抜き書き録〈2023年7月〉

コロナ前に途中まで読んで最後のページまで到らなかった本からの抜き書き。本は無作為に読んでいるが、引用箇所はたまたま言語が共通テーマになった。


📗 『エッフェル塔のかけら――建築家の旅』(岡部憲明)

夕日を背にしたエッフェル塔は光の中に溶解し、風とたわむれ、空の織物となる。エッフェル塔は限りなく透明な構築物だ。なめらかにのびる四本の足から加速度的に空の一点へと収斂していく。透明な軽さは重力を感じさせない。

靴がかなりくたびれるほどパリを歩いた日がある。石畳が多いから靴底のクッションは重要だ。歩くリズムの中に街を感知しながら、予定以上に歩いてしまう。一休みはカフェで、フランスのエスプレッソ「エクスプレッソ・・・・・・・」を注文し、舗道と通行人をぼんやり眺めて午後のひとときを過ごす。パリ市内ではどこにいてもエッフェル塔が見える。パリに三度訪れ、合わせて20日以上滞在したが、エッフェル塔は見飽きない。エッフェル塔は空間的存在のみならず、変幻自在な言語的存在でもある。表現が尽きない。

📗 『言葉とは何か』(丸山圭三郎)

言葉は、それが話されている社会にのみ共通な、経験の固有の概念化・構造化であって、外国語を学ぶということは、すでに知っている事物や概念の新しい名前を知ることではなく、今までとは全く異なった分析やカテゴリー化の新しい視点を獲得すること(……)

国際広報の仕事をしていた20代、30代の頃、日英の翻訳も業務の一つだった。「これ訳しておいてもらえる?」と気軽に依頼されたが、気楽にできるものではなかった。翻訳とは二言語間の単なる文字面もじづらの置き換えではない。ものの見方、感情や生活様式、慣習、風俗など、何から何までそっくり照らし合わせなければならないのだ。AIがどこまで概念化・構造化としての言語を分析できるようになるのか、興味津々である。

📗 『言語の科学――ことば・心・人間本性』(チョムスキー)

言語は6万年前、突然変異で人間の脳が再配線され、それを契機に生まれた能力である。言語が人間を人間にしたのだ。

人間を人間たらしめているのが言語なら、言語のどの要素が最も決定的なのか。言語は人間どうしの意味の共有を可能にした。今ここにないモノをその名によって伝え、見えない時間や感情を記号化して分かり合えるようになった。この6万年間、ホモサピエンスの他にこの能力を獲得した動物はいない。しかし人間は、言語と引き換えにそれまで駆使していたはずの固有の能力のほとんどを失ったはずである。

雨ナントカ

一昨日の夕方近く、我慢の限界に達したかのように豪雨が突然襲ってきた。まるで潜んでいたゲリラがふいに現れたようだった。ゲリラ豪雨とは言い得て妙だ。漢字の「雨」の成り立ちは雲から落ちる粒状の水だが、豪雨にはこんな可愛さは微塵もない。

月や季節の変わり目に何冊かの歳時記を取り出して、バーチャルに季節感を再現する。「雨(あま/あめ)ナントカ」という熟語は結構多い。

雨脚、雨蛙、雨傘、雨雲、雨乞い、雨空、雨垂れ、雨粒、雨戸、雨宿り、雨上がり、雨男、雨風、雨露雨模様……。

取り出した本の目次と索引から「雨(あま/あめ)ナントカ」という文字を探す。「ナントカ雨」は多いが、「雨ナントカ」ということばの歳時記は意外にも少ない。調べ方の問題があったかもしれない。一昨日の雨には情趣も何もなかったので、ひとひねりして「雨男」と「雨乞い」にねらいをつけてもう少し探してみた。

雨男

グループが集まったり出掛けたりする時に雨が降り出す。そのグループの中に雨を降らせる男がいる。それが雨男だ(雨女でもいい)。男が十人集まって雨が降れば、みんなが雨男かもしれないのに、だいたい一人か二人の男が「ぼく、雨男なんです」といち早く名乗りを上げる。「うぬぼれてはいけない。きみごときが神のように空模様をアレンジできるはずがない」と何度か言ってやったことがある。

明治の文豪、尾崎紅葉は雨男として知られていた。歌人の佐々木信綱も雨男だった。

「ところがいつかこの二人がいっしょに出かけたところ、雨が降らないどころか、カンカン照り。雨性あめしょうと雨性とがぶつかって晴天となったもので、両陰相合して陽となるの原理によるものだと評判だったそうな。」(金田一春彦『ことばの歳時記』より)

この一例しか見つからなかった。そうか、雨男は年中どこでもいるから、歳時記の対象にふさわしくないのだろう。

雨乞い

引っ張り出してきた歳時記のどれにも見当たらなかった。以前何かの本で見つけて、本ブログでも紹介したエピソードを思い出した。

雨が長らく降らずに困ると、アフリカのある部族は雨乞いをする。酋長の指示に従って部族の男たちは雨よ降れとばかりに踊り始める。そして、雨乞いダンスをすれば百発百中でやがて雨が降るのである。不思議でも何でもない。雨が降るまで踊り続ければいいのだから。

現代人は空模様から雨を予知してはいない。気象予報士が「午後から雨」と言うから、雨が降ると思っている。「降水確率は10パーセントでしょう」と言うから、傘を持たずに出掛けている。予報しない時代のほうが、たぶん雨には雰囲気があった。それが証拠に日本人はいろんな表現で雨を命名したのだ。

調べものの最後に『歳時記百話 季を生きる』(高橋睦郎著)の中の「夕立」が目に止まった。一昨日の雨は激しかったが、夕立の一種とも言える。いくつか拾ってみた。

ゆふ立ちやよみがへりたるたおれ馬  几菫
夕立が洗つていつた茄子なすをもぐ   山頭火
さつきから夕立ゆだちはしにゐるらしき  晴子

最後の句は一昨日の雨に通じる。但し、「さつきから」ではなく「とつぜんの」、「夕立」は「豪雨」、ゐるところは「端」ではなく「ど真ん中」。豪雨は人に「我こそが今そのど真ん中にゐる」と恐怖させる。

焼きそばを食べ比べる

『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』というパロディ本がある。100人ほどの文豪の名文の一節をカップ焼きそばをテーマとして創作した一冊。たとえばシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のあの有名なシーンが次のように化けている。

ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの? バラは名前を捨てても、その香りは美しいまま。
インスタントになっても、焼きそばは美味しいまま。
ロミオ、その名前を捨てて。私に顔を見せて。蓋を開けたら麺が見えるように!

こんな具合に名作のパロディが書かれる。佳作とそうでないものが半々というところか。カップ焼きそばがパロディになるのは、カップ焼きそばの本質に愉快があるからだ。鉄板で調理する焼きそばはB級グルメなどと言われるが、カップごときに負けるわけにはいかない。それどころか、うまさに唸ることも稀ではない。

時々ぶらぶら歩く商店街に「ヤキソバ研究所」なる醤油焼きそばの専門店がある。入店体験なし。興味がないわけではないが、近くを通る時はいつもランチの後。ともあれ、焼きそばは立派に研究対象になり、その成果が商いになることの証明である。


焼きそばの研究家や通などとは思わないが、焼きそばは好きであり、好きと言うかぎりは数をこなしており、平均すると週一ペースになるかもしれない。これまた好物のパスタといい勝負である。と言うわけで、今年になって食べた焼きそばをレビューしてみる。

定番のソース焼きそば

具は豚肉とキャベツのみ。具の種類は少なめがおすすめ。卓上のソースを好みに応じて足す。焼きそばとご飯をいっしょに食べるかどうかという論争があるが、好きにすればいい。

上海焼きそば

ソース焼きそばに比べて具が多い。そばをベースにしたあっさり系の野菜炒めという感じ。上海焼きそばと香港焼きそばは見た目よく似ている。色合いと味は香港のほうがやや濃い。

西安クミン焼きそば

行きつけだった店では「西安シーアン焼きうどん」と呼んでいた。これでもかとばかりにクミンと唐辛子をまぶしてある。ご飯に合う。この店、残念なことに移転してしまった。

タイの焼きそば、パッタイ

カオマンガイで使う鶏肉とモヤシを炒める。生野菜が添えられ、唐辛子と砕いたピーナツがかかっている。日本米だと合わないが、タイ米との相性はかなりすぐれている。

タイの醤油焼きそば、パットシ―ユー

パッタイに青菜が加わり、見た目も味も濃くなっている。上海も香港もこのパットシーユーも醤油味が違う。組み合わせる調味料によって醤油の味変が生じるのだろう。

モンゴルの羊肉焼きそば、ツォイピン

珍しい羊肉の焼きそば。割と辛めに作られている。羊を敬遠する人は多いが、牛肉焼きそばよりはかなりおいしい(牛肉は焼きそばの具としてはイマイチである)。

リングイーネの創作焼きそば

リングイーネという稲庭うどんに似たパスタを使う、わが家の創作焼きそば。茹で残ったリングイーネを好みのキノコと炒め、醤油を数滴たらす。刻み海苔と大葉をまぶす。

さっと見てすっと分かる

どんなに時間をかけて読んでも全然分からない本がある。たとえばヘーゲルやハイデッガーの本。しかし、哲学書はそんなものだと割り切っているので、自分の能力不足のせいにしておけばいい。厄介なのはピンとこない俳句や短歌や詩だ。せっかく楽しく味わおうとしても、詠み手や歌い手がことばをいじくっては自己満足して、読者を置き去りにする。ぼくもレトリックに凝って伝わりにくい文章を書くことがあるので、思い当たるフシはある。

さっと見るだけですっと分かってもらえる文や詩はあれもこれもと欲張らない。小事やささやかな思いを脚色し過ぎず、また主題を広げることもない。ところで、旅先で時間があれば名所旧跡を足早に訪れる。どこに行っても碑があり、石に刻まれた句や歌の文字の一部は長い歳月を経て摩耗して判読しづらい。仮に判読可能だとしても、語彙も意味も難しい。碑の横の説明板を読むことになる。

先日、長崎に滞在中、長い階段で有名な諏訪神社に赴いた。無事に息切れもせず階段を上り切り、帰りに通った裏道の途中に一つの歌碑に出合った。

川端に牛と馬とがつながれて牛と馬とが風に吹かるる  三郎

そうそう、これこれ。歌碑とはこうでなくては! と小躍りする。久しぶりに文字が瞬時に判読できた。分かった後に何を想像しようが哲学しようが余韻に浸ろうが自由だが、さっと見てすっと分かるとはこういう歌なのだと思う。気になったので調べた。「歌人中村三郎、明治24年長崎県で出生、大正11年没。享年32歳」。


甲骨文字の「目」

さっと見てすっと分かるには、対象が素朴で平易であること、かつ鑑賞者(または観賞者)の理解能力があること。将棋や囲碁のある局面で、一目ひとめで何十手も一瞬で読めるのは才能である。ちらっと見て何もかも先の先まで分かることを一目瞭然いちもくりょうぜんという。手元の盤面ではなく、それが風景になると一望いちぼうに見渡す視野の広さがいる。

「一」の後に「見る」という意味の単漢字を添えると、さっと見てすっと分かる二字熟語ができる。一目や一望の他に、一見いっけんがある。初見でもちょっと見るだけで分かるのだから「一」なのだろう。一睨いちげいなら、ひとにらみ。目で相手を牽制する様子がうかがえる。

一瞥いちべつなら対象への思いやりが軽い。「まあ、わざわざ気にとめることもないが、ちょっと見ておいてやるか」と上から目線である。一覧いちらんと言うと、今では表の体裁になったリストのことを思い浮かべるが、対象のすべての要素に一通りざっと目を通すことが原意だ。要素が多くなっても、さっと見てすっと分かるのは表がよく出来ていて、かつ一覧する者がよく出来る人だからである。

以上のような内容をグダグダと盛るのはたやすいが、さっと見てすっと分かる文を綴る道は険しい。

紙の上の文字に向き合う

PCの普及がごく一部に限られていた1980年代の後半。小型のワープロ「文豪」で文書を作成し、感熱紙に印字していた。主要な文字情報源は本か雑誌だった。さらにその前の10年は原稿用紙に手書きしていた。企画書も手書き。手直しが多くなりそうな予感があれば鉛筆で書いた。書き直しは当たり前なので、消しゴムと修正液は必需品。時間はかかったが、それ以外に選択肢がなく、特に不便だとは思わなかった。

大阪の「適塾」や京都の学塾まなびやである「山本読書室」はいずれも江戸時代に開塾している。塾生はどうしても手に入れたい稀少な本があれば、すべて自分で筆写していた。学ぶ情熱があれば手間暇は厭わなかったのである。翻って、PCもスマホもない時代には戻れそうにない今、ITの利器が誕生する前の十数年間仕事をしていた者としては、古典的な学びのスタイルとリテラシーから学んだことが財産になっていると思う。

本を読むこと、観察すること、手書きすることを日々意識しているつもりだが、気が付くと一日の仕事の大半はキーボードを叩いている。PCは仕事の道具だから手放せない。しかし、スマホ時間は減らせるのではないか。減らせば読書時間が増えるのではないか。そう考えて、この一カ月、休みの日と平日の仕事中は不要不急のスマホ利用を控えるようにした。特に困ったことは生じない。むしろ、眼精疲労がずいぶん緩和された気がする。


ディスプレイの文字ではなく、紙に印刷された文字。キーボード経由の文章ではなく、紙に手書きする文章。つまり、デジタルではなくアナログということだが、そこには生身の感覚と直結する「手触り」がある。適塾の二階部屋で閲覧できる「ヅーフハルマ蘭日辞書」のことを思い出した。たった一つの場所に一冊しかない辞書に学び手が争うように群がった。無限増殖可能な、一人一冊持てる電子辞書の前で人は血相を変えることはないだろう。

先週、4年半ぶりに長崎に行く機会があり、再び出島を訪れた。そこでズーフハルマ辞書とまた出合う。適塾を主宰した緒方洪庵は天保7年(1836年)に長崎へ遊学し、出島のオランダ商館長でもあるニーマン医師と交流しつつ医学を学んだ。天保9年の春に大阪に戻った洪庵は適塾を開き、持ち帰ったヅーフハルマ辞書を活用して塾生指導に当たった。

コロナで仕事がペースダウンした3年間、安直にPCやスマホで調べるのではなく、手の届くところに数冊の辞書を置いて、頻繁に引くように意識した。引いた見出し語には青の色鉛筆で傍線の印を入れる。単に意味をチェックするだけで終わらないのが辞書の利点だ。ことばが別のことばを、断片的な小さなアイデアを誘発する。

さて、アナログリテラシー重視の勉強会の再開準備を進めているが、イベントをメールやSNSで案内するのはやむをえない。昔は住所を知らない人たちと交流することはほとんどなかったが、今は住所を知らない人たちとアルファベットのアドレス上で毎日のようにやりとりしている。当たり前のようだが、時々自分のしていることを不気味に思うことがある。

人気を「ひとけ」と読む時

人気と書いて「にんき」または「ひとけ」と読む(稀に「じんき」と読むこともある)。「にんき」は、あったり出たりすると好ましいとされる。しかし、それに溺れてしまうと、いずれ痛い目に合う。一時的にそれを博した者や物は早晩それを失うことが多い。

同じ漢字を「ひとけ」と読むと、場で感じる人の気配や様子をあらわす。「にんきがない」と「ひとけがない」には人が寄りつかないという共通の意味がある。しかし、「にんきがない」のは本人も諦めがつくが、「ひとけがない」と周囲の者たちが気持ち悪がる。「ひとけのない部屋」で物音がすると不気味ではないか。

平日の昼に二度しか入っていないので、結論めいたことや断定的な意見は慎みたいが、こんな街中なのに信じられないほど「ひとけのない店」がオフィスの近くにある。最初に入店した昨年はぼくが一人だけ、二度目の先日は先客一人とぼくだけ。ざっと見渡せば50席は下らない、広い店にもかかわらず。

撮り収めた写真に時計が写っていた。ランチタイムとしてはピークのはずの1225分頃である。この時刻に客が二人。とんでもなくまずい料理を出す店と思われそうだが、そんな店ならぼくの二度目はない。ミートソースやトマトや魚介のスパゲッティを出す店で、ベーカリーも併設している(いや、ベーカリ―がパスタランチを提供しているのかもしれない)。ともあれ、味は普通である。

最初にサラダとスープが運ばれる。次にパン。通常はパンを乗せたトレイを客席で見せて、好きなパンを23個選ばせるものだが、これでもかとばかりに7種の小ぶりなパンを盛った皿をテーブルに置く。そして、「あちらで(と小さなテーブルを指差し)バターとジャムはご自由にどうぞ」と言う。厨房に初老の夫、ホールにその妻(たぶん)。夜になると繫盛しているかもしれないので、敢えて「にんきがない」とは言わないが、正午前後になぜひとけがないのか、その原因はわずか二度では突き止められそうにない。

現象面的には他のイタリアンとの違いが見える。他店は女性客が多い。ムダにシャレている。店の前のメニューに高級感がある。翻って、この店はパン屋かスパゲッティ屋か喫茶店かわかりづらい。繰り返すが、パスタは普通である。当世、パスタをまずく下手くそに作るほうが難しい。普通のパスタを普通のソースで普通に作れば、普通の一品が出来上がる。

パンも普通である。「配給」された気分だったので頑張ってパンを食べたが、不覚にも2個残した。お勘定の時に「残して申し訳ない」と詫びたら、「お持ち帰りもできますのでお申し付けください」と言われた。いい店ではないか。敬遠する理由が見当たらない。しかし、ひとけがない理由を探るためにもう一度来ようとは思わない。この店に来た客はみな二度来て、ぼくと同じことを感じ、そして三度目を見送っているのに違いない。

バスク風イカ墨めしを作る

数万年から十数万年前の「しゅつアフリカ」以来、ホモサピエンスは世界に拡散し多様な進化を遂げて今日に至る。定着した土地の環境に適応し、調達した食料を加工して腹を満たした。農業と牧畜を発明して食材を生産し、長い歳月をかけて様々な料理の方法を編み出してきた。ありとあらゆるうまいものはすでに実現している。

一品料理から和菓子や洋菓子に至るまで、インスタ映えとか何とか言って、見たことも味わったこともない変わり種の一品を作ってはみても、めったなことではこれまでのうまさを超えるものに出合わない。昔から今に引き継がれて受け入れられている、スタンダードな料理のほとんどはこれ以上ない完成域に達しているのではないか。

ただ一握りの料理人によって限られた場でしか供されない料理がある。また、うまい料理でも日常的に食すものとめったに口に入らないものがある。たとえば、バスク地方のビルバオやサンセバスチャンを旅した食いしん坊の知人は「初めてのうまさ」と言う。街々に数えきれないほどの美食倶楽部があり、アマチュアが作るシンプルな料理が魅力らしい。


細かくみじん切りしたタマネギをオリーブオイルで炒め、イカの切り身を入れて塩を少々加える。次いで完熟トマトでなじませたら、イタリア産の米、カルナローリを投入。そこに米と同分量のイカ墨たっぷりの魚貝スープを加える。焦がさぬよう火の用心しながら、弱火で15分。火を止め蓋をして蒸すこと5分。「バスク風イカ墨めし」が出来上がる。

一年か二年に一度だけ作り、自画自賛しながら食べる。タマネギとトマトは溶け、見た目は米とイカだけの料理。以前テレビで知った、バスク地方の美食倶楽部を真似た一品だ。レシピとしてはリゾットに準じるが、米を硬めに調理するとパエリアの食感に近くなる。具だくさんにすると米のうまさが半減する。パスタ料理も具材が少ないほうが麺がおいしい。

デリケートな火加減とテキトーな手順の調和によって少ない食材でご馳走を作る。寿司に日本酒を合わせるように、このイカ墨めしには白ワインか発泡酒を合わせる(と言うか、それ以外の選択肢が思い浮かばない)。米を主食一点張りで捉えずに、食材の一つとして工夫すれば酒に合う米料理が生まれる。

語句の断章(41)恣意

恣意しい」は頻出熟語ではないので、前に意味を確認していても、次に出てくるとどうもはっきりしない。そんなことが何度かあったので、一念発起して徹底的にこの熟語をやっつけ・・・・ようとしたことがある。そして、徹底的にやっつけた。しかし、次に出てきた時には、また意味が明瞭でなくなっていた。手強い単語である。

辞書を引くと「そのつどの思いつき」などと書かれている。この程度の説明だけでは不十分だ。恣意は「恣意的」や「恣意性」と変化して現われ、また「恣意が入る」や「恣意に任せる」というふうに使われる。「読者が理解している」という前提で書く著者も多いが、読者の理解力に期待されては困る。

意味を明確にするために対義語を参照するという方法がある。手持ちの辞書には恣意の対義語の記載がない。用法の本を何冊か調べたが出ていない。しかたなく、自前の知識で分析した。恣意は「思いつき」であるから合理的ではなく、規則に縛られない。また、思いつきは「そのつど・・・・」なのでワンパターンに繰り返さない。恣意的とは状況意図的なのである。いつも同じ尺度や法則にしたがう「アルゴリズム」に対峙させるなら「アドリブ」のような位置取りが近い。

さて、ある日、恣意が言語学者ソシュールの用語であることを知った。ソシュールが指摘した要点はおおよそ次の通りである。

犬という動物がいて、猫という動物がいる。犬にはinuイヌという音を割り当て、猫にはnekoネコという音を割り当てた(ちなみに、英語ではそれぞれdogドッグcatキャット、フランス語ではそれぞれchienシャンchatシャ)。犬という内容とイヌという発音/表現の関係は考え抜かれたものではなく、必然性のない思いつきであり、両者の関係は恣意的なのである。猫という内容とネコという発音/表現の関係も同様に恣意的である。つまり、犬を“neko”、猫を“inu”と呼んでも何ら差支えなかった。


それほど難解でもないのに、恣意が分かりにくく使いにくいのは、「意」のせいであり日常語でないせいである。「今夜のメニューは何も考えていない。恣意に任せよう」と一度言ってみればいい。食事相手はポカンとするはずである。

五月の断章

何か月も誰にも会わなかった日々が続いたが、春先から月に一度は他人に会って談笑するようになった。自分目線や読書視線の断章に加えて、他人目線の話が少し加わりつつあるように思う。近過去や今との向き合いをいろんな目線でとらえて振り返ってみることにする。

 長野の陰惨な事件に抑止力や防御力の非力さをあらためて痛感する。個としての人は、時に残忍になり狂暴化する。それを未然に防ぐ確実なすべはない。

人間が最もひどいことをするのは、「自分が正しい」と思い込んだ時である。それは、正しくない者に対する徹底した非寛容となって現れる。加えて、「正しくなければならない」という過度の要求は強迫観念となって、自分自身をも攻撃するだろう。

先週読了した『ベストエッセイ 2016』に収録されている、吉村萬壱の「規則破り」という一文。この一文通りの「シナリオ」に驚愕してしまう。

 先週からオフィスで水出しアイスコーヒーを作っている。ホット用にはパプアニューギニアの豆を買った。ふと藤浦こうという著名な作詞家の「一杯のコーヒーから」という歌を思い出した。

一杯のコーヒーから
夢の花咲くこともある
街のテラスの夕暮れに
二人の胸の灯が
ちらりほらりとつきました

一杯のコーヒーで胸の灯がついた記憶はない。そのシーンで「いま、胸に灯がついた?」と相手に聞いたこともない。しかし、夢の花か話の花は何度も咲いたと思う。コーヒーは手持ちぶさたな空間に味と香りを添えてくれる。

 秘密。誰もが知っている二字熟語。「秘」も「密」も書けるが、どちらの漢字にも「必」という部位が含まれていることに、遅まきながら気づいた。

「きみにヒミツを教えてあげるから、ず内緒にしてね」という願いを込めているのだろうか。ところで、わずか五画の「必」の書き順を間違えて覚えていたので、直すのに時間がかかったのを覚えている。

 好き嫌いに二分される料理がある。中華料理ならピータンや豚のミミがそれだ。好き嫌いの多い人と会食すると、その種の皿は丸テーブルの中心からぼくの目の前に置かれるようになる。

食べ物の好き嫌いは人の好き嫌いの度におおむね比例し、好き嫌いの価値観は「したいこと/したくないこと」につながる。さらに、したいかしたくないかで過剰に分別すると、得か損ばかりを考えるようになる。「すべきか、すべきでないか」で価値判断する大局観になかなか出番がないと残念なオトナになってしまう。気をつけたい。

たそがれの時間と風景

20072月–3月、イタリアのトスカーナ地方を旅した。フィレンツェに拠点を定めて、近隣の街へ日替わりの日帰りの旅を目論んだ。おそらくフィレンツェはこれが最後、そう思って8日間滞在することにした。

日帰りで出掛けたのはシエナ、サン・ジミニャーノ、ピサ、ルッカ、アレッツォ。その気になれば2都市は行ける。しかし、1日に巡るのは一つの街だけと決めた。出掛けない日はフィレンツェ市街の街歩き。人口38万人が住む比較的大きな街だが、コンパクトにできているので余裕で歩ける。

最初の34日はアパートを借り、その後に歴史地区のど真ん中、シニョリーア広場に面する古色蒼然としたホテルに4泊した。アパートはアルノ川左岸のサント・スプリトという地区にあり、このあたりはツアーコースではないので、生活感が滲み出ている。生活に密着した店が立ち並ぶ。レストランには観光客はおらず、地元の常連ばかり。入りにくいが、入ってしまえば違和感は覚えない。

日が暮れる頃に夕食目当てにそぞろ歩きする。道路から見えた路地が雰囲気があったので、行き止まりまで歩いてみた。アルノ川が流れ、川岸から右の方に目を向けると、ポンテヴェッキオが見えた。目と鼻の先だが、あちらは観光客が押し寄せている。日本と違って午後8時前はやや明るめのたそがれトワイライトである。トワイライトは日没後の薄明かりのこと。以前、本ブログで『夜のそぞろ歩き』と題して一文を書いたことがある。その冒頭。

日が暮れて夕闇が迫りくる黄昏時たそがれどき。変な表現だが、「軽快な虚脱感」と「神妙な躍動感」がいっしょにやってくる。人の顔の見分けがつきにくくなり、「そ、かれは」とつぶやきたくなる時間帯を「たそがれ」と呼んだのは、ことばの魔術と言うほかない。英語の“twilight”(トワイライト)という語感もいい。

たそがれは、イタリア語では“crepuscolo”と言う。発音は「クレプースコロ」。これが「暮れ伏す頃」と聞こえる。出来すぎだが、言うまでもなく単なる偶然である。

夕方、夕暮れ、日没、たそがれ……と、同じような薄明かりと雰囲気を別の言い方をする。このうち、たそがれだけが見たままではなく、心のありようを反映しているように思える。「たそがれに飲むワイン」は、たぶん「夕方に飲むワイン」よりも上等に思えるし、おいしく感じる。たとえ同じワインであっても。「フィレンツェはこれが最後」と思ったせいか、再訪の機会もなく、あれから16年が過ぎた。