「ふ~ん」程度の小話を少々

思い出しテスト  

手に取ったことはないが、時折り新聞広告で紹介されるのが、「常識思い出しテスト」や「四字熟語・ことわざ思い出しテスト」の類のシリーズ本。「もの忘れ、認知症にならない」と謳っている。はたしてそんな効果が期待できるのか。

思い出しとは、知っていることや記憶にあることを取り出して再生することだ。広告には、思い出そうにも覚えた記憶のない例題がいくつかある。一度も覚えていないことや知らないことは思い出しようがないではないか。思い出しテストとは「雑学クイズ」を新しく言い換えた本にすぎない。

聞き間違い

「きみ、たまには教養的なたしなみもしないと……。能楽なんかどうかね?」
「教養を身につけたいとは思うけれど、能書きを垂れるのはどうかなあ。」

これは聞き間違いである。こういうプチジョークは手軽に創作できるが、調子に乗ると矛盾が起きる。

「これで一件落着だな。」
「たった一件の落書で済んでよかったね。」

落着らくちゃく落書らくがきはめったに聞き間違わない。間違うとすれば、読み間違いだろう。だから、やりとりが会話調になると不自然なジョークになる。

今日の星占い  

「あなたの今日の運勢はまずまずみたい。自分のご褒美に少しぜいたくを、って書いてあるわ。」
「ようし、今日のランチはソース焼きそばの大盛りだ!」
「わぁ、すっごくぜいたく!」 

ふ~む。人それぞれの考え方があり、人それぞれの幸せがある。

「ふ~ん」程度の小話

ちょうど  

「身長はちょうど174.6センチです」と誰かが言ったら、「どこがちょうどやねん!?」とツッコミを入れるところ。しかし、この前段で何かの条件として174.6センチが示されていたら、「ちょうど」でいいのである。一般的には区切りが良い時に「ちょうど」と言い表わしたくなる。たとえば、「ちょうど6時に着いた」や「ちょうど一万円」というふうに。

セルフのカフェに二人で行った。コーヒーが1190円。注文は2杯だから合計380円。百円硬貨を四つ出した。店員が言った、「400円ちょうどいただきます」。違う違う、ちょうどじゃない。トレーにぼくが380円を置いた時のみ「ちょうど」と言えるのだ。彼にとって400円はちょうどいい数字だったかもしれないが、ぼくにとってのちょうどは380円である。そうでないと、20円のお釣りがもらえない。

ご新規  

まずまずオシャレなイタリア料理店の昼時間。ホールをこれでもかとばかりに仕切る、歳の頃四十半ばのベテラン女性。厨房に向かい「ご新規、二名様で~す」と声を張り上げる。ここは居酒屋か……。

ぼくの後に78組の客があったから、同じ数だけ「ご新規、……様で~す」を耳にしたことになる。いちいち「ご新規」などと言わずに「二名様、こちらへどうぞ」でいいと思うが、「5番テーブルのお連れ様、お越しになりました」との違いをはっきりさせたいらしい。食事をしているぼくには関係のない情報だ。厨房に行って静かに業務連絡をしていただければ幸いである。

増毛  

西田敏行よ、そんなことを言ってしまっていいのか。髪の毛に悩む男どもはマープ増毛法に賭けて大枚をはたくのではないのか。すがるような思いで髪の毛を増やしたくてやって来るのではないか。にもかかわらず、なぜあなたはニーズに応えてあげないのか。いったい西田敏行は何と言っているか?

「マープ。増やしたいのは笑顔です」。

増やしたいのは髪だと思っていたが、ぼくの読みが足りなかった。

肉、肉、肉……。肉はうまい。多少の好き嫌いや食べる量に違いがあっても、老若男女誰もがだいたい口にする。肉はありがたい。言うまでもなく、肉とは動物の肉である(魚の場合は魚と言う)。また、肉と言えば、皮膚と骨の間の筋肉である。広義では内臓も含むが、内臓に限定するならホルモンとか内臓と言うべきだ。「今夜、焼肉をおごってやるよ」と人を誘い、ホルモンばかり食べさせたら相手はがっかりするはず。

幼い頃の肉の思い出は、肉じゃが、トンテキ、鯨肉、豚のしょうが焼き、名ばかりで実の少ないビーフカレー(はたしてビーフだったのかどうか、当時の舌では判別不能だった)。すき焼きはご馳走であり、年に数えるほどだったが、祝い事の折りに鉄鍋を囲んだ記憶がある。ステーキもたまに食卓に出てきた。近所の洋食屋に行くとトンカツやポークチャップが定番だった。

十代になってから口にした羊がぼくの肉食シーンを一変させた。関西で流通したのは東日本よりだいぶ遅れたようだ。当時の羊肉はすべてマトン。クセのある匂いに閉口することなくふつうに口に運んだ。後になってラムがマトンに取って代わるようになり、マトン離れをする。ニンニクの使い方も覚え、味と気分両方のステータスが一段も二段も上がったような気になった。だが、肉食習慣をそれ以上に激変させたのは、二十歳前後になってからの屋台のホルモン串焼き。そして、タレに付けて食べる焼肉だった。切り分けられてタレに漬かった肉を炭火で焼くのがいい。ポンと出てくる一枚のステーキよりも新鮮だった。焼肉は今もご馳走であり続けている。


縄文時代のわがご先祖さまたちは、せっせと熊、狐、兎、狸、鹿、猪などを食べていた。縄文遺跡からはそんな骨が数十種類も出てくる。この時代の人類はみな肉食派だったはずである。『物語  食の文化』(北岡正三郎)には「天武天皇(675)が殺生禁断のみことのりを出し、野生動物の効率的な捕獲方法を禁じ、猟期を定め、ウシ、ウマ、イヌ、ニワトリ、サルの摂食を禁じた」と書かれている。常食していたから禁じた。つまり、当時は犬や猿も食べていたのである。江戸末期から維新にかけての「ももんじ屋」や「薬喰い」などの肉食文化も興味が尽きないが、そのあたりの事情は割愛して、明治の文明開化期の牛肉に話題を移す。

当時の食肉の主役は牛肉だった。前掲書によれば、西日本では黒毛和牛を農耕に使っていた関係から、老廃した牛を食用にしていた。その中心地が丹波、丹後、但馬。これら産地の肉が神戸牛ブランドとして関西から全国に出荷された経緯があった。イメージとして定着している「関西の牛肉、関東の豚肉」というのはある程度的を射ている。実際、関東では「肉」とだけ言って「牛肉」を示すことは稀で、牛か豚かをはっきりさせる傾向がある。関西では――もちろん牛肉や他の食肉を総称して肉と呼ぶが――「肉≒牛肉」という意味合いのほうが強い。

わたし豚だけどお肉大好き

「わたし豚だけど お肉大好き ウフフ」と豚キャラ女子が牛キャラ男子に言っている。大阪ミナミのとある焼肉店の大きな看板。これが「肉と言えば牛肉」の何よりの証拠である。西日本とひとくくりにする自信がないので、関西、いや、もっと正確を期して大阪ということにしよう。肉うどん、肉じゃが、焼肉、串カツ、すき焼き、しゃぶしゃぶは、わざわざ断わるまでもなく、使う材料は牛肉に決まっている。串カツ屋で「串3本」と注文すれば、牛串のこと。肉を豚にしたければ、豚しゃぶとかとんカツと指名する。東日本――これも自信がないので、経験や知り合いの証言もある関東に限れば――「肉≒牛肉」という一致はほとんどないはずだ。


ありがたいことに、昔に比べればうまい焼肉をいただくようになった。肉の種類に好き嫌いがないから何でも食べる。グループ会食になると、羊がダメ、豚がダメ、鶏がダメというわがままがいるので、焼肉に落ち着く。これが日本流。しかし、世界標準は牛肉ではない。皇室やノーベル授賞式の晩餐会などの正餐の主菜はほぼ羊肉だ。グローバルの階段を登り詰める気がある若者はラムを食べ慣れておくのがよい。

ロスのステーキ

焼肉に満足しながらも、ステーキとは名ばかりの薄いのを食べていた頃を回想しては、ステーキで「失地挽回」せねばという思いも強かった。100グラム200グラムなどとケチなことを言わずに、分厚くて大きいのをレアで喰らう。数年前にロサンゼルスの親類宅で出されたステーキ。それは野趣の風味が強い歯応えある肉だった。なにしろ推定600700グラムだ、平らげた後の達成感は半端ではない。以来、サシの入った肉を遠ざけるようになった。口に入れた瞬間とろけるような200グラムのステーキに大枚をはたく気がなくなった。ぼくは肉のうまさと値段から実に多くのことを学んできたと思う。

インクの色で気分一新

夏の休暇の過ごし方――人混みと遠出を避ける、近場を歩く、落ち着いた喫茶店でアイスコーヒーを飲む、本屋に立ち寄る、映画館に入る、たまに質素に外食する、等々。他にもいろいろあるが、威張るようなハレの行動は何一つない。自宅ではだらっとして本の拾い読みをするか音楽を聴くか、欧州紀行のテレビ番組を観るか、思うところがあればノートに文章を綴り、機が熟せばパソコンに向かって活字にする。この小文はいきなりキーボードを叩きながら書いている。

この十数年、少し長めの海外の旅を企てた時は閑散期に休みを取る算段をしてきた。それとは別に、世間と同期する長期休暇が当然ぼくにもやって来る。鋭気を養えればいいが、なにしろこの暑さである。暑気が意欲を萎えさせマンネリズムを助長しかねない。そう、八月の休暇には倦怠や疲労のリスクが潜むのである。この時期の過ごし方は難しい。うまく気分一新を図って多忙な秋に備えなければならない。

マニアでもコレクターでもないが、万年筆で気晴らしをすることがある。最近、拾い読みした数冊の本に偶然万年筆の話が出てきた。そのうちの一冊にドイツ文学者の高橋義孝の随筆がある。

「古本を買ってきて、中にセピアのインクで線が引いてあるのを見ると、ヨーロッパの十九世紀の学者の書斎をちょっとのぞいたような、たのしい気持がする」

別に何と言うこともない文章なのだが、こういう一文に刺激を受けることがある。このくだりに気持が少し弾み、「そうだ、万年筆の手入れをしよう」と思った。このペンにはこのインクと思いつきで決め、一度決めると数年間踏襲することが多い。万年筆の適材適所に応じてインクの色を見直すことにした。十数本所有する万年筆のうち、よく使うのは五本。この五本にそれぞれの役割を決めてインクを入れ替えてみた。三日前のことである。


万年筆インク替え

あれこれと悩んだ挙句、万年筆とインクの「パートナーシップ」を決めた(写真、左から順に一本目、二本目……)。

一本目。パリで買ったウォーターマン。外国で初めて買った万年筆だ。やや太字。はねや曲線の微妙な書き味に難があるが、どんな紙の上でもまずまずなめらかに走る。誰かのまとまった話を聴きながらノートを取るのに向いている。これにはフロリダブルー〉というインクを合わせた。

二本目。加藤製作所製の万年筆。握りがぼくに合っていて速筆しやすいペンである。このペンは自分が何かを考えて書くのに向いている。どんなインクがいいかずいぶん悩んだが、買った当時から使い続けている〈ロイヤルブルー〉しか思い浮かばない。そのまま継承することにした。

三本目。モンブランのマイスターシュトゥックNo.149。十万円超の万年筆だが、こんな高価な逸品を自腹では買わない。幸いなことにこれは頂きものだ。細字なのであまり気に入らず、めったに使わなかった。しかし使わなければ永久になじまない。食わず嫌いをしてはいけないと思い、数年前から時々使うようにしている。署名をしたり一文だけ書き添えるのによい。条約締結などの場面で重宝されてきたのもうなずける。この五本の中では実用性に乏しく出番が少ないのは否めないが、「見せびらかしの万年筆」としては高級腕時計以上に威力があると万年筆達人が言っていた。インクは複数候補の中から、ひとまず〈ラピスラズリ〉を指名。

四本目。廉価版のシェーファー。ペン先にやや弾力があるので、筆圧を変えれば細くも太くも書ける。数行の文章向きと判断して、誰かが書いた原稿や企画書の添削やコメント書き込みに使うことに決めた。神戸INK物語シリーズの甲南マルーンという名の〈ワインレッド〉を充填した。青を使っていた頃とは雰囲気が一変する。書き味までよくなったような気がするから不思議である。

五本目。小ぶりなペリカンの細字。細字の割にはインクの出も悪くないので、小さな用紙に小さく書くときに重宝していた。しかし、それなら水性ボールペンでも十分。そのためペンケースに入ったままということがよくあった。先の高橋義孝の一文の「セピアのインクで線が引いてある」がヒントになって、この万年筆を読書時に使うことに決めた。すでに試し始めたが、大胆に傍線を引き欄外にメモを入れるのに都合がいい。手元にあった地味な〈セピアグレー〉をインクに選んだ。線の引き始めと引き終わりに滲みが出ていい感じである。

つけ麺と安保

山麺

遅いランチになった。どこにするか迷っている時間がもったいないので隣のラーメン店に入った。たいていつけ麺の大盛りを注文するが、今日は鶏醤油ラーメンと小さなライスにした。食べ始めた頃にスーツ姿の老紳士が入店し、ぼくの隣に座ってつけ麺を注文した。しばらくして老紳士の携帯に電話がかかる。ぼくに電話の相手の声が聞こえるはずもないが、老紳士が一方的に話した様子から、おそらく相手が二つか三つの質問を投げかけたらしいことは想像できた。話は3分くらいだろうか、おおよそ次のような話だった。

「私はね、今回の安保法案については、いろいろと吟味しましたけれど、自民党の考えでよろしいかと思っています。占領下にあったわが国が(……)、やっぱり国というものは自衛しなければならないんですよ。(……)言うまでもなく、戦争には大反対です。二度と繰り返してはいけないという思いから(……)70年間(……の)慰霊祭式典の音頭も取らせてもらってきました。(……)歳ですか? 今年で86歳になります。昭和4年、西暦だと1929年生まれです。(……)まあ、こんなところでよろしいでしょうか?」

取材を受けているようだった。電話を切ってまもなく老紳士につけ麺が運ばれてきた。どうやら初体験のようで、「このスープにつけて食べるんだね?」と店員に聞いている。すでにラーメンを食べ終わっていたぼくの視界にいやが応でも老紳士の動作が入ってくる。熱い太麺をつまんではさっさと口に運ぶ。そして、つけ麺の濃いスープをれんげで飲み始めた。お節介だとは思ったが、声をかけた。「食べ終わったら、そのスープをお湯で割ってくれますよ。つけ麺のスープは濃いですから、お湯で割ると飲みやすくなります。」


老紳士はうなずきながら、「あ、そうですか。でも、せっかく割ってもらっても、全部は飲み切れそうにないですな」と言うから、「いえいえ、義務じゃないですから、飲み干さなくてもいいんですよ。ちょっと味わうだけでいいんじゃないでしょうかね」と付け加えた。この後、少し沈黙があって、今度は老紳士のほうからぼくに話しかけてきた。当然、先の電話の話がぼくの耳に入っているのを想定してのことである。「戦争大反対なんですけどね、自民党のほうに一理あると思うんですよ」。ラーメン店で安保法案論争をする気などまったくないので、その話は聞き流し、「失礼ですが、いったいどんなお仕事をされているのですか?」と話題を変えた。

「元新聞記者です。こんなふうに電話でよく意見を聞かれるのですよ」と言う。「そうですか……」と言って、続けた。「ぼくは論争を聞くのがまんざら嫌いじゃなくて、自論を述べたり是非の判断を下す前に、一応いろんな意見を精査検証するようにしています。で、この件なんですがね、論点が深まらず、堂々巡りの予感がしています。争点を、安全や国際だけでなく、生活や幸福や思想や精神などに広げて踏み込んでいかないと、議論の質が高まってこないような気がします」。ぼくには珍しく差し障りのない型通りの話である。何しろ、時はランチタイム、場はラーメン店なのだから。

「先ほどの電話ですが、聞き耳を立てたわけではなく、勝手に耳に入ってきました。お歳が86才には見えないほどお若いですね。うちの父は一つ上ですが、ほぼ寝たきり状態です。認知症の兆候などはないものの、国家の大事を議論することはおろか、まったく関心もないでしょう。父とほぼ同じ年齢にして意見をお持ちなのは羨ましいかぎりです」と言って立ち上がった。「これからもお元気でご活躍ください。いいご縁でした」と言い残して店を出た。

この店ではこれまでつけ麺一辺倒だったが、ラーメンもなかなかの味だった。

エスプレッソ雑感

あのコマーシャルのように“What else?”(他に何が?)とまで言う気はないが、エスプレッソはよく飲む。深くて苦くて濃いエスプレッソだが、浅くて甘くて薄い話を書いてみる。

エスプレッソ

うどんを平らげ出汁も飲み尽くした直後のコーヒーになじめない。鰹昆布の出汁とコーヒーが胃袋の中で混ざり合うのを想像すると飲めない。同じくラーメンの後のコーヒーにも違和感を覚える。まったく平気な人もいる。ぼくには無理だ。食後のコーヒーは大いに歓迎するが、何を食べたかによりけり。別に和食でもいい。しかし、汁物の後のコーヒーには触手が伸びない。そんなぼくでも、後に控えるのがエスプレッソなら食事は和洋中を問わない。エスプレッソは少量だから気にならないのである。

鳴り物入りで大阪に一昨年開店したイタリア直営店が業態を変えた。事実上の店じまいか。本場のエスプレッソを何百杯も飲んでいるぼくだが、あの店の豆との相性はよくなかった。エスプレッソとエスプレッソベースのカフェラテやカプチーノが売りなのに、売れ筋はたぶんブレンドとアイスコーヒーだったと思う。本場から進出してきて腕を振るっても、エスプレッソは日本では絶対に主流にならない。イタリアンバール特有の立ち飲みスタイルが採用されていたら、それが敬遠の理由になるかもしれないが、そんな店はまだほとんど出現していない。だから、苦くて濃いコーヒーがおそらく日本人に向かないのだろう。

うまいエスプレッソの店もあるが、ぬるかったりする。ぬるいのは論外である。熱々のが出てきたと喜んでも、今度は味が薄かったりする。うまくて熱くても、紙コップで出されたら満足も半減する。一応合格点がつけられる近場のカフェはわずかに2店か3店。ならば自分で淹れるしかないと、しばらく休眠させていたエスプレッソマシンを5月頃から使い始めた。シングルは、とある協会公認の量は30ml。ダブルでも50ml強だからヤクルト一本分より少ない。自宅ではだいたいダブルを飲む。砂糖は専用のものを一袋か角砂糖一個を入れてかき混ぜる。イタリア人は一気または二、三口で飲むが、ぼくはちびちびとすすることもある。


この少量という点も喫茶店で長居したがる日本人のネックに違いない。エスプレッソ(Espresso)は「特急」という意味だ。抽出が30秒ほどだから、注文してから1分以内に出てくる。いかにも特急。そして一気に飲むから、これまた特急だ。そして、さっさと店を後にする。これがカウンターで立ち飲みする本場の客の定番スタイルである。ぼくのようにちびちび飲んでも1分ともたない。もちろん、イタリア人でもよもやま話よろしく長居する連中もいるが、彼らはカウンターで飲むお代の倍額を払ってテーブル席に陣取る。

同じ機械を使っても味が変わる。季節が違い、豆が違い、豆の焙煎が違い、豆の挽きが違い、焙煎から何日経過したかによって味が変わる。これらの条件がまったく同じであっても差が出る。その差を決定づけるのがバリスタの腕である。端的に言えば、バスケットフィルターに粉を入れ、その粉をタンパーという道具で押さえるという、一見誰がしても同じようなタンピングの動作に熟練の差が出る。粉の入れ具合とタンピングの絶妙の加減で味が変わる。にわかに信じがたいかもしれないが、飲み比べてみればわかるから不思議である。

イタリアでは「ウン・カッフェ」で一杯のエスプレッソ。どこの街でもバールに入って毎日3杯ほど飲んだが、ハズレはなかった。特にうまい店は印象に残っていて、店名こそ覚えていないが、店の間取りもバリスタの顔や振る舞いも思い浮かぶ。店名をしっかり思い出せるのはローマの老舗La Casa del Tazza d’Oroラ・カーサ・デル・タッツァ・ドーロ。「金カップの店」という名である。焙煎所兼バールで、少し離れた所にまでアロマが漂ってくる。特急で出てくる1杯はたぶん30mlにも満たない。なにしろカップに2cmほどしか入っていないのだから。粘性が強いので砂糖を入れるともはや液状ではない。しかし、濃さと苦さでは体験上随一であった。

パリでは「アン・キャフェ」と注文する。イタリアのエスプレッソに比べれば、なみなみと入っている印象を受ける。トリプル相当である。飲みごたえがあるから、たいていテーブル席に座った。街角・舗道・通行人観賞代のつもり、隣のテーブルの会話聴取代のつもりである。エスプレッソを使ったアレンジ系で最も気に入ったのはウィーン版カプチーノであるメランジェ。場所はシェーンブルン宮殿内のカフェ。季節外れの寒波に襲われた極寒の3月初めのこと。身体が凍るのではないかと恐れ震えながら、廷内の登り坂を雪を踏みしめて歩いた。あの時の一杯のメランジェの味を身体が覚えている。

ブームとリバイバル

かつて流行語大賞でトップ10に入賞した「マイブーム」は、今ではれっきとした俗語になっているそうである。他人や世間はいざ知らず、個人的に夢中になっている自分だけの流行。「マイ」も「ブーム」も珍しくないふつうの単語なのに、二つをくっつけると賞に値する新語が一丁出来上がる。

なかなかわかりやすい言い回しである。ただ、これまで使ったことはないし、これからも自分のことに関しては使わないと思うが、誰かのことについてなら、たとえば「つまり、それがきみのマイブーム?」などと使うかもしれない。いや、その誰かが目の前にいて、その人のブームについて語るなら、マイブームではなく、たぶんぼくは「ユアブーム」と言うだろう。彼や彼女のマイブームなら、きっと「ヒズブーム」や「ハーブーム」と呼んで正確を期す。

ある人を介して最近知り合いになったM氏に食事に誘われた。店では世間話に花が咲き、まったく口癖のようなものは感じなかった。食事後にもう一軒と誘われ、快く随った。その二軒目の店でM氏の雰囲気ががらりと変わる。かなりリラックスして弁舌さわやかになり、やがて口癖を連発し始めた。場が変わり応対する人が気の置けない人になり、酔いも手伝ってか、いつものペースを取り戻したに違いない。「わっかっるぅかな!?」を連発し始め、深夜まで十数回は耳に響いた。

古いギャグで松鶴家千とせに「わかるかなぁ~(……)わかんねぇだろうなぁ~」というのがあった。口癖がここに由来しているのかどうか知らない。「わかるかなぁ~」とつぶやくのではなく、「わっ、かっ、るぅ、かな!?」とスタッカート気味におどけて発声し、後段は言わない。暗に「わっからないだろうねぇ」という余韻は残る。ともあれ、聞き慣れない表現ではない。最初の数回のうちはさほどおもしろいとは思わなかったが、繰り返しというのは妙なもので、徐々におかしみのボディブローが効いてくる。これがM氏のマイブームらしいのである。いつも聞かされている人たちは、そのことを承知しているから、上手に笑って場の空気を白けさせない。


ぼくは多趣味の無趣味、多芸の無芸、雑学の無学、凝り性の飽き性……という具合だから、何事もブームのようでブームではなく、ブームでないようでブームでもある。これを言わねば気が済まないような口癖の自覚症状はない。最近は映画にちょくちょく行くが、まったくマイブームと言えるほどではない。行かないなら行かないで平気である。カフェや美術館には若い頃から行っているし、読書も文を綴るのも一つの習慣だから、ブームなどではない。何でも食べるので、いま特に嵌まっている食材や料理もない。

システム手帳2システム手帳1

最近、ノートを従来のものからシステム手帳にシフトした。変化と言えば、これが目新しい。ノートは四十年以上続いている習慣だから今さらブームではないが、二十数年ぶりに眠っていた手帳を今年から復活させ、バイブルサイズの6穴ルーズリーフを使うようになった。一過性の流行で終わる予感はなく、したがってマイブームではない。

ぼくの記憶では、システム手帳は1980年代の半ばからバブルが崩壊するまでの一時期に「みんなのブーム」になった。しかし、他の紙の媒体同様に、ITの隆盛の陰に隠れたか姿を消したかした。ご多分にもれず、ぼくもある人の勧めで買って使った。しかし、数ヵ月後には長年愛用してきた通常の文庫サイズのノートに戻し、以来昨年末まで続けてきた。

システム手帳に再チャレンジした動機は単純である。ルーズリーフでなく綴じたノートにメモを書くのは「時系列記憶」で探しやすいというメリットがあるものの、いざ活用する段になると複数のノートにまたがって類似情報を寄せ集めなければならない。これまではそうしてきたのだが、ちょっと疲れてきた。まあ、今までのスタイルを踏襲することに意地を張らなくてもいいだろう……ページを組み替えて関連メモを必要に応じて可変的に処理すれば生産性が上がりそうだ……と思った次第。いったん埃をかぶったモノや習慣を復活させる。これを「マイリバイバル」と呼ぶ。

未完の書

「はじめに」の一文の後に19943月とある。そこにはこんな文章が書かれている。

本書『成功への触媒』は、混迷を極める市場環境、ひいては企業活動、組織、人材を、ぼくたちのささやかな仕事のフィロソフィを光に変えて精一杯照らし出そうと試みたものです。
その光――きわめて日常的視点からの光――が、既成の事実や価値観に新しい意味を与え、「触媒」として機能し、成功を生み出す小さな発想やきっかけになればと願っています。
「成功」ということばには数限りない定義と意味が与えられてきました。その中からベン・スイートランドのことばを借りることにします。
“Success is a journey, not a destination.”(成功は旅である。目的地ではない。)
『成功への触媒』はさしずめ「旅のお供」というところでしょうか。邪魔にならないお供にになれば幸いです。

成功への触媒

全原稿の7割ほどをぼくが書き、スタッフ78名が残りの原稿をそれぞれの視点で書いた。百数十ページの小さな本が出来上がるはずであったが、いくつかの理由があってそのまま放置された。もはや日の目を見ることはないだろう。「はじめに」で書いているように、時代性を反映するタイミングが肝心であったから、今となってはほとんどの原稿が色褪せてしまったはずである。

実際に色褪せた紙の束を手に取って懐かしく読み返してみた。ぼくの思いとは裏腹に、今でも発想の触媒になりそうな普遍的な気づきが忍んでいることに気づいた。出版しておけばよかったと、ほんの少し自責の念にかられる。未練はさておき、今もしっかりと記憶に刻まれている一つのエピソードを紹介する。


水漏れしない蛇口

 ずいぶん前にリンカーン・ステファンというアメリカ人が書いた『未完の仕事』と題するエッセイを読んだ。冒頭はこう始まる。

「水道の蛇口から水が漏れている。きつく締められない。よろしい。七歳の息子に人生のレッスンとしてやらせてみよう。息子は蛇口をつかみ、必死にねじる。無理! 息子は嘆く。『どうした、ピート』と私。息子は笑みを浮かべながら言う、『パパ、これは大人の仕事でしょ』」

 著者は続ける。
 「大人はちゃんとした蛇口さえ作れないのだ。息子のほうが水漏れしない蛇口を作れる可能性を持っている。どんな仕事においても、可能性の大きさは次の世代のほうが上回っている。何事も究極的に最善におこなわれたことはない。何事も明晰に完璧に突き止められたことはない。」
 ステファンによれば、われわれの世代が作った鉄道、学校、新聞、銀行、劇場、工場には完璧なものはない。さらには、理想的な事業を築き経営している企業も存在しない。われわれは未知なるものの1パーセントすらも発見していない。
もちろん極論であり、1パーセントという根拠もない。しかし、共感せずに通り過ぎることはできない。
 スペースシャトルが宇宙へ旅立ち、バイオが遺伝子を操作し始め、超LSIがものの見事に情報をつかさどる。ステファンの主張に反して、ぼくたちの社会の進歩は道の壁をどんどん崩していくように見える。
 しかし、ぼくたちの住まいでは、寝静まった夜に締まりの悪い水道の蛇口からは相も変わらず水が一滴ずつしたたり落ち睡眠を妨げる。大雨の日に背中や足元を濡れぬように雨をしのいでくれる傘は未だに発明されていない。車は依然として通行人にやさしくはなく、歯磨きは歯周病を完璧に防いでくれない。
 ひと頃、ハイテク型のニッチビジネスがもてはやされ、異業種交流会花盛りの趣があった。ほとんどの試みは大した成果もなく霧散した。足元のローテクに改善の余地があるのに、遠くのハイテクが優先される。緻密をモットーとし予算もリスクも大きいハイテクに比べ、ローテクは人間的で泥臭い。心意気と一工夫で見違えるような改善も可能なのだ。水道の蛇口のようなモノはもちろん、日常のサービスも、ほんの少しのテコ入れを待っているのである。


リンカーン・ステファンのように、水道の蛇口一つで息子や娘に教育できるような父親になりたいものである。ぼくたちときたら、子どもがわざわざ「なぜタイ米がダメなの?」と経済社会的問題に関心を抱いて質問してきても、めったなことではまともに受け答えしてやらない。「タイ米はまずいから」などといい加減だ。すると、子どもに「なぜまずいの?」と聞かれ、苦しまぎれに「パサパサだから」と言うと、「なぜパサパサだったらまずいの?」と追い打ちを食らう。こうなると困るので、たいていの父親は最初の質問時点で「大人になったらわかるさ」と逃げの一手で対応する。これは無責任である。大人になってもわかるようにならないのは、自分自身が証明しているではないか。

オーダーと接客

料理を注文すると、注文を聞いた店員が「オーダー入りました」と厨房に告げる。「ご新規さま、ご注文いただきました」というのもあるが、店員が若い店では「オーダー」という言い方が目立つ。忙しくしている店員を呼び止めてぼく自らが「オーダーしていいですか?」などとは言わない。「注文していいですか?」か「注文を聞いてくれますか?」と、注文ということばを使う。

注文に相当する英語の“order”は多義語で、手元の英和辞典では名詞だけで21もの意味がある。もっともこれらすべてを覚える必要はなく、だいたい二つの原義さえわかっていれば文脈から意味を類推することはできる。一つ目は「順、秩序」という共通の意味を持つもの、二つ目は「命令、指令」という含みのあるものである。注文という意味のオーダーはこの二つ目から汲み取られたものだ。

ラーメン

オーダーに「注文」という日本語をあてがったのだが、オーダーそのものはある種の「命令、指令」であることに変わりはない。つまり、客であるぼくは「半トロ卵のラーメンと高菜ご飯のセット」が食べたいので、その商品名Cセットを店員に告げる。「Cセットを作って持って来い」と命令しているのである。店員は命令に従うのが使命であるから、厨房担当者に「Cセットというオーダーが入ったこと」を告げる。オーダーという注文にはオーダーという順番があり、客であるぼくに注文通りに運ばれたらオーダーという秩序が生まれる。そしてラーメンはオーダー通りに胃袋に収まる。こういう一連の流れが完了して金870円也が請求できるというわけである。


昨日のランチタイムはそのようになるはずだった。しかし、そうならなかった。ぼくに出されたのはラーメンAの単品。そのことを知るのは、Cセットについている高菜ご飯がなかなか出て来ず、店員に確かめた時点であった。ラーメンACセットのラーメンだと思い込んでいるぼくは、針金のような硬い麵を「変だなあ」と思いながら半分近く食べた。そこで店員をつかまえて聞いたのである。「これは高菜ご飯のセットでしょ? ご飯のほうがまだ来ていないんだけど……」。店員、確かめる。

すぐに高菜ご飯が運ばれてきた。食事再開ということで箸で麺をつまみ上げようとした瞬間、別の店員がラーメンを持って来た。「お客さま、お出ししたのはラーメンAでした。こちらのほうがCセットのラーメンになります」。と言うわけで、食べかけのラーメンが下げられ、熱々のラーメンが代わりに目の前に置かれた。100メートル走で50メートルまで走ってからフライングと告げられて、スタートラインまで戻された感じである。こうしてぼくは出来立てのCセットに向かい仕切り直しとなった。食べ終わったら超満腹だった。なにしろラーメンを一杯半食べたのだから。

接客マナーが重要だと言い、そのことについては、いかにも取って付けたような体裁ではあるが、まずまずできるようになった。しかし、客の欲しいものを厨房にリレーして、さらに厨房で作られた料理を注文した客に出すという基本は、マナー向上とは別のものである。その基本は一つのシステムなのであり、個の記憶と注意深さに関わるものだ。先日も、注文した焼肉が通っておらず、その後に頼んだ生ビールもなかなか出てこなかった。促されて初めて店員が気づくというケースは依然として珍しくない。伝言ゲームの多い店ほどその傾向が強く、そのつど紙に書いて✔印を入れている店ほどミスが少ない。

為替レートの話

20141222日現在、1ドルは119円、1ユーロは146円という為替レートになっている。「なっている」というのは、国際市場での各国通貨価値への、素人では読み切れない思惑ゆえの言い回しである。いずれにせよ、海外に何かを売る場合は円安が有利であり、海外から何かを買う場合は円高が有利である。ぼくたちが海外へ旅する時、円高であれば安く上がるし、円安だと高くつく。

20096月西海岸に滞在中の相場は円高であった。1ドル80円ちょっと。1ドルを買うのに今なら119円が必要だが、当時は80円で1ドルが買えた。1ドルが39円も安かったのである。わかりやすくたとえると、当時8,000円で泊まったホテル代が今だと11,900円に上昇したということだ。物価が上がったのではない。円がドルに対して価値を減らしてしまったのである。

国境を越える際には円を行き先の通貨に交換しなければならない。その交換レートが日々変動しているのである。「労働、土地、貨幣を商品視するのはまったくのフィクションである」(カール・ポランニー)という主張がある。相場によって貨幣価値は上下するが、その差益で儲けようという魂胆を戒めている(もちろん、同時に差損リスクも潜んでいる)。貨幣で買うべきは貨幣ではなく、モノでなければならないというわけだ。


過去10年でぼくはヨーロッパに5回旅している。その時々の円‐ユーロの交換レートは次の通りである。

20033月   120円台後半
200610月 140円台後半
20073月   150円台前半
20083月   150円台後半
201111月 105円前後

推移をざっと見ればわかる通り、1ユーロに対して円安と円高時には50円の差がある。

札入れに入った100ユーロ

ぼくの海外歴の中でもっとも円が強かった201111月。当時、50万円をユーロに交換した。手数料を度外視すれば4,762ユーロに相当する。バルセロナとパリに旅したのだが、カード決済もあり、手元にユーロがいくらか残っている。現在は当時よりもかなり円安だから、1ユーロにつき40円の差益が出ていることになる。もし手元に1,000ユーロあれば、4万円ほど得した計算になるのだ。

1万ユーロなら40万円、10万ユーロなら400万円……と桁数を増やしていくと、人は色めきたつ。欲望が為替相場を動かしているのである。ぼくの差益などささやかなものだが、これとて、今海外に出ればメリットがあるが、旅行にはタイミングつきものである。どちらかと言うと、ぼくは円安の時期に旅をしてきたが、別に悔しくも何ともない。円高で得した、円安で損したなどと言うが、年がら年中世界を股にしているビジネスマンにとってはそんなことに一喜一憂していては海外出張などできない。

こんなことを綴りながらも、たとえばイタリアで3年前に飲んだエスプレッソ一杯1ユーロは、今も1ユーロなのである。イタリア人がエスプレッソを飲むときにユーロ高やユーロ安などは考えない。ただうまいコーヒーを飲むだけだ。旅人は「前回は105円だったが、今は146円か……」とつぶやく。為替レートに引きずられていてはせっかくの一杯を飲む愉しみも半減する。

タレですか、塩ですか?

ことばの扱い一つが社会の文脈の中で決定的になることがある。軽い発言が思わぬ波紋を広げたり、表現が誤解されて致命傷になったりする。対話では、双方が織り成す文脈において、議論が合意に向かおうが対立に向かおうが、波長を合わせる努力は欠かせない。何についてどう感じているのか、そして何を言うのかに怠慢であってはならないのである。

なにも社会的文脈などと大仰に構えることもない。もっと身近な日々の生活、たわいもないやりとりの中でも実感する。ロジックということばを持ち出したりすると、難しい話だと思われるが、即興の会話の中でも底辺にロジックが横たわる。きみがそう言うからぼくがこう応じ、ぼくがこう応じたからきみが次にこう言う……というのは、最初の発言が前提となってつながる様子そのものではないか。即興とは特殊であり、一回きりのものである。相手が誰であるかに構わずいつでもどこでも同じことを言うのはアルゴリズムであって、そんなものは文脈を読まない音声合成マシーンか、社交辞令好きに任せておけばいい。

もっとわかりやすく言えば、相手のことばを今まさに生まれ出たことばとして取り扱わねば、自分が発することばにも〈いのち〉がこもらないのである。若者に「きみには尊敬する人がいるか?」と尋ねたら、彼は「人生、出合う人はみんな師です」と答えた。そんなことを聞いてはいない。そんな答えを返されると、それ以上ことばを継げないではないか。「尊敬する人ですか。ええ、いますよ」「それは誰?」「吉田兼好です」「へぇ、渋いところに行くねぇ。それは、またどうして?」……という具合にロジックが通ってほしい。


焼鳥屋

二十数年前になるだろうか、大阪の郊外に住んでいた頃の話。地下鉄からJRに電車を乗り継ぐ時に焼鳥屋に寄ることがあった。場末ということばがぴったりの路地裏の店である。一度目は店主の手際のよい仕事ぶりが印象に残った。二度目にはその手際の良さが客とのやりとりの中から生まれていることに気づいた。

ある客が「キモと皮を一本ずつ」と注文する。店主は間髪を入れずに返事しない。絶妙のがあって、「キモはタレですか、塩ですか?」と聞く。客が「タレ!」と発し、次いで「皮はタレですか、塩ですか?」とつなぎ、客が「塩!」と答える。三種類注文すれば、三回聞き返されるのである。

店主は「手羽はタレ? 塩?」などと手抜きせず、相手が常連なのに「手羽は塩ですか、タレですか?」とていねいに聞く。常連もちゃんと心得ている。「塩でお願いします」などと野暮は言わず、まるで合図のように「塩!」と威勢よく答える。「せせりはタレですか、塩ですか?」「塩!」……ト書きを省いて書けばこんな具合になる。これをぼくはロジックと表現したまでである。そう、ロジックにはリズムがあるのだ。

ある日、「ロジック崩し」をしたくてたまらなくなった。タイミングを狂わせたり、ことばをオーバーラップさせたりという程度のお茶目ではない。「ハートとキモ一本ずつ。ハートは塩、キモはタレで」と一人で完結するという暴挙に出たのである。店主はぼくに視線を投げ、うつろなまなざしのままフリーズした。その後の店主の調子はいつもとは違った。ロジックの崩れかたはぼくの想像以上であった。ロジックはたぶん折れたのだった。そして、その日がこの店にお邪魔した最後の日となった。