オーギュスト・ロダンの見た空

「ロダン」とだけ言うのは松本や杉山と呼ぶようなもので、正確には人物が特定できていない。あの『考える人』の制作者なら本来は「フランソワ・オーギュスト・ルネ・ロダン」と言うべきだ。とは言え、それが筋だと心得た上で、やはりフルネームは面倒なので、誰もが知っている有名人の場合は苗字だけで許してもらうことになる。

もし許されなかったら、ピカソのことは「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンディシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」といちいち言い、書かねばならない。

ロダンは自分が見た空について、ある日次のように書いている。

森を横切って長い散歩をした時、私は空を発見した。それまでは、私は毎日この空を見ていると思っていた。だが、ある日、はじめてそれを見たのだった。

この話に触発されて思うところを何度か書いた。いつも見ていたはずの空を、実は見ていなかったと反省気味に述懐するのはなかなかできることではない。こんな述懐をするとなれば、空だけでは済まず、あらゆるものを見ていないし感じてもいないと吐露することになりかねない。ある日、はじめてコーヒーを飲んだ、ある日はじめて君の顔を見た、等々。

ロダンの旧邸宅は今では美術館になっていて、3万平方メートルの広大な庭園の中にある。東京ドームの敷地とほぼ同じ広さだ。パリに滞在した201111月、庭園内の街路や森のような佇まいの中をくまなく歩いてみた。敷地内には美術の教科書に出てくる『考える人』や『地獄の門』などの本物の彫刻作品が、囲いも覆いもなく随所に置かれている。

さて、ロダンが見た空は何色だったのだろうか。ぼくらはほとんど当たり前のように青色だと決めつけてしまうが、彼は「空」と「この空」としか言っていない。時刻も天気もわからない。晴天の昼間か、雨の日か、どんよりとした灰色の雲におおわれていたか、日暮れ時の夕日に染まっていたのか……手掛かりはない。

空とだけ言って、付帯状況の多くを語らなかった。その空が青いという証拠はない。仮に青い空だとしても青さ加減はわからない。けれども、空としか言っていないからこそ、その空が青空であってほしいのだ。赤い空だと早とちりしてはいけない。その場合は夕方の空と言うはずである。ロダンが発見し、毎日見ていると思っていた空は青空でなくてはならないと思うのである。

無個性な風見鶏トーク

昨日、橋を渡って対岸の遊歩道へ行ってみた。風がかなり強く、後でチェックしたら風速6メートルだった。せわしなく動くビルの上の風向計。別名「風見鶏かざみどり」。風向きに応じて向きを変える。転じて「相手に応じて自らのスタンスを変える者」。今はすっかり縁が切れたが、旧知の仲だったX氏を思い出した(なお、X氏は中曽根元首相ではない)。

相手によって話しぶりや話す内容が変わる「風見鶏トーク」。話しぶりをそのつど変えているうちに、キャラまで七化ななばけしてしまう。首相へと上り詰めたらアイデンティティになるが、一般人ではそうはいかない。一般人のX氏は話も考えもいい加減になった。集団の中で没個性的な存在になった。八方美人よろしく誰にでも調子を合わせて喋っているうちに、誰にも焦点を合わせることができなくなり、やがて黙りこくるようになった。

「風の方向を知る? いいことではないか」と考え、風見鶏を「臨機応変」の意に解するむきがある。そうではない。風見鶏はむしろ「日和見ひよりみ」に近い。『新明解』で比較した。

【風見鶏】その時どきの情勢に応じて自分にとって有利な側につこうとする人の意。
【日和見】どちらが優勢になるか情勢をうかがって、自分がどちらにつくかすぐには決めないこと。
【臨機応変】あらかじめ決めた方針に囚われず、その場合場合の状況に応じた対処のしかたをすること。

風見鶏と日和見のニュアンスはよく似ていて、「無責任な自分視点」が内蔵されている。しかも、行き当たりばったりでポリシーが窺えない。たとえば、ある時ある場所でA氏のa〉という主張に賛同し、別の時別の場所で〈b〉を主張するB氏にも取り入る。しかし、A氏とB氏が同席する場では右往左往するか沈黙するしかない。他方、臨機応変は、人への対応ではなく、局面への対応である。新しい局面を迎えて、自分視点や型にとらわれずに応用問題を解くことである。

X氏およびその仲間は臨機応変ができないから、風見鶏になり日和見になって生き残ろうとする。ステレオタイプな解法を持ち出してはその場の空気に合わせて意思決定に関わっている「振り」をするのだ。風見鶏トークは中身のない社交辞令だけで終わらない。人格まで空っぽにしてしまう。

X氏はどこにでもいる。そして、大義名分なく利を得ようとしたりずるく振舞おうとしたりする時、わたしたち一人ひとりの中にも現れることがある。気をつけよう。

枝葉末節の私事や私感

🍃 オフィスで育てていたエピスシアカジョウを枯らせてしまった。鉢植えの常としての寿命のせいか置き場所のせいで枯れたにせよ、監督義務者ないしは保護者の遺棄にも似た責任の重さを感じている。
葉縁ようえんが褐緑色で葉が銀緑色、そこに朱に近い色の花が咲く。「橙赤色とうせきしょく」という色らしい。鮮やかな赤が気に入っていた。RGBのカラーモデルはR:234/G:85/B:4〉。

🍃 「ステイホーム」と「閉居へいきょ」。2020年春の新型コロナ感染拡大に伴い、政府や有名人が「おうちにいよう」と呼びかけたのが前者。家に閉じこもって引きこもるのが後者。どっちでも同じ?  ではない。ステイホームが前向きなのに対して、閉居はやむなくそうしている感じがする。
この2年半、右へならって「なるべく在宅しよう」などとは一度も思わなかった。遠出はしないが、近場には積極的に出てマイペースで用事をし、街歩きと食事と買物を楽しんで今に至る。わが街は歩きどころと見どころが多く、十数年住んでいてもなおいろいろな新しい体験ができる。家にいてできることや発見することは限られている。

🍃 再来週、3カ月ぶりの出張が入っている。「紙面編集」というテーマで7時間の研修をする。そんな手ほどきをする身でありながら、実は「独習のすゝめ派」なのだ。誰かから学ぶよりも自分で調べたり工夫したりして独習するほうがよく身につくと思っている。
何が何でも他人から教わりたい、仲間と交流しながら学びたいと欲するなら、お手本を見聞してセンスを高めるのがいい。知識を学ぶのではなく、センスを盗むのである。独習はすぐれた効果が上がるが、一向に人気は上がらない。寂しがり屋の学び手が多く、身につけるよりも仲間と一緒に学びたいからだろう。

🍃 仕事ができる人、仕事ができることをアピールする人、仕事をしない人、仕事をしているふりをする人、仕事ができない人、仕事ができないのを自覚していない人……。いろんな仕事人がいるが、約束と納期を守ることが仕事の基本中の基本である。
「彼は仕事ができるが、時々納期が遅れるのが残念」などという声を聞くが、時々納期が遅れることを仕事ができないと言うのである。

『秋フルーツをつまみにハイボール』

今回は『秋フルーツをつまみにハイボール』という書名の本を書評する。言うまでもなく、秋フルーツをつまみにハイボールを呑んだことについて書かれた本である。最近、極端に盛ったエピソードやフェークまがいの話の本が目立つなか、本書はマジメであり、まっとうなことしか書かれていない。

編著は「日果研」。日本果物研究会を略したような名称になっているが、あとがきには「著者は私一人」と記されている(「私」が誰だかは明記されていない。姓が「にっか」、名が「けん」かもしれない)。

ある日、著者は昼遅くに焼肉の食べ放題を貪ったという。いくばくかの罪の意識を覚えて食べ終わったのが午後2時半だった。その日は午後8時を過ぎても腹が空かなかったそうである。しかし、何も口に入れないで寝床に就くと、真夜中に目を覚まして夜食することになりかねない。以下、次の文章が続く。

前日の青空市場での買物を思い出し、フルーツなら少しはいけそうだと考え、一口サイズにカットした。林檎、柿、無花果、真桑瓜の4種をつまみにして、白ワインにするかウイスキーにするか迷い、口の中での味のマリアージュを想像した結果、ウイスキーに軍配を上げた。ロックでもなく、ストレートでもなく、水割りでもなく、直感でハイボールを選んだ。

フルーツという総称をカタカナにしながら、個々の果物を漢字表記しているから妙味のある雰囲気が出ている。マクワウリを漢字で見るのは初めてかもしれない。

書評する者は本だけ読めばいい。書かれていることを実行する義務はない。たとえば世界遺産巡りのエッセイ本の著者のマネなどしたくてもできないのだ。しかし、ウイスキーのハイボールなら作れる。リンゴとカキとイチジクとマクワウリをすべて揃えるのは少々面倒だが、スーパーと果物店を何軒か回れば何とかなるだろう。首尾よく手に入れればカットして小皿に盛るのに苦労はない。

そして、実際に試してみたのである。著者はフルーツにウイスキーのロックもストレートも水割りも合わせていないようだが、すべて試してみた。著者のハイボールという直感は見事だった。フルーツにはこれしかないと思わざるをえないほど、運命的な相性の良さを認めざるをえなかった。

まっとうなことしか書かれていないし感動的な話も少ないが、読むうちに行動を促され、行動ゆえに書評が出来上がった。言うまでもなく、読後はほろ酔い気分になっていた。

㊟ 通常は、まず本があって、それを読む人がいて、その人が書評をしたためる。しかし、書評と同時に空想の書物が成り立つこともあるのではないか。そんな好奇心から試みたのが本編である。一読をおすすめしたいし手元にあればお貸ししたいが、『秋フルーツをつまみにハイボール』という書名の本は実在しない。仮にすでに書かれていたとしたら単なる偶然にすぎないが、一読価値がありそうだ。

抜き書き録〈2022/10号〉

「ことば遊び」と言うのは簡単だが、大いに遊んで楽しむには豊富な語彙と教養がいる。織田正吉著『日本のユーモア1 詩歌篇』にはハイブローな笑いとユーモアがぎっしり詰まっている。頭を使わされるので読後にどっと疲れが出る。同じ句を繰り返し使って詠う「畳句」などは単純でわかりやすい。偶然にして「じょうく」と読むのもおもしろい。

月々に月見る月はおほけれど月見る月はこの月の月 
(『夏山雑談なつやまぞうだん』より)

まもなく十三夜だから月を愛でながら呪文のように唱えてみるのはどうだろうか。


散る花は音なしの滝と言ひつべし   昌意しょうい
「花」を「滝」に見立てたものである、と説明するのも野暮だろう。

(尼ヶ崎彬『日本のレトリック』)

「見立てる」を辞書で引くと、最初に「いい悪いの判断をすること」みたいな語釈が書かれている。それなら、わざわざ見立てるなどと言わずに、判断や評価でいいのではないか。続く語釈は「何かを別の何かであるかのように扱うこと」。こちらのほうが見立て本来の使い方に近いと思われる。見立ては類比アナロジーに近いレトリックである。花と滝に類比関係を見出すのは見立てである。著者は次のように続ける。

「見立て」とは、常識的な文法や連想関係からは結びつかぬものを、類似の発見によって(ないしは類似の設定によって)結びつけ、それによって主題となっているものに新たな《物の見方》を適用し、新しい意味を(または忘れられていた意味を)読者に認識させるものである(……)


高橋輝次編『書斎の宇宙』には「文学者の愛した机と文具たち」という副題が付いている。収録されている石川欣一の「原稿用紙その他」からの一節。

原稿用紙に凝る人は随分多い。自分で意匠して刷らせている人が沢山あるが、僕の知っている豪華版は仏文学の鈴木信太郎君だ。何とも筆舌を以ては表現出来ぬほど立派なもので、我々の雑文を書くのには勿体ないが、コツコツと、マラルメなどの訳をうめて行くには、まさにふさわしい原稿用紙だろう。

プロの著述業ではないが、趣味でオリジナルの原稿用紙を印刷してもらっていた知人がいた。ぼくは大学ノートを使っていた。二十代前半の頃、書くのが好きという理由だけで何度か文芸誌に応募したことがある。文房具店でよく見かける原稿用紙では見映えが悪いと考え、紀伊國屋書店で売られていたちょっと高級な原稿用紙(四百字詰め用紙100枚で1冊)5冊ほど買った。あれから40数余年、まだ2冊が残っている。今も手元に残る原稿用紙を眺めていると、勘違いばかりしていた時代を思い出す。

あれもこれもポルトガル

最近はカタカナ語が溢れているので、モノが国産か外来かの区別はつきにくい。以前は、カタカナで表記されていると外来語だろうと察したものだ。たとえば、あの化学実験用の容器「フラスコ」。元が“frasco”で、仮にそれが何語か知らなくても、外国由来だと見当がつく(実際はラテン語/ポルトガル語起源)。

ところが、モノと同時に外来語が紹介された江戸時代、比較的発音に忠実に漢字で表記されてそのまま明治大正昭和と使われたから、歌留多かるた煙草たばこ襦袢じゅばん合羽かっぱも元々日本語だと思われてきた。それぞれがまさかポルトガル語の“carta” “tabaco” “gibão” “capa”であるとは想像できなかったのである。

今では情報が流布して、カタカナで表記される食べ物、特にヨーロッパ起源のものはよく知られるようになった。フランスやイタリアやドイツまで取り上げるとキリがないので、ポルトガル語が出たついでにいくつか拾ってみた。パン(pão)、こんぺいとう(confeito)、ビスケット(biscoito)はすでにおなじみ。鯖寿司には、その形状からの連想でポルトガル語で「小舟」を意味する“bateira”てられた。カステラも「城」を意味するポルトガル語の“castella”由来である。

つい昨日のこと。懐かしい「丸ぼうろ」が売られていた。どこにでもあるお菓子だが、袋に佐賀の伝統銘菓と書いてあった。知らなかった。ところで、丸ぼうろなどは、何のことか知らぬままてっきり日本のものだ思っていた。調べてみたら「ぼうろ」は乳ボーロの「ボーロ」と同じで、焼き菓子の意の“bolo”。これもまたポルトガル語である。

かつて外来語に工夫を凝らして日本語に訳したり漢字を充てたりしたが、今となっては漢字ではなく、原語の発音に近いカタカナで表記するようになった。コンピュータをわざわざ電子計算機と訳してはみたが、モノになじむとその名称の翻訳や漢字が必要でなくなる。「葡萄牙」などはテレビの雑学クイズ番組以外で見ることはなくなった。

語句の断章(36)多々益々弁ず

「多々益々弁ず」の意味を正しく知っている人は少なく、ほとんどが知らないか誤って解釈している。誤って解釈するのは少々教養があるためで、弁術や弁論に使われる弁という漢字から連想して「話すこと言うべきことが増えれば増えるほど弁が冴えてくる」という意味に解してしまう。

実際、ぼくもそんな一人だった。いちいち辞書を引かなかった若い頃、初見の表現や成句なのに適当に類推だけで済ませて、我流の解釈のままで放置していた。その最たる例がこの「多々益々弁ず」。ある日、この表現が弁論に関わるものではないことを知る。さすがに今は、分かったつもりにならぬよう、面倒臭くても調べるようにしている。

弁論や弁護の弁は「話す」の意で旧字の「辯」には言が入っている。一方、多々益々弁ずの弁の旧字は「辨」のほうで、「わきまえる」の意。すべきこととそうでないことの区別やけじめをつけて、物事を巧みにコントロールしたりマネジメントしたりすることだ。多々益々弁ずは「仕事や物事が多ければ多いほど処理能力が高まるさま」を表わしている。

言語や表現が豊かというのではなく、仕事や物事の「事」にまつわる成句なのである。あの人は多々益々弁ずと言えば、仕事や物事が増えても次から次へと片付ける、手腕や能力のある人物のことにほかならない。なお、由来についてはここでは書かないが、たいていの故事名言・諺辞典には記述があるので参照していただきたい。

秋気配を読む

どの季節にも言えるが、季節の始まりは触覚、視覚、聴覚、旬の味覚を通じて感知する。もう一つ加えるなら、その季節の風情をうたったり著したりした本の中に見つけることもできる。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる (古今集)

視覚よりも聴覚が先に秋を知る。この時期、まだ葉は落ちず、また山なみを遠望しても秋色に染まる様子は窺えない。目に見えるものは同じでも、窓越しに台風の音を聞くと、夏の終わり、秋の始まりを察知する。たとえその後夏っぽさが戻るにしても、わずか一日でも気温が下がって「涼しい、蒸し暑くない」と体感したら、その時に秋が兆したのである。

秋の見方、感じ方は人それぞれである。ボードレール『巴里の憂鬱』の一節「黄昏」はどこか秋を思わせる。

日が沈む。一日の労苦に疲れた憐れな魂のうちに、大きな平和が作られる。そして今それらの思想は、黄昏時の、さだかならぬ仄かな色に染めなされる。

他の季節にはない、秋ならではの日の沈み方、物思いへの指向性、黄昏、色というものがある。秋は慌てず急がず、夏の高ぶりを鎮めるように、つつましく始まる。

動物学者の日高敏隆に『春のかぞえ方』という本がある。春が訪れると花が咲いて虫がそこに集うようになる。この本は、花や虫がどのように春を感知するのかについて研究したものだ。日高によると、生き物にはそれぞれの三寒四温の「積算方法」があり、季節は積算によって正確に計られるという。ならば、春をかぞえるのと同じように、動植物は秋もかぞえているはずである。前年の冬から毎日の温度や湿度を数え始め今年の夏までの全日を積算して、「よし、そろそろ秋!」と判断しているに違いない。

『第三版  俳句歳時記  秋の部』(角川書店)から「秋の雨」という一節。

秋といえば素晴らしい秋晴れを連想するが、むしろ天気は悪い方である。毎年九月中旬から十月中旬までは秋の長雨といわれる一種の雨期に入る。「秋雨」はどこかうそ寒く、沈んで浮き立たない。

次いで、秋雨や秋霖を詠む句がいくつか並んでいる。一句を拾う。

秋雨や地階まで混むビール館  高井北杜

真夏にぐいっと飲む生ビールはキンキンに冷えた液体であって、はたして人はビール本来のうまさを味わっているのかどうか。台風が去って暑さがやわらぎ、湿度が下がって空気が乾燥する。その時、ビールは熱を冷ます任務から解放され、客を味に集中させるミッションに就く。ビール党でないのに生意気を言うが、秋になるとビールのうまさが増す。そして、ビールと相性のよいつまみも増えるのだ。乾杯!

街中の目撃と雑感

赤瀬川原平らが提唱した「路上観察学」は1986年に学会を立ち上げ、同じ年に『路上観察学入門』という本も出版された。日々の散歩でも少し遠出する街歩きでも、見慣れない風物や場面に遭遇したり目撃したり、そのつどいろいろ感じることがある。まさに路上観察。もっとも、ぼくの街への情熱は路上観察学のオタク諸氏の足元にも及ばない程度だ。


👓 いつもの道で街路樹が何本も思い切りよくられ、「腰から足元」だけが残っている状態になった。木に貼られた紙には「この木は将来、根上がり等がさらに進行し、安全な道路の通行に支障を来すおそれがあるため、撤去を予定しています」と書かれていた。
歩道のタイルが膨らんでいるのをよく見かけるが、あの状態を「根上がり」と呼ぶそうである。同日の帰路、クレーンが出ていて根っこが抜かれていた。撤去後に新しい木を植えるらしいから、街路樹が歯抜けにならずに済むのは何より。

👓 どう見ても空き家にしか思えない豪邸がある。空き家になると庭木が伸び放題、わずか数年でジャングルのようになる。裏手には悪意ある者たちがゴミを捨てる。誰も住まなくなって十年や二十年放置されてきた一軒家。てっきり無人と思っていたその家から、ある日、生活感のある人が現れてゴミ出しする場面に出くわしたら、たぶん背筋が寒くなる。

👓 街歩きの途上で寄り道する。カフェ、古書店、文具・雑貨店、公園、記念碑等々。知っているはずの地元で知らないことだらけを痛感する。「行ってみたい所は多い、行っている所はわずか」という思いで帰ってくる。そして、「やりたいことはいろいろ、やっていることはわずか」といつも反省し、次の休日になるとその反省をけろりと忘れてしまっている。

👓 どう見ても廃屋にしか見えない家の軒先に瓢箪がっていた。下町の平屋の家に住んでいた幼少の頃、裏庭の便所の横に瓢箪が植わっており、かなり大きく育っていた。祖父は縁起物で厄除けになると言い、誰かが凶事をまねくのではないかと言い、父は黙って瓢箪を加工していた。ところで、写真の瓢箪を見つけた翌日、たまたま寿司屋で干瓢かんぴょう巻きを食べた。別に関連づけたわけではないが、干瓢と瓢箪は同じウリ科のユウガオである。

👓 休日の15:30に最寄りのバス停から「なんば行」のバスに乗る。橋の多いエリアなので、このバスは橋を巡る路線になる。末吉橋、長堀橋、三休橋、心斎橋、道頓堀橋を経由する。赤字のバス路線がずいぶん廃止されたが、行政は損得だけでものを考えてはいけない。バスにはロマンと懐かしさがある。バスの由来であるラテン語のomnibusオムニバスは「すべての人のため」という意味。単に人を運ぶ乗り物ではないのだ。

レストランはこうして生まれた

食事や料理を主題にした映画が上映されると足を運ぶ。食べることは人類の共通の生命線であり関心事であるから、言語や文化が異なる外国の映画でも難なく筋が追える。ここ数年間では『バベットの晩餐会』(1987年のリマスター版; デンマーク映画)、『世界で一番しあわせな食堂』(2019年; フィンランド/イギリス/中国合作映画)が印象に残っている。

92日に公開されたフランス/ベルギー合作の映画、『デリシュ!』も出色のできばえだった。題名になっているデリシュはジャガイモとトリュフを使った手の込んだ料理。公爵主催の晩餐会に向けて気合を入れて創作した一品だが、期待に反して来賓の貴族たちに酷評された。ここから物語が始まり、そしてレストランの歴史が始まる。

店を構えて、老若男女や貴賤を隔てずに客に料理を提供する形態は、18世紀半ばにフランスで始まって今日に至る。レストラン(reataurant)の語源はフランス語の“restore”で、「回復する」を意味する。食べるとは疲れを癒して休憩することだった。

まずテイクアウトや仕出しによるごく簡単な料理の提供があったようだ。そして、もう少し先になってからテーブルと椅子を用意して店で食べさせるという、今と同じやり方が定着した。レストランはまたたく間に増えていった。なぜか。

「折しも、革命(1789~)によって貴族の邸にいた料理人が失業して、町にレストランを開いた。これがフランスで、上等の食事を供する食堂が一般化した始まりである」(柴田婧子著『フランス料理史ノート』)

舌の肥えた貴族を満足させていた料理がリーズナブルに食べられるのだからレストランは人気を集めた。ちなみに、同書によると、日本でも同じ時期に本格的な高級料理屋が次々に出現している。深川の升屋など多くの料理屋が寺社の門前に構えられることになった。

くだんの映画の話に戻る。レストラン誕生以前にも泊まりを基本として、簡単な食事が付く程度の旅籠はたごはフランスでも日本でも存在していた。しかし、一般庶民はめったに外食機会に恵まれず、質素な食事でしのいでいた。他方、貴族は一流の料理人を雇って館に住まわせて「美味求真びみきゅうしん」の日々を満喫し、ハレの日には貴族仲間を招いての晩餐会に興じていた。しかも、料理人に献立を任せるのではなく、自分たちの食べたいものを20品、30品と用意させたのである。

晩餐会で不評を買って解雇された映画の主人公。失業すると新しいパトロンを探すしか料理人としての道はなかったが、周囲の人たちの助言もあって料理して供する場を作ろうと英断する。前菜、主菜、デザートのコースを決めて料理を提供したのはある種の革命だった。このレストラン革命がフランス革命と時を同じくしたことに偶然と必然の重なりを覚える。