今日も32℃超えでまだ夏の真っ只中。ギラギラ太陽の炎天下が7月からずっと続いている。体感的には埼玉や京都のあの暑さには及んでいないかもしれないが、ぼくはあの頃よりも加齢しているのである。50日も真夏にさらされてくたばっているのである。ここ数年、6月~9月の4ヵ月が夏の季節となり、秋の担当は10月と11月だけになった。

 

ローマ字表記すれば“a-tsu”nを付ければ“na-tsu”になる。「なつ」と「あつ」は似ていて、同源説があることにも頷ける。天気や天候の話などは社交辞令の最たるものだと思っているが、こと今夏に限っては常套句の「暑いですね」以外の選択肢が思い浮かばない。

一雨が欲しいと思っていたら強いにわか雨があった。あっという間に止んだ。気象予報士は複雑な気分だろう。雨が欲しいけれど、おぞましいほど降る地域があるのだ。週に一、二度バランスよく降れば言うことないが、ぼくの生活域では雨は少な過ぎる。

「今日も青い空が広がりそうです」という天気予報は、暑さを棚上げして爽やかな天気を強調するかのような言い回し。違和感を覚える。晴天であっても、今夏の空模様の表現を喜ばしく「晴れ」と言ってはいけないのではないか。高温多湿の熱中症を心配しながら、同時に豪雨も恐れるという困った夏が、まだしばらく居座るらしい。

マイナス転じてプラスに

「ピンチの後にチャンスあり」と励まされても、危機は突然好機に変わらない。現実は甘くない。ピンチはピンチであってチャンスではない。ピンチはマイナスであり、プラスではない。マイナスは勝手にプラスにならない。一縷の望みがあるとすれば、マイナス状況をプラスとして解釈しようという心の持ち方である。

どう見ても厄介なことだが、視点や方法を変えて対処すればうまく好転するかもしれない。これを「わざわいを転じて福となす」という。こういう類の諺はいろいろある。「苦は楽の種」もその一つ。冷静に考えれば、苦はさらなる苦の種になる可能性が大きい。リンゴの種がリンゴの木になりリンゴの実をつけるように、苦の種は苦の木になり苦の実をつけるはず。「小苦は大苦の種」のほうがおおむね正しい。

アスファルト化された都会では雨が降って地が固まることはなく、大雨は冠水をもたらす。「雨降って地固まる」は今もなお、結婚式の主賓が雨の日の結婚式をポジティブに演出しようとする常套句。色褪せた諺の唯一の出番は結婚式である。「雨降って地がゆるむが、時間が経って地は乾き、やがて地は固まる」という論理だが、省略して「雨降って地固まる」。

ハレの儀の日の「雨降り」がよくないという前提に立っている。では、今夏のようなカンカン照りでいいのか。そうとも言えない。「日が照って熱こもる」という、プラス転じてマイナスの図はもっと困る。余談になるが、「雨降って空気冷やす」に期待できないから、ついに先週日傘を手に入れた。日傘が灼熱の苦を鎮静するのを期待して。


マイナスを「逆縁」、プラスを「順縁」として表現した仏教哲学者の中村はじめのエピソードには励まされる。

中村は20年の歳月を費やして、3万語を収録した『佛教語大辞典』を200字詰め原稿用紙で4万枚書き上げて出版社に手渡した。ところが、出版社はあいにく引越しの最中で、中村の原稿はゴミと間違えて捨てられてしまったのである。涙を流して謝罪に来た出版社に対して、中村は「怒っても原稿は出てこない」と平然を装って言うしかなかった。そうは言っても、さすがに中村は1ヵ月以上呆然としていたらしい。しかし、妻の「やり直してみたら」の一言に奮起した。そして、この日からさらに8年をかけて完成させた。紛失した原稿に取り掛かってから数えて27年が過ぎていた。中村は言った。

「やり直したお陰で収録語は3万から45千に増え、ずっといいものができました。逆縁転じて順縁となりました。人生において遅いとか早いということはございません。思いついた時、気づいた時、その時が常にスタートですよ」。

ストレスが溜まってもストレスと闘ってはいけない。困難な仕事を課されても弱音を吐いてはいけないのだ。もちろん、祈りは通じないし、偶然や他力にも期待できないが、実は逆縁こそが、逆縁そのものを順縁に変える力を貸してくれるのである。

虚心坦懐のこと

一たび勝たんとするに急なる、たちまち頭熱し胸踊り、措置かへつて顚倒てんとうし、進退度を失するのうれいを免れることは出来ない。もし或はのがれて防禦ぼうぎょの地位に立たんと欲す、忽ち退縮たいしゅくの気を生じ来たりて相手に乗ぜられる。こと、大小となくこの規則に支配せらるのだ。

二十代半ばで読んだ『氷川清話』(勝海舟)の一節である。元々は剣術の話だったと記憶している。勝とう勝とうと焦るとうまくいかず、かと言って、守ろう守ろうとすると消極的になり相手に付け込まれる。たいていのことに当てはまるが、論争や議論をしている時の心理がほぼこの通りに作用した経験がある。

じたばたもせず、またぐずぐずもせず、どんな状況にあっても、まずは自力を用いるしかない。己の自力(または地力)がどの程度かよく心得て、それ以上の力に期待しないよう腹を据えておく。望外の力が出たら「まぐれ」だと思いなす。同書で「虚心坦懐」という熟語の意味を正しく知り、その後長く座右の銘としていた。

虚心も坦懐も、つまるところ、素直で平穏な、こだわりもなくわだかまりもない状態である。しかし、こういう心の持ちようが一番難しい。虚心坦懐と口にする時は、はしゃいだり騒いだりしてはいけない。残念なことに、JK元首相が大声で「虚心坦懐!」と張り上げるのをテレビで見、しかも座右の銘にしていたのを知って以来、使わなくなった。

虚心坦懐が陳腐なことばに聞こえそうなので、まず声に出さなくなった。書くこともなくなったが、今日は久しぶりに書いてみた。一時的に座右の銘にしていたほどだから、消しゴム篆刻もした。落款として年賀状で使ったことがある。スキャンした印影データが残っていた。彫ったハンコの行方は不明である消しゴムとして使った覚えがないので、きっとどこかにあるはず。

写真で追う年月日

高津神社裏手の白梅

先日、20201月中旬からの1カ月半を振り返ってみた。振り返りのきっかけは2週間前の大阪城の梅林散策。今年の咲き具合を数年遡って比較していて、2020126日の高津神社の写真に目が止まった。ノートに同じ日付けがないか調べてみると、あった。「2020/01/26  踊る梅、芽吹く梅」と題して走り書きしたページだ。

神社裏の庭に白梅がぽつぽつと小さく咲いていたが、昨年よりもだいぶ早い。今日も温暖だった。ほとんどの枝で蕾が今まさにふくらもうとしていた。すでに芽吹いてこぢんまりと一斉に咲いている枝もある。
梅の特徴はたくましい幹と四方八方に伸びる枝ぶりに出る。枝の伸びるさまとゴツゴツとした曲線は力強い踊りを思わせる。時にその姿態は得体の知れない魔物に化ける。白梅の可憐さとは対照的に、梅の木のシルエットは天候や時間帯によっては不気味な存在に見える。

牧野植物園の冬に咲く花

2020115日、日本初の新型コロナウィルスの感染が発表された。長期出張で高知にいたが、その日はたまたま空き日だったので牧野植物園を訪れていた。植物を自分事として広大な敷地を歩き回る一方で、コロナはまったく他人事だった。冒頭の126日になっても、コロナの行方は定かではなく、世間はまだ恐怖心に怯えていなかった。

およそ半月後の211日、京都は平安神宮方面に出掛けて、白川沿いから知恩院あたりを散策した。駐車場にバスは一台も止まっておらず、名所はどこも閑散としていた京都はその日、観光都市ではなく「古都」だった。そのことを――団体から中国語が聞こえてこないことも含めて――幸運だと思った。

その4日後の215日、どうなるかと案じていたが、以前から決まっていた大会が神戸で開催された。大講堂では席の間引きもなく多数が一堂に集まった。マスクは事前告知で推奨もされておらず、当日に強要もされなかった。万が一クラスターが発生していたらと今思うと、綱渡りの開催決行に冷や汗が出そうになる。

その翌週から2月下旬まで、マスクの着用は求められたが、美術館へ映画館へと出掛けたし、週末は普通に外食もしていた。パンデミックや感染の不安が露わになったのはは3月に入ってからだ。特に、志村けんが亡くなったのを機に人々の意識が大きく変化した。329日のことである。

3年は長かったようであっと言う間だった。いや、あっと言う間のようで長かったと言うべきか。以前なら思い出しづらかった年月日を、写真のデジタル記録が教えてくれる。年月日が紐づけられて経験や場面が容易によみがえる。あの年の1月から始まった3年間をさっさと忘れてしまいたいが、なかなか忘れられないし、きれいさっぱり忘れてはいけないのだろう。