習作した頃 #2

犬と猫の夜語り犬と猫の夜語よがた

 

 

世には犬をうとましく思ふ者があり、猫を毛嫌いする連中もゐる。人といふのは身勝手なもので、己の度量と器量の無さを棚に上げてゐるくせに、やれ犬はこれこれ猫はかれこれだと、些細な欠点に目くじらを立てては大仰に騒ぎ立てる。これ即ち当世の習はしのやうである。

占い師に犬は貴家の相には合はぬ、八卦見に猫は不吉なりなどと告げられると、主人は手のひらを返して昨日の友を今日の敵のやうに扱ひ、何事をもはばかることなく平気な顔をして見捨ててしまふ。飼ひ主に手を噛まれた挙句、住み家を失つた犬猫諸君は、もの悲しげな鳴き声を交わしながら、朝な夕な一つ処に身を寄せ合つてゐるさうな。

雲行きの怪しいある日の夕暮れ時、淋しい表情を浮かべた新入りの犬君に向かつて猫嬢がささやいた。

「あなたもお気の毒なお方ね。わたくしたちは、ついこの前まであれほど幸せさうなあなたを見て羨ましく思つてゐたのですもの。」

「世の常なのでせう。若主人が妻をめとられ、お仕えする方が一人増えたと喜んでゐたら、その嫁は大変な犬嫌ひ。猫なら愛らしいが、犬はどうにもかうにも好きになれぬと主人に泣きついた。その一言で、数年来お供してきたぼくは追ひ出されてこの有様。情けなくて涙も出なかつたといふ次第。」

「わたくしもさうだつたのです。うちの主人は一人暮らしのご隠居さん。それはそれはわたくしをよく世話してくれましたわ。ところが、先日、家に泥棒が押し入つた折り、わたくしときたら見てゐるだけでどうにもできなかつた。隠居さん、帰つてきてびつくり仰天。後生大事にしてゐた掛け軸が盗られてゐたのです。それからといふもの、猫は役立たずだ、犬なら吠えて用心になつたのにと八つ当たり。放り出されはしなかつたけれど、居たたまれず家を後にしたのです。」

「可哀さうに……。」 犬君は目を合はせることができずうつむいた。

ちやうどその時、空が突然真つ暗になり大粒の雨が降り始めた。雨は激しく軒先を叩き耳をつんざいた。互ひの声は土砂降りの雨音に掻き消されて聞き取れない。犬君と猫嬢は語り継ぐ言葉を失ひ、黙つてそれぞれの昔を懐かしんでゐた。

雨が小降りになるのを見計らつて、猫嬢が口を開いた。

「ねえ、捨てる神に拾ふ神と云ふぢやありませんか。あなたとわたくし、互ひの古巣を取り換へるのはいかがでせう。」

「取り換へる……。」 犬君、意味を解せず、不思議さうに猫嬢の顔を見つめた。

「さう、何となく迷つた振りをして庭へ入り込むのですよ。どう転ぶかわからないけれど、もしかするとうまく行くかもしれないわ。だけど下心を見抜かれないやう用心は必要です。」

「なるほど。猫嫌ひになつた隠居さんちへぼくが行き、犬嫌ひのうちの若主人ちへあなたが行く。これはやつてみる値打ちがありさうです。」

「雨宿りを装ふには願つてもない吉日。では早速……」と言ふや否や、猫嬢は路地の塀を身軽に乗り越へて屋根向かうへと消えた。犬君も表通りに出て隠居の家の方へと駆け出した。

その日から幾日かが過ぎた。犬君も猫嬢も首尾よく後がまに居座つて幸せに暮らし始めた様子である。

さらに幾日かが過ぎた晴れた日の夕刻。猫を腕に抱へた女と犬を連れた老人が路地で出くわした。互ひの生き物に一瞥をくれて、おのおの心中冷ややかに呟いた。

(まあまあ、うちの捨て犬を連れて町ん中をお歩きだなんて……。物好きな方もおありだこと。)

(ほほう、あの薄情猫か。小汚いのを大事さうに抱いてゐるわい。ほどなく泥棒に空巣狙いされやう。)

犬君も猫嬢も飼ひ主二人の想ひを見透かしたのは言ふまでもない。犬君、夕闇の満月に向かつて「わおぅぅぅん」と誇らしげに吠へ、猫嬢、甘い声で「みやぁぁぁお」と鳴いて応へた。

岡野勝志 作 〈1970年代の短編習作帖より〉

習作した頃 #1

うず


彼は古書店でフランス語の短編小説集を手にした。そして、本をめくっているうちに偶然この一編を見つけた。自ら体験した現実が小説になっているのを知って彼は驚愕し打ち震え、その震えはしばらく止まらなかった。著者は彼には聞き覚えのない名前だった。

『トゥールビヨン公園』と題された原作。題材となったエピソードはトゥールビヨンの街の人々にはよく知られていた。しかし、二人称で展開されるこの小説が書かれてからは誰も実話だと思わなくなった。やがて市民たちは、これは実話ではなく作り話なのだと自らに言い聞かせるようになったという。

トゥールビヨンの街には楕円形をした公園がある。樹林が繁り花壇がよく手入れされ、ベンチも十分に据え付けられている。週末や日曜日には、小市民的生活に充足している人々がやってくる。誰もが幸せそうに見える。そう、きっと幸せに違いない。確信はないけれど、たぶん幸せだろう。でも、時々つらいことや嫌なこともあるはず。いや、もしかすると幸せそうな顔をした不幸な人がいるのかもしれない。

ところで、きみは仕事を嫌悪し始めていた。小手先の作業はさほどでもなかったが、大きな負荷がかかる職務には耐えがたくなっていた。単調で平凡な仕事で十分だった。そのように雇い主に申し出ればよかったが、心の中で訴えるばかりで、口には出さなかった。仕事が嫌になり始めると、私生活がおもしろくなくなってきた。きみに家庭があったわけではない。私生活とは個人生活にほかならなかった。ともあれ、白紙であることが許されない、色塗られた時間の刻一刻が大きな負担になってきた。

こうして、きみはもはやこれまでのきみではなくなった。知人や友人と会うのが嫌になった。読書が嫌になった。大好きなカフェに行くのも嫌になった。話すのが嫌になったし、あくびをすることすら嫌になった。指を動かすことも、まばたきすることも嫌になった。
そして、いま、ついに生きることもなんだか嫌なことだと思い始めている。

しかし、いろんなことが嫌になったからといって、生きることだけは嫌になってはいけないだろう……むろん生活の中の小さな不快すら許せないけれど、嫌な気分を自覚できているのは生きている証だし、何から何まで懐疑しても、その懐疑している自分だけは疑いようがない……なんて、まるでルネ・デカルトのようだ……でも、我思うゆえに我ありという具合にはいかない……。独りであれこれ悩んでもはじまらない、こんな時はたぶん誰かに意見を求めるべきなのだろう……こんなふうにきみは考えている。

それでも、顔見知りに相談する気は起こらない。きみは、知り合いが本音で語ってくれるとまったく思わない。むしろ、見知らぬ人たちのほうがよほどいいはずだと思い、相談を持ちかける場所をトゥールビヨン公園にしようと決めるのである。

きみはトゥールビヨン公園の入口にやって来る。大勢の人たちが目に入ってくる。子ども連れの夫婦、ボール遊びに興じる少年たち、鳩にパンくずを与えている老人、巡回中の警察官、静かな樹林の方へ歩いていく若い男女、早足で歩く学生、ベンチに座って散歩人を眺める遊び人……。きみは無作為に相談相手を選ぶことにする。

大きめのベレー帽を深めにかぶった中年男がいる。ベンチの端に腰掛けて雑誌を読んでいる。

「こんにちは。いきなりで恐縮ですが、なぜ生きなければならないんでしょう?」ときみは尋ねる。

男は面倒臭そうに雑誌から目を離し、帽子を髪の生え際のほうへと突き上げた。

「それは、あなたね、雑誌を読むためだよ。死んでしまったら、このトゥールビヨン公園で雑誌を読めないからね」

男はあっさりとそう言ってのける。

「ありがとうございます。とても……」

きみが礼を言い終えないうちに男は雑誌に目を戻し、くすぐられたような笑いにのめり込んでいく。鳩が二羽、きみの足元に近づく。きみは無視する。

次にきみはバラの花壇づたいに樹林の中へ入ろうとしている若い男女の後を小走りに追う。

「こんにちは。失礼ですが、なぜ生き続けなければならないんでしょうか?」

とっさの質問に女が身構えて素早く男の背中へ逃げる。男は険しい目つきできみをきっと睨みつけ、威嚇するように胸を張る。

「恋のためだよ、恋の。恋のために生き続けるのさ。あんたにはわからないだろうけど……」

女が舌なめずりして喉で笑い、男は手首を振って、きみにどこかへ去れと合図をする。

「どうも……」

きみが軽く下げた頭を元に戻すと、二人はこれ見よがしに腕を組み直して樹林の奥へと消えていく。梢を微かに揺するそよ風がきみにも吹いてくる。だが、きみの感覚は反応しない。

しばらく歩いていくと、仔犬を連れた婦人に出くわす。飼犬だけを見るためにかけている眼鏡の輪郭で、その女が他人に無関心であることがわかる。しかし、質問をしてまずいわけはないだろうときみは思う。

「こんにちは。散歩中のところお邪魔して恐れ入ります。なぜ生きることはたいせつなんでしょうか?」

女はきみを無視し、鎖を引っ張る飼犬の尻尾に目をやる。なおもきみは同じ質問を繰り返す。女は絶望的なため息をつき、ヒステリックに語気を荒げる。

「できるかぎり人間から離れて、犬と暮らすためにたいせつなのさ。あんたみたいな野暮な男を憎むためにも生きなきゃならないんだよ。わかったかい!?」

そう言うなり、女は声のトーンを淫らに落として続ける。

「それとは関係ないけどさ、あんたね……くだらない男に抱かれるよりは、ふふ、犬を抱くほうがよほど快楽的なんだよ」

女が喋っているあいだに仔犬は花壇に入り込もうとしている。仔犬の後を追いながら女は叫ぶ。

「ひとりで逃げないでおくれ、あたしも一緒だよ!」

仔犬が甲高く鳴く。しかし、きみにはその鳴き声はほとんど聞こえていない。

こうしてきみはトゥールビヨン公園で休日を過ごす人たちに次から次へと同じ質問を繰り返していく。そのつど反応は様々だが、誰もがなぜ生きるのかについて明快に語る。きみは不思議な気分になっている。これといったたいした理由もないくせに、なぜ精一杯生きるのかを誰もが追求しているんだ……きみはそう思い、ほんの少しだが、励まされたような気がし始めている。

トゥールビヨン公園の光景を振り返り、緑と人々を覆っている透き通った青い空を確かめ、さほど強くない陽光に後押しされるようにして、きみは出口付近へ戻ってくる。小さな雲がやけに目立つ。

そこにはきみと年格好の似た、表情の暗い男性が立っている。だだっ広いトゥールビヨン公園を見渡しているが、焦点の落ち着き場所が見つからないらしい。男性の視線がちょうどきみのいる場所で止まる。虚ろな目がきみに焦点を合わせると、男性はゆっくりと歩み寄ってくる。そして、おどおどした声を絞り出してきみに話しかける。

「お急ぎのご様子ですが、いいでしょうか。一つ質問があるのです。なぜ生きなければいけないんでしょうか?」

不意をつく問いにきみは一瞬困惑する。だが、もうすっかり言い慣れた問いなので、すぐに冷静さを取り戻す。しかし、いざ答えようとしても、言葉が口をついて出てこない。言い慣れはしているが、聞くのは初めてで、しかもその問いには一度も答えたことがないからである。

長く考えては相手が気の毒だと思い、きみはさほど深く考えず、しかし少しよどみながら告げる。

「なぜ生きる……その必要性……と言うことでしょうか……。そうですねぇ……特に……ないのかもしれない……」

渦 

軽いつぶやきのつもりだったが、男性には衝撃を与えたらしかった。なぜなら、消え入りそうな声で「やっぱり、そうでしたか」と言うなり、男性は突然きみの目の前で、小さな、けれども、力のある渦に変化したからである。その渦はどうやら男性のこらえ続けてきた溜息のようであった。きみはあまりの急激な変化に驚き、反射的に地面に伏せなければならなかった。それほどその渦は激しく巻き上げ始めていた。

渦はますます大きく膨らみ、たちまちのうちにトゥールビヨン公園の出口付近から楕円形の中心方向へと広がり吹き荒れた。ぐるぐると回転しながら、そこに居合わせている人たちの溜息を吸収し、決して衰えることなく地面を烈しく撫で続けた。

だが、見た目ほど渦は破壊的ではなかった。きみはその渦の中でしばらく身を伏せていた。きみの皮膚感覚は、そこが静寂で平和な世界であることを冷静にわきまえていた。鳩がせわしなく地面をつつき、渦の風で梢がざわめき、そして犬が相変わらず甲高く鳴いていた。

岡野勝志 作 〈1970年代の短編習作帖より〉

アートナイフと消しゴム

父親は公務員の傍ら書道に没頭し、やがて五十半ばで早期退職して書家一筋の身となった。器用な人なので著名な師範に師事して篆刻も手掛けた。小中学校時代に手習い経験があったぼくに「やってみたらどうだ?」と道具と石を手渡されかけたが、受け取らなかった。もう四半世紀も前の話である。

数年前、工場で規格外となった消しゴムを大量にいただいた。何十年かけても消し尽くせないほどの消しゴムの山を見て、何か別の用途がないものかと考えた。あるはずもない。ハンコにするくらいしか思いつかなかった。そして、彫ってみるかと思い立った。ゴムなら何とかなるだろうと甘い見通しを立て、オルファのプロ用アートナイフを買ってきたのである。

デザインした反転文字を消しゴムの上にフェルトペンで直接かたどり、左手の親指と人差し指で消しゴムを押さえアートナイフ1本だけで印刻する。文字部分を彫る「陰刻」はさほど難しくないが、文字を残す「陽刻」には神経を遣う。なにしろ素材がやわらかいゴムであるから、アートナイフを1ミリでも滑らせたらおしまい。瞬間接着剤でも修正はできない。ある時期腱鞘炎の一歩手前になるまで560個ほど彫っただろうか。ハンコに付いた印肉をティッシュで拭き取らずにそのままプラスチックの容器にポンと収めていたので、ゴムが容器にぴったりとくっついているのに気付いた。それに、ゴムだけに劣化も早い。と言うわけで、印影をスキャンしてデジタル保存したのである。


篆刻用額縁

デジタル化ついでにネットから額縁をダウンロードして16作品を並べてみた。こうして作品をあらためて眺めていると、彫った文字の意味にその時々の思いが反映され、また、一つの線か流れのようなものがあることに気づく。

【一列目左から】

大局観(たいきょくかん)
物事の全体の成り行きを見通し判断すること。十代の頃、将棋を通じてこのことばを知った。

心如水(しんはみずのごとし)
本質を変えずに水は方円の器に随う。心も本物になれば融通が生まれる。なお、「こころ」と読むと情感過多になるので、ここは真に通じる「しん」と音読みしたい。

虚心(きょしん)
虚心坦懐でおなじみ。わだかまりや先入観のないさまだが、心如水に通じる。
三昧(ざんまい)
我を忘れて一事に専念する境地。心が安定していないと難しい。カラオケ三昧などと言うが、ああいうのは誤用である。

【二列目左から】

自在(じざい)
束縛も支障もなく思いのまま振る舞うさま。自由自在などは、言うは易し行うは難しの域である。
(らく)
一文字なので一応「らく」と読むが、手を抜いたり苦を惜しむという意味ではなく、「たの(しむ)」という作意である。
(ゆ)
「あそ(ぶ)」でもなく「ゆう」でもなく、「ゆ」と読ませる。ゆとりの「ゆ」。余裕綽々に興じるさまである。ぼくの主宰するユーモアの会は〈知遊亭ちゆてい〉と言う。
傾聴(けいちょう)
実は、雄弁よりもたいせつな言語行為だと思っている。語られる言葉やメッセージを身構えて理解するのは、語ることよりもハードルが高い。

【三列目左から】

眼力(がんりき)
「めぢから」ではない。また、視力の良さでもない。物事の是非や善悪を見抜く力のことである。

春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)
丸印にして時計に見立て右回りに読む。一人の人生からすればいつかは終わるが、終わるまでは一応巡ることになっている。

人間万事塞翁馬(じんかんばんじさいおうがうま)
計り知れないのが人間の運命。しかし、ここは「にんげん」のことではなく、世間のことである。ゆえに、「じんかん」と読む。

長楽(ちょうらく)
篆刻で人気の二文字。文字通り、長きにわたって楽しむことだが、大袈裟に人生のことを形容するのではなく、飽きずに三昧を楽しむという意味でぼくは使っている。

【四列目左から】

(がん)
何かを得ようとしたら欲が出て願いが叶わない。願っている分にはリスクはない。

知情意創(ちじょういそう)
ギリシア哲学のロゴス・パトス・エトスに近いのが知情意。しかし、漱石の『草枕』の冒頭にもあるように、智に働けば角が立つし、情に棹差せば流されるし、意地を通せば窮屈になる。知情意は「創」につながってやっと完結する。

(えん)
今の繋がりや関わりには不思議な因がある。アナログの縁のみならず、ソーシャルネットワーク上の情報や写真も縁となった。かと言って、目くじらを立てることはない。それが当世というものだから。

妙言無古今(みょうげんにここんなし)
よいことばはいつの時代も名言であり続ける。そんな普遍的価値を湛えることばは潜在しているが、見たり聞いたりすることはめっきり少なくなった。

街と固有名詞

「ところで、そのおいしかった料理って何という名前?」
「ええっと、何だったかなあ。忘れちゃった」

「すみません、この地図の場所に行きたいんですが……」
「常磐町一丁目ですね。ビルの名前は?」
「わからないんです」

現実というのは固有名詞と不可分の関係にある。固有名詞を伴ってはじめて自分の経験として刷り込まれていく。現実から固有名詞を引き算すると、この社会は……この現象は……というふうに語るしかない。そうすると、固有の経験だったものが概念として一般化されることになる。「高度情報化社会」だの「グローバリゼーション」だのと言って考えを片付けた瞬間、経験もことばも現実から浮遊してしまう。

ぼくたちは自分の考えを語ろうとする時、ともすれば固有名詞を封じ込めてしまいがちだ。考えは一般論へ、そしてできれば普遍性へと赴きたがる。その結果、具体的な日常の現実が剥がされるという負の見返り生じる。自らの反省を込めて言うならば、一部の哲学が得意とする形而上学的な語り口になってしまうのである。

考えはある日突然生起してこない。個人的な日常体験や観察が繰り返された上での考えである。そこにレアなままの固有名詞が散りばめられていて何の不都合もない。何よりも、固有名詞が使われているかぎり、多少の歪みはあっても、現実を見ているはずである。匿名のままで済ませて見ているものとは異なる、一度かぎり、その人かぎり、その場かぎりで見えてくるものがある。


理屈っぽいまえがきになったが、街の話を書きたいと思う。

年初にヨーロッパ鉄道紀行なる番組をテレビで観た。スペイン北東部を旅する取材者が「サラゴサに行くのだけれど、見所はどこ?」と尋ねた。地元の女性が間髪を入れず「ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂よ」と答えた。見所とは観光客にとっての名所である。しかし、この女性の誇らしげな話しぶりは、住民にとってもかけがえのない聖地と言いたげだった。ちなみに、この聖堂は世界で初めてマリアに捧げられた教会であり、二百年近くの歳月をかけて建てられたゴシック様式が特徴だ。

東京や大阪も固有名詞である。しかし、それだけでは不十分なのだろう。いや、たとえ東京や大阪と呼んでも、もはや都市と呼んでいるに過ぎず、固有性はすでに色褪せている。ようこそ日本へ、ようこそこれこれの都道府県へ……などでは体験的固有名詞になりえない。もっと小さな単位の現実を見なければならないのである。ヨーロッパの街を旅してずいぶん現地の人たちに見所を聞いたが、彼らはほぼ即答した。お気に入りの街自慢があるのだ。そして、自慢のほとんどはその街の教会であり広場。だから、お気に入りは街の総意とも言える定番でもある。

林立するビル群や新しく建てられたランドマークや巨大ショッピングモールが自慢であってはいかにも寂しい。迫りくる国際観光時代を謳歌しようとしても、それらのPRは長続きはせず、やがて飽きられる。第一、どこもかしこも都会化が進み、名所が伝統や歴史などの固有名詞的価値を孤軍奮闘で背負っている状況だ。海外から極東の小さな島国を眺めるとき、平均点の見所が分散しているよりも、これぞと言う見所が一極集中しているほうが街の魅力がわかりやすい。

ピサの見所は? とピサで尋ねたら、全員が「斜塔に決まってるだろ」と口を揃える。それでいい。とは言え、街の愉しみ方は人それぞれ、その見所の周辺に目配りする旅人も出てくる。ぼくもそんな一人。斜塔から目線をずらして近くの広場に佇んだ。

場所の名称を書いたメモが見当たらない。地図で調べたが不詳。スケッチに光景が残っていても、名を知らなければ少しずつ記憶が遠ざかっていく気がしてならない。

Pisa digital processing

Katsushi Okano
Pisa
2007
Color pencils, pastel (image digitally processed in 2015)

座右の散歩道

「座右の散歩道」などというものは、現実にどこを探しても存在しない。そんなことはわかっている。仮に一度か二度歩いた道であっても、部屋の中にいるかぎり、そんな散歩道は想像の世界にしかない。しかし、気の向くままに出掛け、心弾ませて歩けるような道が机の上のどこかにあれば――もしあれば――愉快この上ないし、「ぼくには座右の散歩道があるんだよ」とちょっぴり自慢できる。

座右というのは、元々はその名の通り、座席の右のことだった。これが転じて「かたわら」を意味するようになったのである。座右と言えば、最初に浮かぶ連語は、ぼくの場合は「座右の銘」。つねに身近に備えて教訓としたり戒めとしたりする格言や名言である。「座右の書」を思い浮かべる人もいるだろう。あいにくぼくにはそのような終生繰り返し読むような本はない。机上には今月読む予定の本が十数冊置いてあるが、どれも座右になることはないはず。おまけに、すべての本は座席の左に積んである。

座右をもっと広義にとらえてみれば、つまり、身の周辺とか身近な場所にまで広げてみれば、座右の書店があってもいいし座右のカフェや居酒屋があってもいい。すぐに駆けつけることはできないが、訪れた経験さえあれば想像上で立ち寄ることはできる。したがって、座右の散歩道も記憶の中に存在し、居ながらにして遊歩を楽しめる機会を与えてくれる。


きみの持っていないものをぼくは持っている
誰かにもらった宝石箱には宝石は入っていないけれど
捨てがたい小物のガラクタがいっぱい詰まっている
そんなことよりも一番の自慢は座右の散歩道
きみの知らない道が日替わりで座右になっていく
気に入ったときに足を踏み出せば
そこがぼくの座右の散歩道
手を差し伸べたら愛読書がそこにあるように
座右の散歩道はぼくがやって来るのを待っている
(岡野勝志)

座右の散歩道2

座右の散歩道に出掛けるのに着替えはいらないし、革靴を履かなくていい。とても気が楽である。気楽というのは当てのないそぞろ歩きをするには絶対の条件だ。とっておきの座右の散歩道の一つがフィレンツェにある。観光客はバスで目的地に行ってしまうが、ぼくには彼らが見えない道が見える。あの有名なポンテヴェッキオの左岸から勾配のある裏道を上がっていく。瀟洒しょうしゃな古い家が点在する中をのどかに歩く。

この道はサン・ミニアート・アル・モンテ教会へと歩く人を誘う。アル・モンテとは「丘の上の」という意味。そこまで歩くと、やがてミケランジェロ広場を見下ろせる。広場のさらに先にはフィレンツェの中世の名残色濃い歴史地区を眺望できる。圧巻は花の大聖堂である。無言のまま軽めの動悸が収まるのを待つ。現地にいれば、そこからアルノ川に沿って旧市街へと戻るのだが、自宅にいる今は目薬をさしてからおもむろに地図を広げることになる。気がつけば実際の散歩と同じ時間が過ぎていた。

新聞を買う、新聞を読む

「新聞はどこで買えるの?」と訊けば、「エディーコラ」と返事され、「えんやこら」のような響きにクスっと笑いそうになったのは、ローマのホテル。

新聞を読みたければたいてい買いに行かねばならない。イタリアやフランスでは当たり前のことだ。夏の暑い朝でも冬の寒い朝でも、最寄りの駅構内の、またはバス停留所近くの、あるいは広場や街角や通りのどこかのエディーコラ(edicola)まで足を運ぶ。キオスク規模の屋台のようなイメージの店である。雑誌を華々しくディスプレイしているから遠目にもわかる。現地の人には行きつけの販売店がある。

日々のニュースはネットで十分という向きが増えたものの、わが国は依然として新聞大国である。読売、朝日、毎日、産経、日経は自宅に配達してくれる全国紙。昨年11月の読売新聞の発行部数は1,000万部弱だった。イタリアの新聞ときたら、最有力紙でさえその5パーセント程度にすぎない。


大晦日も元日も、昨日も今日も新聞は配達された。一部のスポーツ新聞を除いて、ぼくたちは新聞を「買い出し」に行くことはない。一ヵ月単位で新聞代を支払えば自宅に毎朝毎夕届けてくれる。そのつど新聞を買わないで新聞を読むのがぼくらのスタイルである。他方、イタリアでは新聞を読みたければ出掛けなければならない。彼らは毎朝小銭を支払って新聞を買ってから新聞を読んでいる。

一杯のエスプレッソを飲むついでに新聞を買う。フランスでは焼き立てバゲットと新聞を買う。さぞかし面倒だろうと思うけれど、読むにしても食べるにしても、そのつど買うという習慣になじんでいるのである。その行為が、新聞販売店のたたずまいが、街の粋な光景に見えてくるから不思議だ。何でも恵まれすぎないほうがいいのだろう。暮れから10日ほどたまっている新聞にもう一度目を通し、必要な記事を切り抜きながらふとそんなことを思い出した。

IMG_5761Katsushi Okano
Edicola, Roma
2003
Pigment liner, color pencils, pastel

氣新光照

初硯の今日、「氣新光照」を選んで書きぞめとした。説明するに及ばない、わかりやすい四字である。「あらたにひかりあきらか」と読めばいい。

氣新光照

大晦日から元旦になったからと言って、身体が一瞬にして新たに変貌することはない。気のほうは柔軟だ。気分一新ができる。気合いを入れることができる。気の持ちようで光照らすような一年にすることも不可能ではない。

☆     ☆     ☆

古来続くしきたり。喜んで守るか、嫌々守るか(つまり、縛られるか)、まったく気に留めず無視するか……人それぞれ。ぼくはと言えば、かなりアバウトだ。五十を過ぎた頃からしきたり遵守の荷を下ろした。とっつきやすいもの、苦にならないしきたりはおこない、そうでないものはおこなわない。おこなうしきたりにしても、何が何でも守らねばならないなどと肩肘を張らない。

筆を試す年もあればそうでない年もあるという具合で、かなりなまくらである。それでも、気に入った新年の賀詞が見つかれば筆と硯と半紙を取り出す。初夢などは見たくても見れないが、書きぞめのいいのは書きたければ書けるという点である。その際、手習いの上手下手はさほど重要ではない。

十歳から十五歳まで書道を習わされていた。塾をめったにさぼらなかったので傍目には熱心な学び手と見られていたが、気分はつねに「習わされている」。きちんと筆の運びを教わり、ある程度のレベルに達したのが中学三年。そこでぷっつりとやめた。以来、芸事として字を書くことはほとんどなく、冠婚葬祭時にくれ竹の筆ペンを持つ程度である。

書への情熱も薄れ、筆を手にするのも稀な現在、筆致はすっかり我流になってしまった。しかし、書きぞめは年が替わっての気分一新にはとてもいい習慣だと思っている。一年を通じて書くということを前提にしているから、「書きめ」という。にもかかわらず、ぼくにとっては一月二日が書きぞめであり、同時に「書き納め」になることがほとんどである。一枚の半紙に一期一筆で書く。たった一人の書きぞめ式である。

うんめい【運命】

『広辞苑』は「運命」を次のように定義している。

人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福きっきょうかふく。人生は天のめいによって支配されているという思想に基づく。めぐりあわせ。転じて、将来のなりゆき。

運命とサイコロ

「なあんだ、それならサイコロと一緒じゃないか」とつぶやく向きがあるかもしれないが、これを低次元だと一喝するわけにもいかない。サイコロの目は天の命に支配されていないことを反証するのが厄介だ。とは言え、サイコロを転がそうと思う時点で人間の意志は働いている。そして、2個のサイコロの目の合計は2から12に限定されるから、吉凶禍福と言ってもさほど複雑ではない。しかも、たかがお遊びである。


ぼくたちは運命そのものだけを単独で語りがちだが、西洋では古今を問わず、運命を扱う名言・格言のほとんどは「女神」とセットになっている。紀元前のギリシアの哲学者テオフラストスは「人生を支配するのは運命の女神であり、人間の知恵ではない」と言い、古代ローマの喜劇作家プブリウス・シルスは「運命の女神はガラスでできていて、輝きが頂点に達すると壊れてしまう」と言った。『デカメロン』を書いたボッカチオ(14世紀)にも次の格言がある。

運命の女神はほほえみをたたえて、胸もあらわな姿を見せるが、一度だけのことである。

一度とは残念であるが、いいように解釈すれば、一度は胸をあらわにして微笑んでくれるのである。この歳になるまでお目にかかったことがないので、ボッカチオが正しければ、まだチャンスがあるはずである。

何を今さら運命の話をしているのかと言えば、40年前の古いノートに悪魔の辞典風に運命を綴った断片を見つけたからである。当時、運命については諧謔を弄しており、かなり冷笑的であった。次の通り。

運命。それは……

      • 否定的言辞である。
      • イソップ物語の犬が、川の中に肉を落としてしまった時に、心中ポツリとつぶやいたことばである。
      • 過失による過去の汚点を一瞬にして消し去ることのできる、荘厳にして重厚なる消しゴムである。
      • 歴史上著名なかの音楽家が、それなくしても著名であり得たにもかかわらず、それなくしては自己完結できなかったところの不可解な概念である。
      • 定まらぬ道から抜け出て、意識的に生き方を定めようと喘ぐ男が、命を運ぶことによって自己を定める墓標である。
      • 万能のはさみである。
      • 昨日までの怠惰を肯定するために今日の怠惰を否定し、その結果、明日からの怠惰を肯定し得る魔法の杖である。

透明な……

午前中に衣類の入れ替えを済ませた。その後、ランチも兼ねてしばらく外出した。身体が気だるく、帰宅後はごろんとしていた。衣類の片付けが済んでも、半年以上積み放題にしてきた四つ、五つの本の山はそのままである。所在なさげに山々を虚ろな視線で舐める。電源がオンのままのパソコンの画面に向き、iCloudをクリックした。

アルバム内をうろうろしているうちに、20111121日の写真に行き着く。一枚の人物写真。よく晴れわたった日ではあったけれど、陽光が眩しかったわけではない。なのに、その人物は癖のせいか陽射しを気にするようにやや目を細めている。ジーンズに半コート姿、左手をそのコートの左ポケットに浅く入れている。肩から小さなバッグを斜めに掛け、Lumixのカメラを首から吊るしている。その写真に収まっているのは、ぼく自身である。


パリよりも緯度が高いブリュッセル。少々底冷えしていた。透明感のある空気。ついでに時間も透明だった切手がなかなか手に入らない、国際切手を置いていないところが多い……そんな話を以前ブログに書いた。

運よく切手を売っているタバコ屋があり、その店でついでに絵はがきも買った。それでカフェに入り、カフェベルジーノを飲みながら、ささっとボールペンを走らせた(……) 近くのパッサージュのような通りに郵便ポストがあると聞いたので、投函しに行った。
そこにあるポストは壊れかけたような代物で、無事に集配してくれそうな雰囲気がまったくない。通りがかりの学生風の男性に聞いたら、これがポストだと言う。「だけど、一日に一回、午後時半の集配だけだから、明日になるね」と付け加えた。
時計は午後時を回っていた。一日後の集配になるわけだし、何よりも信頼を寄せられない雰囲気のポストだ。というわけで、絵はがきを書いたという証明のために投函前に写真を撮ったのである。だから、消印が押されていない。

当時の様子を綴ったブログが、絵はがきを、郵便ポストを、カフェを、街角を、人の流れを彷彿とさせる。ここに先の自画像のような写真が加わって、ちょっとした回想物語を観劇しているような気分である。その後、飛行機雲の写真も出てきたし、その写真をデジタル的にアレンジした絵を一年前に作成したのも思い出した。何かしら透明なのである。けれども、「透明な」に続くことばを探しあぐねている。

飛行機雲 ブリュッセル webKatsushi Okano
ブリュッセルの飛行機雲
2013
Digital processing

連想から回想へ

いつでもどこでも人は頑張れるわけではない。久しぶりにわが街の坂を自転車で上ると、太ももが言うことを聞かなくなる。もう少しの我慢だ、限界に挑戦せよなどと自らを叱咤しても、できないものはできない。8月初旬から続く毎週の出張でぼくの肉体はちょっと言うことを聞かなくなってきた。

体力だけにかぎらない。人はずっとまじめに勤勉であり続けることもできない。つい気が抜けて油断したり怠けたりしてしまう。ああ、また今日も無為な一日を過ごしてしまったと後悔もする。その後悔をバネに翌日は少し充実した一日にしようと意識を新たにする。

人間が本性的に勤勉であるのか怠け者であるのか……古今東西いろんな見方があったし、今もわからない。言うまでもなく、二律背反のテーマであるはずもない。ある時は勤勉であり、またある時は怠惰になる。後者が高じると無為徒食になり果てる。仕事もせず、何もせず、ただいたずらに時間を過ごしてしまう。一日の終わりに後悔すらしなくなる。


無為徒食と書くと、ワンセットのように放蕩三昧という四字熟語を連想する。ぼくの参照の枠組みがそうなっている。さらにアッシジの守護聖人でありイタリアの守護聖人でもあるフランチェスコ(1182? -1226年)につながる。聖フランチェスコはアッシジの裕福な家庭に生まれた。若い頃に放蕩三昧したあげく、神の声を聞いて聖職への道についた。どのような類の放蕩三昧かは知らないが、神の声を聞いたのはただの凡人でなかった証拠である。

神の声を聞けそうもないぼくたちは、どんなふうにして豹変できるのだろうか。過去に放蕩三昧した覚えはない。成人してからというもの、無為徒食とは縁遠い。そんな普通の人間が、願望があるにもかかわらず、それを実現しようと努力もせず、周囲の人たちや社会へのコミットメントを果たさない。やらねばならないと自覚して、しかし、先送りする。結果的に怠慢組の烙印を押される。


今週の週初め、大阪から鳥取に向かう車窓越しに辺鄙な風景に目を遣っていて、再びアッシジの回想が始まった。ローマから列車で北へ2時間、2000年に世界遺産に登録された聖地である。緑溢れる平野を抜けた丘陵地帯の小村、その自然の一部を大聖堂が借りているかのような風情であった。

IMG_5619Katsushi Okano
Assisi
2004
Pigment liner, watercolors, pastel